瞳の石と魔女の物語

結城鹿島

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3章 傷の瞳のシーレ

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シーレが息を吸う一拍の間をフィリオラが遮った。
「王子様がそんなお顔でいらっしゃるということは、あの子がどんな風に暮らしているかは想像がつきます。王子様がもうすぐ結婚なさることも、知っています。こんな暮らしですけれど」
そこでフィリオラはひっそり苦笑した。
「――あの子の考えはあの子の考えです。邪魔になるようなら、王子様の気の済むようになさって下さいな。私には望みはありません」

気負った風でもなく、柔らかに言われ、シーレは当惑した。
(邪魔になるなら好きにしろだと?)

「……いいのか? 貴女はそれで。もしアイツが愚かな考えを起こして罪に問われれば、貴女も連座だぞ?」
「王子様、私、もう長くないような気がするんです」

じっと顔を見れば、その言葉も冗談ではないように思えた。
「私には責任がありますもの……。どうなっても構いませんわ……」
シーレはこんな開き直りを期待していなかった。どうなっても構わない、何も望みがないなど。
「貴女から、何が望みなのか聞いてもらえないだろうか? できれば、身の丈にあったものを望むように、言ってはくれないだろうか」
フィリオラの瞳に疑問が浮かんでいる。なぜ、あの子を気遣うの?と。
今まで放っておいたのだから、当然の疑問ではある。
しばらくシーレは言葉を探した。いくつも言い訳を浮かべ、結局は一番初めに浮かんだことを素直に口に出す。

「出来れば、弟をルルージャに送るようなことはしたくない」

ルルージャはクルーガ最北の土地の名前だ。それ以上先の土地には名前がない。
開闢以来溶けることのないという、銀湖ぎんこに最も近い極寒の地だ。
名目上は太守として送ることになるが、ルル―ジャへ行って帰ってきた貴族は居ない。つまりルル―ジャは貴族の流刑地なのだ。

「王子様は、あの子を……兄弟だと思って下さっているのですね……」

ずっとほったらかしにしていたが、なにもかも忘れたように片付けるのは躊躇する。その程度には幼い頃のことを得難いものだと思っているし、またエミレとフィリオラ二人の現状に罪悪感がある。シーレはぎこちなく頷いた。
王としては甘いだろう。自覚はある。
だが、手放してしまったら魂まで凍り付いてしまう。そんな気がした。
「大人しく臣下に下るか、庶民になるなら、暮らしのたつようにする。――会うことがあれば、そう貴女から伝えて欲しい」
フィリオラは小さな子の我がままを受け入れるように笑って、ただ頷いた。

                 ◇

どうやら、伝言は伝わっていないらしい。
近頃、シーレに不満を抱く連中の夜会でエミレの姿が頻繁に目撃されている。
「下級貴族の他には商人たちが集まっているようですね」
報告するギレスの顔が曇っている。
「商人たちにとっては、俺より扱いやすい相手の方がいいだろうからな」
国を治める貴族は王に従うが、商人や民はそんなものは無くてもいいといつも言う。それでいて、王がいなくなれば国は荒れて治まらない。

「……シーレ様、いっそ直接お話になられては?」

ずっと頭にあったのだが、ずっと保留にしてきた選択肢を改めて突きつけられて、シーレは怯んだ。

「そこまで気に病んでいるなら、そうした方がいいかもしれません。きちんと護衛はつけますが。どんな道を選ぶことになっても、お逃げになるなんて、シーレ様らしくありませんよ」
「ギレス!」
「王宮の方も片が付いたことですし。そうなさったらどうです」

リウレシアから来た侍女たちの反発を受けながらも、漸く姫と暮らす新居が整ったのだ。
侍女たちは部屋の設えは万事リウレシア風にと望んだが、もしもこの冬を越えても気に入らなければそうすればいい、との説得に折れてくれた。クルーガ風に文句を言っているようだが、シーレには絶対侍女たちが折れる自信がある。クルーガ風の基本は寒さを凌ぐことだから、だ。

結婚の準備は、とっくにシーレ自身がやらなければならないことはない。
シーレは両手を上げて、ギレスに降参した。
「……手紙を出してくれ」

                 ◇

エミレは手の中の手紙を何度も読み返した。差出人はシーレだ。兄の侍従から直接、直筆の手紙を渡された時は緊張で息が止まるかと思った。
セグラの屋敷で待つという内容に首を傾げつつも、エミレは久しぶりに自宅に向かっている。新市街の門を潜り、あとは通りを一本曲がるだけ。いつものように通りを曲がって見えた光景にエミレは茫然とした。
「これ、は……」
すっかり荒れていた屋敷が蘇っている。まるで幼い頃、兄と過ごした日々のように。流石に切られた庭木は戻らないが、きちんと片づけられている。
門に立つ衛兵を脇目に、玄関ホールへ駆け込むと。見たことのない使用人が、居間に兄を通していると知らせた。その声を無視し、敷きなおされた絨毯の上を駆けていく。母フィリオラの元へ。

「母さま!」
フィリオラの部屋も、変わっていた。寝台の周囲を覆うカーテンが新しくなっている。これなら冬の寒さも防げるだろう。灯りも、安物の油の鼻につく嫌な匂いがしない。
「エミレ?」
母だけはそのまま、疲れ切った瞳をエミレに向けてきた。

「母さま、これはどういうことですか」
「王子様が下さったのよ。なぜ怖い顔をしているの?エミレ」

なぜだと聞くのか。腹を立てても決まりきった微笑しか返ってはこない。それは、とっくに学習したことだ。エミレは母親から顔をそむけた。
親子のはずなのに、かみ合わない。もっとも、誰ともかみ合った覚えはないが。

「……何か、兄上に言いましたか?」
「いいえ。私は何も」
「……そうですか」
「もう王子様には会ったの?」

踵をかえしながら「いいえ、今からです」とエミレは答えた。
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