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魔王編
CA2
しおりを挟む夜は深々と更けていく。星降るような美しい夜だった。満天の星を見上げていると、遥か彼方に消え去りし過去の思い出が、音もなく去来する。
記憶は、しかしどこを探してもみつかりはしない。あるのはただ記憶の残滓としての形骸のみ。かつて記憶がそこにあったらしいという記憶の抜け殻だけがある。
そして、具体的な出来事を思い出せはしないまま、圧倒的な後悔と自責の念が押し寄せてくる。
或いはときどき頭に浮かぶイメージが、自分のかつて見た夢なのか、映画だったのか、あるいは小説なのか錯綜してしまってわからないことがよくある。
なんかそれらは、常に甘美な思い出というか、くすぐったいような感覚をともなって眼前に起ち現れてくる。
でも、むろんそれは鮮明なイメージとして甦ってくるのではない。紗がかかったような、薄いモザイクがかかったようなほんとうに曖昧な微かな香りのように、仄かに匂い起つのだった。
だから、なおさら甘美に思われるのかもしれない。見えそうで見えない遠いイメージを掴もうとすればするほど遠退いてゆく。近づいてきたかと思うとまたすぐに、するりと身をかわして逃れて行ってしまう。
そして、それよりも更に曖昧で甘美な思い出がふわりと舞い降りてくることがある。
それは、イメージですらなくその輪郭さえつかめない、ただの記憶なのだ。だが、確かな記憶の戸籍として鮮明に甦り、記憶中枢『海馬』を占有して再生が試みられるものの、そこには記憶のコアらしきものがあっても所詮コードであって、とうてい読み取れるものではない。
因みに海馬は、CA1.CA2.CA3.歯状回という領域が連結して機能しているらしいが、海馬全体は大きな環境の変化は認識できるものの、小さな環境の変化は認識できず、小さな環境変化を認識する役割は、海馬のCA2が担っていることがわかってきたらしい。
記憶だけはするが上書きされた部分を認識できないようでは過去の記憶と現在の情報とを比較できずにおかしなことになってしまう。
時々、なにかとっても優しい心温まるような、というか、とってもウキウキするような、胸がちくちく痛むような、そんな恋の訪れの予感みたいな本当に甘美な記憶として、その記憶の形骸だけが心に降りてくる。
しかし、それはほんとうに甘い恋の記憶なのか否かわかったものではない。もしかしたらCA2が正しく機能していないだけなのかもしれない。
そして、ファルコネッリは、いつも思うのだ。自分はいったいどんな罪を犯し誰を傷つけてしまったのだろうかと。
いつも見るあの夢がやはり前世での出来事なのかもしれなかった。夢はなんの脈絡もなくはじまり、また跡形もなく消えてしまうのが常だけれど、あの夢もいつも唐突にはじまるのだった。
それは断崖絶壁であったり、校舎の屋上であったり、教室の窓であったりした。そして少女はいつも、音もなくそこから飛び降りてしまうのだった。
◇
大岩の下に自然に出来た、そこだけ大きく抉られているような窪みの中でシュラフに見立てた葉っぱにくるまり、3人が寝ていた。
その岩を背にした焚き火の前で、寝ずの番をしていたファルコネッリは、立ちのぼる炎を見つめながら、知らず知らずのうちに、うとうととしはじめた。
睡魔の心地よい抱擁に身も心も蕩け、今にも己の肉体が分裂する時のように、或いは、あたかも自分の生霊が抜け出す時のように、ブルっと震えて目が覚めた。
何か怖ろしい魔物の夢を見ていた。
と、そこで俄かに不穏な空気の揺らぎを感じ取った。尋常ではない、なにやら邪悪な波長が漲っている。
そう気づいた時には、ファルコネッリたちはもう既に包囲されていた。
目を凝らすまでもなく、赤赤とした目が爛々と闇の奥で妖しくルビーのように輝いている。
低い唸り声や威嚇の咆哮など一切ない。物音ひとつ立てないまま、じりじりと接近してくる無音の狩人。
息遣いさえ感じさせないのは、動物ではなく昆虫系のモンスターではないかとファルコネッリは思った。
ファルコネッリは3人を起こした。
アンドロイドのメグが視覚を赤外線に切り替えて監視する。
「いるいる。巨大なタランチュラみたいなやつら。体高は1.5メートルってとこかな。顔がエグすぎ」
即座に作戦を練らなくてはならない。
フーマがいう。
「たぶん、やつらは毒液で相手を麻痺させたり、糸で雁字搦めにしてから、消化酵素を注入し、溶かしてからストローみたいな口でチューチュー吸いあげるんやで」
メグが本気で気持ち悪そうにいった。
「きしょ~、ビジュアルとおんなじやんな」
落武者がざんばら髪を撫でつけながら、「はいはい、蜘蛛かよ。食えねーじゃん。ま、仕方ない拙者がやろう」
「余裕だね、じゃここはカッシーに頼もうかな。俺らは高みの見物させてもらうわ」
「かたじけない」と言い置いて、振返りやおらカッシーは、背中に背負った大太刀を抜き取ろうとしたが、うまく抜けない。
実はこんなケースは珍しくない。いや、毎度のお約束にすらなりつつある。大太刀が長過ぎるからだが、カッシーはまだまだ長くしたいらしい。
そして。
カッシーは、何度目かでやっとスラリと抜き取った大太刀をキラリと煌めかせ、タランチュラの軍団へとひとり斬り込んでいった。
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