お姫さまのお花摘み

志月さら

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薬草園の片隅で①

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 城の庭園では見られない様々な植物が植えられている薬草園は、瑞々しい草の匂いと湿った土の匂いが満ちている。この場所の主がちょうど水やりを終えたところのようだ。
 白いローブに身を包んだ宮廷魔術師のフィンが、じょうろを持ったままこちらを振り返った。
 腰まで届く長い銀髪が微かに揺れる。リーシャの姿を捉え、彼は紅い双眸を柔らかく細めた。

「やあ、リーシャ姫」
「こんにちは、フィン。お邪魔ではない?」
「構わないよ。ゆっくりしておいき」

 扉が開いていたので入ってきてしまったが、突然訪れたにもかかわらず、彼は優しく迎え入れてくれた。
 初めてこの場所を訪れたときと同じように、彼は花壇の縁にハンカチを敷いてリーシャを座らせてくれた。裾を気にしながら腰を下ろす。
 今日は新しく仕立ててもらったばかりのドレスを着ているから、ひどく汚してしまわないように気を付けないといけない。

「素敵な色合いだね。新しいドレスかな?」
「そうなの。アネットが仕立ててくれて……」

 母が存命だった頃から懇意にしている仕立て屋が用意してくれた明るい水色のドレス。
 リーシャの空色の瞳と相まって、とても綺麗だ。胸元を飾る大きなリボンも、ふんわりと広がったスカートも、裾を縁取るフリルも可愛らしくて気に入っている。
 朝の身支度で亜麻色の長い髪も丁寧に編み込んでもらい、このドレスを身に纏ったときには心が浮き立つような気持ちだったというのに、いまのリーシャはどこか沈んだ表情をしていた。

「なにかあったのかい?」
「……ええ、少し」
「よかったら話してごらん。相談に乗れるかはわからないけれど、話を聞くことならできる」

 フィンに柔らかい笑顔を向けられて、リーシャはそっと唇を開いた。

「実は……」

 今日の勉強の時間のあと、ティータイムを挟んでから行われたのは刺繍の練習だった。リーシャは手先が器用ではないので、何年も前から習い始めたというのになかなか上達を感じられなかった。
 基本的な縫い方はなんとか様になってきたのだが、少しでも集中が切れるとすぐに歪になってしまったり、針を指に刺してしまったりと失敗をしてしまう。複雑な図案を縫おうとするともう全然だめだ。
 今日は新しく花柄の縫い方を教えてもらったのだが、手本を見ながら教えられた通りにやってみたはずなのに、できあがったものは手本とは全く違う歪な形だった。

「それで、先生に呆れられてしまって。姉の王女たちは覚えが早くてとても上手だったのに、と……」

 既に他国へ嫁いだ三人の姉たち。
 母親が違い、年が離れていることもあり直接会ったことは数えるほどしかない。けれど、皆、華やかで社交的で、リーシャとは正反対だった。刺繍もダンスも礼儀作法も、すべて完璧だったと聞いている。

「でも、わたしは地味で、人見知りで。なにをやっても失敗ばかりで……全然、上手にできなくて……」

 包帯を巻かれた指先をぎゅっと握り締める。今日も針で何度も自分の指を刺してしまった。いつも、何をしても、失敗してばかりだ。

「こんなことを言ってはいけないのだけれど、少し、嫌になってしまったの」

 俯きながら、いままで一度も零したことのない不満を、ぽつんと呟いた。どうしてだろう。普段は自分の話をすることは苦手なのに、彼の前だと自然と口を開いてしまう。
 ふいにフィンが目の前で膝を折った。目線を合わせるように、下から顔を覗き込まれる。

「嫌なのはなぜ? 失敗すると恥ずかしいから?」
「……それもある、けど。わたしが失敗すると、きっと、お父様……国王陛下や、民の皆さんにも迷惑をかけてしまうから」

 言葉を探しながら、彼からの問いかけに答える。
 リーシャは王女だ。いまはまだ少ないが、いずれは公の場に出る機会が増えてくる。そんなときに下手な立ち居振る舞いをしてしまうと自分が恥をかくだけではなく、王家や国の評判にも関わるかもしれない。自分のせいで他者に迷惑をかけてしまうことは嫌だった。

「皆のために、上達したい?」

 こくんと。黙ったまま、リーシャは頷いた。

「失敗ばかりだと姫は言うけれど、始めたての頃と比べると、できるようになっているんだろう?」
「そう、だけど……」
「人には向き不向きがある。習得する速度も人それぞれだ。すぐにできるようになる者もいれば、時間がかかってやっとできるようになる者もいる。いくら時間をかけてもまったくできない者もいる」

 静かにフィンは立ち上がった。彼の表情を追うように、思わず顔を上げる。

「私だって魔術以外のことはからきしさ」
「そうなの……?」
「そうだとも」

 フィンは微かに苦笑を浮かべた。
 宝石のような瞳に吸い込まれそうだった。フィンの表情から視線を逸らすことができない。
 強い魔力を持つ者の証であるという白銀の髪と紅い瞳。彼の端正な顔立ちと相まって、まるで物語に出てくるような人外の存在ではないのかと錯覚してしまいそうになる。

「それに、陛下はああ見えて人のことをよく見ている。できないことを急にやれとは言わないはずだよ。リーシャ姫が上手に振る舞えるようになるまで、重要な場に出すのは待ってくれるはずさ」
「そうかしら……。でも、わたし、早く色々なことができるようになりたい。ちゃんと、皆が誇れる王女になりたいの」

 この国のためにも、と小さく呟く。
 フィンはふいに微笑むと、再び膝を地面につけてリーシャと視線を合わせた。

「他者を思いやれるその心は得難い気質だ。きっと、リーシャ姫にしかできないことがこの先見つかるはずだよ」
 彼の言葉に目を丸くする。
「わたしにしかできないことがあるの? ……本当に?」
「もちろん。魔術師の予言と受け取ってもらって構わないよ」
「……あなたがそう言うのなら、信じるわ」

 魔術師の予言は絶対だ。そうでなくとも、フィンの言葉はすんなりと心の中に入ってきて、受け入れることができた。
 それから、ふと思いついたことを口にしてみる。

「あのね。ここの草花を刺繍で練習してみたら、どうかなって思うの。少し、ここでやってみてもいい?」
「もちろん、構わないよ」

 好きな場所に咲いているものを参考にしたらやる気が出るかもしれないと、急に思ったのだ。学習室にいるときはどうしても緊張してしまうせいで上手く集中できないことがあるが、ここでならいつも落ち着いていられる。
 刺繍の練習のあと、そのまま薬草園に向かったので刺繍道具は持ったままだった。膝の上に載せていた道具箱の中から、布や、刺繍針を取り出す。
 周りを見渡して、ふと視界に入った赤い色に視線を定めた。

「この赤い花の名前はなんというのでしたっけ?」

 幼い頃に初めて目にしたときから気に入っている、小さな赤い花。控えめでも確かな存在感を持っている。大きくて華やかな花よりも、この花のことがリーシャは好きだった。
 以前にも名前を教えてもらったことがある気がするのに、うっかり忘れてしまった。

「それはキクリといって、解熱や鎮痛作用のある薬になる。姫も、風邪をひいたときに飲んだことがあるんじゃないかな」
「……もしかして、あの苦いお薬?」
「そうだよ」

 くすりと笑いながら、フィンは頷いた。
 知らなかった。苦手な薬が好きな花からできていたなんて。
 けれど、キクリという名のこの花のことを嫌いになるなどということはない。むしろ、今度からは嫌がらずに薬を飲もうと心に決める。

 この花を刺繍してみようと決めて、光沢のある白い生地に図案の下書きを描いた。小さくて可愛らしい赤い花。きちんと自分の手で縫えるだろうか。
 赤い刺繍糸を針に通し、布に一針目を刺す。教わった技法を思い出しながら、一針一針、丁寧に針を動かしていく。
 焦る必要はないし、失敗しても叱られることはない。
 それでも、できることならきちんと完成させたいと思った。
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