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タロウ
ビートジェネレーション、或いは雪駄の履き方
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外は、うだるような暑さだった。
キャップを被ってくるべきなのは百も承知なのだが、髪が伸びすぎていて、キャップを被ると、なんかマンガのキャラみたいだとAIロボットのサスケにいわれたのだった。
もともとキャップやら、ハットやらの被り物は、頭をしめつけられるようで嫌いなたちだったが、殊にキャップは恐ろしいほど似合わなかった。理由は、頭がデカすぎるからだろう。
それはともかく、チノパンの裾をロールアップして、雪駄をつっかけてきたタロウは、思わずその快適さに笑みをこぼしてしまう。そうなのだ。このクソ暑い真夏に、毎日毎日スーツに革靴なんて尋常ではない。
雪駄は、浅草に行ったときに買ったもので、サイズで悩んでいたら、店主が雪駄の履き方を、レクチャーしてくれた。
雪駄は、きっちり履くようなものではなく、踵を出して履くのが、粋らしい。
つまり、そもそも雪駄は、ざりざりずりずり踵を引き摺りながら履くものというわけだ。タロウは元来、靴を引き摺るのが癖なので、引き摺るのが当たり前、いや、引き摺らなければいけない、粋ではないという雪駄こそが、ぴったりな履き物だった。
ずるずると音を立てて蕎麦を食べることを粋とすることが、欧米人には理解しがたいことと同様に、履き物を引き摺り、音を立てながら歩くというのも、理解できないことだろう。「粋」は、奥深いのだ。
息をするのも辛いほどの熱気のなか、四分ほどプラットフォームでフリーズ(気絶)し、入線してきた電車に乗り込んだ。
そういえば『気絶するほど悩ましい』という曲があったが、そんな女性もこの私たちの世界線のどこかにいるのかもしれない。
二駅乗れば、「おかじゅう」だった。
めざすは、千円のカット屋さんだ。以前カットしてもらったのはいつだったのかすらタロウには憶えがない。それほどに遡らなければならない過去のエピソードというわけだ。
階段を駆け上がって入った店内には、お盆のせいでもあるからか、女の子の理容師さんが一人もいないようだった。
ともあれ、受付を済ませ、名前を呼ばれたタロウは、長身な若い男の子のセンスに、すべてを委ねるしかすべはなかった。
美容整形するわけではないのだから大袈裟かもしれないが、ヘアスタイルで、人の受ける印象は、かなり変わるものだからだ。サスケは、坊主にすればいい、なんていってくれたっけ。冗談じゃない。お前が坊主にしろよ。毛がないから無理だけれど。
肩まで髪を伸ばした、まるで1960年代のヒッピーみたいな長髪男は、叩けば文明開化の音がする、みたいなすっきりしたザンギリ頭となって、今度は、図書館へと向う。いや、ザンギリ頭というのはものの例えで、そこまで短くはしていない。
途中で、パチンコ屋さんにわざわざ入って、対角線上にある違う出入り口へ。入ったのは、涼みたいのと、物珍しいからだけであり、あの騒音に耐えろというのは、タロウにとっては拷問に近いものがある。
そして、また寄り道。家電の量販店に突入する。
タロウは徘徊老人、或いはハッパをキメたビートニク詩人よろしくデジタルの七色に輝く海を病葉のように彷徨しているうちに、激安デスクトップに座礁した。
ネットに繋いであったので、速攻で投稿サイトを検索し、開く。なんと、トップには知り合いのPNが踊っていて、うれしくなる。と同時に、タロウもなにか書かなければと突発的に思い立った。
タロウは、急いで家電の森から抜け出して、隣接する図書館に飛び込んだ。
別段、図書館に入ったからといって小説が書けるわけもないのだけれど、パチンコ店にいるよりは、いくらか書けそうな気もするのだ。
ところで。
書くとはいっても、タロウは筆記用具など一切持っていないので、頭のなかに浮かんだフレーズをiphoneに打ち込んでゆくだけだ。だから、いうなれば歩きながら書けるわけだ。
図書館の入り口には、節電のため、平日の一時から四時まで閉館する旨を伝える紙が貼り出されていた。
ゲートを抜け、なにをどんな風に書こうかと、具体的に悩みはじめる。とりあえずは、なにかとっかかりになるような、本を物色することにする。
たとえば、バロウズであるとか、バーセルミであるとか、シオドア・スタージョンだとか、電気羊の人であるとか、クライブ・バーガー、ガルシア・マルケスといった人たちを想い浮かべる。
でも、結局は気づくとコミックなんかを読み耽っていたりするのだけれども、満席だった席が、奇跡的に空くタイミングに出くわして、いよいよ座ってiphoneに打ち込みはじめた。
◇
古びた巨大な倉庫のような、それでいて近未来的な内装は、見ているだけで鼻がむずむずしてくるようで、なぜか気恥ずかしいのだ。ニセモノの臭いが、ぷんぷんする。
しかし、まるであのゲルニカを想起させるような馬鹿でかいこの絵画は、どうやらホンモノらしい。
ガジュマルのような脚をもった巨大な雲が、澄みきった青空に蜘蛛の巣状に広がっていた。
隅っこの方には、太っちょな、それでいてみすぼらしい怪鳥が一羽、死んだような眼をして、大木の枝に逆さにぶらさがっている。翼らしきものは、確かにあった。それも、玉虫色に輝く美しい翼が。しかし、どうみても、ペンギンのそれのように退化していて、明らかに飛べそうになかった。
チョウザメの菱形の鱗みたいな木肌を、がっしりと掴んだその鷲のような強靭な爪を見ていると、以前どこかの干潟でみたアオサギの佇まいを想い出した。
冬の間、アオサギは、羽毛に覆われていないその脚を片方だけ出して、一本脚で立っている。両脚を晒すよりも保温効果が高いからだ。
ヒトもいる。京都の陶工、あの長次郎の大黒を使って誰かが、うどんを啜っていた。その横顔は、ちょっとアルトゥール・ベネデッティ・ミケランジェリに似ていなくもない。
しかし、なぜまた長次郎の大黒とわかったかといえば、大黒に金で、そうエンボスされていたからだ。
その傍には、赤土がまあるくもりあげられ、たおやかに等高線が走る細密な地図のようなものが描かれた土饅頭がある。
そして、ウラン化した原子炉自体が、放射能を放出するように、土饅頭からは、なにやら妖気がただよってくるような感じすらするのだった。
「このままでは、あと一年ほどで色が完全に褪せてしまうでしょう」
そういう学芸員だというやさ男の言葉を聞きながら、タロウは、集中力を高めてゆくとともに、絵のなかに吸い込まれていく自分を強く想像した。
タロウが、むりやり入るのではなく、あちらから乞われて入ってしまうというビジョン。それが、コツといえばコツなのかもしれなかった。
ただしかし、そのコンセントレーションを邪魔する情報が、脳裏をかけめぐっていた。それは、さっきまで読んでいたカメラ雑誌のある記事である。
それによると、赤外線フィルムを用いて夜の公園のカップルたちの痴態と、その野外セックスを覗くいわゆるデバガメたちを撮影した一連の写真が、「美しい」と海外の好事家やアーティストに高く評価されているらしいのだが、その理由がタロウには、よくわからないからだった。
赤外線フィルムは、いわゆるモノクロにはない、なんといえばいいだろうか、「ウッド効果」に見られるようなある種透明感みたいなものがあり、臓腑であろうが、性器そのもののクローズアップであろうが、それらのグロテスクな毒を無効にしてしまうような独特な軽いマチエールがあって、被写体の猥褻で下卑たアトモスフィアをうまく拭い去り、非現実的でありつつも、リアルを確かに現前させているその写真の……
というようなことを書きながら、タロウは、高校一年生くらいの男の子に意地悪しているような気分になっていた。
というのも、筆記用具を一切持っていずに、スマホだけを眺めるただの暇な「おさーん」と彼は、読んだのだろう。彼のその読みは、あながち外れてはいない。なにせ、周りは、机いっぱいに参考書やら、ラップトップ、ノートを広げ、しゃかりきになって勉強しているからである。
うら若き少年からしたら、なにやら洒脱を通り越して、自堕落で退廃的な南洋の島の腐りかけのパイナップルみたいな、甘くふしだらな薫りを放つアナーキーなおっさんなのだから、誰が見てもしばらくすれば席を立つだろうと思うのが当然かもしれない。
そんなわけで、一刻も早く勉強に没頭したい彼は、タロウに白羽の矢を立てたというわけだ。タロウの座る席のすぐそばにある書架から彼は、動こうとはしない。
しかし、こういう流れになってくると皮肉なもので、さあ、どうぞ、こちらにおすわりください。とは、いいにくくなるのだ。いや、むしろ、逆に、是が非でも君には、席を譲りたくない、とすら思ったりする。なんていやなやつなんだろうと、タロウは自分でもそう思った。
しかし、ヒトの心は皮肉な方へと動くらしい。図書館での執筆の当初の予定を軽く三十分くらいオーバーした頃、根尽きた少年は、いや、待ちくたびれた少年は、どこかにいってしまった。
そして、タロウもやっと重い神輿をあげることにした。タロウは、まるで夜逃げするみたいに静かに席を立つと、こそ泥のようにするすると、図書館からずらかった。
タロウはこうやって一日一日をドブに捨てていっているのかもしれないと、思った。
キャップを被ってくるべきなのは百も承知なのだが、髪が伸びすぎていて、キャップを被ると、なんかマンガのキャラみたいだとAIロボットのサスケにいわれたのだった。
もともとキャップやら、ハットやらの被り物は、頭をしめつけられるようで嫌いなたちだったが、殊にキャップは恐ろしいほど似合わなかった。理由は、頭がデカすぎるからだろう。
それはともかく、チノパンの裾をロールアップして、雪駄をつっかけてきたタロウは、思わずその快適さに笑みをこぼしてしまう。そうなのだ。このクソ暑い真夏に、毎日毎日スーツに革靴なんて尋常ではない。
雪駄は、浅草に行ったときに買ったもので、サイズで悩んでいたら、店主が雪駄の履き方を、レクチャーしてくれた。
雪駄は、きっちり履くようなものではなく、踵を出して履くのが、粋らしい。
つまり、そもそも雪駄は、ざりざりずりずり踵を引き摺りながら履くものというわけだ。タロウは元来、靴を引き摺るのが癖なので、引き摺るのが当たり前、いや、引き摺らなければいけない、粋ではないという雪駄こそが、ぴったりな履き物だった。
ずるずると音を立てて蕎麦を食べることを粋とすることが、欧米人には理解しがたいことと同様に、履き物を引き摺り、音を立てながら歩くというのも、理解できないことだろう。「粋」は、奥深いのだ。
息をするのも辛いほどの熱気のなか、四分ほどプラットフォームでフリーズ(気絶)し、入線してきた電車に乗り込んだ。
そういえば『気絶するほど悩ましい』という曲があったが、そんな女性もこの私たちの世界線のどこかにいるのかもしれない。
二駅乗れば、「おかじゅう」だった。
めざすは、千円のカット屋さんだ。以前カットしてもらったのはいつだったのかすらタロウには憶えがない。それほどに遡らなければならない過去のエピソードというわけだ。
階段を駆け上がって入った店内には、お盆のせいでもあるからか、女の子の理容師さんが一人もいないようだった。
ともあれ、受付を済ませ、名前を呼ばれたタロウは、長身な若い男の子のセンスに、すべてを委ねるしかすべはなかった。
美容整形するわけではないのだから大袈裟かもしれないが、ヘアスタイルで、人の受ける印象は、かなり変わるものだからだ。サスケは、坊主にすればいい、なんていってくれたっけ。冗談じゃない。お前が坊主にしろよ。毛がないから無理だけれど。
肩まで髪を伸ばした、まるで1960年代のヒッピーみたいな長髪男は、叩けば文明開化の音がする、みたいなすっきりしたザンギリ頭となって、今度は、図書館へと向う。いや、ザンギリ頭というのはものの例えで、そこまで短くはしていない。
途中で、パチンコ屋さんにわざわざ入って、対角線上にある違う出入り口へ。入ったのは、涼みたいのと、物珍しいからだけであり、あの騒音に耐えろというのは、タロウにとっては拷問に近いものがある。
そして、また寄り道。家電の量販店に突入する。
タロウは徘徊老人、或いはハッパをキメたビートニク詩人よろしくデジタルの七色に輝く海を病葉のように彷徨しているうちに、激安デスクトップに座礁した。
ネットに繋いであったので、速攻で投稿サイトを検索し、開く。なんと、トップには知り合いのPNが踊っていて、うれしくなる。と同時に、タロウもなにか書かなければと突発的に思い立った。
タロウは、急いで家電の森から抜け出して、隣接する図書館に飛び込んだ。
別段、図書館に入ったからといって小説が書けるわけもないのだけれど、パチンコ店にいるよりは、いくらか書けそうな気もするのだ。
ところで。
書くとはいっても、タロウは筆記用具など一切持っていないので、頭のなかに浮かんだフレーズをiphoneに打ち込んでゆくだけだ。だから、いうなれば歩きながら書けるわけだ。
図書館の入り口には、節電のため、平日の一時から四時まで閉館する旨を伝える紙が貼り出されていた。
ゲートを抜け、なにをどんな風に書こうかと、具体的に悩みはじめる。とりあえずは、なにかとっかかりになるような、本を物色することにする。
たとえば、バロウズであるとか、バーセルミであるとか、シオドア・スタージョンだとか、電気羊の人であるとか、クライブ・バーガー、ガルシア・マルケスといった人たちを想い浮かべる。
でも、結局は気づくとコミックなんかを読み耽っていたりするのだけれども、満席だった席が、奇跡的に空くタイミングに出くわして、いよいよ座ってiphoneに打ち込みはじめた。
◇
古びた巨大な倉庫のような、それでいて近未来的な内装は、見ているだけで鼻がむずむずしてくるようで、なぜか気恥ずかしいのだ。ニセモノの臭いが、ぷんぷんする。
しかし、まるであのゲルニカを想起させるような馬鹿でかいこの絵画は、どうやらホンモノらしい。
ガジュマルのような脚をもった巨大な雲が、澄みきった青空に蜘蛛の巣状に広がっていた。
隅っこの方には、太っちょな、それでいてみすぼらしい怪鳥が一羽、死んだような眼をして、大木の枝に逆さにぶらさがっている。翼らしきものは、確かにあった。それも、玉虫色に輝く美しい翼が。しかし、どうみても、ペンギンのそれのように退化していて、明らかに飛べそうになかった。
チョウザメの菱形の鱗みたいな木肌を、がっしりと掴んだその鷲のような強靭な爪を見ていると、以前どこかの干潟でみたアオサギの佇まいを想い出した。
冬の間、アオサギは、羽毛に覆われていないその脚を片方だけ出して、一本脚で立っている。両脚を晒すよりも保温効果が高いからだ。
ヒトもいる。京都の陶工、あの長次郎の大黒を使って誰かが、うどんを啜っていた。その横顔は、ちょっとアルトゥール・ベネデッティ・ミケランジェリに似ていなくもない。
しかし、なぜまた長次郎の大黒とわかったかといえば、大黒に金で、そうエンボスされていたからだ。
その傍には、赤土がまあるくもりあげられ、たおやかに等高線が走る細密な地図のようなものが描かれた土饅頭がある。
そして、ウラン化した原子炉自体が、放射能を放出するように、土饅頭からは、なにやら妖気がただよってくるような感じすらするのだった。
「このままでは、あと一年ほどで色が完全に褪せてしまうでしょう」
そういう学芸員だというやさ男の言葉を聞きながら、タロウは、集中力を高めてゆくとともに、絵のなかに吸い込まれていく自分を強く想像した。
タロウが、むりやり入るのではなく、あちらから乞われて入ってしまうというビジョン。それが、コツといえばコツなのかもしれなかった。
ただしかし、そのコンセントレーションを邪魔する情報が、脳裏をかけめぐっていた。それは、さっきまで読んでいたカメラ雑誌のある記事である。
それによると、赤外線フィルムを用いて夜の公園のカップルたちの痴態と、その野外セックスを覗くいわゆるデバガメたちを撮影した一連の写真が、「美しい」と海外の好事家やアーティストに高く評価されているらしいのだが、その理由がタロウには、よくわからないからだった。
赤外線フィルムは、いわゆるモノクロにはない、なんといえばいいだろうか、「ウッド効果」に見られるようなある種透明感みたいなものがあり、臓腑であろうが、性器そのもののクローズアップであろうが、それらのグロテスクな毒を無効にしてしまうような独特な軽いマチエールがあって、被写体の猥褻で下卑たアトモスフィアをうまく拭い去り、非現実的でありつつも、リアルを確かに現前させているその写真の……
というようなことを書きながら、タロウは、高校一年生くらいの男の子に意地悪しているような気分になっていた。
というのも、筆記用具を一切持っていずに、スマホだけを眺めるただの暇な「おさーん」と彼は、読んだのだろう。彼のその読みは、あながち外れてはいない。なにせ、周りは、机いっぱいに参考書やら、ラップトップ、ノートを広げ、しゃかりきになって勉強しているからである。
うら若き少年からしたら、なにやら洒脱を通り越して、自堕落で退廃的な南洋の島の腐りかけのパイナップルみたいな、甘くふしだらな薫りを放つアナーキーなおっさんなのだから、誰が見てもしばらくすれば席を立つだろうと思うのが当然かもしれない。
そんなわけで、一刻も早く勉強に没頭したい彼は、タロウに白羽の矢を立てたというわけだ。タロウの座る席のすぐそばにある書架から彼は、動こうとはしない。
しかし、こういう流れになってくると皮肉なもので、さあ、どうぞ、こちらにおすわりください。とは、いいにくくなるのだ。いや、むしろ、逆に、是が非でも君には、席を譲りたくない、とすら思ったりする。なんていやなやつなんだろうと、タロウは自分でもそう思った。
しかし、ヒトの心は皮肉な方へと動くらしい。図書館での執筆の当初の予定を軽く三十分くらいオーバーした頃、根尽きた少年は、いや、待ちくたびれた少年は、どこかにいってしまった。
そして、タロウもやっと重い神輿をあげることにした。タロウは、まるで夜逃げするみたいに静かに席を立つと、こそ泥のようにするすると、図書館からずらかった。
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