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9 お試し期間
しおりを挟むライアンとレジナルドの間で仮契約が結ばれた翌日からライアンは城に通うことになった。レジナルドが最初に「まずはお試しに少しだけ」と誘った言葉をライアンは鵜呑みにしていた。どうせライアンとして役に立つ事などないだろうからお試し期間で終わるだろうと高を括っていた。
そのお試し期間初日、ライアンがカルロスに連れていかれたのは騎士団だった。
「こ、ここはさすがに無理です!」
「何事もやってみなきゃわからないでしょう?剣は?握ったことあります?」
「ないですよ!」
ライアンの肩幅の二倍くらいありそうな騎士達が興味津々に寄って来てライアンをぐるりと囲った。十代の若者やかなり上の三十代後半くらいのベテラン風な人まで様々な面々だ。皆がっしりとした身体つきのせいか一見怖そうだが口を開くとそうでもなさそうだった。
「誰?何?新人?手合わせするならオレ相手しようか?」
俺も、俺もと楽しそうに盛り上がる騎士達を前にライアンは無理矢理持たされた剣を握りしめ、青い顔をひたすら横に振った。
「ごめんなさい!本当に無理です!」
(こんな大きな身体の人達が剣を持って向かってきたら間違いなく防御と攻撃の魔法が勝手に発動しちゃう!)
「別に本気で戦えとは言ってないですよ。長い剣で重いなら短剣にしますか?」
カルロスは自分の腰に下げてあった短剣を鞘ごとライアンに渡そうとした。
「短剣でもできません!ごめんなさい!」
そう叫ぶとライアンは持っていた剣を目の前にいた人に押し付け、騎士達の間をくぐり抜けて走って逃げた。
***
「ビビって逃げ出した?」
「…………すみません」
あっという間にカルロスに捕まったライアンはそのままレジナルドの執務室に戻った。カルロスから報告を受けたレジナルドはその光景を思い描いたのか、笑いを堪えるようにして「まぁ、なんとなく予想はしてた」と座っている席からライアンを見上げた。その顔は相変わらず欠点がない整った造りで少し笑っただけでも無駄なフェルモンが放たれる。執務室では硬い表情しかしないと想像していたがそうでもないようだ。
レジナルドの机の前で申し訳なさそうに立っていたライアンは拍子抜けした。
(おこられるか嫌味の一つでも言われると思っていたのに……それより予想してたならそんな所に行かせるのやめてよ!)
「剣は自分を守る意味でも身につけて欲しかったんだけどな。また機会があればカルロスにでも習えばいい」
「え、そんな危険な場面に遭遇するんですか?」
この国は治安もさほど悪くないし、後継者争いもなくレジナルドが誰かから狙われるという話は聞いた事がない。レジナルド自身も剣の腕前に長けているのはローズも知っていたが、もしかして知らない所で危ない目にあっていたりするのかと顔色を変えた。
「滅多にないけどな。隣国に入る山中で野生の狼に会うくらいだ。そういえばライアンは薬草採りに山に入るんだろ?大丈夫なのか?」
レジナルドの命が危険に晒されている訳ではないとわかりローズは知らず知らず竦めていた肩の力を抜いた。だがそういう事があってもおかしくない立ち場の人なのだと改めて感じた。
「いつも早朝にいくので狼には出くわした事はありません」
実は何度かオオカミを見かけたが、ローズはちゃっかり魔法で手なずけていた。
レジナルドは暫く何かを考えた後、真面目な顔つきでライアンに話を振った。
「実は明日から二日間俺は外回りでここにいないんだ。その間ライアンは薬室へ行かないか?」
ライアンが薬が得意じゃないからと渋ったのはわかっていたが、レジナルドは自分が留守の間ライアンを安心して預けておける場所が他に思いつかなかった。
むさ苦しい騎士団に行かされるより薬室のほうがよっぽどいいとライアンは二つ返事で了承した。
(レジナルドとカルロスの二人とべったり一緒じゃなくて助かったわ)
レジナルドの前では気を抜くと素の自分が出そうになるし、カルロスだと最初ほどではないが意識し過ぎて挙動不審になってしまう。
「じゃあ、早速今からライアンと薬室に行って話をつけてくる。カルロスはここで仕事の続きをしててくれ」
レジナルドはカルロスにそう告げると席を立ち壁に掛けてあった上着を手に取った。
「あと、俺はそのままローズの所まで行ってくる」
「えっ!!」
「どうした?何でライアンが驚いてるんだ?」
「いえ、何でもないです!」
(今朝いつも通り花が届いたから今日はもう来ないと思っていたのに。何で来るの?!)
「書類が溜まってるんですから早く戻ってきてくださいよ」
「わかってるよ。さ、行くぞライアン」
「は、はいっ」
溜まっている書類を更に増やす状況を作ってしまい、ライアンは居た堪れない気持ちで執務室を後にした。残された仕事をする羽目になったカルロスを気にするように振り返りながら颯爽と歩くレジナルドの後ろをパタパタとついて行った。その様子を何気に見ていたレジナルドはやっぱりと納得したように笑った。
「ライアン、お前カルロスに気があるのか?」
ごく自然に質問されライアンは何も口に入っていないのにむせそうになった。昨日のカルロスもレジナルドも、そんなデリケートな話題をあっさり聞いてくるとは予想外だ。
「僕、男ですけど……」
「知り合いに男同士のカップルがいるから理解はある。別に隠さなくてもいいぞ」
「え!いるんですか?!……って驚いてる場合じゃあなかった。僕は違います。お願いですからそんな目で見ないで下さい」
ライアンに歩幅を合わせたレジナルドは意味ありげにニヤニヤと横目でライアンを見た。
「カルロスさんにも指摘されましたが、僕の態度が変だったから誤解したんですよね?好きとかではなく憧れのようなものです」
(本当はダダ漏れの恋愛感情だったけれど。ちょっと苦しい言い訳だったかしら。なんとか誤解を解いておかないと今後顔を合わせづらくなっちゃうわ)
ライアンがチラリと真横を歩くレジナルドを見上げると、さっきまで揶揄《からか》うように笑っていた顔はいつの間にか真面目な表情を取り戻していた。
「やめろとまでは言わないが、カルロスはお勧めしないな。あいつ恋愛に関しては一切冗談が通じないクソ真面目みたいだから」
「確かにカルロスさんは真面目そうなイメージですね。あの、何度も言いますが僕はノーマルです」
「わかった。じゃあそういう事にしておくよ。ところで俺とお前ってさ……昔どこかで会ったことあるか?」
「……な!ないですよ!ある訳ないじゃないですか」
「そうだよな。何だか妙に懐かしい気がしてさ」
(そうだった。レジナルドは昔から変に勘がいい人だったから余計に気をつけないと……。外見は別人だけど演技が足りなくてローズっぽくなってるのかな……)
子供のころ、数人で遊んでいた時、体調が悪い子にいち早く気づいたり、嘘をついてもすぐにそれを見破ったりとレジナルドは大人びた子供だった。
(私が熱を出した時も先に気づいたのはレジナルドたったわね)
レジナルドは逸らされたライアンの横顔を記憶を探るように暫く見ていたが、途中で諦めたようで黙って前を向いた。
「すまんが薬室に行く前に寄り道してもいいか?」
そう言ってレジナルドが足を運んだのは城の一角にある庭園だった。
ローズも子供の頃何度か足を踏み入れた事のある場所だったが、記憶に残っている庭園より遥かに広くなって花の種類も増えたように思える。見覚えのあるその花々に、いつもここから花が贈られるのかと見渡した。
レジナルドは庭園にいた庭師に声をかけた後何故かうーんと唸り始めた。
「何をそんなに悩んでいるんですか?」
「この後女性に持って行く花をどれにしようか迷ってる」
「……毎回ご自分で選ばれているんですか?」
「ああ、庭師に相談する時もあるが、ほぼ俺が決めるな。今朝は朱色のバラを贈ったから……」
真剣な眼差しで庭に広がる色とりどりの花を見比べているレジナルドにローズは動揺を隠せなかった。
毎日一本づつ絶えずに贈られる花は、レジナルドが適当に部下に頼んだ物だとずっと思っていた。花はいつもレジナルドの部下が午前中に持ってくる。ローズが直接受け取る時は反応や顔色を確認して行くが、不在の場合は通りに面していない裏側の扉の前にそっと置いてある。
まさか本人がわざわざ庭に出向いて自ら選んでいるとは考えたことすらなかった。
「同じものは避けて濃い赤か、ピンク色のどちらかだな」
「……ピンク」
勝手に口から溢れた言葉にライアンはハッとして手で封じたが、幸いレジナルドの耳には届いていなかったようで視線は庭に咲く花に向いたままだった。
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