クッカサーリ騒動記

結城鹿島

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5女王、憤る

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翌日、ティルダが遅い昼食を無理やり喉に押し込んでいると、ヨニと一緒にキーラがやってきた。

「陛下、残り三十まで絞れましたよ」

昨日の書類の、ずらずらと並んだ名前の大半に線が引かれている。残りは僅かだ。

「昨日の今日ですごいわね。でもこれ、マルフィルコリナの旅券の人ばかりなのは何故?」

ヨニが妙な顔で一瞬固まった。

「あーえっとな。偽造じゃないけど不正な旅券があるって発覚してな。それがマルフィルコリナで作られているって分かってたからだな」
「前から知っていて泳がせていた、って口ぶりに聞こえなくもないのだけれど?」
「あー、まあ、ぶっちゃけるとだな、そう。知ってた。だから早く絞れってのもあるな」
「大事なことはちゃんと報告なさい、全く。で、その件についての対策は?」
「国外の司教の任命権も聖神教会にあるけど、ほら地元との兼ね合いがあるだろう? 不正な旅券を発行してる司教ってのがマルフィルコリナの元王族だったもんで、簡単にやめさせられないし、後任が難しくて色々難航してるところ、だったかな。詳しいことは自警団のネストリさんに聞いて貰わないと……」

説明されれば理解はできる。

「なんで黙っていたのよ。まったく……。それはいいわ。これ明日中に見つけられるかしら」
「多分な。最後の何人かは尋問することになるだろうけど」
「――わかったわ」
「んじゃ、陛下はちゃんと午後の残りの仕事に励めよ。俺が居なくても寂しがらずにな」

よしよしと頭を撫で、ティルダの反応も見ずにヨニは踵を返した。昨日から緊張しっぱなしだからか、やけにヨニが甘やかしてくる。
腹立たしいことに、ちょっとほっとした事実からティルダは目を背けることにした。
キーラがにやにや笑いを浮かべてこちらを見ていたので、顔には苦虫を噛みつぶしたような表情を張り付けていたけれど。
それからベッドに入るまで、何をしていたのか全く記憶にないくらい、ティルダは仕事に集中して過ごした。

                 ●

寝覚めの悪さにティルダは盛大に顔を顰めた。
今日で三日目だからというのもあるが、ヨニに叩き起こされたせいでもある。
文句を言いたくなるが、何かあったら伝えてと言っていたことを思い出してティルダは欠伸を飲みこんだ。窓の外へ視線をやれば、起床時間にも遠くはない。

「陛下、これが届いたぞ、サクルから」
「ん、ありがと。流石に早いわね」

本当に鳥なんじゃないかと思う程の速さだ。僅かな時間が惜しくて、ベッドの上で書類を捲っていく。
サクルからの調査書を読み進めて行くうちに、ティルダは段々と気分が悪くなってきた。調査書に記されていた内容が、気の滅入るものだったから。

「……ねえ、ヨニ、あなた職場の友人が雇用主に虐待されて自殺したらどうする?」
「起こりえない仮定の話だから無意味だな」
「雇用主を殺して、ついでに盗みを働いて逃亡なんてしないわよね」
「だから、その質問は無意味だし、俺がどこに逃げるってんだよ」

ヨニの苦笑に、寝ぼけていた頭が動き出す。
そうだった。ティルダは苦笑した。

「ちょっと寝ぼけていたわ」

素直に言えば、気遣わしげな視線が返ってきたので話を戻す。

「事情はわかったけれど、謎は深まったわね」

敢えて大っぴらにしたくはないだろう高位貴族の醜聞ではあるが、やはり王子が出てくるほどのこととは思えない。クッカサーリと違ってラズワルディアには人員は腐るほどいるのだから。騎士団を連れ、期限を区切って探すほどの相手なのか。
ただ、調査書には「さらに不穏な気配あり」とサクルの文字で追記されている。

「まだ何かあるのかしら……」
「陛下、考えても仕方のないことを気に病むなよ。叔父さんにだって言われただろ」

ヨニが直球で言った。
案じてくれているのは分かる。でも、

「当って砕けろは、怖いじゃない?」
「俺達がいる。一人で出来ないことを解決するための共同体だろ」

笑って、ヨニは昨日より優しくティルダの頭を撫でた。
子供じゃないんだから――と振り払おうと思うのに、黙って撫でられているのはなぜなのか。ティルダは目をふせた。
(だめね。精神がまいってるわ……)
自分の代でクッカサーリを潰してしまうかもしれない不安が、どうしてもある。それを一人で飲みこんでいるのが辛い。
泣き言を零してしまいそうになった時、ドアがノックされた。

「陛下、よろしいですか」

ミルヤミの声だ。やけに緊張している。
ヨニがドアを開けると、ミルヤミと入国審査官の一人がそこにいた。ティルダの寝室にまでやってくるなんて、なにがあったのだろう。

「何かあったの?」と、尋ねる前に審査官は口を開いた。
「陛下、オルランド王子が陛下に面会を希望しております。武器を置いて、単身で、私人として入国するとのことで――」

どうしましょうか、という固い声が遠くから聴こえてきたような気がした。
眩暈がしないようにこめかみを抑える。

「……武器を持ち込まないというなら、入国は拒めないわ」

本心ではどれほどお断りしたくても、だ。
傍らのヨニを見上げる。と、随分と難しい顔をしている。

「ヨニ、犯人の目星はついたの?」
「あとちょいだな。今日中にはどうにかなると思う……」

今、どこまで捜査が進んでいるのか、何をどんな風に調べているのか、問いただしたくなるのをティルダは堪えた。聞いたところで、犯人の捜索で役に立てることなんてない。いちいち王の裁可を仰ぐように命じたい訳でもない。そんなことをしていたら、期限に間に合わなくなってしまう。
(捜査にわたしは必要じゃない……。わたしに出来るのは……)

「――わかった、オルランド王子と会うわ。何が狙いなのか、ちょっとでも掴めるかもしれないし」
「ではその様に伝えます」

慌ただしく入国審査官が国境へ戻っていく。
一方、その場に残ったミルヤミは腕まくりをしてティルダを鏡の前へと促した。

「それでは陛下、お支度は覚悟して下さい」
「おーおー綺麗にしてもらえ。俺の方も手厚い出迎えをするように話を通しておくから」

他人事のように揶揄うヨニを睨んで、ティルダはうんざりと覚悟した。

「はあ……」

このミルヤミの気合の入れようでは、どれほど動きにくい恰好をさせられることになるのか。
(これも仕事、仕事、仕事よ……)
必死に言い聞かせるティルダなのであった。

                 ●

議会は休会状態だし、午後の面会は国内の相手だったので調整することにして――ティルダは国境までオルランドを迎えにいくことにした。あくまで私人として入国すると言われては大仰な迎えを仕立てる訳にもいかない。勝手に王宮までやってきてくれればいいのだが、典礼官の泣き落としに折れた。
入国審査所でバルトロと並んで迎えを待っていたオルランドは、ティルダの姿を見て驚いたようだった。
武装を解いた彼は、クッカサーリによくいる外国の貴族の子息に見えなくもない。しかし、よくよく見れば仕立ての良い長衣を纏っているし、大陸で比肩する存在がない絶対的なラズワルディア王家の一員だという誇りのためか、そこらの貴族とは纏う雰囲気が一線を画している。
ともかく、

「剣は置いていただけたようですね」

ほっとしたティルダは笑顔を向けた。

「……っ! おはよう、ございます」

オルランドは初め、目をぱちくりさせた。
ヨニがその場にいたなら「着飾った陛下に見惚れてんだよ」と言ったかもしれないが、そんなことティルダは考えもしない。
ミルヤミが気合を入れて仕上げたティルダの恰好は、クッカサーリの伝統的な装束で、亜麻色の髪は複雑に結い上げられ生花で飾られている。ラズワルディアでは金や銀細工の飾りが好まれるが、迫害された聖神教徒たちが興したクッカサーリでは、そんな余裕がなかったため、生花を髪飾りとして使う。ごてごてとした簪や髪飾りになれたオルランドには殊の外、新鮮に映ったことをティルダは理解していない。馬にも乗っても優雅なように作られているドレスも同様に。
(なんか変な反応だったわね……)
オルランドの態度に内心で首を捻りつつ、「さあどうぞ」と彼をクッカサーリに招き入れた。

                 ●

入国審査所から続く道は国の中央、聖神教会に通じている。普段なら参拝者で賑わっているが、今は人の出入りを止めているので静かなものだ。
オルランドと馬を並べ、進んでいく。

「……とんだ田舎ですね」

左右の道を見やってオルランドが言った。
悪意半分、思わず零れた本音半分といったところだろうか。ティルダは肩を竦めた。

「確かにラズワルディアの王都から比べたらそうでしょう」

事実をムキに否定するつもりはない。ティルダは国外に出たことがないが、数字だけでもクッカサーリの小ささを理解している。

「やはりうちの騎士団を使ったほうがいいのでは?」

先日よりは素直に心配しているように聞こえる声音だ。勿論受け入れる気などないけれど。

「必要ありません」
「ですが――」

さらに言い募ろうとするオルランドが息を呑んだ。
不審に思ってその視線を追えば、道の先、民家の前に人影が見える。
(ああ、あれは――)
ティルダは今朝のヨニの言葉を理解した。
――「俺の方も手厚い出迎えをするように話を通しておくから」そう言っていたのはこれのことだ。
近づいていくと人影の正体が明らかになる。それは、道の両脇に武器を捧げ持って並ぶ年嵩の男達だった。ぽつりぽつりと建物ごとに間隔を開け、並んでいる。その数は多くはないが少なくもない。

「……なるほど。クッカサーリの男たちは傭兵の卵か、元傭兵でしたね。だから、力づくで攻めるのを止められたのか……」

左右に目をやってオルランドがひとりごちた。
聞き逃せない一言にきつい視線を投げると、慌ててオルランドが首を振る。

「いえ、その、若い騎士たちが強硬手段に出るよう進言してきたのですが、バルトロをはじめ 年寄り連中が反対して強硬論は立ち消えになりました」
「――戦場での味方を失うことが、どういうことかよく分かってらっしゃるのでしょう」

脅迫に聞えるだろうか。ティルダは口に出してから反省したものの、突き放すような気分はどうにもできなかった。
ラズワルディアの戦いに欠かせないクッカサーリの傭兵が、敵に回ることを想像して精々怯えればいい。そう思う。戦場以外でも護衛などとして、クッカサーリの男たちがあちこちで重用されているのを現場の人間は知っている。出稼ぎに行ってくれている彼らの日頃の苦労が、クッカサーリを守ってくれているのだ。

「……失礼をしました」

恥じているように目を伏せるオルランドを見て、ティルダはそっと微笑みの色を変えた。

「いえ、思いなおして頂けて幸いです」

安堵するには早いかもれないが――オルランドは何か格別の命令を帯びてやって来たわけではなさそうだ。
こうして、ラズワルディアの王族に直接クッカサーリを見てもらうのは悪くなかったかもしれない。四男の彼が、将来ラズワルディアの国政に関わるかどうかはわからないけれど。
(本当に犯人を探しにきたってだけなのかしら……)
てっきり妙な難癖をつけられるものだとばかり思いこんでいたが、考えすぎだったのかもしれない。

「あ、あの、あなたは――父とはお知り合いでしょうか?」

ふいに投げかけられた質問にティルダは面食らった。
知り合いかどうかと言われると微妙な関係だが、絶対に知らないとは言えない。
予期せぬ話題の変化に小首を傾げつつも、どうにかティルダは頷いた。

「よく存じてはおります。直接お会いしたことはありませんが――しばしば手紙を頂くので」
「手紙ですか」
「ええ」

先日も求婚されたばかりだと、ばらしてやろうかと一瞬ティルダは思った。

「父があなたに求婚したというのは本当でしょうか」
「……」

まさか、向こうから言われるとは……!! 完璧な微笑みを顔に張りつけ、どうにか狼狽の色を隠す。馬上での会話が道の両端に居並ぶ男達に聴こえてないことを祈りつつ、なんて返そうか、ティルダは必死に悩んだ。
(なんだかこの流れはいけない予感がするわ……。なんて返せば……!?)

「あの……父ではなく僕でしたらどうでしょう?」

ティルダは驚愕した。別に面と向かって求婚された経験がないわけではない。書状でなら、それこそ覚えていられないほど経験がある。
だが、さすがに直接というのはあまり数が無い。しかも――ラズワルディアの王子に直接だなんて、想像だにしなかった。
(だめに決まってるでしょうが! それは併合を求めているのと同じ意味だってわかってるのかしら!? 何考えてるの!? 受ける訳ないじゃないの!! どうかしてるんじゃないの!? って言ってやりたいけど! けど!)
相手は大陸の覇者、ラズワルディア王の息子だ。求婚を断るだけで、言いがかりをつけられる恐れがある。だからこそ、揉め事にならぬようにカルロ王ですら手紙以上の物は送ってこないというのに。
(これが本当の目的……!? 最初は、つんけんしてた癖に……っ)
答えに窮しているティルダをどう思ったのか、オルランドが恐る恐る口を開く。

「もしかして好きな相手がいるのですか?」

ティルダは眩暈を覚えた。
――なんて無邪気なのだろう。王族の結婚が、自分の意思だけで決まるとでも思っているのだろうか。一体どれだけ甘やかされて育ってきたのか。

「ひょっとして、先日連れていたあなたの騎士ですか?」
「いいえ。あれはただの侍従です」

ティルダはきっぱりと断言した。

「そ、そうですか」
「ええ――」

断固たる鉄壁の微笑みでそれ以上の追及を封じた。必殺、どんな風にでも受け取れる笑顔である。それで押し切るしかない。

「あ、あの……?」

念を押す様に駄目押しの笑顔をティルダが向けると、オルランドは顔を赤くして俯いた。
(本気ならあとで正式な使者がくるでしょうし、ここは棚上げの一手……!)
一人で抱えるには重すぎる。

                 ●

結局、オルランドは庭の四阿で一杯の紅茶を飲んだだけで帰って行った。ティルダはヨニが犯人を連れてくるまで相手をする覚悟だったが、なんとも別れはあっさりしたものだった。
最後に

「僕は本気ですから」

という意味深な言葉を残して。
(ああ…なかったことにはできなかった)
父子揃ってなんて面倒なことだろう。っていうか、勝手に来たわけはないのだから、カルロ王の差し金なのは間違いないが、どういうつもりで自分が求婚していた相手に息子をあてがおうとしているのか……。
(まあ、クッカサーリがラズワルディアのものになればいいなってだけなんでしょうけど…………)
オルランドを見送り、黄昏ていたティルダの背に声がかけられる。

「本気って何がだよ」

いつから様子を窺っていたのか、機嫌の悪そうなヨニにじっとり見つめられたが、面倒なので気づかないフリをしてティルダは尋ね返す。

「犯人の目星はついたの?」
「――ああ、まだ捕まえてはないんだが、見張って貰ってる。行くか?」
「……ええ。行くわ。さっさと案内なさい」
「わかった行こう。んで、陛下、本気って何が?」
「……。とってもお綺麗ですね、って言われただけよ」

頭の痛い問題はまだ棚上げにしておきたい。

「陛下――真に受けるなよ。陛下は綺麗系じゃなくて可愛い系だからな」
「か、かってに変な分類しないで頂戴! 馬鹿云ってないで、ほら、行くわよ」

軽口を叩きながらも、実はヨニの目が据わっていたことにティルダは気付かなかった。

                 ●

クッカサーリの中央、聖心教会にはいくつもの聖堂が存在している。その一つ、観光客にはあまり人気のない古い聖堂で祈りを捧げる少女の姿があった。
観光客のためではなく、地元の人間が自由に祈るための空間だから、素朴で初期の聖神教会の有り様を体現している。
各自が祈りを終えると家へ帰っていく中、一人の少女が長い間、一心に祈っていた。聖堂の中央に座り、身じろぎもせずに。

「隣いいかしら?」

左から声をかけられ、少女は顔を上げずに答えた。

「ええ、どうぞ」

他にも席は空いているだろうにと思ったものの、この国の人間が善良なことは知っているし、取られるような荷物も持っていない。隣の人間のことを意識から完全に追い出したのはアッと言う間だ。
再び少女は静かに祈る。

「エルマさん、なぜクッカサーリに来たの?」

小さな声で問いかけられたのは、かなり経ってからだった。
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