パスティーシュ

トリヤマケイ

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リュミエール

新しい顔と対峙する

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    そんなこともあったなと、昔を懐かしみながら何気なくタロウは窓外を見た。
 信号待ちで五、六人の男女が、こちら側を向いて立っていた。

 そのとき、タロウはテーブルをひっくり返さんばかりに驚いた。そのなかにママがいて、横に立っている男と何やら笑顔で話をしていた。問題は、その男の顔だった。

 それは明らかにタロウに違いなかった。本人がそう思うのだから間違いはない。くりそつとかの次元の話ではない。タロウ自身に相違ないのだ、そいつは。

 タロウは、これがドッペルゲンガーってやつかと思って、持っていたコーヒーカップを取り落とし、そのカップが床に砕け散る音にはっと我に帰ると、レジに突っ走り代金を放って一気に階段を駆け下りた。

 通りに出たタロウは辺りを見回したが、既にふたりの姿はなかった。タロウはたぶんふたりがスウィングから出て来たのだろうと判断し、渋スタとは反対のゲーセンの方へと向かった。夕方の混雑のため、通りを走ることも出来ない。仕方なくタロウは人を掻き分け、掻き分けして先を急いだ。

 そしてやっと交番の手前でふたりに追いついた。
 タロウはママを呼んだ。

 振り返ったママの顔は恐怖に歪み、かわいらしい白魚のような白い手で口を押さえて声にならない叫びを洩らした。

 問題の男もゆっくりと後ろを振り返り、タロウを見た。が、こいつの方はタロウと対峙しても驚くそぶりを見せず、にやけてすらいた。

 タロウは目の前にいる自分自身……いや、自分の分身……を見てドッペルゲンガーの存在を確信するほかなかった。

 ところが。ママの次の言葉がタロウをその場に凍りつかせたのだった。
「小森くん!」ママは、確かにそう言った。小森くんと。

 その瞬間、まざまざとあの悪夢のワン・シーンがフラッシュ・バックした。どういうことだ、あれは現実だったのか?

 呆然と立ち竦むタロウの目に、ママを引っ立てるようにして連れ去ってゆくタロウ自身が映っている。思考力をまったく失ってしまったタロウは頭だけゆらゆら揺らしながら、いつまでもその場に立ち尽くしていた。

 しかし、歩行が脳の働きを活性化するというのは、本当らしかった。タロウがやっとショックから立ち直ってふらつきながらも歩き出すと、徐々にではあったけれども思考力が戻ってきた。

 まず最初に考えたことは、これは夢なのではないのか、ということだった。
 それはとっても魅力的な思い付きではあったけれども、どうやら今度ばかりは夢ではないようなのだ。そのことは、さっきのママの声にならない絶叫からも窺い知れるのだった。

 これが夢なのならば、あのママの可聴音域をはるかに越えてしまった悲鳴が、夢から醒める合図であったはずであろうからだ。でも、タロウは事実夢からの覚醒感などといったものは全くなく、周囲の変化も見られない。

 あるいは、夢から現実への移行があまりにも速やかに手際よく行われたと考えた場合でも、タロウはこうして歩きながらも夢を見ていたということになり、そうなるとタロウは完全なるガイキチということになる。自覚症状がないだけに怖い。自分に歩行しながら夢を見るなどとという芸当が出来るはずもないと思っている。そこが、ミソだ。

 でも、それらの穿った洞察も渋谷駅に近づくにつれ、あとかたもなく消えていった。……そして。

 タロウの思考はある一点に収斂してゆくのだった。

 東急東横店の1階をまっすぐ突っ切り、モヤイ像の前に立ったタロウは、半ば諦めたように「小森くん」と呟いた。

 これでユカが逃げ出したことも頷けるというものだ。でも、事ここに至っては何故小森くんの顔を持ってしまうようになってしまったのかなどといった疑問は、意味もなく、またタロウの考えるべきことでもないのだった。タロウはこのとき、ある結論に達した。

 なじみのない顔であるわけでもないわけだし、とにかくこうなってしまった以上、この現実を受け入れる以外にないのではないか、そういうことだ。

 JRの改札を横に見ながら、タロウは新しい自分の顔に対面すべく心の準備を整えた。東横の改札を抜け、右手にある洗面所に入ると、タロウは俯いたまま鏡の前に立ち、おもむろに顔を上げる。そして、ゆっくりと新しい自分の顔に微笑みかけた。




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