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2女王、迷子に遭遇する
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空に浮かぶのは二日目の月。足元に届く明かりは心もとない。そんな暗闇の中、小さな影が金属を扱う工房の倉庫の窓からするりと抜け出てきた。
影は外しておいた窓の格子を元通りに嵌めると、小動物のような軽い動きで路地に飛び降りた。
「なるほどな。そんだけ小さかったらどこだって忍び込みやすいよな」
ヨニの声に小さな影が、縫い付けられたように動きを止めた。ゆっくりと立ち上がる影にヨニは手を挙げ挨拶する。
「よう、サリタお嬢ちゃん」
「なに、してるの?」
黒い装束に身を包んだサリタが可愛らしく首を傾げる。稚い仕草に毒気を抜かれ、ヨニは苦笑いを浮かべた。
「何してるんだってのは、こっちのセリフだけどな」
今となっては、先ほど見たものは間違いだったとしか思えない。しかしそれでも、サリタが倉庫の窓から出てきたのは現実だ。
「お嬢ちゃん、ただの迷子じゃないだろ、本当は。ただの迷子が工房の仕入れ倉庫に侵入なんてしないよな」
「ああ! サリタ、そんなところにいたのかい」
マルコがどこからか駆けてくる。ヨニの視線から庇うように、その背にサリタを隠した。
「わあ、ヨニさん!? 何度もすいません。この子ってばまた迷子に――」
「おっさん、もういいってば、ばれてんだから」
「な、なんのことです?」
がりがりと頭を掻いてヨニは息を吐いた。
「出来上がった品物の方に興味があれば、盗人の下見かなって思うところだけど、材料のチェックとは通だよなあ。あんたらどこの回し者? って聞いてんの」
ヨニの問いにサリタの目つきがすっと鋭さを増した。
「何を探りに来たんだよ」
いまサリタが忍びこんだのは二軒目。一軒目も何も取らずに出てきた。だとしたら、興味があるのは物ではなく情報だ。国境を越えて支店を持つようなラズワルディアの大店の間諜だろうか。
「……」
誰も口を開かぬまま、しばし時が流れる。
はーっと大きく息を吐いて、サリタ――おそらく偽名だろう――はがらりと口調を変えた。
「くそマルコ。あんたの演技が臭いから、ばれるんじゃない」
げしっと、マルコ――これも偽名だろうが――を蹴るサリタ。七歳とはとても思えない尊大な態度だ。
「すみません。面目ない」
マルコの態度も娘に対するものではなくなった。
「うわーこっわ。ガラ悪いなー」
「使えない部下なんだからしょうがないでしょ。それにしてもなんで?」
自分の行動がわかったのか? と上目使いで可愛しく尋ねられても、本性を知った後では苦笑を深めるしかない。ヨニは肩を竦めた。
「自分が有名人になったって自覚がなかったんだな」
訝しげな顔を不審者二人に向けられ、ヨニは呆れた。
「ティルダが女王だってわかってて近づいたんだろ? 女王が探し出すように頼んで、翌日直々に連れて歩いた迷子なんて、みんな動向を気にするに決まってるだろ。どんだけうちの連中が、陛下のことを好きだと思ってんだよ」
わかっていないのなんて本人くらいのものだ。昨日、工房のドアを叩いて迷子捜索のお願いがなされた瞬間から、マルコとサリタの存在は国中に知られたようなものだ。タルヴォのパン屋で別れて以降、不審な動きの報告が多方面から上がって来た。だから、こうして行動をマークしていたのだ。
「はあー、これだから田舎はやだやだやだ。みんな顔見知りですってか、ていうか、なんで女王がほいほい外歩いてんのよ」
「それは俺もそう思うけど。悪かったな、田舎で」
ティルダの素性を知って探っていたという処を否定しないのは、まったく図々しいことこの上ない。
「つまんない罠に引っかかっちゃったわ。はー……、さいあく」
「いや、別に罠とかじゃなくてだな。大概が知ってるけど、慮って黙ってるだけだ。んで、どこのだれの命令で潜り込んだんだよ。答えないと、そろそろ力に訴えるぞ」
マルコが小声で「早く逃げましょう」とサリタを急かしている。が、彼女はどこまでも堂々とヨニを睨みつけてきた。
「心当たりはありありでしょ? 聖神教会の総主教に冠をもらわなきゃ正しい国王として認められないなんて、くそくらえって思ってる国は山盛だし」
サリタは柄の悪い笑みを浮かべた。
彼女が言うように、聖神教会の権威を邪魔に思っている人間は少なくない。現在、ラズワルディアと上手くいっている分、あちこちに敵は多い。
――うちはうちで苦労してんだけどなぁ。内心でヨニはぼやいた。
「それで、どうする気?」
サリタが低い声で問うてきた。構図だけならヨニが悪者に見える。
が、相手は偽造旅券で侵入してきた間諜だ。手加減する気はない。
「俺は陛下の剣だ。クッカサーリの敵は許さない」
気負うでもなく答え、ヨニは二人に向かって走りだす。
「下がってください!」
マルコがどこぞの食堂から盗んできたようなナイフを構え、サリタの前に立ちふさがった。
ヨニは、おかまいなしに一気に加速する。ナイフを振りかぶってきた下、身を深く沈め、ぎょっとした顔のマルコの足を勢いよく払う。そのまま体制を崩したマルコの腕を取り、ぐるんと投げ飛ばした。
「いっ!?」
「はい身柄確保―」
何が起きたか把握できず目を回すマルコを裏返し、てきぱきと後ろ手に縛り上げていく。
「――最悪だわ」
サリタが目を吊り上げている。しかし、部下を見捨てる気はないのか逃げる気配はない。怯えて動けないなんて気性ではないだろうに。
「サリタお嬢ちゃん、あんたは逃げないのか。感心だな」
「子供一人で旅は変でしょ。それに、そこに隠れてるアレ逃げたら。追いかける気満々じゃないの」
「まあな」
物陰からフラーが注意深く様子を窺っている。二人の匂いを頼りに、ここまでヨニを案内したくれたのだ。夜でも、クッカサーリの中ならば対象を見失ったりしないだろう。サリタが大人しくしてくれているのを横目に
「おとなしくしとけよ、おっさん」
マルコの懐を探る。と、書きつけを発見した。
暗くて詳細には読み取れないが、昨日今日でにかなりの工房に忍び込んでいたようだ。
「ほんとに材料のチェックをしてたんだな。なんでだ?」
拘束されたマルコをいまいましげに見下ろし、サリタが口を開いた。
「タレこみがあったの。クッカサーリが武器を作ってるって。持ち込ませないようにさせておきながら、自分たちで武器をつくるなんて。輸出のためか、武装を目論んでいるか……。どっちにせよ、事実ならとことん叩ける理由になる」
クッカサーリにそんな事実はない。暖房用の木材だって、クッカサーリには少ないのだ。ほいほい武器を製造してなんていられない。
書きつけからも武器製造の事実は認められないと、結論を出すしかないだろう。問題は
(誰がそんなデマを流したのかだけど……)
「捏造していちゃもんつけるんじゃなくて、ちゃんと調べにくる辺り律儀だな」
「教会を敵に回すなら手はぬけないからね……。それに仕事はそれだけじゃないし」
ヨニはすぐにピンと来た。
「他の仕事っていうのは女王に近づいて、何か聞き出す――つうか、人となりのチェックか?」
クッカサーリが聖神教会を抱えている以上、安易にティルダの殺害はないとヨニは見込んでいる。何故なら、より良い代りが居ない。
クッカサーリ王家は国外から嫁や婿をとることはあっても、その逆がない。対外的な政略結婚はクッカサーリを危うくするとして、臣籍に降りて、王位継承権を完全に放棄してしまう。
(だから、ティルダを殺してもを挿げ替えるのにちょうどいい駒は無い。現状維持を選ぶはず……)
何より、大陸一の大国ラズワルディアがティルダを容認しているのだから。ラズワルディアを敵にすることは、どこの国にとっても割に合わないことだ。
となると、ティルダの伴侶に収まって中からクッカサーリをいいようにしようと企んでいるのだろうから、
「――性格やどんな趣味か、ってのだけでも結構高く売れるか?」
サリタたちの情報を元に見合いの釣り書を持ってくる輩が居たら、そいつが黒幕だろう。
「安心なさいよ。高飛車なくそ女だって言っといてあげる」
サリタが溜息まじりに言うのに、ヨニは呆れつつも笑った。
「むかつくけど、まあ、ありがとうな」
それから、路地に倒れたままのマルコを立たせてやる。
「ほら、腕を縛られてても歩けるだろ、おっさん。とっととうちから出てけよ」
「ええ……?」「どういうつもり?」
困惑するマルコと、相変わらず睨みをきかせるサリタ。
本性を出してからのサリタの態度からすると血縁関係はないのかと思ったが、やっぱり血の繋がりはあるのかもしれない。顔が案外似ている。
だからさ、とヨニがマルコの腕を抑えたまま言う。
「国外追放ですましてやるって言ってんの。雇い主に義理立てここで死ぬか?」
「いやですね」「おことわり」
「だろ、そう言うと思った。だから、あんたらを解放してやるんだぜ」
「……つまり、ばれたことを知らせずに情報を流せっていうの?」
サリタが中間管理職のおっさんのような顔で呻いた。
「こっちとしては別に漏れても困ることじゃなかったしな」
聖神を奉じていない遠くの国からも材料を買っていることや、動いている金額など、進んで開帳したい訳ではないが、ばれても傷にはならない。こっちが調べられた事実を把握していれば、逆に虫を炙り出すのに役にたつだろう。
しばし、二人の間諜は顔を見合わせた。
マルコがそっと視線をそらすと、サリタは大きく息を吐いた。少女の方が完全に立場が上なのは珍しいような気がするが、実務経験はサリタの方が長いのかもしれない。そういうことがあるのはヨニも知っている。
「まあいい。どうせ、こっちもつまらない情報に踊らされるところだったから、うまく仕事をこなせたってことにして、黙って給金を貰えばいいんでしょ」
「そうそう。それじゃあ、今から国境まで見送る。暴れたりするなよ?」
ヨニが複雑な音程の口笛を吹くと、反応してフラーも長く複雑に吠えた。
間諜の二人が訝しげな顔をしたが、説明はしない。黙って先導する。
工房のある区域を抜け、大通りに出ると、二人は異変に気づいたようだ。
「なにあれ」
道の先々、両脇にぽつりぽつりと灯りがともっている。暗くて灯りの正体は近づくまで分からない。
「ほら、ほら。行くぞ」
灯りの正体が次第に見えてくると、サリタとマルコは緊張で体を固くした。道の両脇に男たちがランタンを持って立っている。ランタンに照らされて、彼らが武器も持っているのが見えるだろう。灯りは延々と道なりに続いている。その数だけ武装した男達がいるとすると、かなりの人数になる。
「……なっにが軍は持ってない、だっつうの」
苦々しくサリタが吐き捨てる。
「クッカサーリの男たちが出稼ぎに行くってのは有名だろ? 大抵が選ぶ仕事は傭兵だっていうのもさ」
そして年をとって傭兵として十分に働けなくなったら、それまでの使っていた武器と共にクッカサーリに帰ってくるのだ。ランタンを持つ中年男たちのように。
帰ってきた男たちは、変事あれば一丸となって立ち上がる。国のため、王のため。正面から軍を持つことは許されていないクッカサーリの矜持。無言でサリタ達を見送る彼らは、その意思を示している。
ヨニは国境まで二人を送ると、渋い顔で待ち構えていた審査官へと引き渡した。そして、国外退去を言い渡すのを見届ける。クレーグラの街の城門も閉じているので、外で夜を明かすことになるだろうが、その位は受け入れてもらおう。
「あんな間諜を見逃すとは、まったく面目ない……。責任は自分にあります」
入国審査官たちは、外国の貴族とも渡り合うため遠く遡れば王家の血も入っている名家の人間たちだ。マルコの方はともかく、サリタのような幼気な子供が実は間諜だなんて見抜けなくたって仕方ない。
「ヨニ殿、陛下にはありのままに報告して下さい。自分は辞表を出します」
「いやいや、待てってそこまでの事じゃないって。あれじゃ仕方ないって。今後は気を付けるってことでいーじゃん」
「そんなわけにはいきません。陛下に危険が及ぶところだったかもしれないのですよ!?」
血走った目で迫られ、ヨニはやれやれと頭を振る。
「アンタが責任とって辞めるって言ったら説明しなきゃだろ。あの二人のことをさ。迷子親子を導いてあげた、って思ってる陛下に水をさしたくないんだよ」
正体は間諜で全部演技だと知ったら、がっかりするだろう。落胆するほどではなくても、顔を曇らせるのだ。隠せているつもりでも、ちっとも隠せていない寂しそう顔をヨニは見たくない。
「頼むよ。対応はするけど、陛下の耳には入れたくない」
ヨニは審査官に頭を下げた。
「……わかりました。報告は自警団の方にだけ送ります。臨時の会合は陛下に内緒で、それでいいですね」
「それで頼むわ」
警備の改善策の話合いの他に、おっさんたちの口止めを徹底しなければだな、とヨニは脳内で予定を立てた。口裏合わせは問題なく済むだろう。クッカサーリの住人はみなティルダのことが好きだから。
「本日もクッカさサーリは平和なり……ってな」
影は外しておいた窓の格子を元通りに嵌めると、小動物のような軽い動きで路地に飛び降りた。
「なるほどな。そんだけ小さかったらどこだって忍び込みやすいよな」
ヨニの声に小さな影が、縫い付けられたように動きを止めた。ゆっくりと立ち上がる影にヨニは手を挙げ挨拶する。
「よう、サリタお嬢ちゃん」
「なに、してるの?」
黒い装束に身を包んだサリタが可愛らしく首を傾げる。稚い仕草に毒気を抜かれ、ヨニは苦笑いを浮かべた。
「何してるんだってのは、こっちのセリフだけどな」
今となっては、先ほど見たものは間違いだったとしか思えない。しかしそれでも、サリタが倉庫の窓から出てきたのは現実だ。
「お嬢ちゃん、ただの迷子じゃないだろ、本当は。ただの迷子が工房の仕入れ倉庫に侵入なんてしないよな」
「ああ! サリタ、そんなところにいたのかい」
マルコがどこからか駆けてくる。ヨニの視線から庇うように、その背にサリタを隠した。
「わあ、ヨニさん!? 何度もすいません。この子ってばまた迷子に――」
「おっさん、もういいってば、ばれてんだから」
「な、なんのことです?」
がりがりと頭を掻いてヨニは息を吐いた。
「出来上がった品物の方に興味があれば、盗人の下見かなって思うところだけど、材料のチェックとは通だよなあ。あんたらどこの回し者? って聞いてんの」
ヨニの問いにサリタの目つきがすっと鋭さを増した。
「何を探りに来たんだよ」
いまサリタが忍びこんだのは二軒目。一軒目も何も取らずに出てきた。だとしたら、興味があるのは物ではなく情報だ。国境を越えて支店を持つようなラズワルディアの大店の間諜だろうか。
「……」
誰も口を開かぬまま、しばし時が流れる。
はーっと大きく息を吐いて、サリタ――おそらく偽名だろう――はがらりと口調を変えた。
「くそマルコ。あんたの演技が臭いから、ばれるんじゃない」
げしっと、マルコ――これも偽名だろうが――を蹴るサリタ。七歳とはとても思えない尊大な態度だ。
「すみません。面目ない」
マルコの態度も娘に対するものではなくなった。
「うわーこっわ。ガラ悪いなー」
「使えない部下なんだからしょうがないでしょ。それにしてもなんで?」
自分の行動がわかったのか? と上目使いで可愛しく尋ねられても、本性を知った後では苦笑を深めるしかない。ヨニは肩を竦めた。
「自分が有名人になったって自覚がなかったんだな」
訝しげな顔を不審者二人に向けられ、ヨニは呆れた。
「ティルダが女王だってわかってて近づいたんだろ? 女王が探し出すように頼んで、翌日直々に連れて歩いた迷子なんて、みんな動向を気にするに決まってるだろ。どんだけうちの連中が、陛下のことを好きだと思ってんだよ」
わかっていないのなんて本人くらいのものだ。昨日、工房のドアを叩いて迷子捜索のお願いがなされた瞬間から、マルコとサリタの存在は国中に知られたようなものだ。タルヴォのパン屋で別れて以降、不審な動きの報告が多方面から上がって来た。だから、こうして行動をマークしていたのだ。
「はあー、これだから田舎はやだやだやだ。みんな顔見知りですってか、ていうか、なんで女王がほいほい外歩いてんのよ」
「それは俺もそう思うけど。悪かったな、田舎で」
ティルダの素性を知って探っていたという処を否定しないのは、まったく図々しいことこの上ない。
「つまんない罠に引っかかっちゃったわ。はー……、さいあく」
「いや、別に罠とかじゃなくてだな。大概が知ってるけど、慮って黙ってるだけだ。んで、どこのだれの命令で潜り込んだんだよ。答えないと、そろそろ力に訴えるぞ」
マルコが小声で「早く逃げましょう」とサリタを急かしている。が、彼女はどこまでも堂々とヨニを睨みつけてきた。
「心当たりはありありでしょ? 聖神教会の総主教に冠をもらわなきゃ正しい国王として認められないなんて、くそくらえって思ってる国は山盛だし」
サリタは柄の悪い笑みを浮かべた。
彼女が言うように、聖神教会の権威を邪魔に思っている人間は少なくない。現在、ラズワルディアと上手くいっている分、あちこちに敵は多い。
――うちはうちで苦労してんだけどなぁ。内心でヨニはぼやいた。
「それで、どうする気?」
サリタが低い声で問うてきた。構図だけならヨニが悪者に見える。
が、相手は偽造旅券で侵入してきた間諜だ。手加減する気はない。
「俺は陛下の剣だ。クッカサーリの敵は許さない」
気負うでもなく答え、ヨニは二人に向かって走りだす。
「下がってください!」
マルコがどこぞの食堂から盗んできたようなナイフを構え、サリタの前に立ちふさがった。
ヨニは、おかまいなしに一気に加速する。ナイフを振りかぶってきた下、身を深く沈め、ぎょっとした顔のマルコの足を勢いよく払う。そのまま体制を崩したマルコの腕を取り、ぐるんと投げ飛ばした。
「いっ!?」
「はい身柄確保―」
何が起きたか把握できず目を回すマルコを裏返し、てきぱきと後ろ手に縛り上げていく。
「――最悪だわ」
サリタが目を吊り上げている。しかし、部下を見捨てる気はないのか逃げる気配はない。怯えて動けないなんて気性ではないだろうに。
「サリタお嬢ちゃん、あんたは逃げないのか。感心だな」
「子供一人で旅は変でしょ。それに、そこに隠れてるアレ逃げたら。追いかける気満々じゃないの」
「まあな」
物陰からフラーが注意深く様子を窺っている。二人の匂いを頼りに、ここまでヨニを案内したくれたのだ。夜でも、クッカサーリの中ならば対象を見失ったりしないだろう。サリタが大人しくしてくれているのを横目に
「おとなしくしとけよ、おっさん」
マルコの懐を探る。と、書きつけを発見した。
暗くて詳細には読み取れないが、昨日今日でにかなりの工房に忍び込んでいたようだ。
「ほんとに材料のチェックをしてたんだな。なんでだ?」
拘束されたマルコをいまいましげに見下ろし、サリタが口を開いた。
「タレこみがあったの。クッカサーリが武器を作ってるって。持ち込ませないようにさせておきながら、自分たちで武器をつくるなんて。輸出のためか、武装を目論んでいるか……。どっちにせよ、事実ならとことん叩ける理由になる」
クッカサーリにそんな事実はない。暖房用の木材だって、クッカサーリには少ないのだ。ほいほい武器を製造してなんていられない。
書きつけからも武器製造の事実は認められないと、結論を出すしかないだろう。問題は
(誰がそんなデマを流したのかだけど……)
「捏造していちゃもんつけるんじゃなくて、ちゃんと調べにくる辺り律儀だな」
「教会を敵に回すなら手はぬけないからね……。それに仕事はそれだけじゃないし」
ヨニはすぐにピンと来た。
「他の仕事っていうのは女王に近づいて、何か聞き出す――つうか、人となりのチェックか?」
クッカサーリが聖神教会を抱えている以上、安易にティルダの殺害はないとヨニは見込んでいる。何故なら、より良い代りが居ない。
クッカサーリ王家は国外から嫁や婿をとることはあっても、その逆がない。対外的な政略結婚はクッカサーリを危うくするとして、臣籍に降りて、王位継承権を完全に放棄してしまう。
(だから、ティルダを殺してもを挿げ替えるのにちょうどいい駒は無い。現状維持を選ぶはず……)
何より、大陸一の大国ラズワルディアがティルダを容認しているのだから。ラズワルディアを敵にすることは、どこの国にとっても割に合わないことだ。
となると、ティルダの伴侶に収まって中からクッカサーリをいいようにしようと企んでいるのだろうから、
「――性格やどんな趣味か、ってのだけでも結構高く売れるか?」
サリタたちの情報を元に見合いの釣り書を持ってくる輩が居たら、そいつが黒幕だろう。
「安心なさいよ。高飛車なくそ女だって言っといてあげる」
サリタが溜息まじりに言うのに、ヨニは呆れつつも笑った。
「むかつくけど、まあ、ありがとうな」
それから、路地に倒れたままのマルコを立たせてやる。
「ほら、腕を縛られてても歩けるだろ、おっさん。とっととうちから出てけよ」
「ええ……?」「どういうつもり?」
困惑するマルコと、相変わらず睨みをきかせるサリタ。
本性を出してからのサリタの態度からすると血縁関係はないのかと思ったが、やっぱり血の繋がりはあるのかもしれない。顔が案外似ている。
だからさ、とヨニがマルコの腕を抑えたまま言う。
「国外追放ですましてやるって言ってんの。雇い主に義理立てここで死ぬか?」
「いやですね」「おことわり」
「だろ、そう言うと思った。だから、あんたらを解放してやるんだぜ」
「……つまり、ばれたことを知らせずに情報を流せっていうの?」
サリタが中間管理職のおっさんのような顔で呻いた。
「こっちとしては別に漏れても困ることじゃなかったしな」
聖神を奉じていない遠くの国からも材料を買っていることや、動いている金額など、進んで開帳したい訳ではないが、ばれても傷にはならない。こっちが調べられた事実を把握していれば、逆に虫を炙り出すのに役にたつだろう。
しばし、二人の間諜は顔を見合わせた。
マルコがそっと視線をそらすと、サリタは大きく息を吐いた。少女の方が完全に立場が上なのは珍しいような気がするが、実務経験はサリタの方が長いのかもしれない。そういうことがあるのはヨニも知っている。
「まあいい。どうせ、こっちもつまらない情報に踊らされるところだったから、うまく仕事をこなせたってことにして、黙って給金を貰えばいいんでしょ」
「そうそう。それじゃあ、今から国境まで見送る。暴れたりするなよ?」
ヨニが複雑な音程の口笛を吹くと、反応してフラーも長く複雑に吠えた。
間諜の二人が訝しげな顔をしたが、説明はしない。黙って先導する。
工房のある区域を抜け、大通りに出ると、二人は異変に気づいたようだ。
「なにあれ」
道の先々、両脇にぽつりぽつりと灯りがともっている。暗くて灯りの正体は近づくまで分からない。
「ほら、ほら。行くぞ」
灯りの正体が次第に見えてくると、サリタとマルコは緊張で体を固くした。道の両脇に男たちがランタンを持って立っている。ランタンに照らされて、彼らが武器も持っているのが見えるだろう。灯りは延々と道なりに続いている。その数だけ武装した男達がいるとすると、かなりの人数になる。
「……なっにが軍は持ってない、だっつうの」
苦々しくサリタが吐き捨てる。
「クッカサーリの男たちが出稼ぎに行くってのは有名だろ? 大抵が選ぶ仕事は傭兵だっていうのもさ」
そして年をとって傭兵として十分に働けなくなったら、それまでの使っていた武器と共にクッカサーリに帰ってくるのだ。ランタンを持つ中年男たちのように。
帰ってきた男たちは、変事あれば一丸となって立ち上がる。国のため、王のため。正面から軍を持つことは許されていないクッカサーリの矜持。無言でサリタ達を見送る彼らは、その意思を示している。
ヨニは国境まで二人を送ると、渋い顔で待ち構えていた審査官へと引き渡した。そして、国外退去を言い渡すのを見届ける。クレーグラの街の城門も閉じているので、外で夜を明かすことになるだろうが、その位は受け入れてもらおう。
「あんな間諜を見逃すとは、まったく面目ない……。責任は自分にあります」
入国審査官たちは、外国の貴族とも渡り合うため遠く遡れば王家の血も入っている名家の人間たちだ。マルコの方はともかく、サリタのような幼気な子供が実は間諜だなんて見抜けなくたって仕方ない。
「ヨニ殿、陛下にはありのままに報告して下さい。自分は辞表を出します」
「いやいや、待てってそこまでの事じゃないって。あれじゃ仕方ないって。今後は気を付けるってことでいーじゃん」
「そんなわけにはいきません。陛下に危険が及ぶところだったかもしれないのですよ!?」
血走った目で迫られ、ヨニはやれやれと頭を振る。
「アンタが責任とって辞めるって言ったら説明しなきゃだろ。あの二人のことをさ。迷子親子を導いてあげた、って思ってる陛下に水をさしたくないんだよ」
正体は間諜で全部演技だと知ったら、がっかりするだろう。落胆するほどではなくても、顔を曇らせるのだ。隠せているつもりでも、ちっとも隠せていない寂しそう顔をヨニは見たくない。
「頼むよ。対応はするけど、陛下の耳には入れたくない」
ヨニは審査官に頭を下げた。
「……わかりました。報告は自警団の方にだけ送ります。臨時の会合は陛下に内緒で、それでいいですね」
「それで頼むわ」
警備の改善策の話合いの他に、おっさんたちの口止めを徹底しなければだな、とヨニは脳内で予定を立てた。口裏合わせは問題なく済むだろう。クッカサーリの住人はみなティルダのことが好きだから。
「本日もクッカさサーリは平和なり……ってな」
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家には10億の価値があったと主張し、妻に離縁と損害賠償を求める男。妻の口からは二年の事実が語られていく。
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