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53 消えない幻影

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リリアンに回復の魔法をかけて疲れを取り除いてもらったローズは、そのままリリアンの腕の中で寝落ちしてしまった。エティがクリフォードの呪いと闘った場面は、ローズの身体への疲れよりも心への負担が大きく、その領域はリリアンの魔力であってもどうすることもできなかった。


朝、目を覚ましたローズはすぐにエティの容態を気にかけた。身動きせずに深く眠るエティの枕元に座り、早く目を開けてくれないかと寝顔を眺めているとリリアンがやってきた。


「そんなに心配しなくてもちゃんと目を覚ますわよ。それよりローズはお仕事はいいの?お城で薬師をやってるって聞いたけど」

「あっ……」


仕事もだけれど、レジナルドの事忘れていた。急用で出かけると書き置きしたが、そのまま外に泊まってしまった。あの心配性のレジナルドの事だ。朝になっても戻らないライアンをもの凄く心配しているかもしれない。薬室に行く前にレジナルドに顔を見せに行った方がいいだろう。

それにしても、敢えて両親には言ってなかったのに、薬師をやってるとリリアンに教えたのは間違いなくレヴァイン国王だろう。


「ごめんなさい」


内緒にしていたことを謝るとリリアンは「どうして謝るの?」と微笑んだ。


「薬師なんて、いいお仕事見つけたのね」

「薬草を薬にしていくのは好きだけど、病気や怪我をパパッと治せないのがもどかしいわ。癒しの魔法があればもっと楽なのに」


何度も薬室に通う人を見るたびに思う。病気や怪我で発生する不自由や不安をすぐにでも取り除いてあげられるならどんなにいいだろう。


「そんな事しちゃったらみんな自分自身を大事にしないし、身体は徐々に弱くなっていくわ」

「え?どうして?」


リリアンの言いたい事がわからずローズは首を傾げた。


「怪我してもすぐ治っちゃうなら死なない程度に無理しちゃうでしょ?他人にだって平気で危害を加えるようになっちゃう」


確かにそうだ。エティが血まみれだった姿を思い出しゾッとした。


「人の身体は病気と闘って段々強くなっていくようにできてるのよ。時には勝てない病もあるけど、自然の治癒力には魔法よりも素晴らしいものがあるわ。それに身体が強くなるのと同時に心も育てる」


リリアンはローズの胸に人差し指をあてニッコリ笑った。


「自分が苦しんだ分、人に優しくできるのはローズが経験済みでしょう?魔力を持って寝込んだあの期間の辛さが、今の薬師のローズの原点なんじゃないの?」


薬師の仕事が肌に合ってると思うのは確かだ。リリアンの言う通りならば、自分が背負った苦しみは無駄なんかじゃなかったと思える。そう考えるとあの時の嫌いだった自分自身も大切にしたくなる。


「もしそうだとしたら母さんの影響が大きいわ。ずっと側で見守ってくれたから」

「一つの支えがあれば、どんなに苦しくてもいつか乗り越えられる日が来るわ。私は逆にローズから学んだのよ」


ローズはその日、抱きついたリリアンの耳元でずっと言いたくて言えなかった言葉を告げた。短い一言は小さく囁くようになってしまったが、リリアンはコクリと頷いて優しく頭を撫でてくれた。



***



エティの事が気にかかり、気もそぞろでローズは城に戻った。もちろんライアンの姿に変身して門の外から帰った。移転魔法ばかりでなく、たまにはこうして普通の人と同じように行動しないと不自然過ぎる。

門をくぐってからレジナルドの部屋に行くまでに、会う人殆どから声をかけられた。内容は全て同じだ。


「ライアンさん、レジナルド様が探してましたよ!」


……やっぱり。

置き手紙に『必ず戻ります』と入れておけば、レジナルドがこんなに捜しまわらずにすんだのに。あの時はそこまで気が回らなかった。

一通り城内を捜し回ったらしいレジナルドは自室に戻っていた。寝室のベッドに腰掛け、祈るように組んだ手に頭を預けていた。


「あの……ただいま」

「ライアン!!よかった……!!」


勢いよく抱き締められ、ライアンは息ができないともがいた。何とかレジナルドを引き離すとしどろもどろで謝った。抱きつかれるほど心配してくれるとは思ってなくて、申し訳ない気持ち半分と、後は嬉しいのと照れ臭かった。


「急にいなくなってごめんなさい。そんなに心配するほど、最近の僕は様子がおかしかったですか?」

「ああ。時々意識がどこかに行ってしまったように考え事してたし、家に帰るとか言い出したから、もしかしてもう戻ってこないんじゃないかと……!」

「この先ずっとレジナルド様に仕えると契約したばかりですよ。僕は約束は守ります」


ライアンが笑いかけると、レジナルドはやっと安心したように眉間のシワを解いた。そして同じように笑うとライアンの頭にポンと軽く手を置いた。


「腹減った。おまえは?もう食べた?」

「まだ、です」


レジナルドならライアンが戻るのを待っていてくれている気がして、ローズはリリアンの朝食を断って戻ってきた。
周りも驚くほどライアンを心配したレジナルドは、何があったかライアンを問い詰めたりしなかった。少しくらい訊ねられると覚悟していたライアンは拍子抜けした。




クリフォードについていた呪いは消滅した。


ローズの前に現れるあの幻影の原因と思われるものはなくなった。きっともう見えないはず。レジナルドとゆっくり朝食をとりながらライアンは頭の片隅で考えていた。うなされることがないのならレジナルドの所で寝泊まりする必要はなくなる。もしかして一緒に朝食をとるのもこれで最後じゃないのだろうか。

そんな長い期間ではなかった筈だが、レジナルドと同じベッドで寝たり、隣りで食事をしたりと、この生活が当たり前だと考えてしまうほど自分は順化していたのに気づく。


「どうした?」

「あ、ううん。ここの食事はどれも美味しいなって思いまして……」

「どれも残さないように食べてたが、苦手な物はなかったのか?」

「残さないようにしてたのは、レジナルド様が食べろってうるさかったからですよ。特に好き嫌いはないので本当に美味しくいただきました。あ、でもこのデザートは残してもいいですか?」

「なんだ?もう満腹か?」

「甘いものあまり得意ではなくて」

「……あ、そういえば飲んだ時にそう言ってたな。あれって酒だけじゃなかったのか?!」


レジナルドが食べていた手を止め、過剰じゃないかと思うほど驚いた。その隙にデザートの器をレジナルドの方へそっと移す。一口サイズのケーキだ。レジナルドなら増えても問題ない量だろう。


「……甘い菓子が好きそうな顔してるのに意外だ」

「ポワンとしてると言いたいんですね。ちゃんとキリッとするように頑張りますよ」


ジッと見つめてくるレジナルドを軽く睨んで紅茶を飲んだ。ここの紅茶は一級品に違いない。香りも味も格別だ。以前アベルさんから貰ったものと大差ない気がする。やっぱりあの時の紅茶はかなり高価だったんだ。

紅茶のおかわりは?とポットを持ってきたメイドさんの目が、レジナルドとライアンを温かく見守るように輝いている。


何だか嫌な予感がする。


***


予感は的中した。

その日の午後、薬室に訪れた患者から質問攻めにあった。


「レジナルド様と痴話喧嘩したって?もう仲直りした?」
「別れる別れないで揉めたって?どうなったの?」


レジナルドとライアンが恋人だという前提の内容なのはどういう事だ……。相変わらず細かい話を聞きたがる先輩を何度もあしらいながら薬室での仕事を終わらせ、レジナルドの部屋へ戻った。


「レジナルド様が起きる様子がないので簡易な食事を用意しておきますね。ライアン様は先に召し上がりますか?別で用意しますよ?」

「そんなお手数かけれません。後でレジナルド様と一緒にいただきます」

「そうですか?わかりました。では、二つ向こうの控え室に誰か一人はいますので、何かご用がありましたら遠慮なく声をかけてください」


どうぞごゆっくり。みたいに意味深にニッコリ微笑んだメイドさんを見送って、静まり返った寝室に入る。

ライアンが薬室から戻るとレジナルドはベッドで倒れ込むようにして眠っていた。夜の食事の時間を大幅に過ぎ、メイドさんが声をかけたがピクリとも動かなかったのだ。


「熟睡じゃないの。やっぱり昨夜一睡もしてなかったんでしょう?」


レジナルドの近くに座り、顔にかかった金の髪をそっと指で掬い取る。起きる気配がないのをいいことにそのまま髪を撫でた。サラサラで柔らかい髪質はいつまでも触れていたくなる。昨夜を最後にここを離れると話すつもりだったのに、レジナルドが寝ていたせいで出鼻をくじかれてしまった。ここまできたらもう一晩くらいお世話になっても変わらないな、とライアンはベッドに横になった。


夜中にふと意識が浮上し、窓から差し込む月明かりに照らされているレジナルドの寝顔が目に入った。そういえばカーテンを閉めるのを忘れていた。今夜は雲もなく夜空は晴れて、丸い月が一段と明るい。これでは窓に近いレジナルドが眩しいだろう。カーテンを閉めようと、ライアンはムクリと上半身を起き上がらせた。その振動でレジナルドが身動ぎした。起こしてしまったかと思ったが、軽く体勢を変えただけで心地よい寝息を立てている。ホッとして、今度は静かにベッドから降りた。

ライアンはその場でギクリと固まった。

部屋の隅に見えるあの黒い影は……。


「ど、どうして?……もう呪いは消えたのに」


ライアンは声を震わせ、これは夢だと首を横に振った。後ずさり、ベッドに倒れ込んだ。一度ぎゅっと目を閉じ、あれはもういない筈と呼吸を落ち着けてからゆっくり振り返った。

気のせいでも夢でもなかった。はっきりとライアンの瞳に映るその黒い幻影。
先ほどよりも一歩ライアンへ近づいたクリフォードの幻影の手には、血のついたナイフが握られていた。そのナイフには見覚えがあった。鏡の中でエティが手にしていたナイフだ。ナイフの先から血が一雫落ち、絨毯に赤黒い染みを作った。


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