トラジェディア

冬乃こたつ

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序章 怪異の世界

ただ、会いたくて

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 十一月下旬の深夜二時。

 真っ暗な部屋の中、鉛のように重い体をベッドから引き剥がすように、男はゆっくりと起き上がる。真冬の寒さが体に響くが、彼はそれを何とも思わない。空気よりも、体よりも、彼の心が何よりも冷え切っていた。
 彼は明かりを求めた。

バキバキっと何かを踏みつけながら壁に沿っていき、扉の横にあるスイッチを押して電気をつけた。一寸先も見えなかった暗闇を洗い流すような、鮮烈な光が彼の目を焼く。

 次第に明るさになれて視界が明瞭になると、部屋の全体が見渡せる。棚にあったものはすべて床の上に滅茶苦茶に放り出され、整理された様子はない。それだけで彼の心象を察するに余りある。床に叩きつけた時か、あるいは彼が踏み続けたせいか、床に散らばるプラスチックや陶器はことごとく砕けている。部屋の所々にある赤い斑点は、彼の痛みに対する慣れを証明する足跡だ。

 彼は床に落ちていた懐中電灯を拾い、スイッチを入れた。バッテリーが残っていることを確認すると、部屋を出て、階段を下り、玄関で――冬だというのに――サンダルを履いた。月明かりが漏れ出るドアを開けようとしたとき、姿見の自分と目が合った。

 ひどい姿をしている。

 ぼさぼさなままの髪、頬は痩せこけて、生気はかけらもない。よれた寝巻で全身を包んだ姿は、まるで死人だ。そんな自分がおかしくて、静かにわらった。

 彼は街灯の少ない住宅街を、懐中電灯の明かりで照らしながら足を引きずるようにして歩く。身体の一部を欠損して体力を失った彼は時々休みを入れながら歩き続け、利根川にかかる橋の中腹に辿り着いた。

 ただ歩いただけなのに息を切らした。喉が熱く、胸が苦しい。やがて自分の脚で自らの体を支えることもままならず、彼は委ねるようにフェンスに寄りかかった。息を整えても疲労と痛みを忘れられないこの体は、いくら慣れたといっても不便であることに変わりはない。少し歩くだけで息が詰まり、より激しく動くと吐血してしまうだろう。その度に不自由になってしまう彼にとって人間らしい営みの多くが、水の中で呼吸するように困難なものであると悟る。かみさまに祟られたことを実感せずにはいられなかった。

 川を照らしてじっと見つめる。しかし流れは見えない。

 懐中電灯、必要なかったな。

 喧しい鼓動を落ち着かせ、震える手足をなんとか抑えて、意を決してフェンスを乗り越える。

 一つ、深呼吸をした。そして彼は小さく何かを祈り、姿を消した。

 そして彼は、同日の午前七時、千葉県某所の川辺で、冷たく漂っているところを発見された。
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