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風を感じる頭皮
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第1章 スカウトの誘い
秋の夕暮れ、大学のキャンパスはオレンジ色に染まり、軽やかな風が木々の葉を揺らしていた。今日は年に一度の学園祭で、校内は活気に満ちている。模擬店やパフォーマンスがあちこちで行われ、賑やかな声が響き渡る中、特設ステージの前には大勢の観客が集まっていた。
そのステージに、遥(はるか)は立っていた。オカッパにカットされた黒髪が揺れるたびに、緊張で固まった顔が少しずつ緩んでいく。ステージ上のスポットライトが遥を照らし、観客の視線が一斉に彼女に注がれているのを感じる。
「落ち着いて……大丈夫、しっかり歩けばいいだけだから……」
心の中で何度も自分に言い聞かせながら、彼女は慎重に歩を進めた。モデル経験なんて皆無の遥だったが、友人の推薦を受け、学園祭の「レトロファッションショー」のモデルとして選ばれていた。彼女の役は、昭和風のオカッパスタイルを再現した「レトロ少女」。いつもは長い髪をきちんとまとめている遥にとって、この新しい髪型は自分でも驚くほど印象が変わっていた。
「なんか、昔の自分に戻ったみたい……」
髪を切った瞬間、懐かしい気持ちになった。幼い頃、母親に短く髪を切られていた時代を思い出す。大人になってからはずっと長い髪を保っていたが、思い切ってオカッパにした自分は、少しずつだが前向きな気持ちを取り戻しているようだった。
観客の拍手が遠くから聞こえ、他のモデルたちが次々にステージを歩く中、遥もゆっくりと歩き切った。ステージ裏に戻ると、緊張でこわばった肩を大きく回し、ようやく一息つく。
「ふぅ……やっと終わった……」
控え室の椅子に座り込み、背中をそらすようにして深呼吸をする。心臓の高鳴りが少しずつ落ち着いてきたところで、鏡に映る自分の姿を改めて見つめた。
「本当に、こんなに髪を切って大丈夫だったのかな……?」
髪を切ったばかりのときは正直、少し不安だった。周りから「似合うよ」と言われていたものの、自分ではまだ馴染み切れていない。だが、イベントが終わった今、少しだけ自信が芽生えているのを感じた。
その時だった。控え室のドアがノックされ、背後から静かに声がかかった。
「すみません。モデルの方ですか?」
振り返ると、スーツを着た中年の男性が立っていた。遥は慌てて立ち上がり、軽く会釈をする。彼は穏やかな笑みを浮かべながら名刺を差し出してきた。
「初めまして。私は○○モデル事務所のスカウトをしています。あなた、すごく素敵でしたね。よければ少しお話しできますか?」
突然の申し出に、遥は驚いて目を見開いた。モデル事務所のスカウト?自分が?
「えっ、私……ですか?」
遥は思わず口元に手を当て、信じられないという表情で彼を見つめた。モデルなんて自分には縁のない世界だと思っていた。長身でもないし、特別な美貌を持っているわけでもない。だからこそ、この瞬間が夢のように感じられた。
「はい、あなたです。ステージでの歩き方や姿勢、髪型の個性も際立っていて、とても印象的でした。うちの事務所では、今、新しいプロジェクトを準備しているんですが、ぜひオーディションを受けてみませんか?」
「え……あ、ありがとうございます……でも、私なんかでいいんでしょうか?」
喜びと同時に、遥は戸惑いも感じていた。今までモデルなんて考えたこともなかったし、周りにそう言われたこともなかった。遥にとって、この言葉は予想外すぎる展開だった。
「もちろんです。君のような自然体の魅力を持っている人は、なかなかいません。新しい可能性に挑戦してみる気はありませんか?」
その言葉に、遥の心臓が再び高鳴り始めた。モデル……自分がモデルとして活動する未来があるのかもしれない。彼女は、その可能性を心の中で描こうとした。だが、その次の言葉が、彼女を現実に引き戻すことになる。
「ただ、ひとつだけ条件があります。契約する前に、スキンヘッドにしてもらわなければなりません。」
「ス、スキンヘッド……ですか?」
驚きで声が裏返った。スキンヘッド。頭をすべて剃ること。それが、この夢のような話の条件だというのか。遥は一瞬、何も言えなくなった。
「そうです。実は、今度のプロジェクトで、個性的で斬新なイメージを打ち出したいと考えているんです。君の顔立ちなら、スキンヘッドが絶対に似合う。大胆なスタイルだからこそ、逆に注目を集めるはずです。」
彼は、真剣な目で遥を見つめた。その視線に、冗談ではないことが伝わってくる。だが、髪をすべて剃るなんて、遥にとっては考えたこともない選択肢だった。
「髪を……全部剃るなんて、想像もつかない……」
心の中で、そうつぶやく。彼女にとって、髪は大切な存在だった。小さい頃から髪を伸ばしてきたし、それが自分の一部だと思っていた。そんな大事な髪を、すべて失う覚悟ができるのか?その代わりに、モデルとしての未来が開けるかもしれない。けれど、それは大きなリスクだ。
「少し……考えさせてもらってもいいですか?」
遥は絞り出すように言った。スカウトの男性は柔らかく頷いた。
「もちろんです。無理に決断を急がせるつもりはありません。ただ、もし興味があるなら、ぜひ一度事務所に来てみてください。お待ちしています。」
名刺を手にした遥は、再び礼をして、彼を見送った。扉が閉まる音が響き、部屋には再び静寂が訪れる。遥はそのまま椅子に座り込み、名刺をぼんやりと見つめた。頭の中では、彼の言葉が何度も繰り返される。
「スキンヘッド……か……」
鏡に映るオカッパ姿の自分を見つめながら、遥は深く息をついた。モデルとして成功するかもしれないという期待と、髪を失うことへの恐れ。その二つが、遥の心の中で激しく揺れ動いていた。
第2章 鏡の中の自分
遥は自分の部屋に戻り、ベッドに深く腰を下ろした。薄暗い部屋の中、夕陽が窓から差し込み、壁にオレンジ色の影を作っている。手に握りしめた名刺を何度も見つめる。名刺に書かれた「○○モデル事務所」の文字と、スカウトの男性の名前。信じられない気持ちと、現実味がなかなか追いつかない。
「本当に……私がモデルに?」
ふと、鏡に映る自分の姿を見て、遥はため息をついた。学園祭のためにカットされたオカッパヘアが、今もそのまま彼女の顔を縁取っている。普段は肩まで伸ばした髪を、無理やり短くされたようなこの髪型。最初はぎこちなく、周りから「おかしいんじゃないか」と思われるのではないかと不安だった。
けれど、鏡の中に映る自分を改めて見つめると、少し違った感覚が芽生え始めていた。
「……意外と、悪くないかも」
長い髪がなくても、こうやって見ればオカッパヘアも悪くない。むしろ、スッキリとしているせいか、顔全体が明るく見えるような気さえする。いつもと違う自分を発見した瞬間だった。
それでも、「スキンヘッド」という言葉が頭をよぎるたびに、心臓が締め付けられるような感覚に襲われる。髪をもっと短くする、いや、すべてを剃り落としてしまうなんて、どう考えても普通のことではない。
「髪を全部……なくすなんて、そんなの……」
遥は自分の髪を無意識に指で触れた。柔らかい髪が指先に絡む。その感触が、自分の身体の一部としてここに存在していることを確認させてくれる。長年伸ばしていたこの髪。切ったばかりのオカッパでもまだ馴染んでいないのに、それをすべて失うことなんて、考えたこともなかった。
「スキンヘッド……私がそんな姿になったら、どうなるんだろう?」
鏡の前に立ち、自分の顔をじっと見つめた。長い間ずっと自分を飾ってきた髪。髪があるからこそ、顔が優しく見えるし、どこか安心感も与えてくれる。髪がなくなったら、顔の輪郭やパーツがはっきりと浮き出てしまうだろう。丸刈りの自分なんて、想像すらつかない。
「……似合うのかな……本当に?」
もし、髪をすべて剃ってしまったら、周りの人はどう思うだろう?街を歩けば、知らない人たちが自分をどう見て、どう思うだろう?「変だ」「奇妙だ」「失敗した」と思われるんじゃないか。友達は、家族は、どう感じるんだろう……。
不安が次々に押し寄せてきて、遥は無意識に自分の腕を抱きしめた。
「髪を失ったら、私って私じゃなくなっちゃうのかな……」
髪は、遥にとって単なる外見だけではなかった。それは、自分を表現する一つの手段でもあり、アイデンティティの一部だった。小さい頃からずっと髪を大切にしてきたし、その髪があるからこそ、どこか自信を持てていた部分もあった。
でも、それをすべて失うことが、彼女には耐えられるだろうか。今までは長い髪が自分を守ってくれていたような気がする。それがなくなったら、自分はどうなるのか?
「……でも」
遥は名刺を見つめながら、もう一度考えた。スカウトされたこと自体が、奇跡のような出来事だ。このチャンスを逃せば、二度と同じような機会は巡ってこないかもしれない。モデルとして活動できる未来。遥が今まで考えたこともなかったような新しい世界が、ほんの手の届く先に広がっている。
「もし、やらなかったら……一生後悔するかも」
このまま諦めてしまえば、自分の可能性を閉ざすことになるのではないか。髪なんて、また生えてくる。それに比べて、こんな大きなチャンスはいつまでも待っていてくれるわけじゃない。怖い。怖いけれど、もしこの機会を逃してしまったら、自分がどう思うか……その方が怖い気がした。
「どうしよう……本当に、私にできるのかな……」
遥はベッドに倒れ込み、天井を見つめながら深いため息をついた。心の中で、何度も自問自答が繰り返される。髪をすべて失ってモデルとしての道を歩むか、それとも今まで通りの生活を守り続けるか。
時計の針が静かに進む音が聞こえる。周りは静まり返っているはずなのに、頭の中は騒がしい。決断できないまま、時間だけが過ぎていく。
「どうして、こんなことでこんなに悩んでるんだろう……」
鏡に映る自分と、何度も目が合う。オカッパの自分をじっと見つめているうちに、ふとある考えが浮かんだ。
「髪なんて、ただの一部でしかないのかもしれない……」
もし、髪がなくなっても、自分は自分のままでいられるのかもしれない。髪がなくても、自分の中身が変わるわけではない。外見に囚われていた自分の殻を破るチャンスなのかもしれない。そう考えた瞬間、心の中に小さな変化が生まれた。
「……やってみるしかないのかな……」
まだ完全に決意が固まったわけではない。それでも、髪を失う恐怖と同時に、新しい自分を見つけることへの期待が、ほんの少しだが遥の胸の中で芽生え始めていた。
翌朝、遥は目を覚ました。昨日の夜中、悩みすぎてなかなか眠れなかったせいで、少し目が腫れている。けれど、目覚めた瞬間に不思議なほど心は静かだった。頭の中には、昨日のスカウトの言葉がまだ残っている。
「スキンヘッドでモデル……」
心の中ではまだ葛藤が渦巻いているが、どこかで結論が見えかけている。彼女は、名刺を再び手に取り、深呼吸をした。
「行ってみよう。やってみないとわからないし、何も始まらない」
遥は、手を震わせながらも、ゆっくりとその名刺を携えて立ち上がった。彼女の決断の一歩が、今ようやく動き出したのだった。
第3章 決断の朝
早朝、薄い光がカーテンの隙間から差し込み、部屋を静かに照らしていた。遥は目を覚まし、布団の中で深く息を吸い込んだ。昨夜は何度も目が覚めて、ほとんど眠れなかった気がする。けれど、不思議と体は軽かった。
「今日か……」
彼女は自分に向かって静かに呟いた。窓の外を見ると、澄んだ秋の空が広がり、少し冷たい空気が窓ガラス越しに伝わってくる。こんなに晴れ渡っているのに、心の中にはまだどこか曇りが残っている気がした。迷いは完全には消えていない。それでも、もう戻ることはできないと、遥は自覚していた。
布団をはねのけ、ベッドからゆっくりと起き上がると、鏡に向かって歩いた。鏡の中の自分とまた目が合う。オカッパの自分。それが、今日を境に大きく変わるのだ。
「本当に、私にできるのかな……」
一瞬だけ、鏡の中の自分が少し頼りなく見えた。昨日までの遥なら、またここで迷っていたかもしれない。けれど、今朝は違う。彼女は鏡の前に立ち、自分の顔をじっと見つめた。オカッパの自分がそこにいる。今日の終わりには、この髪はなくなり、自分の新しい姿が映し出される。
「怖いけど……行こう」
遥は鏡越しに自分に向かって静かに頷いた。そして、決意を込めてゆっくりと着替え始めた。鏡を見つめる時間が長かったせいか、いつもより時間がかかったが、その間も気持ちは落ち着いていった。
美容室に向かう途中、遥は街の景色を眺めながら歩いていた。秋の風が心地よく頬に触れる。木々が色づき、道にはたくさんの人々が行き交っている。その中で自分だけが違う方向へ進んでいるような気がして、少し孤独感を感じた。
「みんな普通に歩いてる……私、これから本当にやるんだよね?」
人々の何気ない表情や、カフェで談笑する姿を目にすると、なぜか自分だけが特別なことをしようとしているような気がして、心臓がドキドキしてきた。けれど、その反面、「私にしかできないことなんだ」とも思えるようになっていた。スカウトの言葉が頭をよぎる。
「君ならできる。君の顔立ちなら、きっと素敵に見える」
まだその言葉を信じ切ることはできない。だが、モデルとしてのチャンスは確かに目の前にある。そして、それに挑戦するには、恐れを超えなければならない。
やがて美容室が見えてきた。遥は一度、深く息を吸ってから店のドアを押した。扉の開く音が響く。中は清潔で、シンプルな内装の落ち着いた雰囲気だった。ガラス越しに差し込む朝の光が、床に柔らかな影を落としている。
「いらっしゃいませ。予約の方ですね?」
カウンターの奥から出てきた美容師が、にこやかに挨拶をしてくる。彼女は遥の表情を見て、何かを察したのか、少し優しい口調になった。
「今日は大きな変化ですね。お任せください」
その言葉に、遥は少しだけ緊張が和らいだ。彼女は軽く微笑み、コートを脱いで席に案内された。大きな鏡の前に座ると、これまで見慣れた自分の顔が再び映る。美容師が手際よく準備を進めながら、優しく確認してくる。
「スキンヘッドで間違いないですね?」
その言葉を聞いた瞬間、遥は再び心臓が早鐘を打つのを感じた。怖い。でも、もうここまで来た。逃げるわけにはいかない。
「……はい。お願いします」
言葉に出した瞬間、なんだか心がスッと軽くなった気がした。自分で決断したこと。それを口にすることで、確かに一歩踏み出した感覚があった。
美容師は「わかりました」と静かに頷き、バリカンを準備し始めた。金属的な音が小さく響く。その音が耳に届くたび、緊張が高まっていく。髪を剃るというのは想像以上に大きな出来事であり、これまでの自分とは決別する儀式のように思えた。
「これで、本当に……私が変わるんだ……」
美容師が遥の肩にケープをかけ、丁寧に髪を整え始める。彼女の顔をじっと見つめながら、美容師は優しく語りかけた。
「髪を剃るって、勇気がいることですよね。でも、大丈夫です。きっと素敵になりますから」
その言葉に、遥は少しだけ安心した。プロフェッショナルとしての自信が、その一言に込められているのがわかったからだ。彼女は目を閉じ、静かに息を整える。
「お願いします……」
いよいよ、剃髪の瞬間が近づいてきた。
「では、始めますね」
美容師がそう言うと、バリカンの低い振動が頭に触れた。最初は後頭部から始まった。金属の冷たさがじんわりと伝わり、振動が頭皮に響く。バリカンの刃が髪を刈り取り、次々と切り落とされた髪が床に落ちていく音が、静かに響き渡る。
「これで、私の髪が……」
鏡を見ていた遥は、背後から髪が刈り取られていく様子を見ながら、心が少しずつ静かになっていくのを感じた。髪が落ちる音が、まるで何かを解放しているような感覚だった。
「本当に……なくなっていくんだ……」
振動が耳の横を通り、次に側頭部が刈り上げられる。髪がどんどん短くなっていくにつれて、露出した頭皮が次第に見えてくる。耳の周りの髪も刈り取られ、髪がなくなる感覚がリアルに伝わってきた。
「ここまで来たら、もう後戻りはできない……」
モヒカンのように、頭頂部だけに髪が残されると、思わず笑いそうになるほど奇妙な姿が鏡に映った。これがほんの数分後には完全に剃り落とされ、スキンヘッドになるなんて、まだどこか信じられない気持ちが残っている。
美容師は手際よくバリカンを動かし、2ミリの丸刈りへと進んでいく。もはや髪の存在はほとんど感じられない。刈られた部分はほぼ地肌が露出し、触れるとざらざらとした感触が残っていた。
「……意外と、悪くないかも」
鏡越しに自分を見つめる遥は、次第に緊張が和らいでいくのを感じた。見慣れた髪がなくなっていくことで、本来の自分があらわになっていくような感覚があった。次に、0.4ミリのバリカンでさらに短く剃り上げられた。完全なスキンヘッドになる準備が整っていく。
「もう、ここまで来たんだ……怖くない」
遥は自分にそう言い聞かせ、目を閉じた。美容師がカミソリを手に取り、シェービングクリームを頭全体に塗り込んでいく。クリームの冷たさが、頭皮全体に広がり、まるで新しい自分を迎えるための準備が整っていくように感じた。
カミソリの刃が、頭皮を優しく滑る。シャリシャリとした音が耳元で響き、徐々に頭全体が滑らかになっていく。最後にタオルで拭き取られると、遥の髪はすべてなくなっていた。
第4章 剃髪の儀式
美容室の大きな鏡の前で、遥は静かに目を閉じた。バリカンの振動がようやく収まり、鏡に映る自分の姿が、これまで見たことのないものへと変わっているのを感じる。頭皮の冷たい感触が、剃り上げられた髪のない地肌にじんわりと広がっていた。
「もう後戻りはできない……」
目を開けて、ゆっくりと鏡の中の自分を見つめた。髪はほぼすべて刈り上げられ、あとはカミソリで完全に剃り上げるだけの状態。地肌がほぼ露出している自分の姿は、遥がこれまで抱いてきたイメージとは全く違っていた。
「本当に……髪がないんだ……」
触れると、ざらざらとした感触が指先に伝わってくる。残っているのはほんの少しの短髪で、これからすべてが剃り落とされる。頭の軽さを感じながら、遥は自分がどれだけ髪に依存していたのかを改めて思い知った。今まで自分を包み込んでいた髪がなくなったことで、彼女は初めて素の自分と向き合う感覚に囚われていた。
美容師が、シェービングクリームを手に取り、頭全体に丁寧に塗り始める。ひんやりとしたクリームが頭皮に広がると、さらに実感が深まった。もうすぐ、全ての髪が完全になくなるのだ。冷たい感覚が、これから自分に訪れる変化を予告しているようだった。
「どうですか、ここまで来ると少し落ち着いてきましたか?」
美容師の柔らかい声に、遥は頷いた。
「はい……思ってたよりも、怖くなくなってきました」
最初はあんなに不安だったのに、不思議と今では、恐怖よりも新しい自分に対する好奇心が少しずつ大きくなっている。髪がなくなるという事実を受け入れ始めた瞬間、自分の中にあった無駄な心配や不安が、薄れていくのを感じた。
「よかったです。これからカミソリで剃っていきますね。リラックスしていてください」
美容師がカミソリを手に取り、遥の頭皮にそっと当てる。その瞬間、遥の心臓が再び高鳴った。カミソリの冷たい刃が、彼女の頭を滑っていく。シャリ……シャリ……と、髪を剃り落とす音が、静かな美容室に響き渡った。
「これが……最後か」
カミソリが髪のわずかな残りを削ぎ落としていくたびに、遥は少しずつ解放されていく感覚を覚えていた。自分を隠していたものが一枚ずつ剥ぎ取られ、素の自分が浮かび上がってくる。カミソリが頭皮を滑る感覚は鋭いが、どこか心地よい。髪が剃り落とされていくたびに、遥の中の恐れや不安が一緒に取り去られていくようだった。
「本当に全部……なくなっていくんだ」
美容師が慎重に手を動かし、耳の周りやうなじの部分まで丁寧に剃り上げていく。カミソリが滑るたびに、遥の頭はどんどん滑らかになっていくのがわかった。頭皮に感じる冷たさが、徐々に無音の静けさに変わっていく。その静かな時間の中で、彼女は初めて「自分が新しく生まれ変わる」感覚を味わっていた。
「思ったより、気持ちいいかも……」
自分の声が思わず漏れる。カミソリの刃が、残りの髪をすべて剃り落としていく。ついさっきまで、自分の頭を覆っていた髪の存在が、今では嘘のように消え去っている。
「もう、全部剃り終わりましたよ」
美容師が優しく告げると、遥は目を閉じたまま、深く息を吐いた。頭皮をタオルで丁寧に拭き取られ、残っていたクリームが取り除かれていく。その感覚が、まるで「新しい自分の誕生」を告げるようだった。
「お疲れさまでした。仕上がりを確認してくださいね」
美容師が大きな鏡を差し出すと、遥はゆっくりと目を開けた。そこに映る自分の姿を、彼女はじっと見つめた。
「……これが……私?」
目の前には、まったく新しい自分が立っていた。今までの遥とはまるで別人のような、完全に髪のないスキンヘッドの自分。つるつるに剃り上げられた頭が、鏡の中で光を反射している。顔の輪郭がはっきりと浮かび、目鼻立ちもくっきりとして見える。
「髪がなくなると……こんなに違うんだ……」
指先をそっと頭に当ててみる。滑らかな感触が指を伝って広がり、頭全体を撫でてみると、つるつるした肌が心地よい。これが、今の自分だ。髪がなくなったことで、何かが失われると思っていたはずなのに、逆に解放されたような気持ちになっている。
「……不思議」
遥は、思わず小さく笑みを浮かべた。鏡の中の自分は、驚くほど堂々として見えた。髪があった時よりも、どこか自信に満ちた表情に感じられる。鏡の中に映るのは、確かに自分自身なのに、まるで新しい人間になったような感覚が広がっていた。
「……意外と、悪くないかも」
遥は静かに呟いた。恐怖や不安に縛られていた気持ちが、今ではすっかり消え去っていた。美容師も微笑みながら、そっと声をかける。
「とてもお似合いですよ。驚きましたか?」
「はい……でも、思ってたよりも、全然大丈夫です。むしろ、なんか新しい自分に出会えた気がします」
鏡越しに自分と向き合いながら、遥は心の中で改めて感じていた。髪を失うことで、自分が変わってしまうと思っていた。それが怖くて、ずっと踏み出せなかった。けれど、髪がなくなった今、自分は何も変わっていない。むしろ、もっと強くなった気さえする。
「髪がなくても、私は私なんだ」
それは、彼女にとって一つの大きな気づきだった。外見に囚われず、自分自身を信じる強さ。それを得るための一歩を、遥は踏み出すことができたのだ。
「これからも、頑張ってくださいね。新しい自分に自信を持って」
美容師の励ましに、遥は感謝の気持ちを込めて頷いた。
「ありがとうございます。……これで、前に進めそうです」
鏡の中のスキンヘッドの自分にもう一度視線を送りながら、遥は新しい自分を静かに受け入れた。これから先、どんな道が待っているのかはまだわからない。けれど、髪を失って得たこの強さと自信が、彼女をこれから支えてくれるはずだ。
第5章 新しい自分
美容室を出た瞬間、遥は空気が違うことに気づいた。すぐに、秋のひんやりとした風が頭皮に直接触れるのを感じた。以前なら、長い髪が風に揺れ、額にかかる髪を手で払う動作が当たり前だった。それが今は、何も遮るものがなく、風が頭全体を包み込んでいる。
「頭が……すごく軽い……」
遙は思わずつぶやき、ゆっくりと手を頭に当てた。つるつるとした感触が指先に広がり、まるで新しい自分に触れているようだった。街に出て歩き始めると、周りの人たちの目線が頭の方に向かっているのを感じた。自分でも意識せずにはいられない。髪を剃る前なら、その視線に恐怖や不安を感じたかもしれない。けれど、今は違う。
「見られても、もう大丈夫。私は変わったんだ」
遥は自分の中にある小さな変化に気づき、微笑んだ。スキンヘッドという姿は、もちろん今までの自分とはまるで違う。けれど、それが恥ずかしいことや不安を生むものではなく、むしろ新しい自分を見せるチャンスだと感じ始めていた。
道端のガラスに映る自分の姿を、ちらりと確認する。つい数時間前までは見慣れたオカッパ頭だったのに、今は頭皮が露出している自分が映し出されている。驚くほどすっきりとした印象だ。額も、頬も、顎のラインも、今まで隠れていた部分がすべて見える。
「こんな自分、今まで知らなかった……」
遥は立ち止まり、しばらくガラス越しに自分を見つめた。風が頭に吹き付ける感覚、まわりの視線、すべてが新鮮だった。けれど、怖くはなかった。今はむしろ、新しい自分に対する好奇心のほうが勝っていた。
帰り道、遥はいつものカフェに立ち寄ることにした。今日は、特に理由もなく、自然とカフェに入りたくなった。入り口をくぐると、店内は落ち着いた雰囲気に包まれていた。窓際の席に座り、ラテを頼んだ。静かな空間で、彼女は自分の考えを整理する時間を楽しんだ。
ラテを持ってきた店員が、一瞬、遥の頭を見つめてから、微笑んでカップをテーブルに置いた。ほんの短い瞬間の視線だったが、それでも自分がどう見られているのかに気づいた。
「やっぱり、目立つんだな……」
遥は一瞬、また昔の自分に戻りそうになった。注目されることを避けたいと思い、他人の目を気にして小さくなりがちだった自分。しかし、今は違う。視線を受け止める強さが、今の自分にはある。スキンヘッドの自分は、以前とは全く違う。それを受け入れることができた。
「もう、どう思われても平気……」
カフェラテのカップを両手で包み込みながら、遥は静かに心の中でつぶやいた。人の視線が気になることは、今後もあるだろう。それでも、彼女は今、他人の評価ではなく、自分自身がどうありたいか、どう感じたいかを重視して生きられるようになった。
ラテを一口飲んで、温かい液体が体の中に染み込むと、心がふっと軽くなった気がした。
「これが私の選んだ道なんだ……」
遥はスマートフォンを手に取り、スカウトからもらった名刺を再び見つめた。「○○モデル事務所」の文字が以前よりもはっきりと心に響いてくる。まだ不安がないわけではない。モデルとして成功できるかどうか、未来がどうなるかは誰にもわからない。でも、それを恐れて躊躇するより、今この瞬間に一歩踏み出すことが大事だと、遥は感じていた。
「自分を信じよう……」
そう決意して、彼女はメッセージを打ち始めた。
「お世話になっております。先日スカウトしていただいた遥です。ぜひ、オーディションを受けさせていただきたいと思います……」
メッセージを送信した瞬間、肩の荷が下りたように感じた。心の中でずっと引っかかっていた何かが、ようやく消え去ったようだった。モデルの世界に飛び込むという決断。それは、今までの自分なら避けていた道かもしれない。でも、今は違う。髪を失ったことで、自分自身が強く、そして自由になれたのだ。
数日後、オーディション当日がやってきた。会場に向かう道すがら、遥は深く息を吸い込んだ。朝の冷たい空気が肺に広がり、心がすっきりと澄んでいくのを感じた。スキンヘッドになった自分を堂々と見せる。それが、今日のオーディションにおける彼女の目標だった。
会場には、たくさんのモデル志望者たちが集まっていた。彼らはみんな、さまざまな個性を持っていた。華やかな服装や、綺麗にセットされた髪。それに対して、遥のスキンヘッドは一際目立っていた。それでも、遥は怯むことなく、自信を持ってその場に立っていた。
「みんな、綺麗だな……でも、私だって負けない」
遥は心の中でそう自分に言い聞かせた。今までなら、周りと自分を比較して落ち込むことが多かったが、今日の彼女は違う。スキンヘッドになった自分は、以前の自分にはない強さと個性を持っている。それが遥を支えていた。
やがて、彼女の名前が呼ばれた。緊張はあったが、不思議と恐怖はなかった。ステージに上がる瞬間、彼女は深く息を吸い、心を落ち着かせた。
「ここが、私の始まりなんだ」
スポットライトが当たり、遥はステージの中央に立った。無数の視線が彼女に注がれる。その視線を受け止めながら、彼女は堂々と前を向いて歩き出した。スキンヘッドの自分を見せることに、もう不安はない。これが新しい自分だ。髪があったときよりも、遥は自分自身を強く感じていた。
「髪がなくても、私は私……」
そう心の中で繰り返しながら、彼女はステージを歩いた。観客の目は彼女をじっと見つめていたが、それが彼女を脅かすことはなかった。むしろ、彼女はその視線を楽しむ余裕さえ感じていた。
オーディションが終わり、会場を後にした時、遥は満足感に包まれていた。結果はどうであれ、彼女は自分自身に誇りを持てていた。髪を失うことは、恐ろしいことだと思っていた。けれど、それを乗り越えたことで、彼女は新しい自分に出会えた。
「これが、私の新しいスタートだ」
風が再び頭を撫で、遥は深く息を吸い込んだ。スキンヘッドの自分も、長い髪の自分も、どちらも「自分」だ。そして、これからの自分をどう作り上げていくかは、彼女自身にかかっている。未来がどうなるかはわからない。でも、今の遥には、迷いはなかった。
「よし、頑張ろう」
遥は自分の心にそう誓い、未来へ向かって力強く歩き出した。
後日談 未来への選択
オーディションの日から数ヶ月が経った。冬の冷たい空気が街を包む中、遙はモデルとしての新しい生活を歩み始めていた。あの日のオーディションは、彼女にとって大きな転機となった。スカウトマンの言葉通り、彼女のスキンヘッドは強烈な印象を残し、最終的に彼女はモデルとしての道を歩むことになった。
スキンヘッドのまま活動を続けた遥は、すぐにいくつかの撮影やショーに呼ばれるようになった。彼女の特徴的なルックスは、他のモデルとは一線を画していて、業界でも新鮮だと評価されていた。スキンヘッドの自分を見せることに、今では何の躊躇もなかった。
ある日、遙は親しい友人とカフェで話をしていた。
「本当に、スキンヘッドがこんなに似合う人、他にいないよね」
友人の麻衣が笑いながら言った。彼女は遙の変化を間近で見てきた一人だった。
「最初は正直、自分でもどうなるか分からなかったんだけどね。でも、今はもう怖くないよ。むしろ、スキンヘッドの自分が好きになってきた」
遙は、頭に手を当てながら笑った。カフェの窓に映る自分を見ても、もう戸惑うことはなかった。どこか自信に満ちた表情が映し出されている。
「それに、いろんな人から褒められることが増えたんだよ。最初は驚かれたり、変な目で見られたりもしたけど、最近は逆に個性を認めてもらえてる感じがする」
麻衣は頷きながら、カフェラテを一口飲んでから言った。
「たしかに、遙は昔よりもずっと堂々としてるよね。スキンヘッドにしたことが、ただ髪型を変えたってだけじゃなくて、なんか精神的に強くなった感じがする」
「そうかもね。髪を剃ってみて分かったことだけど、結局は自分がどう感じるかなんだよね。他の人がどう思うかより、自分が自分をどう思うかが一番大事なんだって気づいたの」
遙は遠くを見つめながら、しみじみと語った。スキンヘッドにする前の自分は、常に他人の目を気にしていた。だけど、それを一度乗り越えた今では、他人の視線や評価はそれほど気にならなくなっていた。
その日の夜、遙は実家に帰った。モデル活動を始めてからも、彼女は定期的に家族との時間を大切にしていた。家に入ると、母親が台所から顔を出して、笑顔で迎えてくれた。
「遙、おかえり。最近また雑誌に出てたわね。お父さんも喜んで見てたわよ」
母のその言葉に、遙は少し照れくさそうに笑った。父親は最初、彼女がスキンヘッドにしたときには少し驚いていたが、すぐに「自分らしくていいじゃないか」と認めてくれた。今では、彼が一番の応援者だった。
「ただいま。仕事が忙しくて、なかなか帰れなくてごめんね」
「いいのよ。元気そうで安心したわ。遙が自信を持って楽しそうにしているのを見ると、お母さんも嬉しいの」
母親は優しくそう言いながら、テーブルに料理を並べ始めた。
「それにしても、スキンヘッドがこんなに似合うとは思わなかったわ。正直、最初はちょっとびっくりしたけどね。でも、今のあんたは堂々としてて、とても素敵よ」
「うん、自分でもそう思う。もう髪がないことに全然違和感がないし、気に入ってるんだ。髪のことを気にしなくていいのは、すごく自由な気持ちになるよ」
「そうね。でも、髪を伸ばそうと思ったら、いつでもできるんだから、あんたの好きにすればいいのよ」
母親の言葉に、遙は静かに頷いた。髪を伸ばすことも、もちろんいつでも選べる。それもまた、彼女の自由だ。けれど、今はこのスキンヘッドでの自分が好きだったし、髪がないことで自分が強くなったと感じられるのだ。
そんな遙にも、最近心を許せる人ができた。それは、モデル仲間の涼だった。彼もまた、遙と同じく、外見を仕事にしている一人だ。涼は、遥のスキンヘッドを初めて見たとき、ただ一言「かっこいい」と笑顔で言った。その率直な言葉が、彼女の心を温かくした。
二人はモデルとしての共通点を持ちながら、徐々に距離を縮めていった。仕事終わりに食事に行くことが増え、いつしか自然とお互いを大切に思うようになった。
「涼くんは、スキンヘッドの私をどう思ったの?」
ある日、二人で一緒に過ごしているとき、遙はふとそんな質問をしてみた。彼は少し驚いたように笑いながら答えた。
「どうって……最初見たとき、すごいと思ったよ。強くて、何も隠してないって感じがして、いいなって思った。遥はそのままでかっこいい」
その言葉に、遙は思わず照れ笑いを浮かべた。彼の率直な感想が、遙にとっては何よりも嬉しかった。外見を気にする職業柄、お互いに理解し合える部分が多かったからこそ、二人の関係は自然なものだった。
そして、髪を剃った一年後の春、遙は再び髪を伸ばし始める決心をした。スキンヘッドの生活は素晴らしく自由で、彼女に大きな自信を与えてくれたが、今度は違った自分を楽しんでみたくなったからだ。スキンヘッドも、長い髪も、どちらも自分らしさの一部だと理解した今、遙は自分の選択に何の迷いもなかった。
髪を伸ばし始める過程は、また新しい自分と向き合う時間だった。少しずつ髪が伸び、ショートカットになり、次第に自分の顔に新しい表情が宿るのを楽しんだ。今では、自分がどんな髪型をしていても、自信を持って堂々と歩ける。
家族も、恋人の涼も、彼女のどんな変化も温かく見守ってくれた。外見が変わっても、自分自身の核は変わらない。それを知った遙は、どんな未来にも柔軟に対応できる力を身につけていた。
「髪型は私の自由。どんな私でも、私は私なんだ」
そう心に決めて、遥はこれからも自分らしく歩んでいくつもりだ。外見に囚われない強さを手に入れた彼女は、どんな風にも自分を変えていけるという自信を持って、さらに成長してい
秋の夕暮れ、大学のキャンパスはオレンジ色に染まり、軽やかな風が木々の葉を揺らしていた。今日は年に一度の学園祭で、校内は活気に満ちている。模擬店やパフォーマンスがあちこちで行われ、賑やかな声が響き渡る中、特設ステージの前には大勢の観客が集まっていた。
そのステージに、遥(はるか)は立っていた。オカッパにカットされた黒髪が揺れるたびに、緊張で固まった顔が少しずつ緩んでいく。ステージ上のスポットライトが遥を照らし、観客の視線が一斉に彼女に注がれているのを感じる。
「落ち着いて……大丈夫、しっかり歩けばいいだけだから……」
心の中で何度も自分に言い聞かせながら、彼女は慎重に歩を進めた。モデル経験なんて皆無の遥だったが、友人の推薦を受け、学園祭の「レトロファッションショー」のモデルとして選ばれていた。彼女の役は、昭和風のオカッパスタイルを再現した「レトロ少女」。いつもは長い髪をきちんとまとめている遥にとって、この新しい髪型は自分でも驚くほど印象が変わっていた。
「なんか、昔の自分に戻ったみたい……」
髪を切った瞬間、懐かしい気持ちになった。幼い頃、母親に短く髪を切られていた時代を思い出す。大人になってからはずっと長い髪を保っていたが、思い切ってオカッパにした自分は、少しずつだが前向きな気持ちを取り戻しているようだった。
観客の拍手が遠くから聞こえ、他のモデルたちが次々にステージを歩く中、遥もゆっくりと歩き切った。ステージ裏に戻ると、緊張でこわばった肩を大きく回し、ようやく一息つく。
「ふぅ……やっと終わった……」
控え室の椅子に座り込み、背中をそらすようにして深呼吸をする。心臓の高鳴りが少しずつ落ち着いてきたところで、鏡に映る自分の姿を改めて見つめた。
「本当に、こんなに髪を切って大丈夫だったのかな……?」
髪を切ったばかりのときは正直、少し不安だった。周りから「似合うよ」と言われていたものの、自分ではまだ馴染み切れていない。だが、イベントが終わった今、少しだけ自信が芽生えているのを感じた。
その時だった。控え室のドアがノックされ、背後から静かに声がかかった。
「すみません。モデルの方ですか?」
振り返ると、スーツを着た中年の男性が立っていた。遥は慌てて立ち上がり、軽く会釈をする。彼は穏やかな笑みを浮かべながら名刺を差し出してきた。
「初めまして。私は○○モデル事務所のスカウトをしています。あなた、すごく素敵でしたね。よければ少しお話しできますか?」
突然の申し出に、遥は驚いて目を見開いた。モデル事務所のスカウト?自分が?
「えっ、私……ですか?」
遥は思わず口元に手を当て、信じられないという表情で彼を見つめた。モデルなんて自分には縁のない世界だと思っていた。長身でもないし、特別な美貌を持っているわけでもない。だからこそ、この瞬間が夢のように感じられた。
「はい、あなたです。ステージでの歩き方や姿勢、髪型の個性も際立っていて、とても印象的でした。うちの事務所では、今、新しいプロジェクトを準備しているんですが、ぜひオーディションを受けてみませんか?」
「え……あ、ありがとうございます……でも、私なんかでいいんでしょうか?」
喜びと同時に、遥は戸惑いも感じていた。今までモデルなんて考えたこともなかったし、周りにそう言われたこともなかった。遥にとって、この言葉は予想外すぎる展開だった。
「もちろんです。君のような自然体の魅力を持っている人は、なかなかいません。新しい可能性に挑戦してみる気はありませんか?」
その言葉に、遥の心臓が再び高鳴り始めた。モデル……自分がモデルとして活動する未来があるのかもしれない。彼女は、その可能性を心の中で描こうとした。だが、その次の言葉が、彼女を現実に引き戻すことになる。
「ただ、ひとつだけ条件があります。契約する前に、スキンヘッドにしてもらわなければなりません。」
「ス、スキンヘッド……ですか?」
驚きで声が裏返った。スキンヘッド。頭をすべて剃ること。それが、この夢のような話の条件だというのか。遥は一瞬、何も言えなくなった。
「そうです。実は、今度のプロジェクトで、個性的で斬新なイメージを打ち出したいと考えているんです。君の顔立ちなら、スキンヘッドが絶対に似合う。大胆なスタイルだからこそ、逆に注目を集めるはずです。」
彼は、真剣な目で遥を見つめた。その視線に、冗談ではないことが伝わってくる。だが、髪をすべて剃るなんて、遥にとっては考えたこともない選択肢だった。
「髪を……全部剃るなんて、想像もつかない……」
心の中で、そうつぶやく。彼女にとって、髪は大切な存在だった。小さい頃から髪を伸ばしてきたし、それが自分の一部だと思っていた。そんな大事な髪を、すべて失う覚悟ができるのか?その代わりに、モデルとしての未来が開けるかもしれない。けれど、それは大きなリスクだ。
「少し……考えさせてもらってもいいですか?」
遥は絞り出すように言った。スカウトの男性は柔らかく頷いた。
「もちろんです。無理に決断を急がせるつもりはありません。ただ、もし興味があるなら、ぜひ一度事務所に来てみてください。お待ちしています。」
名刺を手にした遥は、再び礼をして、彼を見送った。扉が閉まる音が響き、部屋には再び静寂が訪れる。遥はそのまま椅子に座り込み、名刺をぼんやりと見つめた。頭の中では、彼の言葉が何度も繰り返される。
「スキンヘッド……か……」
鏡に映るオカッパ姿の自分を見つめながら、遥は深く息をついた。モデルとして成功するかもしれないという期待と、髪を失うことへの恐れ。その二つが、遥の心の中で激しく揺れ動いていた。
第2章 鏡の中の自分
遥は自分の部屋に戻り、ベッドに深く腰を下ろした。薄暗い部屋の中、夕陽が窓から差し込み、壁にオレンジ色の影を作っている。手に握りしめた名刺を何度も見つめる。名刺に書かれた「○○モデル事務所」の文字と、スカウトの男性の名前。信じられない気持ちと、現実味がなかなか追いつかない。
「本当に……私がモデルに?」
ふと、鏡に映る自分の姿を見て、遥はため息をついた。学園祭のためにカットされたオカッパヘアが、今もそのまま彼女の顔を縁取っている。普段は肩まで伸ばした髪を、無理やり短くされたようなこの髪型。最初はぎこちなく、周りから「おかしいんじゃないか」と思われるのではないかと不安だった。
けれど、鏡の中に映る自分を改めて見つめると、少し違った感覚が芽生え始めていた。
「……意外と、悪くないかも」
長い髪がなくても、こうやって見ればオカッパヘアも悪くない。むしろ、スッキリとしているせいか、顔全体が明るく見えるような気さえする。いつもと違う自分を発見した瞬間だった。
それでも、「スキンヘッド」という言葉が頭をよぎるたびに、心臓が締め付けられるような感覚に襲われる。髪をもっと短くする、いや、すべてを剃り落としてしまうなんて、どう考えても普通のことではない。
「髪を全部……なくすなんて、そんなの……」
遥は自分の髪を無意識に指で触れた。柔らかい髪が指先に絡む。その感触が、自分の身体の一部としてここに存在していることを確認させてくれる。長年伸ばしていたこの髪。切ったばかりのオカッパでもまだ馴染んでいないのに、それをすべて失うことなんて、考えたこともなかった。
「スキンヘッド……私がそんな姿になったら、どうなるんだろう?」
鏡の前に立ち、自分の顔をじっと見つめた。長い間ずっと自分を飾ってきた髪。髪があるからこそ、顔が優しく見えるし、どこか安心感も与えてくれる。髪がなくなったら、顔の輪郭やパーツがはっきりと浮き出てしまうだろう。丸刈りの自分なんて、想像すらつかない。
「……似合うのかな……本当に?」
もし、髪をすべて剃ってしまったら、周りの人はどう思うだろう?街を歩けば、知らない人たちが自分をどう見て、どう思うだろう?「変だ」「奇妙だ」「失敗した」と思われるんじゃないか。友達は、家族は、どう感じるんだろう……。
不安が次々に押し寄せてきて、遥は無意識に自分の腕を抱きしめた。
「髪を失ったら、私って私じゃなくなっちゃうのかな……」
髪は、遥にとって単なる外見だけではなかった。それは、自分を表現する一つの手段でもあり、アイデンティティの一部だった。小さい頃からずっと髪を大切にしてきたし、その髪があるからこそ、どこか自信を持てていた部分もあった。
でも、それをすべて失うことが、彼女には耐えられるだろうか。今までは長い髪が自分を守ってくれていたような気がする。それがなくなったら、自分はどうなるのか?
「……でも」
遥は名刺を見つめながら、もう一度考えた。スカウトされたこと自体が、奇跡のような出来事だ。このチャンスを逃せば、二度と同じような機会は巡ってこないかもしれない。モデルとして活動できる未来。遥が今まで考えたこともなかったような新しい世界が、ほんの手の届く先に広がっている。
「もし、やらなかったら……一生後悔するかも」
このまま諦めてしまえば、自分の可能性を閉ざすことになるのではないか。髪なんて、また生えてくる。それに比べて、こんな大きなチャンスはいつまでも待っていてくれるわけじゃない。怖い。怖いけれど、もしこの機会を逃してしまったら、自分がどう思うか……その方が怖い気がした。
「どうしよう……本当に、私にできるのかな……」
遥はベッドに倒れ込み、天井を見つめながら深いため息をついた。心の中で、何度も自問自答が繰り返される。髪をすべて失ってモデルとしての道を歩むか、それとも今まで通りの生活を守り続けるか。
時計の針が静かに進む音が聞こえる。周りは静まり返っているはずなのに、頭の中は騒がしい。決断できないまま、時間だけが過ぎていく。
「どうして、こんなことでこんなに悩んでるんだろう……」
鏡に映る自分と、何度も目が合う。オカッパの自分をじっと見つめているうちに、ふとある考えが浮かんだ。
「髪なんて、ただの一部でしかないのかもしれない……」
もし、髪がなくなっても、自分は自分のままでいられるのかもしれない。髪がなくても、自分の中身が変わるわけではない。外見に囚われていた自分の殻を破るチャンスなのかもしれない。そう考えた瞬間、心の中に小さな変化が生まれた。
「……やってみるしかないのかな……」
まだ完全に決意が固まったわけではない。それでも、髪を失う恐怖と同時に、新しい自分を見つけることへの期待が、ほんの少しだが遥の胸の中で芽生え始めていた。
翌朝、遥は目を覚ました。昨日の夜中、悩みすぎてなかなか眠れなかったせいで、少し目が腫れている。けれど、目覚めた瞬間に不思議なほど心は静かだった。頭の中には、昨日のスカウトの言葉がまだ残っている。
「スキンヘッドでモデル……」
心の中ではまだ葛藤が渦巻いているが、どこかで結論が見えかけている。彼女は、名刺を再び手に取り、深呼吸をした。
「行ってみよう。やってみないとわからないし、何も始まらない」
遥は、手を震わせながらも、ゆっくりとその名刺を携えて立ち上がった。彼女の決断の一歩が、今ようやく動き出したのだった。
第3章 決断の朝
早朝、薄い光がカーテンの隙間から差し込み、部屋を静かに照らしていた。遥は目を覚まし、布団の中で深く息を吸い込んだ。昨夜は何度も目が覚めて、ほとんど眠れなかった気がする。けれど、不思議と体は軽かった。
「今日か……」
彼女は自分に向かって静かに呟いた。窓の外を見ると、澄んだ秋の空が広がり、少し冷たい空気が窓ガラス越しに伝わってくる。こんなに晴れ渡っているのに、心の中にはまだどこか曇りが残っている気がした。迷いは完全には消えていない。それでも、もう戻ることはできないと、遥は自覚していた。
布団をはねのけ、ベッドからゆっくりと起き上がると、鏡に向かって歩いた。鏡の中の自分とまた目が合う。オカッパの自分。それが、今日を境に大きく変わるのだ。
「本当に、私にできるのかな……」
一瞬だけ、鏡の中の自分が少し頼りなく見えた。昨日までの遥なら、またここで迷っていたかもしれない。けれど、今朝は違う。彼女は鏡の前に立ち、自分の顔をじっと見つめた。オカッパの自分がそこにいる。今日の終わりには、この髪はなくなり、自分の新しい姿が映し出される。
「怖いけど……行こう」
遥は鏡越しに自分に向かって静かに頷いた。そして、決意を込めてゆっくりと着替え始めた。鏡を見つめる時間が長かったせいか、いつもより時間がかかったが、その間も気持ちは落ち着いていった。
美容室に向かう途中、遥は街の景色を眺めながら歩いていた。秋の風が心地よく頬に触れる。木々が色づき、道にはたくさんの人々が行き交っている。その中で自分だけが違う方向へ進んでいるような気がして、少し孤独感を感じた。
「みんな普通に歩いてる……私、これから本当にやるんだよね?」
人々の何気ない表情や、カフェで談笑する姿を目にすると、なぜか自分だけが特別なことをしようとしているような気がして、心臓がドキドキしてきた。けれど、その反面、「私にしかできないことなんだ」とも思えるようになっていた。スカウトの言葉が頭をよぎる。
「君ならできる。君の顔立ちなら、きっと素敵に見える」
まだその言葉を信じ切ることはできない。だが、モデルとしてのチャンスは確かに目の前にある。そして、それに挑戦するには、恐れを超えなければならない。
やがて美容室が見えてきた。遥は一度、深く息を吸ってから店のドアを押した。扉の開く音が響く。中は清潔で、シンプルな内装の落ち着いた雰囲気だった。ガラス越しに差し込む朝の光が、床に柔らかな影を落としている。
「いらっしゃいませ。予約の方ですね?」
カウンターの奥から出てきた美容師が、にこやかに挨拶をしてくる。彼女は遥の表情を見て、何かを察したのか、少し優しい口調になった。
「今日は大きな変化ですね。お任せください」
その言葉に、遥は少しだけ緊張が和らいだ。彼女は軽く微笑み、コートを脱いで席に案内された。大きな鏡の前に座ると、これまで見慣れた自分の顔が再び映る。美容師が手際よく準備を進めながら、優しく確認してくる。
「スキンヘッドで間違いないですね?」
その言葉を聞いた瞬間、遥は再び心臓が早鐘を打つのを感じた。怖い。でも、もうここまで来た。逃げるわけにはいかない。
「……はい。お願いします」
言葉に出した瞬間、なんだか心がスッと軽くなった気がした。自分で決断したこと。それを口にすることで、確かに一歩踏み出した感覚があった。
美容師は「わかりました」と静かに頷き、バリカンを準備し始めた。金属的な音が小さく響く。その音が耳に届くたび、緊張が高まっていく。髪を剃るというのは想像以上に大きな出来事であり、これまでの自分とは決別する儀式のように思えた。
「これで、本当に……私が変わるんだ……」
美容師が遥の肩にケープをかけ、丁寧に髪を整え始める。彼女の顔をじっと見つめながら、美容師は優しく語りかけた。
「髪を剃るって、勇気がいることですよね。でも、大丈夫です。きっと素敵になりますから」
その言葉に、遥は少しだけ安心した。プロフェッショナルとしての自信が、その一言に込められているのがわかったからだ。彼女は目を閉じ、静かに息を整える。
「お願いします……」
いよいよ、剃髪の瞬間が近づいてきた。
「では、始めますね」
美容師がそう言うと、バリカンの低い振動が頭に触れた。最初は後頭部から始まった。金属の冷たさがじんわりと伝わり、振動が頭皮に響く。バリカンの刃が髪を刈り取り、次々と切り落とされた髪が床に落ちていく音が、静かに響き渡る。
「これで、私の髪が……」
鏡を見ていた遥は、背後から髪が刈り取られていく様子を見ながら、心が少しずつ静かになっていくのを感じた。髪が落ちる音が、まるで何かを解放しているような感覚だった。
「本当に……なくなっていくんだ……」
振動が耳の横を通り、次に側頭部が刈り上げられる。髪がどんどん短くなっていくにつれて、露出した頭皮が次第に見えてくる。耳の周りの髪も刈り取られ、髪がなくなる感覚がリアルに伝わってきた。
「ここまで来たら、もう後戻りはできない……」
モヒカンのように、頭頂部だけに髪が残されると、思わず笑いそうになるほど奇妙な姿が鏡に映った。これがほんの数分後には完全に剃り落とされ、スキンヘッドになるなんて、まだどこか信じられない気持ちが残っている。
美容師は手際よくバリカンを動かし、2ミリの丸刈りへと進んでいく。もはや髪の存在はほとんど感じられない。刈られた部分はほぼ地肌が露出し、触れるとざらざらとした感触が残っていた。
「……意外と、悪くないかも」
鏡越しに自分を見つめる遥は、次第に緊張が和らいでいくのを感じた。見慣れた髪がなくなっていくことで、本来の自分があらわになっていくような感覚があった。次に、0.4ミリのバリカンでさらに短く剃り上げられた。完全なスキンヘッドになる準備が整っていく。
「もう、ここまで来たんだ……怖くない」
遥は自分にそう言い聞かせ、目を閉じた。美容師がカミソリを手に取り、シェービングクリームを頭全体に塗り込んでいく。クリームの冷たさが、頭皮全体に広がり、まるで新しい自分を迎えるための準備が整っていくように感じた。
カミソリの刃が、頭皮を優しく滑る。シャリシャリとした音が耳元で響き、徐々に頭全体が滑らかになっていく。最後にタオルで拭き取られると、遥の髪はすべてなくなっていた。
第4章 剃髪の儀式
美容室の大きな鏡の前で、遥は静かに目を閉じた。バリカンの振動がようやく収まり、鏡に映る自分の姿が、これまで見たことのないものへと変わっているのを感じる。頭皮の冷たい感触が、剃り上げられた髪のない地肌にじんわりと広がっていた。
「もう後戻りはできない……」
目を開けて、ゆっくりと鏡の中の自分を見つめた。髪はほぼすべて刈り上げられ、あとはカミソリで完全に剃り上げるだけの状態。地肌がほぼ露出している自分の姿は、遥がこれまで抱いてきたイメージとは全く違っていた。
「本当に……髪がないんだ……」
触れると、ざらざらとした感触が指先に伝わってくる。残っているのはほんの少しの短髪で、これからすべてが剃り落とされる。頭の軽さを感じながら、遥は自分がどれだけ髪に依存していたのかを改めて思い知った。今まで自分を包み込んでいた髪がなくなったことで、彼女は初めて素の自分と向き合う感覚に囚われていた。
美容師が、シェービングクリームを手に取り、頭全体に丁寧に塗り始める。ひんやりとしたクリームが頭皮に広がると、さらに実感が深まった。もうすぐ、全ての髪が完全になくなるのだ。冷たい感覚が、これから自分に訪れる変化を予告しているようだった。
「どうですか、ここまで来ると少し落ち着いてきましたか?」
美容師の柔らかい声に、遥は頷いた。
「はい……思ってたよりも、怖くなくなってきました」
最初はあんなに不安だったのに、不思議と今では、恐怖よりも新しい自分に対する好奇心が少しずつ大きくなっている。髪がなくなるという事実を受け入れ始めた瞬間、自分の中にあった無駄な心配や不安が、薄れていくのを感じた。
「よかったです。これからカミソリで剃っていきますね。リラックスしていてください」
美容師がカミソリを手に取り、遥の頭皮にそっと当てる。その瞬間、遥の心臓が再び高鳴った。カミソリの冷たい刃が、彼女の頭を滑っていく。シャリ……シャリ……と、髪を剃り落とす音が、静かな美容室に響き渡った。
「これが……最後か」
カミソリが髪のわずかな残りを削ぎ落としていくたびに、遥は少しずつ解放されていく感覚を覚えていた。自分を隠していたものが一枚ずつ剥ぎ取られ、素の自分が浮かび上がってくる。カミソリが頭皮を滑る感覚は鋭いが、どこか心地よい。髪が剃り落とされていくたびに、遥の中の恐れや不安が一緒に取り去られていくようだった。
「本当に全部……なくなっていくんだ」
美容師が慎重に手を動かし、耳の周りやうなじの部分まで丁寧に剃り上げていく。カミソリが滑るたびに、遥の頭はどんどん滑らかになっていくのがわかった。頭皮に感じる冷たさが、徐々に無音の静けさに変わっていく。その静かな時間の中で、彼女は初めて「自分が新しく生まれ変わる」感覚を味わっていた。
「思ったより、気持ちいいかも……」
自分の声が思わず漏れる。カミソリの刃が、残りの髪をすべて剃り落としていく。ついさっきまで、自分の頭を覆っていた髪の存在が、今では嘘のように消え去っている。
「もう、全部剃り終わりましたよ」
美容師が優しく告げると、遥は目を閉じたまま、深く息を吐いた。頭皮をタオルで丁寧に拭き取られ、残っていたクリームが取り除かれていく。その感覚が、まるで「新しい自分の誕生」を告げるようだった。
「お疲れさまでした。仕上がりを確認してくださいね」
美容師が大きな鏡を差し出すと、遥はゆっくりと目を開けた。そこに映る自分の姿を、彼女はじっと見つめた。
「……これが……私?」
目の前には、まったく新しい自分が立っていた。今までの遥とはまるで別人のような、完全に髪のないスキンヘッドの自分。つるつるに剃り上げられた頭が、鏡の中で光を反射している。顔の輪郭がはっきりと浮かび、目鼻立ちもくっきりとして見える。
「髪がなくなると……こんなに違うんだ……」
指先をそっと頭に当ててみる。滑らかな感触が指を伝って広がり、頭全体を撫でてみると、つるつるした肌が心地よい。これが、今の自分だ。髪がなくなったことで、何かが失われると思っていたはずなのに、逆に解放されたような気持ちになっている。
「……不思議」
遥は、思わず小さく笑みを浮かべた。鏡の中の自分は、驚くほど堂々として見えた。髪があった時よりも、どこか自信に満ちた表情に感じられる。鏡の中に映るのは、確かに自分自身なのに、まるで新しい人間になったような感覚が広がっていた。
「……意外と、悪くないかも」
遥は静かに呟いた。恐怖や不安に縛られていた気持ちが、今ではすっかり消え去っていた。美容師も微笑みながら、そっと声をかける。
「とてもお似合いですよ。驚きましたか?」
「はい……でも、思ってたよりも、全然大丈夫です。むしろ、なんか新しい自分に出会えた気がします」
鏡越しに自分と向き合いながら、遥は心の中で改めて感じていた。髪を失うことで、自分が変わってしまうと思っていた。それが怖くて、ずっと踏み出せなかった。けれど、髪がなくなった今、自分は何も変わっていない。むしろ、もっと強くなった気さえする。
「髪がなくても、私は私なんだ」
それは、彼女にとって一つの大きな気づきだった。外見に囚われず、自分自身を信じる強さ。それを得るための一歩を、遥は踏み出すことができたのだ。
「これからも、頑張ってくださいね。新しい自分に自信を持って」
美容師の励ましに、遥は感謝の気持ちを込めて頷いた。
「ありがとうございます。……これで、前に進めそうです」
鏡の中のスキンヘッドの自分にもう一度視線を送りながら、遥は新しい自分を静かに受け入れた。これから先、どんな道が待っているのかはまだわからない。けれど、髪を失って得たこの強さと自信が、彼女をこれから支えてくれるはずだ。
第5章 新しい自分
美容室を出た瞬間、遥は空気が違うことに気づいた。すぐに、秋のひんやりとした風が頭皮に直接触れるのを感じた。以前なら、長い髪が風に揺れ、額にかかる髪を手で払う動作が当たり前だった。それが今は、何も遮るものがなく、風が頭全体を包み込んでいる。
「頭が……すごく軽い……」
遙は思わずつぶやき、ゆっくりと手を頭に当てた。つるつるとした感触が指先に広がり、まるで新しい自分に触れているようだった。街に出て歩き始めると、周りの人たちの目線が頭の方に向かっているのを感じた。自分でも意識せずにはいられない。髪を剃る前なら、その視線に恐怖や不安を感じたかもしれない。けれど、今は違う。
「見られても、もう大丈夫。私は変わったんだ」
遥は自分の中にある小さな変化に気づき、微笑んだ。スキンヘッドという姿は、もちろん今までの自分とはまるで違う。けれど、それが恥ずかしいことや不安を生むものではなく、むしろ新しい自分を見せるチャンスだと感じ始めていた。
道端のガラスに映る自分の姿を、ちらりと確認する。つい数時間前までは見慣れたオカッパ頭だったのに、今は頭皮が露出している自分が映し出されている。驚くほどすっきりとした印象だ。額も、頬も、顎のラインも、今まで隠れていた部分がすべて見える。
「こんな自分、今まで知らなかった……」
遥は立ち止まり、しばらくガラス越しに自分を見つめた。風が頭に吹き付ける感覚、まわりの視線、すべてが新鮮だった。けれど、怖くはなかった。今はむしろ、新しい自分に対する好奇心のほうが勝っていた。
帰り道、遥はいつものカフェに立ち寄ることにした。今日は、特に理由もなく、自然とカフェに入りたくなった。入り口をくぐると、店内は落ち着いた雰囲気に包まれていた。窓際の席に座り、ラテを頼んだ。静かな空間で、彼女は自分の考えを整理する時間を楽しんだ。
ラテを持ってきた店員が、一瞬、遥の頭を見つめてから、微笑んでカップをテーブルに置いた。ほんの短い瞬間の視線だったが、それでも自分がどう見られているのかに気づいた。
「やっぱり、目立つんだな……」
遥は一瞬、また昔の自分に戻りそうになった。注目されることを避けたいと思い、他人の目を気にして小さくなりがちだった自分。しかし、今は違う。視線を受け止める強さが、今の自分にはある。スキンヘッドの自分は、以前とは全く違う。それを受け入れることができた。
「もう、どう思われても平気……」
カフェラテのカップを両手で包み込みながら、遥は静かに心の中でつぶやいた。人の視線が気になることは、今後もあるだろう。それでも、彼女は今、他人の評価ではなく、自分自身がどうありたいか、どう感じたいかを重視して生きられるようになった。
ラテを一口飲んで、温かい液体が体の中に染み込むと、心がふっと軽くなった気がした。
「これが私の選んだ道なんだ……」
遥はスマートフォンを手に取り、スカウトからもらった名刺を再び見つめた。「○○モデル事務所」の文字が以前よりもはっきりと心に響いてくる。まだ不安がないわけではない。モデルとして成功できるかどうか、未来がどうなるかは誰にもわからない。でも、それを恐れて躊躇するより、今この瞬間に一歩踏み出すことが大事だと、遥は感じていた。
「自分を信じよう……」
そう決意して、彼女はメッセージを打ち始めた。
「お世話になっております。先日スカウトしていただいた遥です。ぜひ、オーディションを受けさせていただきたいと思います……」
メッセージを送信した瞬間、肩の荷が下りたように感じた。心の中でずっと引っかかっていた何かが、ようやく消え去ったようだった。モデルの世界に飛び込むという決断。それは、今までの自分なら避けていた道かもしれない。でも、今は違う。髪を失ったことで、自分自身が強く、そして自由になれたのだ。
数日後、オーディション当日がやってきた。会場に向かう道すがら、遥は深く息を吸い込んだ。朝の冷たい空気が肺に広がり、心がすっきりと澄んでいくのを感じた。スキンヘッドになった自分を堂々と見せる。それが、今日のオーディションにおける彼女の目標だった。
会場には、たくさんのモデル志望者たちが集まっていた。彼らはみんな、さまざまな個性を持っていた。華やかな服装や、綺麗にセットされた髪。それに対して、遥のスキンヘッドは一際目立っていた。それでも、遥は怯むことなく、自信を持ってその場に立っていた。
「みんな、綺麗だな……でも、私だって負けない」
遥は心の中でそう自分に言い聞かせた。今までなら、周りと自分を比較して落ち込むことが多かったが、今日の彼女は違う。スキンヘッドになった自分は、以前の自分にはない強さと個性を持っている。それが遥を支えていた。
やがて、彼女の名前が呼ばれた。緊張はあったが、不思議と恐怖はなかった。ステージに上がる瞬間、彼女は深く息を吸い、心を落ち着かせた。
「ここが、私の始まりなんだ」
スポットライトが当たり、遥はステージの中央に立った。無数の視線が彼女に注がれる。その視線を受け止めながら、彼女は堂々と前を向いて歩き出した。スキンヘッドの自分を見せることに、もう不安はない。これが新しい自分だ。髪があったときよりも、遥は自分自身を強く感じていた。
「髪がなくても、私は私……」
そう心の中で繰り返しながら、彼女はステージを歩いた。観客の目は彼女をじっと見つめていたが、それが彼女を脅かすことはなかった。むしろ、彼女はその視線を楽しむ余裕さえ感じていた。
オーディションが終わり、会場を後にした時、遥は満足感に包まれていた。結果はどうであれ、彼女は自分自身に誇りを持てていた。髪を失うことは、恐ろしいことだと思っていた。けれど、それを乗り越えたことで、彼女は新しい自分に出会えた。
「これが、私の新しいスタートだ」
風が再び頭を撫で、遥は深く息を吸い込んだ。スキンヘッドの自分も、長い髪の自分も、どちらも「自分」だ。そして、これからの自分をどう作り上げていくかは、彼女自身にかかっている。未来がどうなるかはわからない。でも、今の遥には、迷いはなかった。
「よし、頑張ろう」
遥は自分の心にそう誓い、未来へ向かって力強く歩き出した。
後日談 未来への選択
オーディションの日から数ヶ月が経った。冬の冷たい空気が街を包む中、遙はモデルとしての新しい生活を歩み始めていた。あの日のオーディションは、彼女にとって大きな転機となった。スカウトマンの言葉通り、彼女のスキンヘッドは強烈な印象を残し、最終的に彼女はモデルとしての道を歩むことになった。
スキンヘッドのまま活動を続けた遥は、すぐにいくつかの撮影やショーに呼ばれるようになった。彼女の特徴的なルックスは、他のモデルとは一線を画していて、業界でも新鮮だと評価されていた。スキンヘッドの自分を見せることに、今では何の躊躇もなかった。
ある日、遙は親しい友人とカフェで話をしていた。
「本当に、スキンヘッドがこんなに似合う人、他にいないよね」
友人の麻衣が笑いながら言った。彼女は遙の変化を間近で見てきた一人だった。
「最初は正直、自分でもどうなるか分からなかったんだけどね。でも、今はもう怖くないよ。むしろ、スキンヘッドの自分が好きになってきた」
遙は、頭に手を当てながら笑った。カフェの窓に映る自分を見ても、もう戸惑うことはなかった。どこか自信に満ちた表情が映し出されている。
「それに、いろんな人から褒められることが増えたんだよ。最初は驚かれたり、変な目で見られたりもしたけど、最近は逆に個性を認めてもらえてる感じがする」
麻衣は頷きながら、カフェラテを一口飲んでから言った。
「たしかに、遙は昔よりもずっと堂々としてるよね。スキンヘッドにしたことが、ただ髪型を変えたってだけじゃなくて、なんか精神的に強くなった感じがする」
「そうかもね。髪を剃ってみて分かったことだけど、結局は自分がどう感じるかなんだよね。他の人がどう思うかより、自分が自分をどう思うかが一番大事なんだって気づいたの」
遙は遠くを見つめながら、しみじみと語った。スキンヘッドにする前の自分は、常に他人の目を気にしていた。だけど、それを一度乗り越えた今では、他人の視線や評価はそれほど気にならなくなっていた。
その日の夜、遙は実家に帰った。モデル活動を始めてからも、彼女は定期的に家族との時間を大切にしていた。家に入ると、母親が台所から顔を出して、笑顔で迎えてくれた。
「遙、おかえり。最近また雑誌に出てたわね。お父さんも喜んで見てたわよ」
母のその言葉に、遙は少し照れくさそうに笑った。父親は最初、彼女がスキンヘッドにしたときには少し驚いていたが、すぐに「自分らしくていいじゃないか」と認めてくれた。今では、彼が一番の応援者だった。
「ただいま。仕事が忙しくて、なかなか帰れなくてごめんね」
「いいのよ。元気そうで安心したわ。遙が自信を持って楽しそうにしているのを見ると、お母さんも嬉しいの」
母親は優しくそう言いながら、テーブルに料理を並べ始めた。
「それにしても、スキンヘッドがこんなに似合うとは思わなかったわ。正直、最初はちょっとびっくりしたけどね。でも、今のあんたは堂々としてて、とても素敵よ」
「うん、自分でもそう思う。もう髪がないことに全然違和感がないし、気に入ってるんだ。髪のことを気にしなくていいのは、すごく自由な気持ちになるよ」
「そうね。でも、髪を伸ばそうと思ったら、いつでもできるんだから、あんたの好きにすればいいのよ」
母親の言葉に、遙は静かに頷いた。髪を伸ばすことも、もちろんいつでも選べる。それもまた、彼女の自由だ。けれど、今はこのスキンヘッドでの自分が好きだったし、髪がないことで自分が強くなったと感じられるのだ。
そんな遙にも、最近心を許せる人ができた。それは、モデル仲間の涼だった。彼もまた、遙と同じく、外見を仕事にしている一人だ。涼は、遥のスキンヘッドを初めて見たとき、ただ一言「かっこいい」と笑顔で言った。その率直な言葉が、彼女の心を温かくした。
二人はモデルとしての共通点を持ちながら、徐々に距離を縮めていった。仕事終わりに食事に行くことが増え、いつしか自然とお互いを大切に思うようになった。
「涼くんは、スキンヘッドの私をどう思ったの?」
ある日、二人で一緒に過ごしているとき、遙はふとそんな質問をしてみた。彼は少し驚いたように笑いながら答えた。
「どうって……最初見たとき、すごいと思ったよ。強くて、何も隠してないって感じがして、いいなって思った。遥はそのままでかっこいい」
その言葉に、遙は思わず照れ笑いを浮かべた。彼の率直な感想が、遙にとっては何よりも嬉しかった。外見を気にする職業柄、お互いに理解し合える部分が多かったからこそ、二人の関係は自然なものだった。
そして、髪を剃った一年後の春、遙は再び髪を伸ばし始める決心をした。スキンヘッドの生活は素晴らしく自由で、彼女に大きな自信を与えてくれたが、今度は違った自分を楽しんでみたくなったからだ。スキンヘッドも、長い髪も、どちらも自分らしさの一部だと理解した今、遙は自分の選択に何の迷いもなかった。
髪を伸ばし始める過程は、また新しい自分と向き合う時間だった。少しずつ髪が伸び、ショートカットになり、次第に自分の顔に新しい表情が宿るのを楽しんだ。今では、自分がどんな髪型をしていても、自信を持って堂々と歩ける。
家族も、恋人の涼も、彼女のどんな変化も温かく見守ってくれた。外見が変わっても、自分自身の核は変わらない。それを知った遙は、どんな未来にも柔軟に対応できる力を身につけていた。
「髪型は私の自由。どんな私でも、私は私なんだ」
そう心に決めて、遥はこれからも自分らしく歩んでいくつもりだ。外見に囚われない強さを手に入れた彼女は、どんな風にも自分を変えていけるという自信を持って、さらに成長してい
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