お姫さまのお花摘み

志月さら

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初めての公務④

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 お腹の中がたぷんと揺れる。早く、早く出したい。おしっこしたい。足早に廊下を歩いていく。距離が遠く感じる。王城と比べたら全然大したことないというのに。
 通りがかりにある子ども用のトイレに入ってしまおうかと一瞬思う。けれどリーシャは内心首を振った。

 だめだ。きちんと職員用のトイレまで我慢しないと。
 おしっこが我慢できなくて子どものトイレに入ってしまう王女だと思われてしまう。
 足を前に進めると、じわ、と下着に温かい感触を覚えた。

 だめ、だめ。まだ出てきちゃだめ。
 必死に自分の身体に言い聞かせる。一瞬だけドレスの前を押さえて、すぐに離した。人前でこんなところを触ってはいけない。はしたない。
 ようやく裏口が見えてきた。職員用のトイレも。あと少しだ。
 慌てていたせいだろうか。足を踏み出した途端、裾を踏んづけてしまった。

「……っ」

 身体が前に傾く。転んでしまう。だめ、いま転んだら、漏れちゃう。

「姫様!」

 後ろにいたカイルがとっさに前に回り込んで腕を伸ばしてきた。彼に身体を受け止められるが、下肢に変な力を入れてしまったせいで体勢を整えられない。爪先が床の上で滑り、そのまま彼の上に覆い被さるように転んでしまった。
 身体から力が抜ける。くぐもった水音が、聞こえた。
 リーシャから溢れ出したものが下半身を濡らしていく。

 それはドレスの布地を突き抜けて、下にいる青年の騎士服の裾やズボンをも汚していった。ぴちゃぴちゃと、床を叩く小さな水音までが耳に入ってくる。
 おしっこが出ちゃってる。
 早く退かないといけないのに、身体が動かない。

「リーシャ様。もう我慢しなくていいですよ」

 カイルの低い声が耳朶を震わせた。途端に、下着の中で渦巻く熱が勢いを増した。じゃあああと、激しい水音が聞こえてくるような気がする。熱い。そんなはずはないのに火傷してしまいそうだ。
 お腹の中が空っぽになるまで、リーシャは自分と騎士の身体を濡らし続けていた。

「……っ」

 ようやく水音が止み、息を吸うと独特のにおいが鼻を突いた。
 自分がやってしまったことを目の当たりにして、ぼろぼろと涙が落ちてくる。

「やっ、ごめんなさ、ごめんなさい、カイル、どうしよう、わたし、こんな、」
「姫様。大丈夫です。大丈夫ですから、落ち着いてください」

 カイルの手が伸びてきて背に触れた。まるで幼い子どもを落ち着かせるかのように優しく撫でられる。
 布越しに触れる手が温かい。
 混乱していたけれど、彼のおかげでなんとか気持ちが落ち着いてきた。
 なんとか身体を起こしてその場にぺたんと座り込む。足元の惨状からは目を逸らしたくなったが、誰かに見つかる前にどうにかしないといけない。
 けれどこの恰好では広間に戻ることもできない。一体どうしたら――。

「あっ、姫様! 具合が悪そうだと子どもたちが言っていましたが、大丈夫で――あら」

 背後から聞こえてきた声にどきりとして振り返る。そこにいたのは院長の女性だった。
 二人の姿を見て目を丸くしている。

「あ……あの、その、申し訳ありません……」

 声が震えてしまった。
 呆れられたかもしれない。このような粗相、姉たちは決してしなかっただろう。

「姫様、こちらへ。粗末なものではございますが、職員の制服の予備がございますのでお召し替えをいたしましょう。騎士様も」

 彼女は穏やかな笑顔でそれだけを口にすると、そっと手を差し出した。おずおずとその手を取り立ち上がる。案内されるまま彼女のあとをついていくと、ほかの誰とも顔を合わせることなく、職員たちの居室まで辿り着いた。
 リーシャとカイル、それぞれ別の部屋に案内される。

「こちらで少々お待ちくださいませ」
「はい……」

 ベッドと書き物机、姿見、小さなクローゼットが置いてあるだけの簡素な部屋にリーシャは通された。
 ドレスから落ちた水滴が床に小さな水溜まりを作っている。ここに来るまでの廊下も汚してしまったのではないかと思うと、胸が締め付けられそうだった。
 部屋の隅でじっと立ち尽くしていると、院長は数分ほどで戻ってきた。着替えと桶を手に持っている。

「お待たせいたしました。僭越ながら、お召し替えをお手伝いさせていただきます」

 リーシャはそっと頷いた。
 一人では脱ぎ着できない構造のドレスを、微かに皺の浮いた手が慣れた様子でするすると脱がしていく。
 後ろで編み上げて締めてあるコルセットを外され、フリルがふんだんに使われた肌着一枚きりになったリーシャの太腿に手が触れた。

「失礼いたします」

 ぐっしょりと濡れた下着を脱がされ、濡れた下肢を丁寧に拭かれる。汚れてしまっている肌着も脱ぎ、彼女が持ってきてくれた簡素な肌着と木綿の下着を身に着ける。
 それから、彼女の手を借りながら孤児院の女性職員が着用しているものと同じエプロンドレスに着替えた。

「リーシャ様は、アンジェリカ様やオフェリア様とは少し違うお方ですね」

 エプロンのリボンを結びながら、ふと彼女が呟いた。

「えっ……」
「悪い意味ではございませんよ。お二人とも素晴らしいお方でしたが、貴女のように子どもたちと同じ目線で遊んでくださることはありませんでした。……こんなことを言うと、不敬だと罰されてしまうでしょうか」

 いいえ、とリーシャは小さく首を振った。
 自分は姉たちのようにはできないから、せめて自分なりのやり方で子どもたちを楽しませたかった。けれど、上手くできたかどうかはわからない。結局、恥ずかしい失敗をして、ドレスも汚してしまった。

「子どもたちみんな、とても楽しそうに笑っていましたね。私たちは普段、なかなか子どもたちに構ってあげられないときもありますから、今日は本当に喜んでいたと思いますよ」
「そう、だと、よいのですが……」

 リーシャはぽつんと呟いた。

「はい、できましたよ。……やはり、姫様にはこのようなお召し物は相応しくないでしょうが、ご辛抱くださいませ」

 姿見を覗く。
 落ち着いた茶色の簡素なドレスと白いエプロン。足元はもともと履いていた装飾の多い踵の高い靴ではなく、踵の低い動きやすい靴に履き替えた。まるで使用人のような装いだが、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
 失敗をしてしまったけれど、まだ自分にもできることはあるだろうか。

「あの、帰城の時刻までもう少し時間があります。お借りしたこの服で、子どもたちと外で遊んでも構いませんか?」
「……ええ、是非。みんな喜ぶと思います」

 院長は穏やかな笑顔で承諾してくれた。
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