瞳の石と魔女の物語

結城鹿島

文字の大きさ
上 下
21 / 30
3章 傷の瞳のシーレ

12

しおりを挟む
王宮の前の広場は王宮の一部だが、庶民にも解放されている。何かあれば人が集められ、夏祭りには王宮の楽人が演奏を披露する場所だ。王宮側と市街側、入り口は二か所。王宮側の門は閉じられている。市街側に門はない。
広場の真ん中にシーレは座っていた。野外で使う折り畳み式の椅子に腰を下ろし、市街側の入り口を睨んでいる。今は、雪は止んでいる。兵士たちに自分の周りだけ雪かきをさせたが、その内また雪は降ってくるだろう。

周りには誰もいない。散々渋い顔をされたが、シーレの剣の腕を知っている近衛の隊長が結局折れた。不意を突かれさえしなければ、非力な少年に後れをとることはないだろう、と。軍の長官は最後まで不服そうな顔をしていたが、広場全てを見渡せる塔に弓兵を置くよう命じたら、それで納得した。

シーレは眼帯をとった。
灰色の空は、時間の感覚を狂わせる。時間が過ぎているのか、それとも時間さえ凍ったのか、わからなくなりそうだ。
シーレは、ただひたすらに待った。
街中から音が消えている。雪の降る音さえ、聴こえるだろう。
どれほど経っただろうか、やがて、市街側から人影が現れた。
エミレだ。
汚れた布で顔の左側を覆っている。女のような顔には酷く不似合いに思えた。他は森の魔女のところで見たのと同じ格好をしている。

「エミレ」

シーレは立ち上がらない。エミレが広場に来るのを待つ。

「兄上、あちこちに掲げられた立札を見ました。お呼びに応じてまいりましたよ」

一つだけになった青い瞳で、挑むようにシーレを睨みつけてくる。
シーレは右目を凝らした。鏡の瞳に映っているのは、自分自身だった。それしか見えない。
何か、もっと『何か』が分かると思ったのに。思っていたよりも、失望が広がり、期待をしていた自分を自覚した。それを押しこめ、エミレを見据える。

「お前も俺を憎んでいるんだな」

フィリオラの泣き笑いが消えないシミのように、シーレの心にこびりついている。
なぜだか、エミレは叩かれたような顔になった。足をとめ、項垂れる。広場に静寂が戻った。そして何か覚悟を決めたように、再びシーレに歩み寄ってくる。
「兄さま、覚えていますか――?」
白い影がシーレの顔の前を横切った。いつから降っていたのか、雪が舞っている。
兄さま、と昔と同じ呼び方に、何かがひっかかった。塔に目をやると弓兵が矢を引いている。つられたように、エミレの視線も塔へ向いた気がしたが、エミレは動かなかった。

「やめろ!!」

風を切る音。
制止の声は間に合わず、エミレの身体に矢が突き刺さる。
「やめろ!」
叫びながら、庇うように射線の間に、身体を入れる。これで追撃はこない。
倒れこんだエミレを慌てて抱き起こす。倒れた衝撃で、顔の左を覆う布がずれていた。シーレは反射的に仰け反ったが、炎は上がらなかった。

「……なんだこれは。エミレ!」

炎の瞳が入っているはずの左目は、瞼が縫い付けられていた。
これでは、炎の瞳は使えない。瞼が開かないのだから。

「どういうことだエミレ!」

なぜだ。
なぜ?
疑問符がとめどなく湧いてくる。

「兄さま、私を担ごうとした連中の、陰に隠れて、もっとタチの悪いのが……。南方諸国と繋がって、います。これまでの証拠をまとめて、庭に隠してありますから、……王位につ、いたら……使って下さい。兄さまの敵を処分してください」


「は………………?」


突然何を言っているのかこいつは。頭でもおかしくなったのだろうか。
言葉が理解できず、シーレは混乱するばかりだ。
とにかく血を止めなければならない。刺さったままの矢を短く折る。抜く前に、傷口を確認しなければ。外套を脱がせ、上着を切り裂いていく。血を吸った綿入れの上着が冷たい。下着まで切り裂くと、その下に真っ赤に染まったさらしが、目に入った。きつく捲かれたさらしで抑えられているのは――乳房の膨らみ。

「女……だったのか?」

困ったような顔でエミレが微笑んだ。
「ごめんなさい、兄さま。嘘をついて……」
シーレの頭の中が真っ白になった。

「黙れ」
「ごめんなさい」
「うるさい黙ってろ!!!!」

矢が刺さった位置がまずい。血が止まらない。抜けば余計に血が出るだろう。せめてもっと上等な綿入れの上着だったなら、いくらか矢を阻んだかもしれないのに。
「誰か!医者を――」
塔に向かって叫びかけて、シーレは声を詰まらせた。
人を呼んでいいのか。エミレが本当は女だとばれていいものか。今まで王が騙されていたということにならないか? 傷を治すことが出来ても、助けられるか?
そもそも、ここへエミレを呼んだのは、シーレの命令だった――。
ここでエミレを待ち受け、
(…………一体どうするつもりだった?)
何を言うつもりだったのか。シーレは自分がわからなくなった。

シーレの迷いを察したのか、エミレが言った。
「いいんです、兄さま」
エミレはくしゃくしゃに顔を歪め、首にかけた袋から星飾りを二つ取り出すと、シーレがくれてやった方を握りしめた。そしてもう一つ、紐の絡まった星飾りをシーレに押し付けてきた。やはり、シーレが魔女の家の椅子に置いたのに気づいて、持っていったのか。
そして唐突に悟る。

「そうか……。あれはお前か……」
エミレの女かと思った少女は、本人だったのだ。自分が貰ったものだという、あの言葉はまさしくそのまま、額面通りのことだった。
エミレは、悪戯めいた笑みを口元に浮かべた。
しかし、すぐさま表情を改め、
「ギレス様には……申し訳ない事を、しました。女の格好で、人に会っているのを、見つかってしまったのです。どうしたらいいか、わからなくて……」
まだ、シーレには知らされたくなかったから、他にどうしたらいいかわからなかった、という言い訳が瞳の奥に見えた。さらにその奥に、嫉妬や、執着、言葉にされない複雑な思いまでも見たくないのに観えた。
「――あれはよく目の利く男だからな」
エミレの息が目に見えて短く荒くなっていく。
息が白むことにすらシーレは腹が立って仕方ない。

「最初に、嘘を吐いたのは母です。な、ぜかは、聞きませんでした……。私が、嘘に、乗ったのは――姫では……早々に、結婚させられて……しまうでしょう?」

確かに他の妹たちと同じように、そうなっただろう。そもそも妹ならば、幼い頃ああして一緒に遊ぶことはなかっただろう。
エミレはシーレの考えを読んだのか、頷いて
「――それが嫌だったのです」と言った。

シーレは何も言ってやることができない。
ただ何かをしなければという思いが、身体の中で吹き荒れる。溢れる血を拭い、髪に積もる雪を払ってやった。エミレの身体はおそろしく冷たい。血というものは温かいはずではなかったのか。
いや、血は暖かいのだが、すぐに冷えていく。
せめても、雪を遮るために、シーレはエミレの上に覆い被さった。
やはり、鏡の瞳に映るのは自分のことだけだ。真正面から観ればその意味を、嫌でも正確に突きつけられる。

――側に居たかった。
――眼に映らないくらいなら、許されないくらい憎まれたかった。
――だから、フリをした。嫌がる道を選ぶのだと。
――だから、炎の瞳を選んだ。
――兄さま、

「……っ」

エミレの中にはシーレへの思いだけだった。雪のように降り積もり、積もった想いは押しつぶされて硬い氷のようになっていく。けして解けることのない銀湖のように。

「どこにも、行きたくなかった、んです。困らせて……ごめんなさい。でも、最後にちゃんと、役にたちますから……」

(やめてくれ。俺を見るな、エミレ)

「兄さま……私が、雪が、好きなのは……綺麗だからじゃ、ありま、せん……。雪が降れば、冬になれば……兄さまが、会いにいらしてくれるから……です」

涙がエミレの青い瞳から零れることはなかった。零れる間もなく凍りついたから。
力なく、瞼が閉じられていく。
なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ。シーレの心の中はなぜ?の嵐だ。
大事にしてこなかったからといって、大切に思っていなかったわけじゃない。
なぜ、こんなことに。
もっと別の方法だって、あったじゃないか。もっと別の形で魔女に願えば――そう思っては、すぐさま自分自身が反駁する。
エミレが炎の瞳を手に入れなければ、シーレ自身が相対しようなどとは思わなかった。
いや、魔女の元へ行く前に、もっと何か別の方法があったんじゃないか――?
女だと知ったら、それきり。
エミレ自身にはなんの力もない。

(この眼に映らないくらいなら憎まれたかった……だと?)
シーレがエミレを見てこなかったことは、シーレ自身が知っている。
けれど。

「……なぜだ……」

「教えてあげようじゃあないかね」

魔女の声が、どこからともなく響いてくる。視界の隅に影が揺らめいている。

「その娘がどうしようもなくお前を愛していたからさ」

(やめろ)

「お前が嫁をとる前に、傷を残したかったんだよ。決して自分を忘れないように――」

やめろ、貴様がエミレに炎の瞳を渡さなければ。

「――殺されたかったんだ、お前に」

「黙れ死にたがり!!!」

影の魔女は逃げ出すように霧散した。
兵士たちの靴音が近づいてくる。黒々とした魔女の姿は遠目にもよく見えるから、シーレを守るためだろう。
しかしどうだっていい、もう。

「…………目を開けろ。おい。……間抜けな顔で笑うな」

エミレを揺するが返事がない。
何も考えずにシーレはエミレの目をこじ開けた。右目は簡単に開いた。あとは左目だ。なんだ、こんな糸で止めやがって。邪魔だ、邪魔だ、邪魔だ。ナイフで切ってしまえ。
かじかむ手で糸を切っていく。ああ、これでいい。目が開く。
だから、はやく、起きろ。エミレ。

そして、広場の真ん中で炎が上がった。



季節は緩やかに進み、一つの名前が忘れられた。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ああ、もういらないのね

志位斗 茂家波
ファンタジー
……ある国で起きた、婚約破棄。 それは重要性を理解していなかったがゆえに起きた悲劇の始まりでもあった。 だけど、もうその事を理解しても遅い…‥‥ たまにやりたくなる短編。興味があればぜひどうぞ。

私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?

水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。 日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。 そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。 一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。 ◇小説家になろうにも掲載中です! ◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています

【完結】言いたいことがあるなら言ってみろ、と言われたので遠慮なく言ってみた

杜野秋人
ファンタジー
社交シーズン最後の大晩餐会と舞踏会。そのさなか、第三王子が突然、婚約者である伯爵家令嬢に婚約破棄を突き付けた。 なんでも、伯爵家令嬢が婚約者の地位を笠に着て、第三王子の寵愛する子爵家令嬢を虐めていたというのだ。 婚約者は否定するも、他にも次々と証言や証人が出てきて黙り込み俯いてしまう。 勝ち誇った王子は、最後にこう宣言した。 「そなたにも言い分はあろう。私は寛大だから弁明の機会をくれてやる。言いたいことがあるなら言ってみろ」 その一言が、自らの破滅を呼ぶことになるなど、この時彼はまだ気付いていなかった⸺! ◆例によって設定ナシの即興作品です。なので主人公の伯爵家令嬢以外に固有名詞はありません。頭カラッポにしてゆるっとお楽しみ下さい。 婚約破棄ものですが恋愛はありません。もちろん元サヤもナシです。 ◆全6話、約15000字程度でサラッと読めます。1日1話ずつ更新。 ◆この物語はアルファポリスのほか、小説家になろうでも公開します。 ◆9/29、HOTランキング入り!お読み頂きありがとうございます! 10/1、HOTランキング最高6位、人気ランキング11位、ファンタジーランキング1位!24h.pt瞬間最大11万4000pt!いずれも自己ベスト!ありがとうございます!

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

君を愛することはないと言う夫とお別れするためのいくつかのこと

あかね
恋愛
フレアとは結婚式当日夜に君を愛することはないと言われ、愛人の存在を告げられたことにより、ショックを受けることもなく婚姻を無効にするため、実家連絡をするような女である。そして、昔好きだった相手が襲来し、再婚の予約をしたので、さっさと別れたいと夫を元夫にすべく丸め込むのであった。

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

【完結】辺境伯令嬢は新聞で婚約破棄を知った

五色ひわ
恋愛
 辺境伯令嬢としてのんびり領地で暮らしてきたアメリアは、カフェで見せられた新聞で自身の婚約破棄を知った。真実を確かめるため、アメリアは3年ぶりに王都へと旅立った。 ※本編34話、番外編『皇太子殿下の苦悩』31+1話、おまけ4話

悪役令嬢にざまぁされた王子のその後

柚木崎 史乃
ファンタジー
王子アルフレッドは、婚約者である侯爵令嬢レティシアに窃盗の濡れ衣を着せ陥れようとした罪で父王から廃嫡を言い渡され、国外に追放された。 その後、炭鉱の町で鉱夫として働くアルフレッドは反省するどころかレティシアや彼女の味方をした弟への恨みを募らせていく。 そんなある日、アルフレッドは行く当てのない訳ありの少女マリエルを拾う。 マリエルを養子として迎え、共に生活するうちにアルフレッドはやがて自身の過去の過ちを猛省するようになり改心していった。 人生がいい方向に変わったように見えたが……平穏な生活は長く続かず、事態は思わぬ方向へ動き出したのだった。

処理中です...