1 / 1
恋のシルエット
しおりを挟む
第1章:三角関係の始まり
陽が沈みかけた放課後、学園の中庭は静けさに包まれていた。昼間の活気が嘘のように消え、鳥のさえずりだけが響いている。美香は教室の窓からそんな風景を眺めながら、手元のスマホを握りしめた。
「今日は、言わなきゃ……」
彼女の心は不安と期待が入り混じっていた。胸がぎゅっと締めつけられるような感覚を感じながら、ふと窓の外を見やる。そこには、陽太と大地が並んで歩いていた。二人の間には、他の人が入り込めないような親しさが漂っている。それを見るたびに、美香の胸の奥がちくりと痛む。
(あの二人、いつも一緒だよね。陽太は大地のことが大好きなんだ……でも、私だって……)
美香はふと視線を落とし、また手元のスマホを確認した。メッセージを送るべきか、声をかけるべきか。迷っている時間はもうない、今日こそはと決意を固めた。
「よし、行こう」
教室を飛び出し、廊下を小走りに駆けていく。少し離れたところで、陽太と大地が笑い合っているのが見えた。陽太が大地に冗談を言ったのか、二人とも心底楽しそうに笑っている。その笑顔に胸が締め付けられるような感情が込み上げる。
(あの笑顔、私にだって……見せてほしい)
意を決して、美香は二人の前に立ちふさがる。
「陽太、ちょっといいかな?」
声が思った以上に震えてしまったのが、自分でもわかった。陽太が驚いた表情で美香を見つめ、続いて少し戸惑ったように笑顔を見せた。
「美香? どうしたの?」
大地はその場で少し距離を取るように後ろに下がり、二人の会話を見守っていた。美香の視線が一瞬大地に向けられるが、すぐに陽太に戻る。
「放課後、少し話がしたくて……」
陽太はしばらく考え込んだような表情をしていたが、やがて優しい声で返事をした。
「もちろん、いいよ。じゃあ、中庭で待ってて。」
その一言に、美香の胸はドキドキと高鳴った。彼女は小さく頷き、急いでその場を離れた。後ろで、陽太が大地に何か軽い冗談を言っているのが聞こえた。彼らの関係は本当に自然で、いつも一緒にいる。それが時折美香には羨ましくもあり、同時に悔しい気持ちを生み出していた。
放課後、中庭には夕焼けが差し込み、赤とオレンジが交差する幻想的な景色が広がっていた。風が吹き、木々の葉がささやくように揺れる。美香はベンチに座りながら、足元の砂をそっと蹴り上げる。
「これで、うまくいくよね……?」
心の中で何度もその言葉を繰り返す。今日は告白をする。今までずっと胸に秘めてきた想いを、ついに陽太に伝えるつもりだった。何度も練習した言葉が頭の中を巡り、胸の中で不安が膨らむ。
やがて、陽太がやって来た。彼は軽い足取りで美香に近づき、いつもの明るい笑顔を浮かべていた。その姿を見た瞬間、美香の心は一気に高ぶり、言葉が喉に詰まる。
「待たせてごめんね。どうしたの? 話って何?」
陽太は何も知らず、ただいつも通りの優しい態度で接してくれる。その無邪気さが、かえって美香の緊張を高めた。
「陽太……あの、私、ずっとあなたのことが好きだったの。」
その一言を口に出すまでに、どれだけ勇気を振り絞ったか分からない。だが、その言葉がようやく吐き出された瞬間、美香は一瞬だけ、胸の中が軽くなったように感じた。しかし、すぐに陽太の反応が彼女を不安にさせた。
陽太の表情が変わった。いつもの無邪気な笑顔が消え、驚きと戸惑いが入り混じったような顔をしている。しばらくの沈黙が二人の間に流れる。美香はその沈黙がとても重く感じた。
「……美香……ごめん」
その謝罪の言葉が、美香の胸を突き刺した。まさか、この展開になるなんて。
「俺、ずっと言えなかったけど……実は、大地のことが好きなんだ。」
美香の頭の中が真っ白になった。彼の口から出た「大地」という名前が、重く響いた。彼は続けて言葉を紡ぐ。
「大地のことを、友達としてじゃなくて……本当に、恋愛として好きなんだ。だから、美香の気持ちはすごく嬉しいけど、俺の気持ちは違うんだ。」
美香はその場で立ち尽くし、言葉が出てこなかった。何度も何度も頭の中で「大地が好き」という言葉がリフレインする。彼女は自分が告白することで、ようやく彼との距離が縮まると思っていた。しかし、現実は彼女の期待とは全く違っていた。
その時、ふと木陰から誰かの気配を感じた。美香が振り向くと、そこには大地が立っていた。彼もまた、陽太の告白を聞いてしまったようだった。その顔は驚きと戸惑い、そして何か深い感情で曇っていた。
「大地……」
美香が呆然としたまま大地の名を呼ぶが、大地はそれに応えることなく、ただ静かに陽太の言葉に耳を傾けていた。陽太が自分を愛していると知った瞬間、大地の胸にもまた、強烈な感情が渦巻いていた。
第2章:告白と拒絶
冷たい風が吹き始めた夕暮れの中庭。美香は動けず、立ち尽くしたまま陽太の言葉を噛み締めていた。心臓が痛いほど速く鼓動し、指先が震えていた。こんな展開は想像もしていなかった。
「俺、ずっと言えなかったけど……大地のことが好きなんだ。」
その言葉が何度も頭の中でこだまする。まるで現実ではなく、遠い世界の出来事のように感じた。自分の告白を受け入れてもらえるかどうか、それだけを考えていたのに、まさか陽太が他の誰か、それも大地を愛しているなんて――。
「嘘……でしょ?」
美香は無意識のうちにそうつぶやいた。陽太は申し訳なさそうな顔をして、美香の目を真っ直ぐに見つめる。その優しい瞳が、逆に胸を締め付けた。
「美香、俺、本当にごめん。お前の気持ちはすごく嬉しい。でも、大地を好きな気持ちはずっと前からで、どうしようもないんだ。」
陽太はゆっくりと、しかし確実に自分の気持ちを言葉にしていった。美香はそれを聞くたびに、心の中に冷たいものが広がっていくのを感じた。涙が自然に溢れ出し、頬を伝っていく。
「なんで……私じゃダメなの?」
彼女の声は震え、涙混じりで言葉がうまく出てこない。自分の感情が抑えきれなくなり、悲しみと怒りが交錯する。
「美香……本当にごめん。俺も、お前の気持ちに応えられたらよかったんだけど、気持ちはどうしても変えられないんだ。」
陽太は申し訳なさそうにうつむきながらも、心の中で自分の決断を固めていた。彼にとっても美香は大切な友達だったが、恋愛の対象ではなかった。それを今ここで、ようやく自分自身にも確認していたのだ。
美香は震える唇を噛みしめながら、視線を大地へと向けた。彼はまだ木陰に立ち、二人のやり取りをじっと見守っていた。彼の顔には複雑な感情が浮かんでいる。戸惑い、困惑、そして何か別の感情――大地自身も、まだ言葉にできない思いを抱えているようだった。
「大地……」
美香はその名前を呼んだが、次に何を言うべきか分からなかった。心の中では混乱と絶望が渦巻いている。だが、大地も何も言わずにただ立ち尽くしていた。彼もまた、陽太の告白を受けて心を揺さぶられていたのだ。
その夜、美香は家に帰り、ベッドに倒れ込んだ。部屋は暗く、窓の外では風が木々を揺らしている音だけが聞こえていた。枕に顔を埋め、涙が止まらなかった。
(陽太が大地を好きだなんて……そんなの、あり得ない……どうして私じゃなくて、大地なの?)
美香は思い返しても、答えが見つからないまま苦しんでいた。彼女は陽太のことが好きで、ずっと彼を見ていた。それなのに、陽太の視線はいつも大地に向けられていたことに、今になって気づく。自分ではなく、幼馴染の大地を選んだ彼の気持ちを理解することができなかった。
「大地は男じゃない……私は女だよ……」
美香は布団の中で一人、呟いた。涙が止まらない。彼女の心の中には、自分が女性であるという事実が足かせになっているという思いが広がっていた。陽太が大地を選んだのは、大地が「男」だからだと、美香は思い込んでいたのだ。
一方、大地は家に帰る途中、頭の中で陽太の言葉を何度も反芻していた。
「俺は、大地のことが好きなんだ。」
その言葉が胸に響き、強い感情が溢れてくるのを抑えきれなかった。ずっと友達として過ごしてきた陽太が、自分にそんな気持ちを抱いていたとは想像もしていなかった。大地は、ずっと美香に恋愛感情を抱いていると思い込んでいたが、それが自分の気持ちではなく、社会的な「普通」の概念に縛られていただけだということに、陽太の告白を聞いてようやく気づいた。
(俺も、陽太のこと……)
そう思った瞬間、大地の胸の中にある何かが崩れた。男同士の恋愛なんておかしい、そんなものはあり得ないと自分に言い聞かせてきたが、今はもう、その感情を否定できなくなっていた。
(男同士で恋愛なんて、変だよな。でも……)
大地は歩きながら、心の中で葛藤していた。陽太に対する自分の気持ちが、友達としてのものではなく、もっと深い感情だと認めざるを得なかった。しかし、社会的な常識や周りの目が、大地の心を縛りつけていた。男同士の恋愛が「普通」ではないことに、恐れを感じていたのだ。
家に帰り、部屋のドアを閉めた瞬間、大地はその場にへたり込んだ。
「俺も、陽太のことが好きなんだ……」
その言葉をようやく口に出したとき、大地は自分の心の中で何かが解放されるのを感じた。だが同時に、その気持ちをどうしていいか分からず、ただ床に座り込んで涙をこぼした。
第3章:大地の葛藤
次の日の朝、秋の冷たい風が肌に心地よい季節にもかかわらず、大地はまるで重い霧に包まれているような気分で登校していた。昨夜の出来事が頭の中を渦巻き、何度も何度も陽太の言葉が思い返される。
「俺は大地のことが好きなんだ。」
その一言が彼の心に刻まれていた。大地はそれを受け止めきれず、自分の中でどう処理していいか分からなかった。友達としての絆だけだと思っていた関係が、そうではなかったことに気づいてしまった。そして、それが陽太だけでなく、自分にも同じ感情があることを認めざるを得ない現実――。
「俺も……陽太のことが好きだなんて……そんなの……おかしいよな」
大地はポツリと自分に言い聞かせるように呟いた。周りでは学生たちが明るく笑い合いながら校門を通っていくが、大地にはその光景が遠い世界のことのように思えた。自分の心の中だけが暗闇の中にあるような気がしてならなかった。
教室に着くと、陽太がいつも通りの笑顔で待っていた。美香がその隣に座っている。二人の姿を見るだけで、大地の胸の中には再び混乱が広がる。
(どうすればいいんだ……)
美香は陽太に声をかけていたが、どこかよそよそしく、微妙な距離が感じられる。昨日の告白のことが彼女に深い傷を残しているのは明らかだった。大地もまた、彼女の気持ちを理解しようとするが、自分の感情で精一杯で、それどころではなかった。
陽太が大地の方に視線を向けて手を振る。
「おはよう、大地!」
その明るい声に一瞬だけ救われたような気がしたが、すぐに胸の奥が再び重くなった。どうしてもその笑顔に素直に応じられない。自分の気持ちをどう整理するべきか、まだ全く分からなかった。
「おはよう、陽太……」
大地はかろうじて声を出し、席に着く。しかし、美香の視線が彼の背中に突き刺さるように感じられた。彼女が何を考えているのか分からないが、少なくとも彼に対して好意的な感情を抱いているわけではないだろう。
授業中も、大地はまるで心ここにあらずの状態だった。黒板に書かれる文字や教師の声が耳に入らない。頭の中には、陽太の告白と自分の感情が渦巻いている。
(俺も、陽太のことが好きだ。でも、男同士でなんて……あり得ないよな)
何度も何度も自問自答を繰り返す。しかし、陽太に対する気持ちはどうしても消えない。友達としてではなく、もっと深い感情――それが恋愛感情だと理解した今、その感情が抑えきれなくなっていた。
昼休み、大地は教室を飛び出して校舎裏へと向かった。人気のない場所で、冷たい風が彼の髪を揺らしている。大地は壁に背を預け、空を見上げた。
「俺、どうすればいいんだよ……」
その言葉は誰にも届かない。それでも、口に出さずにはいられなかった。彼は両手で顔を覆い、自分の中に溜まった感情を押し込めようとした。しかし、どれだけ抑え込んでも、それは消えるどころかさらに大きくなっていく。
「男同士なんて、変だって……でも……陽太……」
その時、聞き慣れた声が背後から聞こえた。
「大地……」
振り返ると、そこには陽太が立っていた。心配そうな顔をして、大地を見つめている。
「どうしたの? 今日、元気なさそうだったけど……」
その優しさが大地の心に深く染み渡った。どうしても、この人を好きだという気持ちを否定できない。大地はしばらく沈黙したまま、陽太の顔を見つめた。
「陽太……昨日のこと、俺も聞いてた。」
大地の言葉に、陽太は驚いた表情を見せる。
「え……? 昨日……って、何のこと?」
「美香が……お前に告白したときのことだよ。」
その言葉に、陽太の顔が強張った。彼が話そうとしていることが、何なのかすぐに察したのだろう。だが、大地は続けた。
「俺、お前のこと……たぶん、好きなんだ。友達としてじゃなくて、恋愛感情で……でも……それが普通じゃないって分かってるんだ。男同士で、恋愛なんて……」
大地の声は震えていた。ずっと抑え込んでいた感情をようやく口にするのは、彼にとって大きな葛藤だった。陽太はその言葉を聞いて、しばらく何も言わずに立っていたが、やがて静かに微笑んだ。
「普通とか、そういうのは関係ないよ。大地がどう感じるかが大事なんだ。」
その一言に、大地の胸が解放されたような気がした。陽太はいつもと変わらず、優しい笑顔で大地を見ていた。その笑顔は、今までのどの瞬間よりも深い意味を持っていた。
「でも……俺たち、どうすればいいんだ?」
大地の問いに、陽太は少し考えた後、真剣な顔で答えた。
「一緒に、考えればいいんじゃない? これからどうしたらいいのか、二人でゆっくり決めていこう。」
その言葉に、大地は少しだけ救われたような気がした。彼の中の混乱はまだ完全に消えていなかったが、少なくとも陽太と一緒にその混乱に向き合うことができるという確信が持てたのだ。
午後の授業が始まるとき、大地は少しだけ軽い気持ちで教室に戻った。だが、教室の中では、美香がじっと彼を見つめていた。その視線は冷たく、何か決意を秘めているように見えた。彼女は陽太への想いを諦めていない。大地もそれを感じ取り、胸に不安が残ったままだった。
(これから、どうなるんだろう……)
大地はそう思いながらも、陽太の存在が自分の中に新たな力を与えていることを感じていた。そして、その力を頼りに、これからの道を歩んでいく決意を少しずつ固め始めた。
第4章:美香の決断
美香の心の中では、何かが壊れてしまったように感じていた。陽太に拒絶されたこと、大地が陽太に告白していたこと。自分の想いは届かず、二人の間に割り込むことができないという現実が、美香を苛立たせていた。
「なんで私じゃダメなの……? 女だから? 男じゃないから……?」
美香は部屋の鏡に映る自分をじっと見つめた。長く美しい黒髪が肩に流れ、その姿は、誰もが認める「女の子」らしさだった。だが、それが自分の恋を邪魔しているのだと感じた。陽太は大地を選び、自分を選ばなかったのは、「女」である自分が陽太にとって魅力的でないからだ――そう思い込んでしまった美香は、ある決意を固めた。
「私だって、男みたいになればいいんだ……そうすれば、陽太も見てくれるはず……」
美香は深く息を吸い、決断を下した。
その日、学校帰りに美香は近くの床屋に足を踏み入れた。狭い店内は薄暗く、壁には年季の入った古いポスターが飾られている。店の中には年配の男性が一人、椅子に座って新聞を読んでいた。店主だろうか、彼が美香に気づくと、目を上げて微笑んだ。
「いらっしゃい。今日はどうする?」
美香は一瞬、声を出すのをためらった。自分が何をしようとしているのか、再度確認するように胸の中で反芻する。しかし、すぐに強い決意が心に戻ってきた。
「坊主にしてください。」
その一言に、店主は一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに表情を戻して頷いた。
「坊主か……なかなか勇気がいるな。だが、似合うと思うよ。」
美香は無言で椅子に腰を下ろし、目を閉じた。心臓が激しく鼓動しているのが分かった。店主がバリカンを手に取り、準備を始める音が聞こえる。美香は意識的に呼吸を整え、これから起こることに備えた。
「まずは後ろからいくぞ。」
バリカンが動き始め、首筋に冷たい感触が走った。ブーンという低い振動音が頭の後ろに響き、次の瞬間、バリカンの刃が美香の長い髪を刈り始めた。彼女の美しい黒髪が無残に床へと落ちていく音が聞こえ、背中に冷たい風が当たる。
(ああ……本当に、切られていくんだ……)
刈られた髪が次々と床に落ちていく。後ろ髪がすっかり無くなり、店主は今度は横に移動した。
「次は横だ。耳の周りを整えていくぞ。」
バリカンが再び動き出し、右側の髪が一気に刈り取られていく。耳元で感じるバリカンの振動が、何か大きな変化が進んでいることを実感させた。長かった髪がどんどん短くなり、床に積み重なっていく。目の端にそれが見えるたびに、美香は自分が変わっていくことを実感していた。
「よし、次は反対側だ。」
左側の髪も同じようにバリカンで刈られ、美香の頭が次第に軽くなっていくのを感じた。長かった髪がもうほとんど無くなり、彼女の頭はすでに短い髪で覆われている。だが、まだ終わってはいない。
「次は、頭の頂点だ。」
バリカンが美香の頭頂部に触れた瞬間、彼女は目を閉じた。頭頂部の髪が刈り取られるとき、まるで自分が新しい自分に生まれ変わる瞬間を迎えたように感じた。髪が落ちていく感覚が、彼女の中にあったこれまでの美香を一緒に削ぎ落としているかのようだった。
「最後に前髪だ。」
店主の言葉に、美香は緊張を解かないまま、前髪が刈られていく音を聞いた。顔のすぐ前で髪が一気に短くなり、視界から自分の髪が消えていく。最後の一束が床に落ちたとき、美香はすべてが終わったことを感じた。
「これで、坊主頭だ。」
店主が鏡を持って美香に見せると、そこにはまるで別人のように短く刈り上げられた自分の姿が映っていた。彼女の頭は丸く、ツルツルに近い状態で、髪の毛はもうほとんど残っていない。そのシルエットを見つめながら、美香はゆっくりと手を頭に当てた。
指先が初めて触れた坊主頭は、想像していたよりも硬く、ザラザラとした感触だった。手のひらを頭全体に滑らせながら、その感覚を確かめるように触り続けた。
「これが……私の新しい姿……」
美香は呟いた。頭を撫でるたびに、髪があった頃の自分とは違う新しい存在になったかのような感覚が広がった。丸いシルエットが鏡に映るたびに、何かが解放された気分だった。軽くなった頭、風が直接肌に触れる感覚――すべてが新鮮だった。
だが、心の奥にはまだ満たされないものがあった。これで本当に陽太が自分を見てくれるのか、それとも何も変わらないのか。坊主になった今でも、その不安が彼女を包み込んでいた。
美香は床に落ちた髪を見下ろしながら、これから自分がどうなっていくのかを考えていた。髪を失ったことで、何かが変わると信じていたが、胸の中にはまだ何も埋まらない空虚さが残っている。
「これで陽太は……私を見てくれるのかな……」
彼女の声は風にかき消され、静かな床屋に響くことはなかった。
第5章:悟りと選択
坊主にしたその翌日、美香は自分の新しい姿を見せるために学校へと向かった。朝の空気は冷たく、頭を剃ったことで肌に直接感じる風が一層鋭く身に染みた。制服の襟が首に触れる感覚も、いつもとは違う。髪があった頃の自分が遠い過去のように思えたが、内面は何も変わっていないことに彼女自身が気づいていた。
(これで、陽太はきっと私を見直してくれるはず……)
その期待を胸に抱きながら、美香は校門をくぐった。だが、すれ違う生徒たちは彼女を見るたびに驚きの表情を浮かべ、ひそひそと何かを話していた。美香はそれを気にしないように前を向き続けたが、次第にその視線や囁き声が重くのしかかってきた。
教室に入ると、一瞬にして静まり返った。全員の視線が美香に集中し、まるで異星人でも現れたかのような空気が漂った。陽太もその視線の一つだった。彼は驚いたように美香を見つめ、しばらく言葉が出なかった。
「美香……どうしたんだ、その頭……」
陽太がようやく口を開いた。彼の声は戸惑いに満ちていた。大地もまた、美香の変わり果てた姿を見て、言葉を失っていた。美香は二人の前に立ち、胸を張るようにして笑みを浮かべた。
「坊主にしたの。男らしくなって、陽太にもう一度見てもらおうと思って。」
その言葉に、教室全体が静まり返った。陽太も、大地も、美香の意図を理解できないまま、ただ彼女を見つめることしかできなかった。美香はその沈黙に耐えられず、さらに言葉を続けた。
「これで、私も大地と同じように男らしいでしょ? 陽太、今度こそ私を見てくれるよね?」
陽太は困惑した表情を浮かべたまま、視線をそらした。そして、ゆっくりと首を横に振った。
「美香……坊主にしたからって、何も変わらないよ。君の気持ちは分かるけど、俺が大地を好きなのは、男だからじゃない。大地は大地だから好きなんだ。性別は関係ないんだ。」
陽太の言葉は冷静でありながら、優しさに満ちていた。それを聞いた美香は、胸の中が急に冷たくなるのを感じた。自分が何をしたのか、何を求めていたのかが分からなくなった。彼女は、自分が陽太に選ばれない理由が「女」であることだと思っていたが、そうではなかった。
「私……」
美香は思わず口を閉じ、言葉を失った。その場で、何もできずにただ立ち尽くすしかなかった。
その後、美香は黙って教室を出て行った。陽太は後を追おうとしたが、大地が彼の腕をそっと掴んだ。
「陽太……」
大地の声は静かだったが、その一言に含まれる感情は深かった。彼は陽太を引き止め、目をじっと見つめた。二人の間には、もう言葉では語り尽くせない何かがあった。美香のことも心配だったが、今ここで大地を見つめる陽太の表情には、彼女では感じたことのない特別な感情が宿っていた。
「大地……俺、君のことが本当に好きなんだ。昨日の夜から、ずっと君のことばかり考えてた。美香に対して申し訳ない気持ちもあるけど、それでも俺は君を選びたい。」
陽太は正直な気持ちを吐露した。美香への罪悪感は消えなかったが、自分の心を偽ることはできなかった。大地に対する想いが本物であることを、もう否定できなかったのだ。
大地はしばらく黙っていたが、やがて小さく微笑んで答えた。
「俺も……陽太、お前のことが好きだって、ようやく認められたんだ。ずっと変だって思ってたけど、もうそれを考えるのはやめた。お前と一緒にいるときが、一番幸せなんだ。」
二人はゆっくりと距離を縮め、自然に手を取り合った。その手の温かさに、二人は安心感を覚えた。何かに縛られることなく、ただお互いの存在を感じるだけで十分だった。
その後の昼休み、校舎の裏庭で二人は静かに並んで座っていた。周りには誰もいない。風が静かに吹き抜け、木々の葉がサラサラと音を立てている。
陽太はふと大地の肩に寄りかかり、その感触を確かめるように頭を預けた。大地もそれを拒むことなく、優しく彼の頭を撫でた。その手のひらの感触は、陽太にとってこの上なく心地よかった。
「こうしていると、不思議だな……今まで友達として一緒にいたのに、なんでこんなに特別な気持ちになるんだろう。」
陽太がそう呟くと、大地は小さく笑った。
「そうだな……でも、これでいいんだろうな。俺たち、自然にこうなったんだから。」
大地の言葉に、陽太は頷いた。そして、少しの間沈黙が続いた後、陽太が再び口を開いた。
「大地……俺、これからもずっと君と一緒にいたい。友達じゃなくて、恋人として。」
その言葉に、大地は少し驚いたが、すぐに顔をほころばせた。
「俺も、そう思ってる。だから、これからも俺の隣にいてくれよ。」
二人はそのまま、お互いの手を強く握りしめた。何も言わなくても、二人の間には確かな絆が感じられた。陽太の胸の中で、初めて自分の気持ちに正直になれたことが心地よく、これまで感じたことのない安心感が広がっていた。
それからしばらくして、美香は一人で校舎裏のベンチに座っていた。頭を撫でる手は、まだ坊主頭の感触に慣れていない。彼女は自分が坊主になったことで何かが変わると信じていたが、何も変わらなかった。陽太も、自分自身も。
「髪を切ったところで、私の中身は何も変わらないんだ……」
美香は呟き、ようやくその事実を受け入れた。髪を失ったことで、彼女は外見だけでなく、内面にも向き合わなければならないことを悟ったのだ。
彼女は涙を流しながらも、少しずつ新しい自分を見つけていくための一歩を踏み出す決意を固めていた。陽太と大地はもう手の届かない存在だが、それでも美香は自分の道を見つけなければならない。
エピローグ:それぞれの道
数か月が経ち、季節は冬を迎えていた。美香は、すっかり短くなった髪にも慣れ、少しずつ新しい自分を受け入れつつあった。最初は、自分を坊主にしたことで何かが変わると思い込んでいたが、髪がないことが彼女の内面を変えるわけではなかった。
それでも、美香は変わっていった。陽太への想いは完全に消えることはなかったが、少しずつ前に進むことができるようになった。陽太と大地が付き合い始めてから、美香は最初こそ二人を見るのが辛かったが、やがてその姿に嫉妬や怒りを感じることはなくなった。むしろ、彼らが自然に寄り添い合い、互いを大切にしている様子に、次第に安らぎを感じるようになった。
ある日、美香は屋上で一人風に吹かれていた。冷たい風が彼女の短い髪を撫でる。遠くの空には淡い冬の光が広がり、澄んだ青空が広がっていた。
「これで、良かったんだよね……」
美香はぽつりと呟き、空を見上げた。陽太と大地が恋人同士になったことは、彼女にとって大きな痛みだったが、今ではその痛みが徐々に癒えていくのを感じていた。二人の幸せを認め、自分の感情を受け入れることが、彼女にとっての成長だった。
一方、陽太と大地の関係は穏やかで、深まっていく日々を過ごしていた。最初は周囲の目を気にしていた二人だったが、今ではそんなことも気にせず、自然体で過ごせるようになっていた。友達として築いてきた長い絆が、恋人同士になっても変わることなく、むしろお互いの気持ちがさらに強くなっていった。
「大地、今日は何する?」
冬休みに入った二人は、放課後の時間を楽しむために一緒に出かけることが増えた。公園を散歩したり、映画を見に行ったり。二人で過ごす時間が、陽太にとっても大地にとっても、何よりも大切なものになっていた。
「陽太、お前と一緒なら、何でもいいよ。」
大地の言葉に、陽太は満足げに笑った。彼らの関係は穏やかで、焦ることもなく、ただ二人でいることが自然だった。男同士ということに戸惑っていた頃が、今では懐かしいくらいだった。
ある日、美香はふと大地と陽太が仲良く並んで歩いている姿を目にした。二人は特に何をしているわけでもなく、ただ自然に笑い合っていた。それを見た美香は、もう痛みを感じることはなかった。むしろ、彼らの姿に少しだけ微笑みさえ浮かべていた。
(彼らには彼らの道があるんだ。私にも、私の道がきっとある。)
美香はそう思い、深く息を吸った。彼女の未来はまだ見えないものだったが、少しずつ自分の足で歩いていく力を感じ始めていた。これから先、何が待っているのかは分からない。それでも、美香は新しい一歩を踏み出す覚悟を決めていた。
坊主になった自分も、昔の自分も、すべてが今の美香を作っている。そのことを美香はようやく理解した。
その日、美香は校舎の裏で陽太と大地に会った。二人は彼女を見て、少し驚いたような表情を浮かべたが、すぐに優しい笑顔を見せた。
「美香、元気そうでよかった。」
陽太の言葉に、美香は小さく頷いた。そして、穏やかな声で答えた。
「ありがとう、陽太。もう大丈夫。私、前に進めるから。」
大地も静かに微笑んでいた。その優しさが、美香の心を軽くした。
三人はしばらく何も言わずに立っていたが、何かが変わったことをお互いに感じていた。それぞれの道は違っても、どこかでまた交わることがあるかもしれない。そんな思いが、三人の心に静かに広がっていった。
こうして、彼らはそれぞれの未来に向けて一歩を踏み出した。陽太と大地は、恋人としての新しい日々を歩み始め、美香もまた、自分自身の新たな道を見つけるために進んでいく。
空は広く、未来は無限に広がっている。美香は自分の坊主頭を軽く撫で、柔らかく微笑んだ。
「これからが、本当のスタートだ。」
冷たい風が吹き抜け、空高く鳥が飛び立っていく。
陽が沈みかけた放課後、学園の中庭は静けさに包まれていた。昼間の活気が嘘のように消え、鳥のさえずりだけが響いている。美香は教室の窓からそんな風景を眺めながら、手元のスマホを握りしめた。
「今日は、言わなきゃ……」
彼女の心は不安と期待が入り混じっていた。胸がぎゅっと締めつけられるような感覚を感じながら、ふと窓の外を見やる。そこには、陽太と大地が並んで歩いていた。二人の間には、他の人が入り込めないような親しさが漂っている。それを見るたびに、美香の胸の奥がちくりと痛む。
(あの二人、いつも一緒だよね。陽太は大地のことが大好きなんだ……でも、私だって……)
美香はふと視線を落とし、また手元のスマホを確認した。メッセージを送るべきか、声をかけるべきか。迷っている時間はもうない、今日こそはと決意を固めた。
「よし、行こう」
教室を飛び出し、廊下を小走りに駆けていく。少し離れたところで、陽太と大地が笑い合っているのが見えた。陽太が大地に冗談を言ったのか、二人とも心底楽しそうに笑っている。その笑顔に胸が締め付けられるような感情が込み上げる。
(あの笑顔、私にだって……見せてほしい)
意を決して、美香は二人の前に立ちふさがる。
「陽太、ちょっといいかな?」
声が思った以上に震えてしまったのが、自分でもわかった。陽太が驚いた表情で美香を見つめ、続いて少し戸惑ったように笑顔を見せた。
「美香? どうしたの?」
大地はその場で少し距離を取るように後ろに下がり、二人の会話を見守っていた。美香の視線が一瞬大地に向けられるが、すぐに陽太に戻る。
「放課後、少し話がしたくて……」
陽太はしばらく考え込んだような表情をしていたが、やがて優しい声で返事をした。
「もちろん、いいよ。じゃあ、中庭で待ってて。」
その一言に、美香の胸はドキドキと高鳴った。彼女は小さく頷き、急いでその場を離れた。後ろで、陽太が大地に何か軽い冗談を言っているのが聞こえた。彼らの関係は本当に自然で、いつも一緒にいる。それが時折美香には羨ましくもあり、同時に悔しい気持ちを生み出していた。
放課後、中庭には夕焼けが差し込み、赤とオレンジが交差する幻想的な景色が広がっていた。風が吹き、木々の葉がささやくように揺れる。美香はベンチに座りながら、足元の砂をそっと蹴り上げる。
「これで、うまくいくよね……?」
心の中で何度もその言葉を繰り返す。今日は告白をする。今までずっと胸に秘めてきた想いを、ついに陽太に伝えるつもりだった。何度も練習した言葉が頭の中を巡り、胸の中で不安が膨らむ。
やがて、陽太がやって来た。彼は軽い足取りで美香に近づき、いつもの明るい笑顔を浮かべていた。その姿を見た瞬間、美香の心は一気に高ぶり、言葉が喉に詰まる。
「待たせてごめんね。どうしたの? 話って何?」
陽太は何も知らず、ただいつも通りの優しい態度で接してくれる。その無邪気さが、かえって美香の緊張を高めた。
「陽太……あの、私、ずっとあなたのことが好きだったの。」
その一言を口に出すまでに、どれだけ勇気を振り絞ったか分からない。だが、その言葉がようやく吐き出された瞬間、美香は一瞬だけ、胸の中が軽くなったように感じた。しかし、すぐに陽太の反応が彼女を不安にさせた。
陽太の表情が変わった。いつもの無邪気な笑顔が消え、驚きと戸惑いが入り混じったような顔をしている。しばらくの沈黙が二人の間に流れる。美香はその沈黙がとても重く感じた。
「……美香……ごめん」
その謝罪の言葉が、美香の胸を突き刺した。まさか、この展開になるなんて。
「俺、ずっと言えなかったけど……実は、大地のことが好きなんだ。」
美香の頭の中が真っ白になった。彼の口から出た「大地」という名前が、重く響いた。彼は続けて言葉を紡ぐ。
「大地のことを、友達としてじゃなくて……本当に、恋愛として好きなんだ。だから、美香の気持ちはすごく嬉しいけど、俺の気持ちは違うんだ。」
美香はその場で立ち尽くし、言葉が出てこなかった。何度も何度も頭の中で「大地が好き」という言葉がリフレインする。彼女は自分が告白することで、ようやく彼との距離が縮まると思っていた。しかし、現実は彼女の期待とは全く違っていた。
その時、ふと木陰から誰かの気配を感じた。美香が振り向くと、そこには大地が立っていた。彼もまた、陽太の告白を聞いてしまったようだった。その顔は驚きと戸惑い、そして何か深い感情で曇っていた。
「大地……」
美香が呆然としたまま大地の名を呼ぶが、大地はそれに応えることなく、ただ静かに陽太の言葉に耳を傾けていた。陽太が自分を愛していると知った瞬間、大地の胸にもまた、強烈な感情が渦巻いていた。
第2章:告白と拒絶
冷たい風が吹き始めた夕暮れの中庭。美香は動けず、立ち尽くしたまま陽太の言葉を噛み締めていた。心臓が痛いほど速く鼓動し、指先が震えていた。こんな展開は想像もしていなかった。
「俺、ずっと言えなかったけど……大地のことが好きなんだ。」
その言葉が何度も頭の中でこだまする。まるで現実ではなく、遠い世界の出来事のように感じた。自分の告白を受け入れてもらえるかどうか、それだけを考えていたのに、まさか陽太が他の誰か、それも大地を愛しているなんて――。
「嘘……でしょ?」
美香は無意識のうちにそうつぶやいた。陽太は申し訳なさそうな顔をして、美香の目を真っ直ぐに見つめる。その優しい瞳が、逆に胸を締め付けた。
「美香、俺、本当にごめん。お前の気持ちはすごく嬉しい。でも、大地を好きな気持ちはずっと前からで、どうしようもないんだ。」
陽太はゆっくりと、しかし確実に自分の気持ちを言葉にしていった。美香はそれを聞くたびに、心の中に冷たいものが広がっていくのを感じた。涙が自然に溢れ出し、頬を伝っていく。
「なんで……私じゃダメなの?」
彼女の声は震え、涙混じりで言葉がうまく出てこない。自分の感情が抑えきれなくなり、悲しみと怒りが交錯する。
「美香……本当にごめん。俺も、お前の気持ちに応えられたらよかったんだけど、気持ちはどうしても変えられないんだ。」
陽太は申し訳なさそうにうつむきながらも、心の中で自分の決断を固めていた。彼にとっても美香は大切な友達だったが、恋愛の対象ではなかった。それを今ここで、ようやく自分自身にも確認していたのだ。
美香は震える唇を噛みしめながら、視線を大地へと向けた。彼はまだ木陰に立ち、二人のやり取りをじっと見守っていた。彼の顔には複雑な感情が浮かんでいる。戸惑い、困惑、そして何か別の感情――大地自身も、まだ言葉にできない思いを抱えているようだった。
「大地……」
美香はその名前を呼んだが、次に何を言うべきか分からなかった。心の中では混乱と絶望が渦巻いている。だが、大地も何も言わずにただ立ち尽くしていた。彼もまた、陽太の告白を受けて心を揺さぶられていたのだ。
その夜、美香は家に帰り、ベッドに倒れ込んだ。部屋は暗く、窓の外では風が木々を揺らしている音だけが聞こえていた。枕に顔を埋め、涙が止まらなかった。
(陽太が大地を好きだなんて……そんなの、あり得ない……どうして私じゃなくて、大地なの?)
美香は思い返しても、答えが見つからないまま苦しんでいた。彼女は陽太のことが好きで、ずっと彼を見ていた。それなのに、陽太の視線はいつも大地に向けられていたことに、今になって気づく。自分ではなく、幼馴染の大地を選んだ彼の気持ちを理解することができなかった。
「大地は男じゃない……私は女だよ……」
美香は布団の中で一人、呟いた。涙が止まらない。彼女の心の中には、自分が女性であるという事実が足かせになっているという思いが広がっていた。陽太が大地を選んだのは、大地が「男」だからだと、美香は思い込んでいたのだ。
一方、大地は家に帰る途中、頭の中で陽太の言葉を何度も反芻していた。
「俺は、大地のことが好きなんだ。」
その言葉が胸に響き、強い感情が溢れてくるのを抑えきれなかった。ずっと友達として過ごしてきた陽太が、自分にそんな気持ちを抱いていたとは想像もしていなかった。大地は、ずっと美香に恋愛感情を抱いていると思い込んでいたが、それが自分の気持ちではなく、社会的な「普通」の概念に縛られていただけだということに、陽太の告白を聞いてようやく気づいた。
(俺も、陽太のこと……)
そう思った瞬間、大地の胸の中にある何かが崩れた。男同士の恋愛なんておかしい、そんなものはあり得ないと自分に言い聞かせてきたが、今はもう、その感情を否定できなくなっていた。
(男同士で恋愛なんて、変だよな。でも……)
大地は歩きながら、心の中で葛藤していた。陽太に対する自分の気持ちが、友達としてのものではなく、もっと深い感情だと認めざるを得なかった。しかし、社会的な常識や周りの目が、大地の心を縛りつけていた。男同士の恋愛が「普通」ではないことに、恐れを感じていたのだ。
家に帰り、部屋のドアを閉めた瞬間、大地はその場にへたり込んだ。
「俺も、陽太のことが好きなんだ……」
その言葉をようやく口に出したとき、大地は自分の心の中で何かが解放されるのを感じた。だが同時に、その気持ちをどうしていいか分からず、ただ床に座り込んで涙をこぼした。
第3章:大地の葛藤
次の日の朝、秋の冷たい風が肌に心地よい季節にもかかわらず、大地はまるで重い霧に包まれているような気分で登校していた。昨夜の出来事が頭の中を渦巻き、何度も何度も陽太の言葉が思い返される。
「俺は大地のことが好きなんだ。」
その一言が彼の心に刻まれていた。大地はそれを受け止めきれず、自分の中でどう処理していいか分からなかった。友達としての絆だけだと思っていた関係が、そうではなかったことに気づいてしまった。そして、それが陽太だけでなく、自分にも同じ感情があることを認めざるを得ない現実――。
「俺も……陽太のことが好きだなんて……そんなの……おかしいよな」
大地はポツリと自分に言い聞かせるように呟いた。周りでは学生たちが明るく笑い合いながら校門を通っていくが、大地にはその光景が遠い世界のことのように思えた。自分の心の中だけが暗闇の中にあるような気がしてならなかった。
教室に着くと、陽太がいつも通りの笑顔で待っていた。美香がその隣に座っている。二人の姿を見るだけで、大地の胸の中には再び混乱が広がる。
(どうすればいいんだ……)
美香は陽太に声をかけていたが、どこかよそよそしく、微妙な距離が感じられる。昨日の告白のことが彼女に深い傷を残しているのは明らかだった。大地もまた、彼女の気持ちを理解しようとするが、自分の感情で精一杯で、それどころではなかった。
陽太が大地の方に視線を向けて手を振る。
「おはよう、大地!」
その明るい声に一瞬だけ救われたような気がしたが、すぐに胸の奥が再び重くなった。どうしてもその笑顔に素直に応じられない。自分の気持ちをどう整理するべきか、まだ全く分からなかった。
「おはよう、陽太……」
大地はかろうじて声を出し、席に着く。しかし、美香の視線が彼の背中に突き刺さるように感じられた。彼女が何を考えているのか分からないが、少なくとも彼に対して好意的な感情を抱いているわけではないだろう。
授業中も、大地はまるで心ここにあらずの状態だった。黒板に書かれる文字や教師の声が耳に入らない。頭の中には、陽太の告白と自分の感情が渦巻いている。
(俺も、陽太のことが好きだ。でも、男同士でなんて……あり得ないよな)
何度も何度も自問自答を繰り返す。しかし、陽太に対する気持ちはどうしても消えない。友達としてではなく、もっと深い感情――それが恋愛感情だと理解した今、その感情が抑えきれなくなっていた。
昼休み、大地は教室を飛び出して校舎裏へと向かった。人気のない場所で、冷たい風が彼の髪を揺らしている。大地は壁に背を預け、空を見上げた。
「俺、どうすればいいんだよ……」
その言葉は誰にも届かない。それでも、口に出さずにはいられなかった。彼は両手で顔を覆い、自分の中に溜まった感情を押し込めようとした。しかし、どれだけ抑え込んでも、それは消えるどころかさらに大きくなっていく。
「男同士なんて、変だって……でも……陽太……」
その時、聞き慣れた声が背後から聞こえた。
「大地……」
振り返ると、そこには陽太が立っていた。心配そうな顔をして、大地を見つめている。
「どうしたの? 今日、元気なさそうだったけど……」
その優しさが大地の心に深く染み渡った。どうしても、この人を好きだという気持ちを否定できない。大地はしばらく沈黙したまま、陽太の顔を見つめた。
「陽太……昨日のこと、俺も聞いてた。」
大地の言葉に、陽太は驚いた表情を見せる。
「え……? 昨日……って、何のこと?」
「美香が……お前に告白したときのことだよ。」
その言葉に、陽太の顔が強張った。彼が話そうとしていることが、何なのかすぐに察したのだろう。だが、大地は続けた。
「俺、お前のこと……たぶん、好きなんだ。友達としてじゃなくて、恋愛感情で……でも……それが普通じゃないって分かってるんだ。男同士で、恋愛なんて……」
大地の声は震えていた。ずっと抑え込んでいた感情をようやく口にするのは、彼にとって大きな葛藤だった。陽太はその言葉を聞いて、しばらく何も言わずに立っていたが、やがて静かに微笑んだ。
「普通とか、そういうのは関係ないよ。大地がどう感じるかが大事なんだ。」
その一言に、大地の胸が解放されたような気がした。陽太はいつもと変わらず、優しい笑顔で大地を見ていた。その笑顔は、今までのどの瞬間よりも深い意味を持っていた。
「でも……俺たち、どうすればいいんだ?」
大地の問いに、陽太は少し考えた後、真剣な顔で答えた。
「一緒に、考えればいいんじゃない? これからどうしたらいいのか、二人でゆっくり決めていこう。」
その言葉に、大地は少しだけ救われたような気がした。彼の中の混乱はまだ完全に消えていなかったが、少なくとも陽太と一緒にその混乱に向き合うことができるという確信が持てたのだ。
午後の授業が始まるとき、大地は少しだけ軽い気持ちで教室に戻った。だが、教室の中では、美香がじっと彼を見つめていた。その視線は冷たく、何か決意を秘めているように見えた。彼女は陽太への想いを諦めていない。大地もそれを感じ取り、胸に不安が残ったままだった。
(これから、どうなるんだろう……)
大地はそう思いながらも、陽太の存在が自分の中に新たな力を与えていることを感じていた。そして、その力を頼りに、これからの道を歩んでいく決意を少しずつ固め始めた。
第4章:美香の決断
美香の心の中では、何かが壊れてしまったように感じていた。陽太に拒絶されたこと、大地が陽太に告白していたこと。自分の想いは届かず、二人の間に割り込むことができないという現実が、美香を苛立たせていた。
「なんで私じゃダメなの……? 女だから? 男じゃないから……?」
美香は部屋の鏡に映る自分をじっと見つめた。長く美しい黒髪が肩に流れ、その姿は、誰もが認める「女の子」らしさだった。だが、それが自分の恋を邪魔しているのだと感じた。陽太は大地を選び、自分を選ばなかったのは、「女」である自分が陽太にとって魅力的でないからだ――そう思い込んでしまった美香は、ある決意を固めた。
「私だって、男みたいになればいいんだ……そうすれば、陽太も見てくれるはず……」
美香は深く息を吸い、決断を下した。
その日、学校帰りに美香は近くの床屋に足を踏み入れた。狭い店内は薄暗く、壁には年季の入った古いポスターが飾られている。店の中には年配の男性が一人、椅子に座って新聞を読んでいた。店主だろうか、彼が美香に気づくと、目を上げて微笑んだ。
「いらっしゃい。今日はどうする?」
美香は一瞬、声を出すのをためらった。自分が何をしようとしているのか、再度確認するように胸の中で反芻する。しかし、すぐに強い決意が心に戻ってきた。
「坊主にしてください。」
その一言に、店主は一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに表情を戻して頷いた。
「坊主か……なかなか勇気がいるな。だが、似合うと思うよ。」
美香は無言で椅子に腰を下ろし、目を閉じた。心臓が激しく鼓動しているのが分かった。店主がバリカンを手に取り、準備を始める音が聞こえる。美香は意識的に呼吸を整え、これから起こることに備えた。
「まずは後ろからいくぞ。」
バリカンが動き始め、首筋に冷たい感触が走った。ブーンという低い振動音が頭の後ろに響き、次の瞬間、バリカンの刃が美香の長い髪を刈り始めた。彼女の美しい黒髪が無残に床へと落ちていく音が聞こえ、背中に冷たい風が当たる。
(ああ……本当に、切られていくんだ……)
刈られた髪が次々と床に落ちていく。後ろ髪がすっかり無くなり、店主は今度は横に移動した。
「次は横だ。耳の周りを整えていくぞ。」
バリカンが再び動き出し、右側の髪が一気に刈り取られていく。耳元で感じるバリカンの振動が、何か大きな変化が進んでいることを実感させた。長かった髪がどんどん短くなり、床に積み重なっていく。目の端にそれが見えるたびに、美香は自分が変わっていくことを実感していた。
「よし、次は反対側だ。」
左側の髪も同じようにバリカンで刈られ、美香の頭が次第に軽くなっていくのを感じた。長かった髪がもうほとんど無くなり、彼女の頭はすでに短い髪で覆われている。だが、まだ終わってはいない。
「次は、頭の頂点だ。」
バリカンが美香の頭頂部に触れた瞬間、彼女は目を閉じた。頭頂部の髪が刈り取られるとき、まるで自分が新しい自分に生まれ変わる瞬間を迎えたように感じた。髪が落ちていく感覚が、彼女の中にあったこれまでの美香を一緒に削ぎ落としているかのようだった。
「最後に前髪だ。」
店主の言葉に、美香は緊張を解かないまま、前髪が刈られていく音を聞いた。顔のすぐ前で髪が一気に短くなり、視界から自分の髪が消えていく。最後の一束が床に落ちたとき、美香はすべてが終わったことを感じた。
「これで、坊主頭だ。」
店主が鏡を持って美香に見せると、そこにはまるで別人のように短く刈り上げられた自分の姿が映っていた。彼女の頭は丸く、ツルツルに近い状態で、髪の毛はもうほとんど残っていない。そのシルエットを見つめながら、美香はゆっくりと手を頭に当てた。
指先が初めて触れた坊主頭は、想像していたよりも硬く、ザラザラとした感触だった。手のひらを頭全体に滑らせながら、その感覚を確かめるように触り続けた。
「これが……私の新しい姿……」
美香は呟いた。頭を撫でるたびに、髪があった頃の自分とは違う新しい存在になったかのような感覚が広がった。丸いシルエットが鏡に映るたびに、何かが解放された気分だった。軽くなった頭、風が直接肌に触れる感覚――すべてが新鮮だった。
だが、心の奥にはまだ満たされないものがあった。これで本当に陽太が自分を見てくれるのか、それとも何も変わらないのか。坊主になった今でも、その不安が彼女を包み込んでいた。
美香は床に落ちた髪を見下ろしながら、これから自分がどうなっていくのかを考えていた。髪を失ったことで、何かが変わると信じていたが、胸の中にはまだ何も埋まらない空虚さが残っている。
「これで陽太は……私を見てくれるのかな……」
彼女の声は風にかき消され、静かな床屋に響くことはなかった。
第5章:悟りと選択
坊主にしたその翌日、美香は自分の新しい姿を見せるために学校へと向かった。朝の空気は冷たく、頭を剃ったことで肌に直接感じる風が一層鋭く身に染みた。制服の襟が首に触れる感覚も、いつもとは違う。髪があった頃の自分が遠い過去のように思えたが、内面は何も変わっていないことに彼女自身が気づいていた。
(これで、陽太はきっと私を見直してくれるはず……)
その期待を胸に抱きながら、美香は校門をくぐった。だが、すれ違う生徒たちは彼女を見るたびに驚きの表情を浮かべ、ひそひそと何かを話していた。美香はそれを気にしないように前を向き続けたが、次第にその視線や囁き声が重くのしかかってきた。
教室に入ると、一瞬にして静まり返った。全員の視線が美香に集中し、まるで異星人でも現れたかのような空気が漂った。陽太もその視線の一つだった。彼は驚いたように美香を見つめ、しばらく言葉が出なかった。
「美香……どうしたんだ、その頭……」
陽太がようやく口を開いた。彼の声は戸惑いに満ちていた。大地もまた、美香の変わり果てた姿を見て、言葉を失っていた。美香は二人の前に立ち、胸を張るようにして笑みを浮かべた。
「坊主にしたの。男らしくなって、陽太にもう一度見てもらおうと思って。」
その言葉に、教室全体が静まり返った。陽太も、大地も、美香の意図を理解できないまま、ただ彼女を見つめることしかできなかった。美香はその沈黙に耐えられず、さらに言葉を続けた。
「これで、私も大地と同じように男らしいでしょ? 陽太、今度こそ私を見てくれるよね?」
陽太は困惑した表情を浮かべたまま、視線をそらした。そして、ゆっくりと首を横に振った。
「美香……坊主にしたからって、何も変わらないよ。君の気持ちは分かるけど、俺が大地を好きなのは、男だからじゃない。大地は大地だから好きなんだ。性別は関係ないんだ。」
陽太の言葉は冷静でありながら、優しさに満ちていた。それを聞いた美香は、胸の中が急に冷たくなるのを感じた。自分が何をしたのか、何を求めていたのかが分からなくなった。彼女は、自分が陽太に選ばれない理由が「女」であることだと思っていたが、そうではなかった。
「私……」
美香は思わず口を閉じ、言葉を失った。その場で、何もできずにただ立ち尽くすしかなかった。
その後、美香は黙って教室を出て行った。陽太は後を追おうとしたが、大地が彼の腕をそっと掴んだ。
「陽太……」
大地の声は静かだったが、その一言に含まれる感情は深かった。彼は陽太を引き止め、目をじっと見つめた。二人の間には、もう言葉では語り尽くせない何かがあった。美香のことも心配だったが、今ここで大地を見つめる陽太の表情には、彼女では感じたことのない特別な感情が宿っていた。
「大地……俺、君のことが本当に好きなんだ。昨日の夜から、ずっと君のことばかり考えてた。美香に対して申し訳ない気持ちもあるけど、それでも俺は君を選びたい。」
陽太は正直な気持ちを吐露した。美香への罪悪感は消えなかったが、自分の心を偽ることはできなかった。大地に対する想いが本物であることを、もう否定できなかったのだ。
大地はしばらく黙っていたが、やがて小さく微笑んで答えた。
「俺も……陽太、お前のことが好きだって、ようやく認められたんだ。ずっと変だって思ってたけど、もうそれを考えるのはやめた。お前と一緒にいるときが、一番幸せなんだ。」
二人はゆっくりと距離を縮め、自然に手を取り合った。その手の温かさに、二人は安心感を覚えた。何かに縛られることなく、ただお互いの存在を感じるだけで十分だった。
その後の昼休み、校舎の裏庭で二人は静かに並んで座っていた。周りには誰もいない。風が静かに吹き抜け、木々の葉がサラサラと音を立てている。
陽太はふと大地の肩に寄りかかり、その感触を確かめるように頭を預けた。大地もそれを拒むことなく、優しく彼の頭を撫でた。その手のひらの感触は、陽太にとってこの上なく心地よかった。
「こうしていると、不思議だな……今まで友達として一緒にいたのに、なんでこんなに特別な気持ちになるんだろう。」
陽太がそう呟くと、大地は小さく笑った。
「そうだな……でも、これでいいんだろうな。俺たち、自然にこうなったんだから。」
大地の言葉に、陽太は頷いた。そして、少しの間沈黙が続いた後、陽太が再び口を開いた。
「大地……俺、これからもずっと君と一緒にいたい。友達じゃなくて、恋人として。」
その言葉に、大地は少し驚いたが、すぐに顔をほころばせた。
「俺も、そう思ってる。だから、これからも俺の隣にいてくれよ。」
二人はそのまま、お互いの手を強く握りしめた。何も言わなくても、二人の間には確かな絆が感じられた。陽太の胸の中で、初めて自分の気持ちに正直になれたことが心地よく、これまで感じたことのない安心感が広がっていた。
それからしばらくして、美香は一人で校舎裏のベンチに座っていた。頭を撫でる手は、まだ坊主頭の感触に慣れていない。彼女は自分が坊主になったことで何かが変わると信じていたが、何も変わらなかった。陽太も、自分自身も。
「髪を切ったところで、私の中身は何も変わらないんだ……」
美香は呟き、ようやくその事実を受け入れた。髪を失ったことで、彼女は外見だけでなく、内面にも向き合わなければならないことを悟ったのだ。
彼女は涙を流しながらも、少しずつ新しい自分を見つけていくための一歩を踏み出す決意を固めていた。陽太と大地はもう手の届かない存在だが、それでも美香は自分の道を見つけなければならない。
エピローグ:それぞれの道
数か月が経ち、季節は冬を迎えていた。美香は、すっかり短くなった髪にも慣れ、少しずつ新しい自分を受け入れつつあった。最初は、自分を坊主にしたことで何かが変わると思い込んでいたが、髪がないことが彼女の内面を変えるわけではなかった。
それでも、美香は変わっていった。陽太への想いは完全に消えることはなかったが、少しずつ前に進むことができるようになった。陽太と大地が付き合い始めてから、美香は最初こそ二人を見るのが辛かったが、やがてその姿に嫉妬や怒りを感じることはなくなった。むしろ、彼らが自然に寄り添い合い、互いを大切にしている様子に、次第に安らぎを感じるようになった。
ある日、美香は屋上で一人風に吹かれていた。冷たい風が彼女の短い髪を撫でる。遠くの空には淡い冬の光が広がり、澄んだ青空が広がっていた。
「これで、良かったんだよね……」
美香はぽつりと呟き、空を見上げた。陽太と大地が恋人同士になったことは、彼女にとって大きな痛みだったが、今ではその痛みが徐々に癒えていくのを感じていた。二人の幸せを認め、自分の感情を受け入れることが、彼女にとっての成長だった。
一方、陽太と大地の関係は穏やかで、深まっていく日々を過ごしていた。最初は周囲の目を気にしていた二人だったが、今ではそんなことも気にせず、自然体で過ごせるようになっていた。友達として築いてきた長い絆が、恋人同士になっても変わることなく、むしろお互いの気持ちがさらに強くなっていった。
「大地、今日は何する?」
冬休みに入った二人は、放課後の時間を楽しむために一緒に出かけることが増えた。公園を散歩したり、映画を見に行ったり。二人で過ごす時間が、陽太にとっても大地にとっても、何よりも大切なものになっていた。
「陽太、お前と一緒なら、何でもいいよ。」
大地の言葉に、陽太は満足げに笑った。彼らの関係は穏やかで、焦ることもなく、ただ二人でいることが自然だった。男同士ということに戸惑っていた頃が、今では懐かしいくらいだった。
ある日、美香はふと大地と陽太が仲良く並んで歩いている姿を目にした。二人は特に何をしているわけでもなく、ただ自然に笑い合っていた。それを見た美香は、もう痛みを感じることはなかった。むしろ、彼らの姿に少しだけ微笑みさえ浮かべていた。
(彼らには彼らの道があるんだ。私にも、私の道がきっとある。)
美香はそう思い、深く息を吸った。彼女の未来はまだ見えないものだったが、少しずつ自分の足で歩いていく力を感じ始めていた。これから先、何が待っているのかは分からない。それでも、美香は新しい一歩を踏み出す覚悟を決めていた。
坊主になった自分も、昔の自分も、すべてが今の美香を作っている。そのことを美香はようやく理解した。
その日、美香は校舎の裏で陽太と大地に会った。二人は彼女を見て、少し驚いたような表情を浮かべたが、すぐに優しい笑顔を見せた。
「美香、元気そうでよかった。」
陽太の言葉に、美香は小さく頷いた。そして、穏やかな声で答えた。
「ありがとう、陽太。もう大丈夫。私、前に進めるから。」
大地も静かに微笑んでいた。その優しさが、美香の心を軽くした。
三人はしばらく何も言わずに立っていたが、何かが変わったことをお互いに感じていた。それぞれの道は違っても、どこかでまた交わることがあるかもしれない。そんな思いが、三人の心に静かに広がっていった。
こうして、彼らはそれぞれの未来に向けて一歩を踏み出した。陽太と大地は、恋人としての新しい日々を歩み始め、美香もまた、自分自身の新たな道を見つけるために進んでいく。
空は広く、未来は無限に広がっている。美香は自分の坊主頭を軽く撫で、柔らかく微笑んだ。
「これからが、本当のスタートだ。」
冷たい風が吹き抜け、空高く鳥が飛び立っていく。
21
お気に入りに追加
5
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(1件)
あなたにおすすめの小説

光る坊主に恋をして
S.H.L
BL
姉が父親から厳しい罰を受け、長い髪を失い丸坊主にされたことをきっかけに、坊主頭に特別な感情を抱くようになった中学生の拓。強く生きる姉の姿に影響を受けた彼は、やがて同級生で野球部エースの中村大地に惹かれていく。初めての感情に戸惑いながらも、少しずつ自分の気持ちを認め、大地に対する想いを募らせていく拓。彼の恋心は、やがて大きな決断へと繋がる――坊主頭を通じて繋がる心の絆と、初恋の切なさを描いた青春BLストーリー。
【短編】乙女ゲームの攻略対象者に転生した俺の、意外な結末。
桜月夜
BL
前世で妹がハマってた乙女ゲームに転生したイリウスは、自分が前世の記憶を思い出したことを幼馴染みで専属騎士のディールに打ち明けた。そこから、なぜか婚約者に対する恋愛感情の有無を聞かれ……。
思い付いた話を一気に書いたので、不自然な箇所があるかもしれませんが、広い心でお読みください。

君と描く未来
S.H.L
BL
高校2年生の桐生蓮は、同じクラスの人気者・藤堂隼人に密かな想いを抱いている。しかし、内気な性格の蓮は彼に気持ちを伝える勇気が持てず、ただ美術室で隼人のスケッチを繰り返す日々を過ごしていた。そんな中、二人の先輩である新藤奈々美が、ある決意を胸に自らの髪を坊主にする姿を見て、蓮は自分の気持ちに向き合う勇気を得る。そして少しずつ隼人との距離を縮め、やがて互いの心が通い合う瞬間が訪れる。
友情、葛藤、そして恋。自分を隠して生きてきた二人が、本当の自分を見つけていく過程を描く、切なくも温かな青春ラブストーリー。

侯爵令息セドリックの憂鬱な日
めちゅう
BL
第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける———
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。
【完結】悪役令息の従者に転職しました
*
BL
暗殺者なのに無様な失敗で死にそうになった俺をたすけてくれたのは、BLゲームで、どのルートでも殺されて悲惨な最期を迎える悪役令息でした。
依頼人には死んだことにして、悪役令息の従者に転職しました。
皆でしあわせになるために、あるじと一緒にがんばるよ!
本編完結しました!
『もふもふ獣人転生』に遊びにゆく、舞踏会編、はじめましたー!
他のお話を読まなくても大丈夫なようにお書きするので、気軽に楽しんでくださったら、とてもうれしいです。

青少年病棟
暖
BL
性に関する診察・治療を行う病院。
小学生から高校生まで、性に関する悩みを抱えた様々な青少年に対して、外来での診察・治療及び、入院での治療を行なっています。
※性的描写あり。
※患者・医師ともに全員男性です。
※主人公の患者は中学一年生設定。
※結末未定。できるだけリクエスト等には対応してい期待と考えているため、ぜひコメントお願いします。


乙女ゲームのサポートメガネキャラに転生しました
西楓
BL
乙女ゲームのサポートキャラとして転生した俺は、ヒロインと攻略対象を無事くっつけることが出来るだろうか。どうやらヒロインの様子が違うような。距離の近いヒロインに徐々に不信感を抱く攻略対象。何故か攻略対象が接近してきて…
ほのほのです。
※有難いことに別サイトでその後の話をご希望されました(嬉しい😆)ので追加いたしました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
美香が成長できてよかった。坊主にしてしまって女性としては損失したかもしれないけど、坊主にしてまでも陽太に振られたという事実が美香を変えていったのだと思う。結果、坊主にしてよかったと思う。