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その46
しおりを挟むーーお前を愛している
「…………フォード?」
自分の掠れた声が耳に入り、エティはゆっくり瞼を開けた。眩しさで強く目を閉じ、光から顔を背けてもう一度ゆっくり目を開けた。
視界に入ったのは微笑むローズと、その背後の見覚えのある景色だった。
私の部屋……?
妙な気だるさの中、エティはゆっくりと身体を起こした。ローズはエティより先に独り立ちして生家を出ていて、エティの部屋にいる光景なんてとても久しぶりだ。そんな事をぼんやり思いながら何度か瞬いた。
「今、一番何が欲しい?」
ベッドのすぐ脇で腕を組んで立っていたローズが優し気に訊ねてきた。エティはローズと視線を合わせながらいきなりの質問に首を傾げた。姉は幼い頃から常に実年齢より精神年齢がはるかに上だった。時々難しい事を言ったりしてエティを振り回す。そう知っていながらも欲しいものは?と言われエティは反射的に答えを探した。
欲しいもの?欲しい、もの……。
ーー私ね、欲しいものができたの
「フォード!!フォードは!?彼はっ…どうなったの?!」
エティは半ばむせながらローズに詰め寄った。ベッドから落ちそうになったエティをローズが支えると、背中を摩りながらベッドへ戻した。エティの背中はふわりと暖かくなり喉が楽になった。
しかしローズの服を掴む手は震え、顔は青ざめ強張っていた。
途中から記憶がない……。
あの時クリフォードがどうなったのかエティには全く覚えがなかった。心臓が止まって、必死に何度も呼びかけた。戻ってきてと、逝かないでと何度も名前を叫んだ。
「ねぇ、フォードは……?」
もはや声にならない程小さく、エティは訊ねた。ローズはエティのすぐ側に身を置き、エティをまっすぐ見て答えた。
「エティが助けた彼は、エティを助けるために死んだわ」
「……どういうこと?助かったのに…死んだ?」
ローズはクリフォードに説明したように、エティが禁忌を犯しクリフォードの命を蘇らせた事を話した。
「彼が何でもするからエティを助けてくれと言うから、エティが彼に注いだ魔力をあたしの力でエティに戻したのよ」
「そんな……!!」
エティは嘘よ、と首を振ったが、ローズからは冷たい言葉が続いた。
「彼はエティと同じ事をしただけよ。エティに文句を言う資格はないわ」
ローズは悲し気に視線を下に向けた。言葉は刺さるようだったが、ローズの表情は同情を表していた。
「いやよ、フォード……!」
ーーエティ、愛してる
全身を包むようなクリフォードの優しい声と、額にキスをするクリフォードの姿が頭に浮かんだ。
そんなつもりで彼にナイフを向けたんじゃない、とエティは手で顔を覆った。指の隙間からは涙が溢れた。
「フォードと一緒になって、彼の子供を産んで、彼の家族を作りたかった。……そして彼と遠乗りした森に、もう一度一緒に行きたかった。私が欲しかったのはフォードとの未来よ……!」
「だったらどうして一番危険な方法を選んだの?仮死状態にするにはナイフを向けなくてもエティの魔力でもできたでしょう?」
「癒す方は出来ても、逆に命の火を小さくする魔力に自信がなかった。万が一、紫銀の女に術を見破られたらフォードの魂は奪われて、生まれ変わる事も出来ずに永遠にあの女の心に捕まる。紫銀の女は見た目は私でも……中身はあのジェシカって人なのよ!そんなの嫌よ!」
エティは悩んだ挙句、自分ができる手段の中で、命の危険度は高いが紫銀の女に魂を奪われる可能性が低い方法を選んでしまった。
クリフォードの魂を絶対に渡したくない。
それはエティのクリフォードに対する激しい愛だった。
嗚咽を漏らして泣くエティに、ローズはまたわざと冷たく言葉を投げかけた。
「彼の魂はもう自由だわ。さっきの願い事は来世で叶えることね」
自分を責めて泣いている人には暖かい慰めの言葉よりも、叱責の方がいいとローズなりの配慮だった。
エティは気の済むまでベッドで泣くつもりだったが、ローズに「泣くぐらいなら馬にでも乗ってこい」と言われ無理矢理ベッドから引っ張り出された。そんな気分にはとてもなれないが、自分の背後にはローズが腕組みをして睨みを効かせていた。エティは泣きながら仕方なく扉を開けた。
「…………ひっ、!!」
「あら、我慢しきれずに来世から来ちゃったのかしら」
「意地が悪いぞ、ローズ嬢」
扉を開けたそこにはクリフォードが立っていた。よく身につけている黒い服に映える金の髪。エティが切った分だけ短い前髪がサラリと揺れた。
呆れたような顔でローズに文句を言った後、クリフォードの青い瞳はゆっくりと自分より少し深い青色の瞳を捉えた。涙で濡れたそれは大きく見開かれ何度か瞬いた。
「……フ、フォード……?ほんもの?」
「ああ、本物だ。キスは我慢する。抱きしめても?」
「嫌よ!キスもして!」
エティは両手を広げたクリフォードに飛びついた。クリフォードもエティの身体にしっかり腕を回すと力強く抱き締めた。
「フォード!」
エティが呼ぶ自分の名前にクリフォードは胸が震えた。エティを抱き締めているのが夢ではないと腕の中の暖かさが腕と身体を通して心に伝え、クリフォードは幸せというものには上限がないと感じた。一方エティも、もう二度と叶わないと思ったクリフォードの抱擁に声をあげて泣いた。彼の腕の中はこれ以上ない安心と心地よさだとエティは再確認した。
「ストップ!!」
突然ローズが待ったをかけた。普通なら気を利かせてそっとその場を離れるだろうが、生憎ローズはそうでなかった。
「二人ともそこに座りなさい」
親が子を叱るようにそう言うと、ローズはエティの寝ていたベッドに二人並べて座らせ、自分はその前に腕組みをして立った。顔はどこか怒っている。クリフォードはやれやれと髪を掻き上げながらため息を吐いた。
ああ、本当にいつもの彼だと、エティは隣に座ったクリフォードの様子を見ていてある変化に気づいた。
「フォード、蔓がないわ……」
「蔓?」
「気づくのが遅いわよ。大体どうしてあんたの彼が助かったのかわかってるの?」
エティが解いた呪いは紫銀の女の方だけだ。だが、クリフォードの胴にまとわりつくように付いていた呪いの文字でできた蔓は、クリフォードの全身どこを見ても見あたらなかった。ローズに言われて、そういえばどうしてクリフォードはケロリとした姿でここにいるのかと、エティは今更ながら不思議に思い、全て知っているであろうローズを見上げた。
「そこの彼には事前にある程度説明したけど、エティが禁忌を犯したという部分や魔力を戻したあたりはあたしの作り話よ。死んだ者を生き返らせる事なんてできるわけないでしょう」
「作り話!?な、なんで!?」
「何で?あんたが無茶する性格だからに決まってるでしょう!」
ローズはエティにひときわ大きな声で怒鳴りつけた。その迫力に前のめりになっていたエティの身体は後ずさった。
「彼の心臓が止まったところまでは覚えてるんでしょう?その後の事は?」
「覚えてないわ……」
「あんたは癒しの魔力が使えるようになるまで自力で彼を蘇生したのよ。心臓への圧迫を繰り返して、心臓が僅かに動くまで何度も何度も続けて助けたのよ」
ローズから説明を受けてもエティはかけらも思い出せなかった。隣からふわりと手を繋がれ、エティはクリフォードを見た。
「手首の骨が折れていたと聞いた」
そんな細い身体でエティは諦めもせず、よく続けたもんだとクリフォードは再びエティを抱き締めた。
「瀕死だったのは言い過ぎかもしれないけど、エティは癒しの魔力を使い過ぎて精神も身体もボロボロだったのよ。私は癒しの魔力が得意じゃないから母さんに治してもらったわ」
何よりも、愛する人をその手で刺したという事と、クリフォードが意識を失う瞬間の失望感がエティをとても大きく苦しめた。
「蔓が、もう一つの呪いがないのはどうして?姉さんが消してくれたの?」
「いくらあたしでも一度放った呪いは回収できないわ。彼の心臓が一度止まったことで最初の呪いも消滅したのよ。怪我の功名ね」
ローズはフッと笑うと腕組みを解いた。ローズの怒っているポーズがなくなり、エティは内心ホッとした。ホッとすると心に余裕がうまれ、気づくことがあれこれ出てきた。
「呪いが二つとも消えたんだから呪い返しは起こってないのよね?もし私が呪いを解いて呪い返しが発生したら姉さんはどうなってたの?」
「全く問題ないわ。魔力を抑えて呪いをかけてあったから、呪い返しがきてももっと強い魔力で捕まえて封印するつもりだったから」
自信満々に説明するローズにエティはイマイチよくわからないと首を傾げた。それにしてもローズは魔力や呪いに凄く詳しい。今度詳しく説明してもらおうとエティは考えて、アレ?とローズを見上げた。
「姉さん……どうしてこんなに詳しいの?まるで見てたような……」
「見てたわよ。途中からだけど」
「みっ……?!」
エティから紫銀の女について話を聞いていたローズは、次に紫銀の女が現れたのを気配で感じ取ると魔力を使いクリフォードの寝室を見た。
具体的にはローズの手元にある鏡とクリフォードの寝室の壁にかかっていた鏡を繋げてそこから覗き見たのだ。
そう説明され、エティは真っ赤になりながら信じられない!とローズを非難する目で見た。しかしローズがエティの身を心配して寝室を覗いたのもわかっている。結果エティはそれ以上何も言えなかった。
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