蔵の中の神

結城鹿島

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 山神の嫁となって、わたしの生活は一変した。
 一番変わったのは、火を扱う仕事から外されたことだ。おかげで、煮炊にたきの仕事からは外された。山神の嫌いな火の気を遠ざけるため、らしい。
 務めの翌日はそのまま休むように言われたり、体力を使う仕事はするなと言われたり、詳細を知らない他の使用人たちからは羨まれたが、刀自とじの言いつけと知れると逆に憐みの眼差しを向けられる。あれこれ聞かれることもない。
 刀自に言いつけられた事には「触らぬ神に祟りなし」と決まっているから。
 それから、これはわたしの気のせいかもしれないが、源太や他の男衆からの目線がどこか下卑たものに変わった。
 それはまだいい。元々、多少はそういうところはあったから。
 気詰まりなのは、奥様や大奥様の視線だった。奥様や大奥様はわたしの姿が見えると、これまで以上に機嫌が悪くなる。身の危険を覚えるほどの憎しみを籠められた視線に、身体が竦む。
 
 恐らくは――わたしと岳治たけはるさんが蔵の中で何をしているのか、知っているのだ。
 よく出来た息子が、わたしのような女と子をもうけることに納得がいかないのは理解できる。
 けれど、そうさせているのは、たき刀自だ。わたしを選んだのは刀自だし、岳治さんが選ばれたのはくじのせいだ。非難されるのは釈然としない。
 羞恥と肩身の狭い思いの中で、わたしは細々とした繕いつくろい仕事などをして過ごすのだった。

                  ●

 体を重ねること自体にはすぐに慣れた。
 相手が岳治さんで、常に闇の中での情事じょうじなのだ。恥ずかしさなどすぐに失せた。
 二度目からわたしの送り迎えはトメだけで、たき刀自と顔を合わせなくて済むのも有り難かった。
もう何度目かの務めの日。
 外は雨だが、蔵の中はいつものようにしんとしている。いや、それは最初だけで、いまは互いの荒い息と卑猥な水音が響いている。

「ん……はっ、あ、あっ……、あっ」

 わたしは求められるまま、岳治さんの上で自ら腰を振っている。まるで馬に乗るように体にまたがり、はしたなく嬌声きょうせいを上げて。
 自分の重さで岳治さんのものを深く咥えこんでしまうから、それだけで気持ちよくて仕方ない。
 さらなる快感を追って高みを目指すため、大胆に動くと、岳治さんが熱い吐息を漏らした。
……喜んでくれている……。
 こんな体位でするなんて、と、最初はわたしだって躊躇ちゅうちょした。
 けれど、岳治さんはずっとこの蔵の中で暮らしている。飲み食いさえほとんど要らない、神棚に供えられたものを少し口にするだけでいいのだと、淡々と語るのを聞いた時に決めたのだ。求められるなら、なんでもしよう、と。
 この体で少しでも悦ばせてあげたい。例え、これが役目だとしても。

「あ、あぁ…、は、あぁ……んっ」
「……いいか? ……さち」

 腰を掴まれ、下から強く突き上げられた。

「ひあぁ……! ああっ……ぁんっ!」

 刺激が強すぎて目の前がチカチカする。いっぱいに広げられた入り口は、きっと淫らな蜜が白く泡立っている。ぐちゃぐちゃと水音がうるさいくらいだから。

「さち、いいのか? 教えてくれ……」

 岳治さんは気を使って度々尋ねてくるが、そんなこと聞かれたって恥ずかしくて答えられるわけない。
……気持ち良すぎて、どうにかなりそう……なんて。
 でもこの暗闇の中なら、頷いたってバレやしない。だから、私はいつも頷くのだ。
……いいの……っ、岳治さんが好きだから……。

「……さちっ」
「んあぁ……っ!」

 収縮するわたしの中、肥大した男根がびくびくと震え、勢いよく精を放った。
 達する瞬間、いつも目の前が白くなる。暗い闇の中から解き放たれかのように。
 だから――岳治さんは飽くことなくわたしを抱いてくれるのかもしれない。
 役目とはいえ、こんな閉じた場所でわたしを相手にし続けなければならないなんて、とっくに飽きてもおかしくないのに。



 そろりと髪を撫でられる感触に、わたしは目を開けた。そこに広がるのは代わり映えのない暗闇だが、傍らに岳治さんがいるのはわかる。

「まだ眠っていてもいいぞ。迎えがくれば起こすから」

行為が終わってから迎えがくるまでの時間、並んで寝そべってまどろむのが恒例だ。
うとうとしている間も横に岳治さんの熱を感じるのは、この上なく幸福だが、

「あの、聞きたいことがあって……」

 もし孕んでいなければ、そろそろ月のものが来る頃合いだ。迎えが来るのを待つ間、確認しておかなければと思っていた。

「岳治さん……月のものがきたらどうすればいいんでしょう……?」

 刀自はその前に子供を作ればいいなんて言ったが、そう上手くいくとも限らない。

「そうだな、山神はそんなこと気にはしないが――さちが嫌なら、ここへは来なくていい」

 山神は気にしないといわれても、わたしは気にする。当然、ねやのことは休ませてもらいたいが――

「そうすると、わたし以外に誰かここへ来たりすることがあるんでしょうか……?」

 なるべく冷静に聞いたつもりだったのに、声が上ずってしまった。ばつが悪くて、体が硬くなる。
……わたしに嫉妬する権利なんてないんだから。
 岳治さん微かな笑い声を漏らし、答えをくれた。

「お前以外にはここへは誰も来ない。嫁は一人に決まっているだろう」

 ほっとする反面、申し訳ない気持ちが沸きあがる。一日おきにわたしが訪れる以外に誰とも会わないなんて――牢に閉じこめられた罪人のようだ。
……何が神様だろう。
 光も自由もなく、することは一つだけ。

「あの、じゃあお務めは休ませてもらいたいのですが、なにか話をしに来きても構わないですか……?」

 きっと、たき刀自は駄目だとは言わないだろう。こんな寂しい場所に岳治さんを一人でいさせるなんて、嫌だ。少しでも岳治さんと一緒にいてあげたい。

「そうだな、さちが話相手に来てくれたら俺は嬉しい」
「はい」

 ああ、きっと微笑んでくれている――そう思わせる優しい声だった。

                 ●

 いつも通りの周期で月のものがきて、ここまで複雑な気分になったことはない。嬉しさと申し訳なさで、お腹がいつも以上に重苦しく感じる。
 だって、思ってしまったのだ。これで、まだ岳治さんと夜を過ごすことができる――と。
 喜ぶなんて許されないことだ。わたしが子供を産むまで、岳治さんは外に出られないのに。
 夜遅く、いつもの時間に迎えに来たトメへ月のものが来たことを伝えると、激しい剣幕で怒鳴られた。

「さち! お前、ちゃんと山神様を喜ばせてるんか! しっかり務めや!」
「すみません……」

 わたしは頭を下げた。そんな風に言われたって、わたしにはどうしようもないのに。悔しさと身の置き所のなさで、唇を噛んでトメの叱責が終わるのをひたすら待つ。

「男をよろこばせるやりようは色々ある。交われないなら、今日はせめて山神様の機嫌をとりや」

 一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
 理解すれば腹立たしさで体が戦慄わななく。
 花街の女だって、月のものの間は客を取らせないだろうに、人をなんだと思っているのだ。
 なによりも、岳治さんのことをどう考えているのだろう。
 思い返してみれば、トメもたき刀自も初めにわたしを案内した日以来、もう岳治さんのことを名前で呼んでいない。それまで刀自は三人の孫のことをそれぞれ名前で呼んでいたし、トメは岳治坊ちゃまと呼んでいたのに。
――なのに、あの日から――岳治さんが蔵に入ってからずっと「山神」としか呼んでいない。
 それが意味することを思って、わたしは酷く陰鬱な気分で蔵までの道を歩いた。



「どうした、さち。悲しそうだな」

 何も見通すことのできない真っ暗闇の中、岳治さんが言った。

「そんなことは……ないです」

 蔵の戸口で少し躊躇してから、ぺたぺたと暗闇の中を進んでいく。わたしも、多少は暗闇の中で動くことに慣れた。岳治さんへはまだ数歩という位置で、

「あの、今日は月の障りで……お役目はできません」
 わたしは告げた。

「そうか、じゃあ少し話をしたらとっとと寝てしまえ。疲れているのだろう?」

 軽く応じる声にほっとして、その場に腰を降ろすと、

「さち」
 トントンと軽く床を叩く音がした。

「あの……?」
「傍へこい。そんなところでなくて、近くで話をしよう」
「はい……」
 
 恐る恐る手を前に伸ばしながら近寄ると、手首をするりと掴まれた。あっという間に胡坐あぐらをかいた膝の上に横抱きに抱えられて、わたしは小さく悲鳴を上げた。

「あ、あの岳治さん……! はなして、ください!」
「俺に触られるのはいやか?」
「そうじゃないです! でも、汚れてしまったら……」

 月経帯がずれたら、と思うと不安だ。近いと臭いも気になる。

「この闇の中だ、気にするな。というよりも、俺が寂しいのだ。お前の熱がないと」

 低い声で囁かれて胸が締め付けられる。嬉しいのと同時に――切ない。
この暗闇の中では、岳治さんの得られる情報が極端に少ないのだ。わたしはこくりと頷いてから、慌てて「わかりました」声を上げた。大人しく身を預ければ、ふっと笑う気配がする。

「俺の中の山神も、妻のぬくもりに喜んでいるぞ」
「大蛇が……ですか?」
「そうさ」

 面白がるような声が不思議だった。こんな目に合わされているのに、まるで山神を親しく思っているように聞こえる。

「こわい神様ではないんですか……?」
「怖くはないな。狭量で強欲なように伝えらえてきたが、情が深いだけだ」
「……どんな神様なんでしょう」
「言葉で語られることはないが……山神の見た光景を時折、垣間見ることがある。暗闇の中の幻にな」

 岳治さんはぽつりぽつりと語り始めた。大蛇の目が見てきたことを。人のいない神代の昔の山、人との初めての邂逅、山の生き物たちへの情愛、最初の妻の話など鮮やかに。

「山神……大蛇はな、沢山の女が欲しいわけではないんだ。本当はただ一人を求めている」 

 ずきりと胸が痛む。求めているのはわたしではない、そう言われているようで

「どうした、さち。今日は随分と暗い顔をする」
「そんなことありませんよ岳治さん。それに、どんな顔してるかなんて、この闇では見えないでしょうに」
「お前が落ち込んでいるのなんて闇の中でもわかるとも。お前は隠し事は下手だから。子供の時からそうだった」

そう。「大丈夫か、悲しくないか?」と問われて「平気です」と答えるのに、いつも岳治さんはそれを信じずにわたしを慰めてくれた。畑の隅で隠れて泣いているのを、何度探してくれたことだろう。
岳治さんがいなければ、こんな家からはとっくに逃げ出していた。

「こんな目に遭わせている俺をもっと詰ってくれていいんだぞ」

 ぽんぽんと頭を撫でられ、わたしは泣きたくなった。

「わたし……たちが、こんな目にあっているのはたき刀自のせいです。岳治さんのせいじゃありません!」
「……さち」

 暗闇の中、そろりと空気が動く。なんだろう、と思ったらそっと頬に触れる感触があった。ひやりとする岳治さんの指。顎をそっと持ち上げられたと思ったら、柔らかな感触が唇に重なる。

「……っ!」

――初めて岳治さんに口づけられた。

 緊張で体が竦む。目の前にいるのに、どんな顔をしているかわからないから、わたしもどうしたらいいのか解らない。こういう時はひょっとしたら目を閉じるべきなのかもしれないと、思って内心で苦笑する。目を閉じようと開こうと、暗闇に変わりはない。
 どれくらいの間か、優しく押しつけられていた唇が離れた。

「そういえば、口づけは初めてだったか」
「そう、ですね」

 この暗闇のためか、子作りに必要でないからか、これまで散々交わってきたのに口づけをしたことはなかった。わたしの事など好きでないから、そういうものだと思ってきたけれど――
……どうして急に……。

「嫌だったか?」

 わたしは必死に首を振った。さすがに横抱きにされているこの状態ならば、まったく見えなくても否定しているのは伝わるだろう。
……嫌なわけない。

「そうか」

 またわたしの頬に手が伸びてきた。人ではないのだと突き付けてくるように岳治さんの指は冷たい。けれど手つきはとても優しい。
 今度は自分から顔を上げると、再び口づけを落とされた。今度は押しつけるだけでなく、柔らかく下唇を噛まれ、わたしは目を丸くする。唇を舐められる感触は初めてのもので、くすぐったいようなふわふわした気分だ。唇の隙間から、そっと忍び込んできた舌に口内を優しくくすぐられたから、わたしも応じるように舌を絡ませる。

「ん……んん」

 優しくされるのは嬉しいけど、もっと強く求めてほしい。拙いながらも必死に舌を吸うと、角度を変えて岳治さんが深く口づけてきた。

「ふ、……っ、ん」

 唾液をすすり上げられる音が耳に届いて、下肢からぞくぞくと快感が昇ってくる。息苦しさに頭がぼうっとするまで散々に舌を絡ませあってから、ようやく離れた岳治さんは深々と溜息を吐いた。

「今日はお前を味わえないのが残念だな」

 それは、わたしも同じ気持ちだった。

                 ●

はよう、金を産まんか! こん馬鹿たれ!」

 しばらくして、二度目の月のものが来た。だから夜更けに、たき刀自に呼びつけられ、こうして怒鳴られている。

「申しわけありません」

 それ以外に云いようがない。子ができるかどうかなんて、まさに神頼みなのだから。
 刀自の説教をやり過ごし、ぐったりした気分で庭から使用人棟へ帰る途中、母屋の勝手口に明かりが灯った。提灯ちょうちんよりも朧げに見える小さな明かりが。
近づいていくと、手燭てしょくを持つ浴衣姿の人影が浮かび上がる。――一瞬、岳治さんかと思ったが違う。こんな所にいるわけはない。似た顔ではあるが、だらしない立ち姿のその人はわたしの苦手な人だった。

「梅之助さん……」

 普段は洋装の梅之助さんだが、寝間着には着古した浴衣をつかっている。それはここ暫くの繕い仕事で知った。寝る支度をして、こんなところで何をしてるのだろう。
 ひょっとしたら、わたしを待ち構えていたのだろうか。嫌な予感で足が重くなる。

「なあ、お前、ほんとに可愛がってもらってるのか?」

 案の定、梅之助さんが酔っ払いのような態度で絡んできた。岳治さんとのことを言われているのだとは分かったが、何も答える気はない。

「失礼します」

 その場を通り過ぎようとしたら、素早い動きで腕を掴まれた。

「ああ、心配することはないか。十分可愛がってもらってるのみたいだな、さち、お前いやらしい体つきになったよなあ。一日おきに男をくわえ込んでるんだものな。随分と楽しんでるじゃないか」

 耳元でささやかれ、かっと頭に血が上る。いやらしいことを言われた恥ずかしさよりも、怒りで体が震えだす。腕を振り払い、梅之助さんを睨みつける。

「山神になった岳治さんを可哀そうだと思わないんですか!?」

 あんな暗闇で一人きりなんて、梅之助さんならきっと耐えられないだろうに。

「あんな間抜けしるかよ」

 梅之助さんが吐き捨てた。


「間抜け?……なんのことですか」

 岳治さんは誰かに間抜けと詰られるような人ではない。学があって、仕事もできる立派な人だ。山神の器を決める籤で、外れを引いたことを言っているのだろうか。籤の結果を間抜けと嘲られるのは釈然としない。
……ただの不運じゃないの?

「蔵の中に一生閉じこめられて暮らすなんて、間抜けとしか言いようがないだろ」
「一生? わたしが子供を産めば、出られるわけじゃないんですか?」

 わたしが言うと、梅之助さんは一瞬ぽかんとした。それから、徐々に笑みの形に口を歪めていく。笑顔というには酷く狂暴な表情だけれど。

「お前――」
「やめておけ梅之助。面倒なことになったらどうする」

松葉さんが背後からやってきて、梅之助さんの肩に手を置いた。

「兄貴、なんで」
「そうやってちょっかい出すのはお前の悪い癖だ」

 二人は僅かな間、視線を交差させていたが結局そのまま立ち去っていった。混乱するわたしを置き去りにして。

「……」

 制止された梅之助さんの言葉の続きは、なんだったのか。気になって仕方ない。云いようのない不安が胸に広がっていく。

……岳治さんに会いたい。
 
 会って、考えすぎだと笑ってほしかった。
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