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42 温もりのありか

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最近、悩みの種が増えるばかりで、ローズの気持ちは不安定だった。
舞踏会の翌日からイザベル王子から恋文が届くようになり、次第にそれは手紙だけでは済まなくなってきた。煌びやかな宝石がついた耳飾りや首飾り、一級品の化粧品など、イザベル王子からの贈り物を彼の部下が持ってくるようになった。受け取れないと突き返しても、家の前でずっと立たれてしまい、ローズは彼等の扱いにとても困った。

そんな時、レジナルドと突発的に言い争いになって、憂鬱になったローズは久々に生家に帰ることにした。

以前、同じように気分が沈んだ時は一人になりたかったのに、今は不思議と両親の暖かさが宿るあの家に帰りたくなった。


「急に来てしまったけど……いい?」


懐かしい家の戸口でしどろもどろでそう言うと、ローズはリリアンの顔色を伺うようにチラリと眼だけ動かした。リリアンは瞳に涙を浮かべて微笑むと、ローズを暖かく抱き締めて迎え入れた。


「アルから、近いうちに来るかもしれないって聞いてたから、心待ちにしていたのよ。おかえり、ローズ」

「た、ただいま」


ローズは聞こえるかどうかの、か細い声で呟いた。未だかつて、こんなに緊張した『ただいま』は言ったことがない。
母親をたくさん傷つけたことを謝ろうと、ローズは意を決して下を向いていた顔を上げた。翡翠色の瞳と視線が合うと、ローズの想いを察したのかリリアンは首を小さく横に振った。


「私が欲しい言葉はさっき聞かせてもらったわ」

「……母さん」

「さ、座ってお茶でも飲みましょ」


いつも明るいリリアンは、とても眩しく笑う。その笑顔だけで周りを和ませ、安らげるものがあった。
父親のアルフォンスはきっと、母親のこういった部分に惹かれたんだろうとローズは思った。


生家の温もりに気持ちが緩んだのか、ローズは自分が放った呪いについてリリアンに話した。自分の罪を打ち明けるというより、相談に近かった。

意外にも、リリアンはローズが人に呪いをかけたのを知らなかった。てっきり、ローズについての情報をレヴァイン国王と共有していると思っていた。娘が人を傷つけるような魔法を使ったなんて、きっと知りたくなかっただろうと思いながらも、他に頼れる人がいなかったローズは現状を説明した。

案の定、リリアンは少し悲しそうな表情を見せた後、困ったように頬に手を当てた。


「おそらく私では、その呪いを止められないわ。ローズとの力の差がありすぎて太刀打ちできない」


リリアンの魔法は、特に突出して能力の高い分野があるわけではなかった。しかしローズは違った。人間との混合ハーフのためか、魔力に偏りがあった。怪我や病気を治す癒しの魔法は弱く、攻撃と防御はとてつもなく強い。呪いは攻撃の一部からつくられており、リリアンの魔力ではせいぜい目に見える程度だった。


「呪いを解こうと悩んでるんじゃなくて、この何日かで呪いが近づいて来てる気配がするの」

「え?近づいて?」

「偶然なのか意図的なのかはわからないけれど、男がいた場所から真っ直ぐ私に向かって移動してる。このままだと明日にでも私に辿り着くと思う」


最初から気をつけて占いの商売をしていたわけではない。考えにくいが、依頼主が男に何らかの理由で情報を与えてしまったとすれば、ローズの事などすぐ探し出せる。実際、レヴァイン国王はどうやって調べたのか、ローズが人に呪いをかけたのを知っていた。


「でね、もう一つ気がかかりな事があって……。母さんもわかってると思うけれど、エティがこっちに戻ろうと動いてるでしょう?」


5つ下の妹は、馬に乗ってあちこち旅をするのが好きでよく放浪していた。そのうち気に入った場所ができたからと、家を出て他国に住み着いてしまった。


「ええ。使い魔を使って私が帰って来いって言ったからよ。それがどうかしたの?」

「さっき話した呪いの男と同じスピードで移動してるの。もしかして跡をつけられてるか、一緒にいるかもしれない。もし、エティが私のせいで男に捕らえられてるとしたら……!」

「ローズ、落ち着いて」


リリアンは取り乱して顔を覆ったローズの横にそっと寄り添うと、優しく肩を抱いた。泣いている赤ん坊をあやすように、リリアンは指先でポンポンとゆっくりリズムをとった。そのうちローズの乱れた呼吸が少し収まると、リリアンは一つ提案をした。


「私の使い魔に確認してきてもらおうか?」

「え、でも……」


ローズは躊躇った。移転魔法で呪いの所まで行き、自分の目で確認することはできたが、真実を知るのが怖くてできなかった。渋るローズを説得し、リリアンは使い魔を飛ばした。



***



そして日が暮れる頃、使い魔の小鳥が戻ってきて、ローズは耳を疑った。


「こっ、恋人……!?」

「確定じゃないけどそう見えたって言ってたわ。小鳥からもう一度直接説明してもらう?」

「いいえ……」


ローズにとっては青天の霹靂だった。
青ざめた顔で勢いよく立ち上がったまま呆然とするローズを、リリアンは無理矢理座らせた。どういう経緯かはわからないが、ローズが呪いをかけた人物が妹の恋人と知り、さぞ悲痛な思いをしているのだろうと、リリアンはローズの心情を察して心を痛めた。しかし実際ローズが青くなったのは別の理由からだった。


「冗談じゃないわ。エティに言って別れさせないと!あんな最低な男、エティには絶対ダメよ!」

「ど、どうしたの?」

「あの男、毎晩違う女を家に呼ぶような奴なのよ!エティは騙されてるんだわ!」


呪いの依頼主から聞いた男の不貞行為を思い出し、ローズは激情に駆られた。エティには傷ついて泣いて欲しくない。



ローズは悲しんでいると思いきや、急に勇ましく怒り出し、リリアンには何が何だかわからなくなった。一つだけ確実なのはローズはエティの身を案じてこの家に帰って来たということだ。きっかけは何であれ、自分を頼ってきてくれたことに、今まで離れていた年月が救われる思いだった。


真意もわからないので、取り敢えず様子を見ましょうとリリアンに宥められ、ローズは久々に子供の頃から使っていたベッドに横になった。それでもなお、男への怒りは収まらずシーツを強く握り締めた。


***


翌朝、「エティがこっちに来たら私の方に来るように仕向けてくれる?」とリリアンに頼みローズは街の家に戻った。

もし、男が本当にエティの恋人だとしても、呪いを取り払おうなどと微塵も考えなかった。それよりも二人を別れさせたいという腹の内だけだった。


移転魔法で帰ったローズは何気に外を気にしてみた。


「やだ……あの部下、まだいるわ」


サイラス王子の部下は、ローズの家が見える距離ギリギリで隠れるようにして、ローズが出てくるのを待っている。あれで見つかっていないつもりなのだろうか。さすがに何日も同じ場所に同じ人物がいれば、街行く人々も不審に思う。


「頑張っているみたいだけれど残念ね」


ローズはいたずらっ子のようにクスッと笑うと幻惑の魔法を使った。あの部下の目にはローズの家が霧がかかって見え、そこに何もないように感じるはずた。部下は諦めて自分の国に帰るだろう。最初からこうすればよかったと、安堵の息を吐いた。

自分で言うのも何だが、魔女で力は底なしのくせに、魔法を上手に使いこなせていない気がする。いつ無くしても惜しくないほど、魔力は必要としていないつもりだ。そのせいかいざという時、魔法に頼るという思考が薄い。


その日の夕刻時、リリアンの使い魔からエティと男が家に着いたと連絡が入った。


エティの気配が店に近づいたのは翌日の午前だった。ローズは笑顔で迎えたが心の中では「男と別れて!」と大声で叫びたい気分だった。

何年かぶりに顔を合わせた妹は美しく変わっていた。年齢よりかなり幼い見た目がとても可愛かったのに、これでは抱きついて撫で回せない。

リリアンから、男についてる呪いはローズがしかけたと聞いているはずだ。本人は恋人ではないと否定したが、ローズの所に来たということはエティは男を心配して、何とか助けたいと思っているからだろう。

男がどれだけ酷い人物なのかエティに洗いざらい聞かせようと思っていたのに、いざ可愛がっていた妹を前にすると胸が詰まって何も言えなかった。それに、男に直接会った母親から『そんなに悪い人に思えない。エティをとても大切にしてくれているみたい』と教えられ、もしかして男は改心してエティだけを選んだのかもしれないと思う部分もあった。


男が女遊びが酷いままでも、真逆の好青年だったとしても、エティがその男を好きならば結果は同じなのだ。
男が死んだら、エティの翡翠色の瞳は光を失う。

エティが呪いを解きたいと言えば、ローズは陰ながら力を貸すしかないと心を決めた。

呪いをかけた本人、ローズが呪いを解くには状況が難しかった。まず、依頼主に呪いを取り下げていいか許可が必要だ。残念なことに、ローズは依頼主の身元は聞かないようにしていた。捜し出したとしても、今更身内事情で呪いを取り下げて欲しいとは頼みにくく、依頼主が素直に応じてくれるとは思えない。

たとえ依頼主が頷いたとしてくれても支障はある。実は呪いをかける際、ローズは探究心が働き、複雑かつ高度なものを男につけてしまった。正直自分でも手に負えない。

しかしローズにはない魔力、癒しの力が強いエティなら解くための糸口はある。


自分は魔女だから何でもできるかもしれないと思った時期があったが、大きな間違いだった。
自分が蒔いた種を自分の手で刈ることもできない。


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