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追憶の景色①
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装飾の少ない黒いドレスに身を包み、広い庭を一人でとぼとぼと歩いていく。喪に服している間の城内はどこに行っても暗い雰囲気が漂っていて、酷く寂しく感じてしまう。せめて少しでも明るい場所にいたいと思い庭園に出てきたが、母であるリリアンヌ第三妃を亡くしたばかりのリーシャの胸中に重く立ち込める霧のようなものは少しも晴れてはくれない。
「……あれ、ここ、どこだろ……?」
行くあてもなく歩いていたが、気が付くと周りの景色が見知らぬものになっていた。日頃足を踏み入れない区画にまで来てしまったのだ。戻った方がいいだろうかと踵を返そうとしたとき、視界の先に見慣れぬ建物が目に入った。
壁や天井が一面ガラス張りの建物だ。中には植物のようなものがたくさん見える。あれは一体何なのだろう。
好奇心が勝り、リーシャの足は思わずその建物へと向かった。建物に近付くと、扉は開いていた。そっと中を覗き込んだリーシャは目を丸くした。
中には城の庭園では見たことのない様々な植物が植えられていた。その中で一際目を引いたのは小さな赤い花だった。もっと近くで見たい、と思い足を踏み出す。
その瞬間、背の高い植物の陰になっていた人影がこちらを振り向いた。
「……っ」
視線がぶつかり、びくり、と身体が竦む。どうしよう、怒られるかもしれない。
けれど予想に反して、全身を黒いローブに身を包んだその青年は穏やかに微笑んだ。
「おや、こんなところにお客様とは珍しい」
「あ、あの……」
「よかったら中に入っておいで」
手招きされて、リーシャはおずおずと中に足を踏み入れた。躊躇いがちに彼へ歩み寄る。
腰まで届く、白に近いような長い銀髪。紅い双眸。全身を包むローブ。見覚えのない青年だったが、その容姿から彼が何者であるかは察しがついた。
「あなたは、宮廷魔術師ですか……?」
「そうだよ。私はフィン・ラドフォード。初めまして、かな」
「初めまして、ラドフォード卿。わたくしは――」
「フィンで構わないよ。リーシャ第四王女殿下」
「……わたしも殿下はいりません。公の場では、ないので」
名乗りを遮られたというのに何故だか不快ではなかった。彼の柔らかな語り口は不思議と耳に心地よく感じて、いつまでも聞いていたいような気持ちになる。
「それではリーシャ姫。何故ここに?」
「なんとなく、足が向いてしまって……。ここは何ですか?」
「薬草園だよ。魔術で使う薬草を育てている。立ち話もなんだから、よかったら座らないかい?」
促されて、彼のあとをついていく。
「粗末なところですまないが、どうぞ」
花壇の縁にハンカチを敷いて、座るように勧められる。このような形で席を勧められるのは初めてで一瞬呆気に取られてしまったが、リーシャは躊躇わずに腰を下ろした。少しだけ、口元が緩む。
「どうして、わたしの名前を知っていたの? どこかで会ったことがある? それとも魔術でわかったの?」
初対面のはずなのに自分の名前を知っていたことを不思議に思ったので訊ねる。フィンは柔らかく微笑んだまま応えた。
「王女の顔を知らない者は城にいないだろう?」
「……そんなことないわ。わたし、影が薄いって言われているもの」
「誰かに、直接そう言われた?」
リーシャは小さく首を振った。
「いいえ。でも、侍女達が話しているのを聞いてしまって……それに、わたしの顔を知らない人なんて大勢いると思うわ。あまり人前に出たことはないし、人と話をするのは苦手だから……」
「でも、私とは普通に話せているよ?」
フィンに指摘されて、リーシャは両目を瞬いた。そういえば、そうだ。幼い頃から人見知りが強くて、数人の侍女と、母と、母の傍に仕えていた騎士のカイル以外とはまともに話せなかったのに、いまは話せている。いつもは初対面の人間が相手だと、緊張して声が出なくて、俯いてしまうのに。
ほんの少し逡巡した末、リーシャはそっと口を開いた。
「……魔術師は、口が堅いと聞きます。本当ですか?」
「もちろん。人の秘密を安易に他者に漏らしてはいけないからね」
「……では、わたしの話を聞いてもらえますか?」
おずおずと切り出す。フィンは静かに頷いてくれた。
リーシャは躊躇いながらも話し出した。母を亡くして寂しいこと。けれどそれを誰にも言えずにいたこと。祖父にあたるエインズワース伯爵は既に亡くなっているので、誰が自分の後見人になってくれるかわからないこと。父である国王陛下と顔を合わせたことはほとんどないが、自分のことをどう思っているのか不安に思っていること。
幼いリーシャが拙い言葉で話す内容を、フィンは余計な口を挟むことはなく聞いてくれた。
こんな風に自分の思いを誰かに話すのは初めてだった。血の繋がった母にさえも、ここまで胸の内を吐き出したことはなかったかもしれない。
まだ寂しさを完全に拭い去ることはできないが、少しだけ、心の中が軽くなっていた。
「姫様! リーシャ様、どこにおられますか」
ふいに、外から聞き慣れた騎士の声が聞こえてきた。
「どうやらお迎えが来たみたいだ」
フィンに促され、リーシャはそっと腰を上げた。彼に向き直り、頭を下げる。
「話を聞いてくれて、ありがとうございます。あの……また来てもいいですか?」
「いつでもおいで。会いたいと思ったときに、きっと会えるだろうから」
彼の言葉に少しだけ首を傾げつつ、リーシャは薬草園を後にした。
それから、リーシャは時々薬草園に足を向けた。誰かに話を聞いてもらいたくなったとき。なんとなく、会いたくなったとき。そんなときフィンは必ず薬草園でリーシャのことを待っていてくれた。
「……あれ、ここ、どこだろ……?」
行くあてもなく歩いていたが、気が付くと周りの景色が見知らぬものになっていた。日頃足を踏み入れない区画にまで来てしまったのだ。戻った方がいいだろうかと踵を返そうとしたとき、視界の先に見慣れぬ建物が目に入った。
壁や天井が一面ガラス張りの建物だ。中には植物のようなものがたくさん見える。あれは一体何なのだろう。
好奇心が勝り、リーシャの足は思わずその建物へと向かった。建物に近付くと、扉は開いていた。そっと中を覗き込んだリーシャは目を丸くした。
中には城の庭園では見たことのない様々な植物が植えられていた。その中で一際目を引いたのは小さな赤い花だった。もっと近くで見たい、と思い足を踏み出す。
その瞬間、背の高い植物の陰になっていた人影がこちらを振り向いた。
「……っ」
視線がぶつかり、びくり、と身体が竦む。どうしよう、怒られるかもしれない。
けれど予想に反して、全身を黒いローブに身を包んだその青年は穏やかに微笑んだ。
「おや、こんなところにお客様とは珍しい」
「あ、あの……」
「よかったら中に入っておいで」
手招きされて、リーシャはおずおずと中に足を踏み入れた。躊躇いがちに彼へ歩み寄る。
腰まで届く、白に近いような長い銀髪。紅い双眸。全身を包むローブ。見覚えのない青年だったが、その容姿から彼が何者であるかは察しがついた。
「あなたは、宮廷魔術師ですか……?」
「そうだよ。私はフィン・ラドフォード。初めまして、かな」
「初めまして、ラドフォード卿。わたくしは――」
「フィンで構わないよ。リーシャ第四王女殿下」
「……わたしも殿下はいりません。公の場では、ないので」
名乗りを遮られたというのに何故だか不快ではなかった。彼の柔らかな語り口は不思議と耳に心地よく感じて、いつまでも聞いていたいような気持ちになる。
「それではリーシャ姫。何故ここに?」
「なんとなく、足が向いてしまって……。ここは何ですか?」
「薬草園だよ。魔術で使う薬草を育てている。立ち話もなんだから、よかったら座らないかい?」
促されて、彼のあとをついていく。
「粗末なところですまないが、どうぞ」
花壇の縁にハンカチを敷いて、座るように勧められる。このような形で席を勧められるのは初めてで一瞬呆気に取られてしまったが、リーシャは躊躇わずに腰を下ろした。少しだけ、口元が緩む。
「どうして、わたしの名前を知っていたの? どこかで会ったことがある? それとも魔術でわかったの?」
初対面のはずなのに自分の名前を知っていたことを不思議に思ったので訊ねる。フィンは柔らかく微笑んだまま応えた。
「王女の顔を知らない者は城にいないだろう?」
「……そんなことないわ。わたし、影が薄いって言われているもの」
「誰かに、直接そう言われた?」
リーシャは小さく首を振った。
「いいえ。でも、侍女達が話しているのを聞いてしまって……それに、わたしの顔を知らない人なんて大勢いると思うわ。あまり人前に出たことはないし、人と話をするのは苦手だから……」
「でも、私とは普通に話せているよ?」
フィンに指摘されて、リーシャは両目を瞬いた。そういえば、そうだ。幼い頃から人見知りが強くて、数人の侍女と、母と、母の傍に仕えていた騎士のカイル以外とはまともに話せなかったのに、いまは話せている。いつもは初対面の人間が相手だと、緊張して声が出なくて、俯いてしまうのに。
ほんの少し逡巡した末、リーシャはそっと口を開いた。
「……魔術師は、口が堅いと聞きます。本当ですか?」
「もちろん。人の秘密を安易に他者に漏らしてはいけないからね」
「……では、わたしの話を聞いてもらえますか?」
おずおずと切り出す。フィンは静かに頷いてくれた。
リーシャは躊躇いながらも話し出した。母を亡くして寂しいこと。けれどそれを誰にも言えずにいたこと。祖父にあたるエインズワース伯爵は既に亡くなっているので、誰が自分の後見人になってくれるかわからないこと。父である国王陛下と顔を合わせたことはほとんどないが、自分のことをどう思っているのか不安に思っていること。
幼いリーシャが拙い言葉で話す内容を、フィンは余計な口を挟むことはなく聞いてくれた。
こんな風に自分の思いを誰かに話すのは初めてだった。血の繋がった母にさえも、ここまで胸の内を吐き出したことはなかったかもしれない。
まだ寂しさを完全に拭い去ることはできないが、少しだけ、心の中が軽くなっていた。
「姫様! リーシャ様、どこにおられますか」
ふいに、外から聞き慣れた騎士の声が聞こえてきた。
「どうやらお迎えが来たみたいだ」
フィンに促され、リーシャはそっと腰を上げた。彼に向き直り、頭を下げる。
「話を聞いてくれて、ありがとうございます。あの……また来てもいいですか?」
「いつでもおいで。会いたいと思ったときに、きっと会えるだろうから」
彼の言葉に少しだけ首を傾げつつ、リーシャは薬草園を後にした。
それから、リーシャは時々薬草園に足を向けた。誰かに話を聞いてもらいたくなったとき。なんとなく、会いたくなったとき。そんなときフィンは必ず薬草園でリーシャのことを待っていてくれた。
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