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しおりを挟む猛さん、猛さん。寝るならベッドに行ってください」
「あ? ……ああ」
孝太郎に揺り起こされ、猛はリビングのソファーで伸びをした。変な体勢でうたた寝して首や肩が少し痛い。窓の外はもう薄暗く、いつの間にか夕方だった。久しぶりにぐうたらしすぎて身体がダルいと思いながら猛は煙草に火をつけた。
「会社は?」
「解決しました、問題ないです。昼食とってないんですか?」
テーブルの上で手つかずでそのままになっている料理と、吸い殻が更に増えている灰皿を見て、孝太郎は流石に吸いすぎだろうと呆れた顔をした。気を取り直すように孝太郎は咳払いをひとつすると、いつもより若干高い声で猛に言った。
「煙草、買ってきましたよ。今回5カートンも買ったら特別におまけをつけてくれました。要ります?」
「はぁ? おまけ?」
「お持ちましょう」と孝太郎は廊下に出る扉に向かって行った。普段自分で煙草を買わない猛は、煙草を買うとオマケなんてついてくるのかと、然程気にしずに孝太郎の動きを目で追った。孝太郎がガチャリと扉を開けた瞬間、猛は目を見開いた。
そこには煙草が入った袋を抱えた綾が立っていた。白い肌に茶色の瞳。猛は身動きできないまま、懐かしいとすら感じるその変わらぬ姿を食い入るように眺めた。
「……綾」
「おまけなのでどうするかは猛さん次第です」
猛に向かってそう言った孝太郎は控えめにニヤリと片口を上げた。何度か瞬きをして我にかえった猛は抗議するような目で孝太郎に顔を向けた。
「おまえが連れて来たのか」
「私の判断ではなく綾さん本人の希望です。送って行った時点で迎えを頼まれていて、今朝連絡が入ったのでそれを実行したまでです。あなたが本人の好きにさせろと言ったでしょう?」
孝太郎が綾を送って行ったあの日、孝太郎は綾に頼み事をされていた。それはある条件が満たされたら迎えに来て欲しいという事だった。今朝の電話は猛には会社だと偽ったが、本当は綾だった。
記憶を探れば確かにそう孝太郎に指示した猛は、一杯食わされたと言うように重く息をついた。
孝太郎は綾の背中を押してリビングの中央まで歩かせた後、猛の指にあった煙草を取り上げ灰皿に突っ込んだ。そしてその灰皿と綾の手にあった袋を持って部屋を出て行ってしまった。
猛は無言で下を向いたまま、何かを考え込むように動かない。部屋に入った時からずっと神妙な面持ちだった綾は勇気を振り絞るように握りしめた拳に力を入れた。
「猛さん。僕は選択を一つじゃなく二つ両方選びました」
「……どういうことだ……?」
綾が落ち着いた声で話し出し、猛は顔を上げ、眉をひそめた。猛がいつもの目つきの悪さに戻り、綾は気構える。
「ここを出て両親の所に戻りましたが、今度は自分の意思でこの場所に来ました。僕を……屋敷に置いてくれますか……?」
猛は険しい顔で綾をしばらく見つめた後、皮肉な口調で綾をあしらった。
「出て行ったがやっぱりこっちの方が良かったってやつか? ボロアパートよりここの方が質がいい生活できるもんな」
「ち、違います! 両親の元へ行ったのは話しをするためです。お金とか関係なく、僕が猛さんの側にいたいと思ったかったから……!」
きちんと顔を見せて、自分は不幸なんかじゃないと両親を安心させたかった。
それが済んだらまた屋敷に戻りたいので迎えに来て欲しいと綾は孝太郎に頼んでいた。
綾はベッドで二択を選択させられた時、一瞬猛に捨てられたと思ってしまったが、直前に激しく自分を求めて抱いてくれた猛を信じた。きっと何か考えがあってそんな話を持ち出したのだと。
「それがおまえの本心か?」
「すき……なんです。猛さんが好き……」
今まで我慢してきた言葉を口にした途端、綾は堰が切れたように感情が溢れた。恋しい人を求めるように熱い瞳で猛を見つめ、その気持ちを声に乗せた。
猛はゆっくりソファーを離れると惹き寄せられるように綾の前に立った。
「……好きです」
「もう一度言え」
「好き……」
強く抱き締められ、煙草とシトラスの匂いにクラクラした。
そのまま隣の寝室に連れて行かれた綾は服を全部脱ぐ前に猛に突っ込まれた。焦らすような愛撫もなく、激しいキスと抱き込むようにして覆い被さり突いてくる猛は余裕がなく別人のように感じた。初めて会ったときに匹敵するくらい乱暴に突かれたが、猛が達した後「我を忘れた」と申し訳なさそうに言われた。あれはさり気なく謝られたのだと思う。
帳消しにするように2度目は優しく抱かれ、いつも大切に扱われていたのだと実感した。
「……両親は納得してるのか?」
猛の腕の中で余韻に浸っているとおもむろに訊ねられた。顔は見えないが、声からすると猛の眉間のシワは深そうだ。綾は「はい」と答えると話を続けた。
「納得させるのに2日かかりましたが、最後は笑顔で送り出してくれました」
「別に今生の別れじゃないから会いたい時に会いに行けばいい」
「……え、いいんですか?」
「一人では行くなよ」
「……はい」
抱えられていた頭をポンポンとされ、綾は甘えたい気持ちになった。頬を猛の胸に擦り寄せてその温かい肌に心地よさを感じた。
「久しぶりに外に出たろ、他にどこか行ったのか?」
「はい、彼女の所に」
「……彼女?!」
猛はがばっと起き上がり、信じられないような目で綾を見た。
「彼女って何だ!?」
「あ、あの……言ってなかったんですが、僕にはここに来た当時付き合ってた彼女がいて……その子にも会ってきました」
猛の驚愕なリアクションに、綾は何でそんなに驚かれるのか不思議に思いながら説明を入れる。
「もう2年も経ってるので会いに行くのもどうかと思ったんですが、やっぱりけじめはつけたくて」
綾がいなくなってからずっと誰とも付き合ってなかったようなので、彼女はもしかしたら待っててくれたのかもしれない。
「ちゃんと別れてきました」
「……そうか。おまえが女と付き合うとか想像した事なかった。なんか……」
女同士みたいで変な感じだ、という言葉を猛は飲み込んだ。キョトンとした顔で猛を見上げる綾は寝顔と同じ、純粋無垢で隙だらけだ。猛はその顔を手で包み自分の顔を寄せ、新しい関係を作るための言葉を紡ぐ。
「お前は俺のものだ。今後は勝手に他の奴に触らせるな」
「……はい」
瞳を潤ませた綾の返事を受け止めた猛は、満足そうに微笑んでから唇を重ねた。
***
「綾さん? こんな所で何やってるんですか?」
「こんな所って何だよ孝太郎。ワシの厨房だぞ」
「あっ、袴田さんよそ見すると火傷しますよっ」
孝太郎は喉が渇いてお茶を貰いに厨房へ訪れると、綾が袴田と肩を並べて何かを作っていた。調教の仕事がなくなって手持ち無沙汰になった綾は、進んで厨房に入り袴田を手伝うようになった。しかし夕食や片付け、明日の仕込みも終わっている時間帯にも関わらず二人は何か作業をしている。孝太郎は気になって二人のいる厨房の奥まで入って行った。
「それは?」
「プリンです!」
綾が嬉しそうに笑って明るく答えた。作業台には牛乳瓶を小さくしたような容器が六つほど並んでいる。甘い匂いも広がってまるでケーキ屋にいるみたいだ。
「袴田さんにプリンの作り方教えてもらってたんです。プリンって蒸して作るって知ってました?」
「はい、知ってますよ」
「あ、そっか。孝太郎さんは頭いいから何でも知ってますよね。僕さっき初めて知って驚きました!」
以前よりおしゃべりになったな、と孝太郎は綾を暖かく見下ろす。袴田も同様に感じているのか、穏やかな表情で目尻にシワを増やしている。口数が増えただけではない。笑顔も増えて素の綾が垣間見れる。こういった変化なら変わるのも悪くないと孝太郎は小さく頷いた。
「今蒸し器から出したばかりなので冷めたら孝太郎さんの部屋まで持って行きますね」
「私の分もあるんですか?」
「もちろんです」
猛と想いを交わして絆を深めた綾が明るくなったのも、笑顔が増えたのもいい事だと思う。だが好意的に自分に寄って来られるのは遠慮したいと孝太郎は思っている。
懐くな、とは面と向かって言えない孝太郎は、一定の距離をとるため時々冷たく対応する。
「こんな時間に食べると太ります」
「そっか、そうですよね……」
シュンと耳が垂れた仔犬みたいな反応は反則だ、と結局甘くなる。
「明日の朝に頂きますので私の分は取っておいて下さい」
「はい、わかりました!」
綾は猛の部屋で過ごすようになったが、時々孝太郎の部屋にもやって来る。
「孝太郎さん、入ってもいいですか?」
「どうぞ」
こんな遅い時間に何しに来たのかと思ったら、綾は出来上がったプリンを光太郎の部屋で食べると言って、卓袱台でパソコンを広げている孝太郎の近くにちょこんと座った。
「猛さんの部屋で食べればいいじゃないですか」
「僕がいると煙草が吸えないからって追い出されたんです。寝室で一人で食べるのも寂しいし、孝太郎さんならまだ起きてるかなって。迷惑でした?」
「綾さんが一緒にいれば煙草の本数も減るので、できる限り猛さんにくっついていてもらえると助かりますが、追い出されたのなら仕方ないですね」
「僕がいなくても今は煙草吸ってないと思いますよ。これ持ってきちゃったんで」
えへへ、といたずらに笑った綾の手には猛のジッポーライターが握られていた。
「意外に大胆ですね」
「後でこっそり返すので内緒にしてくださいね」
そう言って綾はズボンのポケットにジッポーをしまうと持ってきたプリンを食べ始めた。
本当に意外だ。こんな事して猛にバレたとしても、本気で咎められないからできるのだろう。これは部屋で二人きりの時、綾が猛にかなり甘やかされている証拠だ。
あの猛が……。と孝太郎は、何年か前の凶暴で人情味が全くない猛の姿を思い起こす。外では相変わらずの風貌だが、屋敷にいる時間は前より増えて穏やかになった。これもいい変化だ。その変化をもたらした人物を見過ぎていたらしく、綾は孝太郎に向かって首を傾げた。
「やっぱりプリン食べたくなりました?」
「いいえ」
「袴田さんのオリジナルレシピだそうです。めっちゃ美味しいですよ。一口だけ食べてみてください」
はい、あーんしてと言うようにプリンの乗ったスプーンを口元に持ってこられ、孝太郎は慌てて首を横に振った。そんな恐ろしい事は出来ない。
「一口くらいなら太りませんよ」
気にしているのはカロリーじゃない。
詰め寄るように身を乗り出してくる綾をどうあしらおうかと孝太郎が考えてると、タイミング悪く襖が開かれた。
「……孝太郎、テメェ楽しそうだな」
「た、猛さん! どう見ても私は悪くないですよね!?」
確かに綾が無理矢理孝太郎に食べさせようとしている構図だ。猛がジロリと綾を睨むと綾は気まずそうに孝太郎から離れた。
「綾、返せ」
「……はい」
綾はポケットからジッポーを取り出すと、猛の顔色をチラチラ伺いながら猛の手のひらに乗せた。その拍子に綾の手を掴んだ猛は綾を持ち上げると肩に担いだ。
「わあっ! た、猛さん!?」
「落ちたくなかったら暴れるな。……孝太郎、わかってるな?」
「だから私はそんなマネしませんって」
綾に手を出したら殺すぞ、と言うように猛は孝太郎をひと睨みした後、襖も閉めずにその場を立ち去った。
「そんな牽制してくぐらいなら部屋から出さないでくださいよ……」
いい迷惑だ……と呟いた孝太郎はどっと疲れが押し寄せ、畳の上に寝っ転がった。
*
「クッソ、孝太郎の部屋にジッポー落としてきた」
「ご、ごめんなさい。僕取ってきます!」
担いだまま寝室に運ばれた綾は光太郎の部屋に行こうと急いでベッドから降りた。しかしその後ろ手を猛に捕まえられた。
「朝まで寝室から出ないから必要ない。それより、あんな事してお仕置きして欲しいのか?」
グイッと顎を掬われ上を向かされた綾はヒヤリとする。前にジッポーを隠した時、猛はこんなに怒らなかった。
「俺以外に馴れ馴れしくするな」
「え、そっち……?」
ジッポーじゃなかった。
「今夜はおまえが一番くたばるコースにしてやる」
ベッドに引っ張り込まれた綾が動けないように猛が上に跨った。そして不敵な笑みを浮かべて綾の服を脱がせていく。
「え、えっ、猛さん、ごめんなさい。もう絶対しないからそれだけは勘弁してくださっ……」
半泣きで訴える綾の口は猛の唇で塞がれた。猛の宣言通り、一番くたばるコースを受けた綾は翌日ベッドから動けなかった。
END
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