クッカサーリ騒動記

結城鹿島

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5女王、憤る

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ラズワルディアの地方都市、クッカサーリと境を接する一帯では騎士団の影は薄い。
北方のヤローニャやグリシア公国と接する地域では、堅固な城塞に大規模な騎士団を擁しているが、クッカサーリ周辺では貴族の城館が騎士団の基地になっている。
クレーグラの隣に位置する街の端、とある貴族の瀟洒な城館。
その地下牢にエルマは繋がれていた。
抑えた足音が近づいてくるのが耳に届いて身構える。もっとも両腕両足を拘束されているので、したのは心構えというべきかもしれない。
現れたのは予想した誰でもなかった。

「……なんで?」

クッカサーリでエルマを掴まえた青年だ。確かヨニとか呼ばれていた。

「なんでこんなところに居るのさ?」

彼にはこんな暗く湿った地下牢は、いや、ラズワルディアが似合わない。祝福された土地から、なんでこんなごみ溜めにやってきたのだろう。

「助けにきた相手になんだよ、その態度は」
「だからなんで?」

ヨニは口を開くより先に牢の鍵を開け、エルマを拘束する鎖も次々に外していった。その手並みのなんと鮮やかなことか。作業をしながら、

「俺もアンタと同じなんだよ。あのくそ宰相の企画した暗殺者の初期型なんだぜ」

あっさりと答えた。
軽い口ぶりに反して重い告白に、エルマは驚きのあまり絶句する。

「先輩って呼んでいいぞ」
「そ――、そんなわけない。クッカサーリの貴族に仕えてるじゃない。あ、いや、間諜なの?」
「そうじゃないんだわ。そう呑気に話す時間があるわけでもないんだけど……信用してもらわないとだしな」

ヨニは語り始めた。

「俺は、先代のクッカサーリ王を殺すために作られた暗殺者だったんだよ。でも、止めて、今は女王の侍従をやってる」
「………………はあ?」

                 ●

――『だあれ?』

悪夢にでも起こされたのか、真夜中に半泣きのティルダと王宮の廊下で鉢合った時、ヨニ――当時は番号で呼ばれていた――は、とるべき行動をとり損ねた。目撃者は即座に排除が最適な行動だったのに、あまりにも稚い少女の仕草に毒気が抜かれたのだ。
もっとも、ヨニだって少年だった。七年前、当時十三歳になった頃。ティルダは三つ下だから十歳だった筈だが、年より幼く見えた。
物心ついた時からヨニは一人で仕事をしていた。
いつぞや親子のフリでクッカサーリを探りにきていた二人組など、随分と恵まれている。子供一人、自分のフォローは自分でするしかない。

――『困ってんだ。迷子になっちゃって』

質問には答えず、ヨニはそんなことを言ってごまかした。小国とはいえ、真夜中の王宮にどこのだれだか分からない子供が迷いこむことなんてあるわけないのに。ティルダは近づいてきて「お大事に」などとよくわからない事を言った。
おまけに、飴をくれてやったら喜んで、完全にヨニの存在への疑問をどこかにすっとばし、満面の笑みを浮かべた。ラズワルディアの王城で作られている上質な飴なので、旨さに色んなことがどうでもよくなったのかもしれない。

――『王さまに会いたいんだ』

一か八かでそういうと、飴のおかげなのか、ティルダは「案内してあげる!」とヨニの腕を掴んだ。
引っ張られながら、ヨニは罪悪感をほんの少し感じていた。物のわからない子供に暗殺対象の親の元へ案内させるなんて自分はろくでなしだ、と。
ラズワルディアとは比較にならないほど小さな王宮を進み、やがて一つのドアの前に辿り着いた。

――『父さまはここ』

思い切りドアをノックされ、ぎょっとしたものの、中からすぐに応答が返ってきた。
国王が眠っていなかったことを知って、そこで出直すべきだったかもしれない。
しかし、ヨニは少女の手を振り払えなかった。どうしてだか。

――『どうしたんだい? おねしょでもしたかな?』

ドアを開けたのは人の良さそうな男だった。ラウリ・ユハ・リステェリ、クッカサーリの先代国王は、娘と手を繋ぐ不審な少年の姿を見て驚いたのも一瞬、破顔した。

――『きみ、ウチで働かない? ほら、おいでよ』

ヨニは呆気にとられ、招かれるまま部屋に足を踏み入れた。隠し持つ短剣に意識を集中させながら。
「ちょっと待って」とティルダを長椅子に寝かしつけ、そしてラウルはヨニに向き合って再度の勧誘を始めた。

――『ご主人様よりもっといい報酬だすから、ウチで働かない?』
――『なんだよ、俺があんたをどうするつもりなのか、わかって言ってるのか?それとも、命乞いしてるのか?金で命乞いができるとでも?』
――『違う違う。うちは王家と云っても財産はそんなに無いんだよ。もともと逃げてきた聖神教徒たちが興した国なわけだから。お金なんて出せません』
――『じゃあ、もっといい報酬ってなんだよ』
――『うん。君に家族をあげよう! もっと沢山、じゃなくてもっと物って言っただろう?』

ぱんぱかぱーんと効果音でも付きそうな笑顔でラウルが言った。アレクシスと似ているのに、絶対にアレクシスがしないようなご機嫌な表情は、たまに思い出して笑ってしまうほど呑気だった。
ヨニは怯んだ。なんだか、ごっそり殺意が持っていかれたような気がする。
家族をあげる? その言葉が意味するものを考え、溜息をはいた。

――『……娘を暗殺者にくれてやるってのかよ。あんた馬鹿じゃないのか』
――『お、食いついたね。でも娘じゃないよ。いや、まあ娘が嫌じゃなかったらそれはそれでいいけど、もーっと沢山だよ。この国は、みんな家族みたいなものなんだ』
――『は……?』
――『この平和な国の全員が君の家族さ』

ヨニは必死に目の前の男の意図を考えた。一体、何を言っているんだろう。

――『……居住の許可ってことか?』

クッカサーリは余所者が居つくのは難しい。それは一応、いい取引と云えるのかもしれない。上役にも知られてない隠れ家の一つくらい欲しいと思うし。
そうじゃないと首を振って、ラウルはヨニに視線を合わせるためにしゃがみこんだ。

――『ここに居れば君の安全と平穏を保障するよ。君はだれも殺さなくても済む』

まるでただの子供にするように、ラウルはヨニの頭を撫でた。あの時の気持ちはきっと一生忘れない。

――『ここクッカサーリでなら君も幸せに生きられるだろう』

暗殺者にするために拾われ、育てられてきたヨニはそれまで思わなかったのだ。王様が、自分を殺しに来た暗殺者の幸せを願うような、そんな国があるなんて。

                 ●

「……まるでおとぎ話みたい」

エルマの呟きにヨニは苦い笑いを返す。

「そう奇跡みたいだろ。まあ、あの小ささあってのことだけどな。さあ、出ろよ」

拘束が外れ、自由になったエルマはその場で手足をぶらぶらさせている。
未だに怪訝な顔で、どうしたらいいか悩んでいるようだ。

「まあ、先代もお人よしってだけじゃなく、俺がクッカサーリに居るのが斬り札になるっていう計算あってのことだから。あんたが逃げるのも同じ、ラズワルディアへの牽制になるだろ」

内情を知る人間が逃げ、告発されるかもしれないリスクをずっと抱えていかなければならないい。それがただの可能性でも、重石くらいにはなる。
エルマはうへえと顔を歪めた。

「一生捕まるなよ、っていうこと? でも、あのくそ宰相から逃げきれってのは結構な注文じゃないさ」
「あいつ陰険だからな」

追っ手は常に差し向けられるだろう。
ヨニもクッカサーリから出たらどうなるかわからない。クッカサーリにいるからこそ、呑気に暮らしていられるだけだ。それをわかっていても、ティルダの眉間の皺をとりたくて、自分の後輩を見捨てられず、こうして外に出て来てしまった。
ティルダは、ヨニの身を慮って命令はしなかったのに。

「まあ――ここで黙って処分されるのは癪だし、逃げる。書類はどこだって、あんまり煩いから、とっくに燃やしたって言っちゃいたくなってきたところだったし。とりあえず逃げることにする」

エルマは何度か屈伸を繰り返した。

「よし……、動けそうかな。本格的に拷問される前で助かったあ」

「俺がそこのドアを出て百秒数えたらアンタも出発な。階段を上って、通路に出る前に三十秒待って、それから左手に走って、二つ目のドアに入ってまた百秒待て。俺が反対側で騒ぎを起こすから、確認したらとにかく北に走れ。厨房から外に出るドアを開けておくから、そっから出ると黒毛の犬が居るから」

そこで一旦言葉を切って、懐から布を取りだしてエルマに手渡す。

「これを渡すと、犬がアンタを案内する。行き着いた先に馬と荷物を用意してあるから、着替えて逃げろ」
「わかった」
「時間は鼓動の早さで数えろよ」

そう云うと、ヨニは走り出した。
その背中を見送り百秒数えている最中、エルマはなんだか可笑しくなってきた。
鼓動の早さで時間を数えるのは、エルマも仕込まれた。歩数で距離を計ることなどと一緒に暗殺のために教え込まれることだ。常に平常時の鼓動で居られるように訓練もする。

「……ほんとに先輩なのか」

それが今は聖神教会を有するクッカサーリで女王の侍従をしているとは……。

「んん?」

ということは、あの少女が女王か?
驚きに浸りたいところだけれど、もう時間だ。警戒しつつ牢を出る。縛られて意識のない見張りの騎士を横目に、階段を上り三十秒待つ。それから三方に伸びる廊下を左へ走る。
二つ目のドアに入るとそこにも意識のない騎士が転がされていた。髭でも書いてやりたいが残念なことに絵の具がない。
そんなことを思っていたら、人の声が屋敷の反対側に集まっていくのが分かった。

「あとはとにかく北へだったっけ……」

この調子なら警備の人間と鉢合わせることはなさそうだが、緊張しながら外へ出た。
部屋数は多いが、一般的な作りの貴族の館だから迷わず厨房へたどり着いた。屋外に通じるドアの鍵は本当に開いていた。
細くドアを開け、様子を窺うと至近距離に夜とに溶け込んだ黒い犬がいた。犬は、「わふ」とエルマに挨拶するように控えめに鳴き声をあげた。

「案内よろしく」

エルマは合図の布を犬の前に落とす。と、犬は布を咥えて走り出した――

一方、エルマの髪の色に似たカツラを被ったヨニは大立ち回りの末、フラーが向かうのと真逆の方角に逃げた。

                 ●

ラズワルディアの宰相には、76番は逃亡、外部より何者かの手引きアリ、証拠は回収ならず、76番の行方は引き続き追跡中、そんな内容の報告書が届けられた。

「もっとクッカサーリで粘ってくれればよかったものを……」

と、報告書を読んだ宰相は零したが、この案件は完全に部下に委ねた。なにせ、やることはいくらでもあるし、済んだことにいつまでもかまけてはいられない。
育てた道具が逃げたのも初めてではないし、敵はどこにでもいる。幾らか煩わしいが、それだけのこと。

クッカサーリに激震をもたらした一件も、大国ラズワルディアにとっては、些細な出来事なのだった。
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