お姫さまのお花摘み

志月さら

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お姫さまのお花摘み

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 木々の間から柔らかな日差しが差し込む森の中を、一人でとぼとぼと歩いていく。
 進む方角が果たしてこちらで合っているのか、自信はあまりない。アイナティア王国第四王女であるリーシャ・アイナティアは、自らが居住する王宮の敷地内で迷子になっていた。

(こっちでいいのかな……間違えていたらどうしよう……)

 不安に思いながら、手入れされた森の道を進んでいく。前後左右、どこに視線を巡らせても、木々に視界を阻まれて建物は見えない。
 そもそも、どうしてこんなことになってしまったのか。
 リーシャは数十分前の自分の行動を思い返して後悔していた。
 庭園でのティータイムを楽しんだ帰り道、自室に戻る途中で珍しい猫を見かけた。真っ白い毛並みに、左右で色の違う瞳。城の魔術師達が飼っている黒猫を見かけたことは何度もあるが、この白い猫はいままでに城の中では見たことがなかった。どこかから迷い込んできたのだろうか。
 その猫のことがどうしても気になってしまい、あとを追いかけているうちにこの森まで来てしまったのだ。しかし、気付いたら猫は見失ってしまい、帰り道もわからなくなってしまったという有様だ。
 ほとんど足を踏み入れたことのない森の中で、リーシャは途方に暮れていた。早く戻らないと、心配をかけてしまうかもしれない。それと、困ったことがもうひとつ。

(どうしよう……お手洗い……)

 ふんわりと裾の広がったドレスの布地を軽く握り、リーシャは顔を曇らせた。スカートの下で、もぞもぞと膝を擦り合わせる。
 ほんの少し前まで楽しんでいた紅茶がお腹の中で尿意に姿を変えていた。お手洗いに行きたい。それが、彼女がいま抱えている一番の欲求だった。

(我慢、できるかな……)

 不安に駆られて、思わず足を止めてしまう。きょろきょろと周りを見渡すが、当然だがこんな森の中にトイレなどあるわけがない。――戻るまで我慢するしかない。
 ドレスの上からそっとお腹を撫でてみるが、まだ余裕はある。このくらい我慢できる。
 立場上、自由に手洗いに立てないような場面は何度も経験している。この程度なんともない。
 けれど、もしも我慢できなくなったらどうしよう。森の中に人気はない。誰にも見られることはない。いざとなったら、茂みに入って――。

(だ、だめ、そんなの!)

 思い浮かべてしまった考えを頭を振って打ち消す。そんなこと、王族としてありえない行為だ。ここは王宮の敷地内なのだ。そんな粗相をして汚してはいけない。十四歳になったばかりの淑女としても許される真似ではない。
 まだ、我慢できる。大丈夫。
 自分を勇気づけるようにひとつ頷いて、リーシャは再び足を踏み出した。

***

「はぁ、はぁ……っ」

 荒い呼吸が唇から漏れる。額に脂汗が浮かんでいる。鏡がないため自分では見えないが、きっと頬も紅潮しているだろうと思った。
 森を抜け出すことはまだできない。出口に向かって歩いているつもりでいたが、もしかしたら余計に奥に入り込んでしまっているのかもしれない。けれど、いまさら引き返すというわけにもいかなかった。いまの状況で、誰かと顔を合わせたくはない。
 ぞくぞくと身体に震えが走るのを感じて足を止める。はしたないとわかっていながらも、スカートの上から脚の付け根を両手でぎゅっと押さえてしまった。
 身体の内側から押し寄せてくる衝動をなんとか抑えつける。僅かに波が遠のき、リーシャは小さく息を吐き出した。

(どうしよう……おしっこ、我慢できない……っ)

 ティータイムには味覚を楽しませてくれた紅茶は、時間が経過したいまとなっては利尿作用を発揮して彼女を苦しめる水分となっていた。
 震える足をなんとか踏み出すが、数歩と進まないうちに再び足を止めてしまった。しかし、じっとしていると尿意が何倍にも膨らむように感じてしまい、その場で小さく足踏みをしながらドレスに皺を寄せてぎゅうぎゅうと握り締める。こんなはしたない姿、誰にも見られるわけにはいかない。

(だめ、もう……!)

 このまま我慢を続けてお手洗いまで行くことなど、もはや不可能に違いない。リーシャは思わず、近くの茂みに視線を向けた。けれど足を向けることはできず、躊躇ってしまう。幼い頃から、お手洗い以外で用を足してはいけないと厳しく躾られている。人前で手洗いに立つこともはしたないので極力避けるようにと。
 王族という身分に生まれた少女として、リーシャはその教えを守ろうと懸命に努力してきた。けれど失敗をしてしまったことは何度もある。生理現象にはどうしても限界というものが存在するのだ。
 いまにも溢れてしまいそうな欲求に対して、どのように対処するべきか。迷った末、リーシャは道を外れて茂みに足を踏み入れた。
 我慢しているものが出てしまわないように内腿を締め付けるように力を込め、ドレスを押さえていた手をそろそろと離す。

「うぅ……ごめんなさい……」

 口中で呟きながら、スカートの内側に手を差し込んだ。きょろきょろと周りを見渡して、本当に誰もいないことを確認する。下着に手をかけようとするが、ぞくっと背筋に震えが走るのを感じて、そのまま両手で下着を押さえつけた。じわっと一瞬指先が濡れるのを感じて、ぎゅっと力を込める。おしっこがしたい。このままだと漏れちゃう。だけど。

(やっぱりだめ……!)

 こんなところでおしっこをするなんて、誰に見られていないとしても恥ずかしい。下着を直接押さえる手を離すことができないまま、リーシャは逡巡した。もう我慢できないとわかっているのに、このような森の中で下着を下ろすことなどできない。
 じわじわと濡れてくる下着を押さえつけながら、リーシャは困り果ててじっと立ち尽くしていた。そのとき。
 ガサガサッ。
 突然、身を隠していた茂みが音を立てて揺れた。びくり、と身体が震える。
 下半身の力が抜けかけて、じわっと手のひらに濡れた感触が広がる。

「やっ、だめ……っ」

 前屈みになりなんとか力を込めて、それ以上の決壊を防ごうとする。恐怖と焦りのせいでぞくぞくと震えが走る。どうしよう、誰かに見られてしまう。

「……姫様?」
「えっ……」

 突然耳に入ってきた聞き覚えのある声に顔を上げる。短い黒髪に鳶色の瞳。逞しい体躯。茂みを掻き分けてそこに立っていたのは、幼い頃より顔馴染みの騎士カイル・ガードナーだった。見知った顔に、緊張していた身体から力が抜ける。

「カイル、なんで……や、ぁっ」

 じゅわあ、と手のひらに熱い感触が広がった。我慢の限界を超えたおしっこが、指先を濡らして太腿に伝い落ちていく。必死に押さえる手に力を込めるものの、抵抗も虚しく足元の地面に水音が落ちていく。
 しょろろ……ぱしゃぱしゃ……。
 溢れる水流は勢いを増し、ドレスと脚に飛沫を飛ばし、土を濡らして水溜まりを広げていく。

(おしっこ、出ちゃった……)

 呆気に取られたようなカイルの表情が目に入る。リーシャは下着を押さえつけていた手をぱっと離して、少しでも下肢を隠そうとドレスの布を手繰り寄せてぎゅっと握った。
 彼の視線から逃れようと深く俯く。足元に広がるおしっこの水溜まりを見ていたくなくてぎゅっと目を閉じた。

(お願い……早く止まって……!)

 視界が暗くなると代わりのように耳につく水音がやけに大きくなる。それが嫌で強く願うが、我慢し続けていたおしっこは止まることを知らなかった。永遠に止まらないのではないかと錯覚するリーシャだったが、やがて水流は勢いを弱め、ぴちゃぴちゃと雫が滴り落ちて彼女のおもらしは終わった。

「ふっ……ぅ……」

 嗚咽のような声が漏れ、恐る恐る目を開くと視界が滲んだ。しとどに濡れた手とぐしゃぐしゃになったドレスの感触を嫌というほどに感じる。脚が震えて力が入らない。ふっと力が抜けてくずおれそうになる身体を、すんでのところで抱き留められた。

「姫様……」

 戸惑いながらも気遣う視線を向けられ、リーシャはくしゃりと顔を歪めた。
 見られて、しまった。

「……カイル、どうしてここに……?」

 困惑しながら問いかける。彼がなぜこんなところにいるのかわからなかった。
「姫様のお姿が見えなかったので、探しに参りました。森に入られたところを見た者がいたので……申し訳ありません。自分が驚かせてしまったせいで……」

 カイルはばつが悪そうに言葉を濁した。かああっと頬が熱くなる。

「ち、ちが、カイルのせいじゃ……わたしが……」

 違う。カイルのせいではない。すべて自分が悪いのだ。猫を追いかけてしまったのも、森で迷ってしまったことも、おしっこが我慢できなかったことも、全部。
 濡れた下肢が気持ち悪い。不快な感触は、幼子のように粗相してしまったという現実を嫌というほどに突きつけてくる。

「……お身体を冷やしてお風邪を召されてはいけません。お部屋に戻りましょう」
「は……い、いやですっ」

 反射的に頷きかけて、慌てて首を横に振った。こんなみっともない恰好で城内に戻るわけにはいかない。王宮には多くの人がいる。貴族も、役人も、使用人も。誰の目にも触れることなく自室に戻ることは不可能だろう。一目見ておもらしをしたことがわかってしまうこの状態を人目に晒すわけにはいかない。

「誰にも、見られたくない」

 涙の混ざった声で呟くと、カイルは納得したようにひとつ頷いた。

「承知しました。それでは、ラドフォード殿のお力を借りましょう」
「……フィンの? どうして?」

 唐突に出てきた宮廷魔術師の名前に首を傾げる。

「彼はこの森の先に居を構えています。魔術でなんとかしてもらいましょう」
「……はい」

 リーシャは小さく頷いた。この姿を見られるのは恥ずかしくて気が引けるが、確かに彼の魔術師ならばなんとかしてくれるだろう。他に方法は思いつかない。

「それではご案内いたします。……立てますか?」
「は、はいっ。ごめんなさい」

 カイルに声をかけられ、彼に抱き留められたままでいることに気付いて慌てて彼の腕から離れた。一瞬ふらついたが、なんとかその場で足を踏み締める。カイルの衣服を汚してしまったのではないかと気が気ではなかったが、改めて確認する勇気は出なかった。彼からさりげなく目を逸らしてしまう。

「こちらへ。足元にお気を付けて」

 差し出された手を掴むことはできなかった。濡れた両手でドレスの生地を握ったままでいると、カイルは自然に手を戻して先に立って歩き出した。茂みを掻き分けて、元の道へ戻る。彼が向かった方向はリーシャが元々歩いていた方向だった。
 やはり森の入口とは逆方向へ歩いてしまっていたのだとようやく気付く。
 足を進めることほんの数分。少し開けた場所に辿り着くと、木造の小屋が建っていた。

「ここに、フィンが……?」

 戸惑いながら呟く。随分と手狭な小屋に見える。そもそも最高位の宮廷魔術師である彼ならば王宮内に部屋を与えられているはずだ。本当にこのようなところでいるのだろうか。
 リーシャが不安げに見上げると、カイルは軽く頷いた。

「魔術の研究に没頭しているときはこちらにいると聞いたので、恐らくは」

 カイルが扉に近付き、ノックした。僅かに間が空いたのち、木の扉がゆっくりと開いた。

「はいはい、どちら様かな……」

 全身を白いローブに包んだ青年が姿を見せる。首の後ろで括った腰まで届く銀髪をそよ風になびかせ、宮廷魔術師フィン・ラドフォードは両目を瞬いた。

「おやおや、これは珍しいお客様だ」

 二人へ順番に視線を向け、フィンは口元に薄く笑みを浮かべた。ルビーのように紅い瞳が、すべてを見透かすかのようにリーシャへ向けられる。

「リーシャ姫、またおもらししちゃったのかい?」
「きゃああ、あのことは誰にも言わないでって約束したでしょ……っ!」

 涼しい声で訊かれ、思わずはしたない大声を上げてしまった。
 以前の失態をまざまざと思い出してしまい、顔が真っ赤になる。
 何年か前にも城内で粗相をしてしまい、あのときはフィンに見つかってしまったのだ。
 他の誰にも見つからないようにと魔術で後始末をしてくれたが、思い出すだけで顔が熱くなるほどに恥ずかしかったことをよく覚えている。

「ああ、ごめんごめん。カイル殿、何も聞かなかったことにしてくれるかな」

 なんでもないことのようにフィンは言い、柔らかく微笑んだ。そっとカイルの表情を窺ってみるが、彼もとくに顔色を変えることはなく平然としている。

「さ、こちらへどうぞ。その濡れたドレスを乾かしたいんだろう?」
「は、はい。お願いできますか」
「お安い御用だよ。すぐに終わるから、君は外で待っていてくれるかな」
「承知しました」

 カイル一人を外に残し、中に入るようフィンに促される。おずおずと足を踏み入れると、小屋の中には机や棚だけでなく床の上にまで所狭しと書物が積まれ、見慣れない植物や毒々しい色をした液体を詰めた瓶が乱雑に置かれていた。

「散らかっていてすまないね。そこで少し待っていてもらえるかな」

 言われた通りに扉の近くに立って待っていると、木の杖を持ったフィンが正面に立った。

「少しだけじっとしていて」
「はい……」

 ほんの少し緊張感を覚え、自然と顔が強張る。
 フィンは目を伏せて何かを呟くと、構えた杖を大きく振った。途端に、ふわっと温かな風に全身が包まれた。思わず目を瞑ってしまう。
 数秒で風は止み、おずおずと目を開くとぐっしょり濡れていたドレスはすっかり乾いていた。びちゃびちゃになっていた手も、脚も、湿ったまま不快感を与え続けていた下着さえも。

「どうかな? どこか違和感はある?」
「いえ、だいじょ――ひゃっ」

 突然、足元に何かが触れて跳び上がりそうになった。慌てて下を向くと、白い毛並みの猫がリーシャの脚に擦り寄っていた。琥珀色と青。左右で色の違う瞳と視線がぶつかる。

「あれ、この子……」
「その子がどうかした?」
「あ、ええと、左右で目の色が違うなんて珍しいなと思って」

 とっさに笑みを浮かべて誤魔化す。間違いなく、庭園で見かけて追いかけてしまった猫だ。この子を追いかけたために森の中で迷子になり、あまつさえ粗相をしてしまったなどと、口が裂けても言えない。しかし、穏和な笑みを浮かべている彼にはすべてを見透かされているのではないかと思ってしまう。

「ああ、オッドアイというんだよ。確かに珍しいかな。最近引き取った子でね、ときどき勝手に抜け出すから少し困っているんだ」
「そうなの……」

 フィンの言動はともすれば不敬だと非難されるものかもしれないが、気になったことはないし誰も彼を咎めはしない。さすがに国王の前では敬う態度を見せてはいるが、公の場以外では砕けた様子で話していることがあるとも聞く。宮廷魔術師である彼はそれが許される立場にいるのだ。
 この国の政に魔術師の存在は欠かせない。星読みに予言、秘薬の生成から呪術まで。フィンはそのすべてを修め、魔術を使いこなすことができる国一番の魔力の持ち主であるらしい。
 リーシャの目には神出鬼没でいつも飄々としている青年にしか見えないのだが、城で働く魔術師達を統べる存在でもあるという。

「さて、リーシャ姫。他に何か用はあるかい?」

 フィンはいつものように飄々とした口調で口を開いた。用、と言われても特に思い浮かぶことはない。怪訝に思いながらも、礼を述べようと表情を和らげる。

「いいえ……。助かりました。ありがとう、フィン」
「それならいいけれど。気を付けてお帰り」
「はい。……あ、あの、わたしがここに来たこと、内緒にしてくださいね?」

 踵を返しかけてから慌てて懇願すると、フィンは柔らかな笑顔で頷いた。

「もちろん。約束するよ、姫」

 そっと小屋の扉を開けると、リーシャが中に入ったときと寸分変わらぬ位置にカイルは立っていた。

「お待たせ、しました……」
「いえ。それでは戻りましょう」

 それだけ言うと、カイルは先に立って来た道を歩き出した。その歩調はゆっくりとしていて、歩幅の小さなリーシャでも問題なく隣を歩くことができる。必要なときを除くと口数が多くはないものの、細やかな気遣いを欠かさないこの騎士のことをリーシャはとても信頼している。彼ならばきっと、今日見た彼女の恥ずかしい姿を口外するようなことは決してしないだろう。
 会話はほとんどなく森の中を歩いていく。なんとなく気まずさを感じているのはもしかしたら彼女だけではないのかもしれない。気が付けば日が傾きかけていて、風が少し肌寒く感じるようになっていた。

「んっ……」

 ぞくり、と嫌な悪寒が走るのを感じて、リーシャは思わず足を止めそうになった。けれどカイルに気付かれてはいけないと瞬時に思い、なんとか足を踏み出す。

(どうして、なんで……っ)

 下腹部に感じる違和感。それは少し前に嫌というほど感じていた感覚だった。

(お手洗い、行きたい)

 確かに感じる尿意に、血の気が引きそうだった。どうして、なんで、とその言葉ばかりが頭の中で渦巻く。さっきあんなに出してしまったのに。あれから水分なんて摂っていないのに。それなのに、おしっこしたい、なんて。
 自然と歩みが遅くなり、カイルから気遣うような視線が向けられた。

「姫様? どうされました?」
「い、いえ、なんでもありません」

 気丈に応えて足を速めるものの、数分と経たないうちに足取りは重くなってしまった。意識を逸らそうとすればするほど、逆にはっきりと存在感を感じてしまう。足を踏み出すたびに、お腹の奥で水分がちゃぷちゃぷと揺れるような気がしてくる。
 スカートの前を手で押さえたくなるのをぐっと堪え、さりげなく布地を握る。ふんわりと広がるパニエの下で時折膝を擦り寄せながら、リーシャは懸命に足を進める。
 重い足取りを気にかけたのだろう、カイルがふいに口を開いた。

「疲れましたか? お部屋までお連れいたしましょうか」
「い、いいえ。大丈夫です、自分で歩けます」

 小さく首を振り、彼の申し出を断る。いま抱き上げられでもしたら、必死に堪えているものが溢れ出してしまう。
 震えそうになる足を少しずつ前に進めながら、リーシャは顔を曇らせた。
 建物に着くまではまだ時間がかかりそうだ。城内に戻ったとしても、所構わず手洗いに駆け込むわけにはいかない。焦った姿など見せず、淑やかに廊下を歩いて自室に備え付けられているトイレまで我慢をしないとならないのだ。

(おしっこ、おしっこ出ちゃう……お部屋まで我慢できる? 無理、できない……)

 自分に問いかけて、リーシャは内心で首を横に振った。
 急激に込み上げてきた尿意は、限界までほど近いことを身体の内側から力強く訴えかけてきている。
 まさか再びドレスを汚してしまうわけにはいかない。それを避けるためにはどうするべきか。解決策はひとつ、この森の中で、茂みに隠れて用を足すしかない。
 隣を歩くカイルの顔をそっと窺う。まさか何も言わずに傍を離れるわけにはいかないだろう。この窮状を伝えて、騎士の――異性の前で、まるで幼い子どものようにおしっこが我慢できないということを訴えないといけない。
 恥ずかしい。だけど。
 ぶるり、と背筋に震えが走るのを感じて、リーシャはそっと隣を歩く騎士の袖を引いた。

「カイル……っ」

 声が、震えた。思わず足を止めると、歩みを合わせてくれていたカイルも足を止めた。
 ほんの少し驚いたような、あるいは怪訝そうな様子を表情に滲ませている。
 何と言えばいいのか。すぐには言葉が出てこなくてもじもじと躊躇ってしまう。

「……リーシャ様?」
「……あ、あの、わ、わたし、その、ぉ、お、お花を摘んできても、構いませんか……っ」

 やっとの思いで、震える声を絞り出すようにして、そう告げた。

「……承知しました。私はここで待っておりますので、あちらでお済ませになってください」

 真意が伝わるだろうか不安に感じたが、カイルは茂みを指差しながらあっさりと言った。羞恥心を感じながら必死の思いで訴えたリーシャの方がぽかんとしてしまう。

「は……え、あの、怒らない……?」
「怒りませんよ。万が一、危険を感じるようなことがあればすぐにお呼びください」
「わかり、ました。あの、絶対、こっち見ないでくださいね……?」
「心得ております」

 神妙に頷き、カイルは茂みに背を向けるように身体の向きを変えた。彼のことを気にしつつも、リーシャはおずおずと茂みへ足を向けた。生い茂る草木を掻き分けていき、念のため周囲をきょろきょろと見回して人目がないことを確認する。

(大丈夫、誰もいない、カイルも見てない……)

 いまだに躊躇してしまうリーシャだったが、ひとつ息を吐くと覚悟を決めた。
 ドレスの裾を汚してしまわないようにたくし上げ、片手でしっかりと持つ。おぼつかない片手で下着を膝まで下ろし、その場にしゃがみ込んだ。

「……んっ」

 強張っている身体から、意識して力を抜く。外気に晒された肌はひくひくと震え、やがて我慢していた雫をそっと零した。しゅ、しゅうと数滴零れた雫はほどなくして弱い水流となった。緊張しているせいか勢いはなく、ちょろちょろと足元に細い川が流れていく。少しもどかしく感じるが、勢いよく出して激しい水音を響かせたくもない。
 人目の届かない森の中で、リーシャの〝お花摘み〟は密やかに行われた。


「はぁ……」

 ぴちゃぴちゃと、最後のひとしずくを落とし、リーシャはほっと息を吐いた。お腹の中がすっきりとして気持ちがいい。けれど足元を見ると決して小さくはない水溜まりができあがっていて、瞬時に羞恥心に襲われた。

(お外でなんて、はしたない……)

 頬に熱が集まる。けれど我慢できなかったのだから仕方がない。
 漏らすよりは良いと自分に言い聞かせる。下着を上げようとして、紙を持ち合わせていないことに気が付いた。ハンカチなら持っているが、さすがにそれで拭くわけにはいかない。
 仕方なくそのまま下着を穿いて、着衣を整える。ひやっと湿った感触がして少し気持ち悪い。濡れた地面の跡が目に入り、たまらなく恥ずかしく感じる。リーシャはそそくさとその場を後にした。
 再び茂みを掻き分けていき、元の道へ戻る。カイルは先ほどと変わらぬ姿勢でこちらに背を向けたままだった。

「カイル、あの、もういいですよ」

 おずおずと声をかける。彼は静かな動きでこちらを振り向いた。

「大丈夫ですか?」
「は、はい。ごめんなさい……」
「私などに謝る必要はございません」

 さらりと応えたカイルに促されて、森の中の道をまた歩き出す。落ち着いた表情で隣を歩く彼の横顔をそっと眺めながら、リーシャは躊躇いがちに口を開いた。

「あ、あの、このことは……さっきのことも……」
「大丈夫です。誰にも言いません」

 しっかりと頷くカイルの姿にほっと安堵する。
 彼が誰彼構わず言いふらすような人ではないと理解しているが、それでも、恥ずかしさゆえに口止めをせずにはいられなかった。
 おもらしをしてしまったことも、外でおしっこをしてしまったことも、誰にも知られたくはない。

「や、約束ですよっ」
「はい。約束いたします」

 鳶色の双眸を見つめて念押しするように言葉を重ねると、彼は珍しく口元に微笑みを見せてくれた。

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