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第1部 奈美編
♬11 人生の分岐点 〜BLのお誘いはナシ
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マイルス・ディヴィス、チャールズ・ミンガス、キース・ジャレット、ケニー・ドーハム、オリバー・ネルソンetc.
そのなかの一枚。マイルスの「get up with it」というアルバムの『マイーシャ』という曲だったと思う。
昼の光の名残りがガラス窓に消し炭のように滲む部屋で聴いた。不意に涙が溢れだし泣けて泣けてしかたなかった。
あれはいったいなんだったのか。記憶の中の何かを呼び覚まされたのだろうか。
というわけで、ジャズにはなにやら深いものがありそうだぞということで、興味がそちらへと徐々にシフトしていったのだった。
ロックのアルバムをすべて友人たちにあげ、ジャズを本格的に聴きはじめ、スクールにも通いはじめた。そして、渋谷にあるフォビナッチというジャズ喫茶に入り浸り、ジャズを聴き漁った。
昼から晩まで聴きまくり、店を出る頃には、フレーズが口をついて出てくるようになる。それは、外国語の文法など知らなくとも、喋れるようになることと似ていた。
ジャズスクールは、週一のレッスンだったが、ある日、同じクラスを受けているギターの人と知りあった。
個人教授なので、その人は京の一コマ前の時間の人だったが、なぜか京がレッスンを受けて出てくるのを待っていてくれて、ちょっと話しませんかということで、近くの喫茶店に入った。
その人は、なんとチャーリー・パーカーをほとんどコピーして譜面に落としているという強者で、ギターのだいぶベテランらしかった。
なぜまたその彼が、初対面の京と話したいなどと思ったのか、よくはわからないが、たぶん孤独に耐えられなかったのではないか。
家庭持ちの人で、帰る方向が同じということもあり、終電に一緒に乗ったのだが、中目黒で降りる際にアパートに行ってもいいかと言われ、断る理由も見つからなかったので、殺風景な部屋にご招待した。
京は、ノンケなので全く意識していなかったが、こうして文章に起こしてみると、BL的な流れになる可能性もなきにしもあらずな展開になっていて面白い。
なんて書くと、そういうアレで京のレッスン終わりに声を掛けてきたのか? と思われるのも、お話的にはオモロ~な展開かもしれないけど、一切そういうことはなかった。
それで、とにかく気心の知れた旧い友人であるわけでもなく恋人でもないわけで、始発の出る頃まで話して腹が空いたので、また渋谷に戻って喫茶店のモーニングを一緒に食べた。
なんというか、同じことの繰り返しの日々に絶望していたのかもしれないと、渋谷で別れてからそう思った。
是非とも横浜の我が家にも来てほしいと言われ、電話番号も交換した。
誰かに話を聞いてほしかったということもあったのだろうが、眼前に立ちはだかる絶壁のような日常の壁を突き破りたいという、ぎりぎりの思いがあったのかもしれない、などと京は勝手に考えた。
その翌週、レッスンを受けた際に、その人がスクールを辞めたと聞いた。 あたりもソフトでとてもいい感じの人だったが、ある日、何かちがうなと気づいてしまったのだろうか。
しかし、気づいた時には家長としての責任にがんじがらめにされ、もう身動きがとれない。女でも作って、さらには家族をも捨て出奔するなどというマネは逆立ちしてもできない人なのだ。
なにかちがうと気づいた時から彼の地獄ははじまったが、なにも変えられないことにも気づいたにちがいない。
そして、家族を捨てることこそが自由への道であるなんて、とんでもない戯言に危うく騙されるところだったと胸をなでおろしたのかも知れない。そうであってほしかった。
レッスンの終わりの際に何回かすれ違って、挨拶を交わしたくらいの顔見知りとも言えない人が、わざわざ京のレッスンが終えるのを待っていてくれていたという、ちょっと作り話のようなエピソードだが、それだけ彼は悩んでいたのだと京は思った。
ジャズスクールを辞める云々などではなく、むしろ辞めることは既に決めてあり、別な何か、つまり人生そのものに行き詰まりを感じていたのではないかと京は思ったのだが
どうなのだろう。
単にジャズスクールなんてもうやってらんねーということならば、さっさっと後腐れなく辞めればいいだけの話だが、彼はそうはしないで、見知らぬギター仲間にわざわざ声を掛けて、これから自分はどうしたらいいのか、本当はどうしたいのか、自分でもわかってはいるのだけれど、そう簡単に決断を下したくはなく、ずるずるとジャズの話やギターの話に興じているフリをしながら時間稼ぎしていたのかもしれない。
朝まで何時間も恋人同士のように話していたのに、結局彼は、自分の悩みを京に打ち明けることはなかった。だから答えは既に自分で出してあったのだと思う。
まあ、はじめて話す相手に、それもだいぶ歳下の若いやつに自分の思い悩む事柄を滔々と語るというのも男として、恥ずかしいというのはあったのかもしれないが、夜を徹して話せる機会があったのだから、話してくれてもよかったのにと京は思うのだ。
具体的な解決策は、見つからなくても悩みを誰かに聞いてもらうことによって、だいぶ楽になることを京は知っている。自分の中に溜め込んでいてはいけないのだ。
彼にとってあの日は、分岐点だったのかもしれない。是非うちにも遊びに来てと言われたのだが、京が電話することはなかった。
そのなかの一枚。マイルスの「get up with it」というアルバムの『マイーシャ』という曲だったと思う。
昼の光の名残りがガラス窓に消し炭のように滲む部屋で聴いた。不意に涙が溢れだし泣けて泣けてしかたなかった。
あれはいったいなんだったのか。記憶の中の何かを呼び覚まされたのだろうか。
というわけで、ジャズにはなにやら深いものがありそうだぞということで、興味がそちらへと徐々にシフトしていったのだった。
ロックのアルバムをすべて友人たちにあげ、ジャズを本格的に聴きはじめ、スクールにも通いはじめた。そして、渋谷にあるフォビナッチというジャズ喫茶に入り浸り、ジャズを聴き漁った。
昼から晩まで聴きまくり、店を出る頃には、フレーズが口をついて出てくるようになる。それは、外国語の文法など知らなくとも、喋れるようになることと似ていた。
ジャズスクールは、週一のレッスンだったが、ある日、同じクラスを受けているギターの人と知りあった。
個人教授なので、その人は京の一コマ前の時間の人だったが、なぜか京がレッスンを受けて出てくるのを待っていてくれて、ちょっと話しませんかということで、近くの喫茶店に入った。
その人は、なんとチャーリー・パーカーをほとんどコピーして譜面に落としているという強者で、ギターのだいぶベテランらしかった。
なぜまたその彼が、初対面の京と話したいなどと思ったのか、よくはわからないが、たぶん孤独に耐えられなかったのではないか。
家庭持ちの人で、帰る方向が同じということもあり、終電に一緒に乗ったのだが、中目黒で降りる際にアパートに行ってもいいかと言われ、断る理由も見つからなかったので、殺風景な部屋にご招待した。
京は、ノンケなので全く意識していなかったが、こうして文章に起こしてみると、BL的な流れになる可能性もなきにしもあらずな展開になっていて面白い。
なんて書くと、そういうアレで京のレッスン終わりに声を掛けてきたのか? と思われるのも、お話的にはオモロ~な展開かもしれないけど、一切そういうことはなかった。
それで、とにかく気心の知れた旧い友人であるわけでもなく恋人でもないわけで、始発の出る頃まで話して腹が空いたので、また渋谷に戻って喫茶店のモーニングを一緒に食べた。
なんというか、同じことの繰り返しの日々に絶望していたのかもしれないと、渋谷で別れてからそう思った。
是非とも横浜の我が家にも来てほしいと言われ、電話番号も交換した。
誰かに話を聞いてほしかったということもあったのだろうが、眼前に立ちはだかる絶壁のような日常の壁を突き破りたいという、ぎりぎりの思いがあったのかもしれない、などと京は勝手に考えた。
その翌週、レッスンを受けた際に、その人がスクールを辞めたと聞いた。 あたりもソフトでとてもいい感じの人だったが、ある日、何かちがうなと気づいてしまったのだろうか。
しかし、気づいた時には家長としての責任にがんじがらめにされ、もう身動きがとれない。女でも作って、さらには家族をも捨て出奔するなどというマネは逆立ちしてもできない人なのだ。
なにかちがうと気づいた時から彼の地獄ははじまったが、なにも変えられないことにも気づいたにちがいない。
そして、家族を捨てることこそが自由への道であるなんて、とんでもない戯言に危うく騙されるところだったと胸をなでおろしたのかも知れない。そうであってほしかった。
レッスンの終わりの際に何回かすれ違って、挨拶を交わしたくらいの顔見知りとも言えない人が、わざわざ京のレッスンが終えるのを待っていてくれていたという、ちょっと作り話のようなエピソードだが、それだけ彼は悩んでいたのだと京は思った。
ジャズスクールを辞める云々などではなく、むしろ辞めることは既に決めてあり、別な何か、つまり人生そのものに行き詰まりを感じていたのではないかと京は思ったのだが
どうなのだろう。
単にジャズスクールなんてもうやってらんねーということならば、さっさっと後腐れなく辞めればいいだけの話だが、彼はそうはしないで、見知らぬギター仲間にわざわざ声を掛けて、これから自分はどうしたらいいのか、本当はどうしたいのか、自分でもわかってはいるのだけれど、そう簡単に決断を下したくはなく、ずるずるとジャズの話やギターの話に興じているフリをしながら時間稼ぎしていたのかもしれない。
朝まで何時間も恋人同士のように話していたのに、結局彼は、自分の悩みを京に打ち明けることはなかった。だから答えは既に自分で出してあったのだと思う。
まあ、はじめて話す相手に、それもだいぶ歳下の若いやつに自分の思い悩む事柄を滔々と語るというのも男として、恥ずかしいというのはあったのかもしれないが、夜を徹して話せる機会があったのだから、話してくれてもよかったのにと京は思うのだ。
具体的な解決策は、見つからなくても悩みを誰かに聞いてもらうことによって、だいぶ楽になることを京は知っている。自分の中に溜め込んでいてはいけないのだ。
彼にとってあの日は、分岐点だったのかもしれない。是非うちにも遊びに来てと言われたのだが、京が電話することはなかった。
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