うちの娘には××癖があります

志月さら

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36.プレゼントの選び方

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「男の人って、なにを貰ったら嬉しいかなぁ……」
 
 授賞式から数日が経ったある日の昼休み。茜がぽつりと零すと、一緒にお昼を食べていた柚香となずながお弁当を食べる手を止めて、ぱちぱちと両目を瞬いた。茜となずなは席が前後なので机をくっつけていて、柚香は椅子だけを持ってきて座っている。
 
「茜ちゃん?」
「急にどうしたの?」
 
 二人に口々に訊ねられ、茜ははっと顔を上げた。考え事をしていたらそのまま口走ってしまった。恥ずかしさに頬を染めて、慌てて口を開く。
 
「あ、ご、ごめんね! ちょっと考え事してて……」
「そういえば、日向先生の誕生日もうすぐだもんね」
「そうなの。プレゼント、なにがいいかなって」
 
 なずなが納得したように頷いた。
 
「いつなの?」
「七月二十三日!」
 
 柚香が首を傾げると、茜が口を開くより早くなずなが答えた。
 
「まだ一ヶ月先じゃん! ていうか、なんでなずなが知ってるの?」
「だって私もファンだもん」
 
 しれっと答えるなずなに、茜は思わず苦笑する。なずなが夏癸の小説の熱心なファンであることは茜もよく知っている。――恥ずかしいから本人には内緒にしてほしいと言われているけれど。
 
「いままでは手作りの小物ばっかりあげてたから、もっとちゃんとしたもの用意したいなって。でも、なにをあげたら喜んでくれるかな……?」
 
 お弁当を食べ進めつつなんとなく二人に相談する。ちなみに去年は手作りのペンケースを、その前は文庫サイズのブックカバーを作ってプレゼントした。市販品と比べると見劣りしてしまうかもしれないが、どちらも一生懸命作ったものだ。夏癸はどちらも喜んでくれて、いまでも普段使いしてくれている。
 
「茜から貰えばなんでも嬉しいんじゃない?」
「お菓子作るのは? 茜ちゃんのお菓子どれも美味しいし」
「それも考えたんだけど、バレンタインと被っちゃうし……。なずなちゃん、お兄さんいるよね? 誕生日プレゼントって渡す?」
 
 なずなには年の離れた兄が一人いる。直接会ったことは一度しかないが、夏癸と歳も近いみたいなので参考になるのではないかと思った。しかし、なずなは苦笑を浮かべて首を小さく振る。
 
「お兄にプレゼントとかしたことないなー。小さい頃は絵描いたりお菓子とかあげた気がするけど、最近は全然。家族でお祝いするくらい」
「あたしも最近、お父さんになにもあげてないなー。そもそも家にいないし。誕生日おめでとうってメッセ送るくらいかな」
 
 柚香の父親は、彼女が小学校六年生の頃から北海道に単身赴任をしている。長期休みくらいしか顔を合わせることはないようだ。
 両親が誕生日や記念日にプレゼントを贈り合っているのを小さい頃から見ていたのでそれが当たり前のように思っていたが、家庭によってはそうでもないらしい。
 両親も、そして夏癸も、茜の誕生日にはいつも欲しいものをプレゼントしてくれた。小学校を卒業するまではクリスマスプレゼントも枕元に置いてあった。――プレゼントを持ってきてくれたサンタは、年によって違う人だったのかもしれないけれど。
 
「あっ、ピアスは? 日向さんピアスつけてるじゃん。手作りのあげたら喜ぶんじゃない?」
 
 柚香がいいことを思いついたという顔をする。
 確かに夏癸は左耳にシルバーピアスをひとつだけつけている。けれど、それは――母の葵が贈ったものだ。他のピアスをつけているところは見たことがない。だけどそれは、友人たちには伝える必要のないことだ。
 
「ピアスはちょっと難しいかも。作ったことないし、わたしが作ると可愛くなりすぎちゃうかも」
「えー、それはそれで見てみたい気がするけど」
 
 茜がわざとおどけたように言うと、つられたように柚香が笑みを浮かべた。そんな二人のやりとりを、なずなはどこか優しい表情で見つめていた。
 
「茜ちゃんが考えて選んだものなら、きっと日向さんも喜んでくれると思うよ」
「……ありがとう、なずなちゃん。柚香ちゃんも。なにがいいか、自分でよく考えてみるね」
 
 ――三人の和やかな会話にひそかに聞き耳を立てていた男子生徒が一名いることを、茜は知る由もなかった。
 
 ***
 
 夏癸の誕生日プレゼントを何にするか。
 悩んでいる間にも時間は過ぎていき、期末テストや三者面談も終わり、夏休みを迎えてしまった。成績や進路相談に問題はなかったが、プレゼントだけは決まらない。夏癸の誕生日は明日に迫っている。
 ちなみに当の夏癸本人は、執筆途中の長編の締め切りが近いということで朝から仕事部屋に篭っている。もう少しで書き終えそうなのだがラストシーンに苦戦していると、朝食を食べながら話していた。
 そんな話をしてもらえるのは一緒に住んでいることの特権のようで少し嬉しい。少しでも彼の手伝いをしようと、夏休みに入ってからの家事のほとんどは茜が引き受けていた。朝食と夕食は夏癸が用意してくれるが、昼食は茜が作ることにしている。そして、明日の夕食も茜が作りたいと提案したところ、夏癸は快く承諾してくれた。
 
 昼食の片付けを終えた後、自室の勉強机で買い物用のメモを書きながら茜は頭を悩ませていた。
 夏癸へのプレゼントが決まらない。いまからでは手作りの小物などを作る時間はないので、買ってくるか、やはり手作りのお菓子か何かをプレゼントにするしかない。夕飯とケーキも手作りするのでそれがプレゼントということでもいいのかもしれないが、それだけではなんだか物足りないような気もする。
 
(夏癸さんが欲しいものってなんだろう……)
 
 まったく思い浮かばない。そもそも夏癸は物欲が少ないようで、生活必需品以外は本くらいしか買うところを見ていない。服などにもこだわりはないようで、人前に出る仕事のときにはブランドものを身に着けてはいるが、普段は量販店で購入したものを着回している。
 
「うーん……」
 
 悩みながらも手は進めて、明日の夕飯用の買い物メモを書いていく。献立は決めていた。
 トマトと生ハムの冷製パスタに、シーザーサラダ、ヴィシソワーズ。誕生日ケーキには桃のムースケーキ。豊からお裾分けでもらった山梨の桃が残っているので、消費するのにもちょうどいい。
 実はムースケーキ以外は夏休み前に部活の調理実習で作ったものだ。一人でも自信を持って作れそうなので同じ献立に決めた。ムースケーキを作るのは初めてだが、レシピを検索したらさほど難しくはなさそうだったので問題ない。
 
「……あ」
 
 スマホで検索したレシピを見つつ買うものをメモしている途中で、シャーペンの芯がなくなってしまった。机の引き出しを開けて新しい替え芯を取り出そうとしたところで――可愛らしい花柄の封筒が目に入った。教育実習生だった葉月眞也から貰った手紙だ。便箋一枚だけの手紙だったけれど、彼の気持ちが篭っている文章が嬉しくて何度も読み返した。
 
(そういえば夏癸さん、ファンレター欲しいって言ってたっけ……)
 
 修学旅行から帰ってきたとき、好きな作家の葉月マヤ――その正体は眞也だったのだが――から送られてきたファンレターの返信を見てはしゃいでしまったことを思い出した。
 そのときの、夏癸の反応を。――茜からのファンレターをもらってみたいと、話していたことを。
 
「手紙……書いてみようかな……」
 
 ぽつりと独りごちて、茜は別の引き出しからレターセットを取り出した。手紙を書く機会はあまり多くないのだが、可愛いレターセットを見かけるとつい買ってしまう。とくにお気に入りのものを手に取り、シャーペンからゲルインキのボールペンに持ち替えた。
 初めは書き出しに悩んだけれど、手を動かし始めると止まらなくなった。
 
 ――夏癸の小説のどんなところが好きか。一番好きな作品はどれか。どの登場人物が好きで、とくにどのシーンが心に残っているか。思いつく限り書き連ねていく。
 小説の感想はいつも直接伝えているはずなのに、書き始めると想いが溢れて止まらなかった。好きなところ。好きな気持ち。たくさんありすぎて、いくら伝えても伝えきれない。
 ――夏癸自身のことが好きだと書くことは、まだ、できないけれど。
 
 ふと我に返ると、便箋八枚ほどの超大作のファンレターが出来上がっていた。読み返す勇気は出ない。冷静になると破り捨てたくなりそうなので、勢いのまま封筒に入れて封をする。かなり厚い。流石に出版社宛に送るほどの行動力はないので、「夏癸さんへ」とだけ宛名を書いて、明日手渡しすることに決める。書き終わると、なんだか気が抜けてしまった。
 
「……っ!」
 
 夢中で書いていたので意識していなかったが、気付いたら下腹部が重たくなっていた。トイレに行きたい。それもかなり切羽詰まっている。
  
(おしっこ……!!)
 
 強烈な尿意に戸惑いながら、慌てて椅子から立ち上がる。無意識のうちに太腿の間に両手を挟み込み、ぎゅうっと押さえつけた。早くトイレに行かないと。
 ぎゅうぎゅうとスカートの中に手を入れて下着を直接押さえながら、片手でなんとかして襖を開けて廊下に足を踏み出した。こんな格好は誰にも見られたくないが、家のなかに人目はないので気にしている余裕はない。
 慎重に、けれど急いで階段を駆け下りていく。前屈みになりながらちょこちょこと小さな歩幅で懸命に歩いて、廊下の奥にあるトイレを目指す。歩幅を大きくしても、これ以上の早足で歩こうとしても漏れてしまいそうだった。
 
(でちゃう、でちゃうっ、まだだめっ)
 
 いまにも出てしまいそうなおしっこを必死に押し止め、足を進める。トイレのドアが見えた瞬間、ぞくぞくと背筋が震えた。しゅうっ、と下着が生温かく濡れる感触。
 
「あっ……」
 
 指に力を込めて、なんとかそれ以上の決壊は抑えた。頬が熱を持つ。僅かに濡れた下着は切羽詰まった尿意をさらに誘う。茜は懸命にトイレのドアノブに手を伸ばした。
 中に滑り込み、バタン、と乱暴にドアを閉める。
 便器の蓋を上げて、あとは下着を脱いで座るだけ、なのに。
 早くしたいのに、迂闊に手を離すとその瞬間に我慢しているおしっこが溢れ出してしまいそうで、下着を下ろすことができない。ばたばたとその場で小さく足踏みしながら、片方の手を下着の縁にかける。
 
「……っ!」
 
 なんとかタイミングを見計らって脚の付け根を押さえる手を離し、下着をさっと下げる。腰を下ろそうとした瞬間、しゃあっと雫が迸った。
 
「あっあっ」
 
 慌てて便座に座る。ぱちゃぱちゃと溢れた水流が陶器に当たって音を立てた。床を汚してはいないので間一髪セーフだ。しゃああああ……と響く水音が耳に入ってくる。
 
「はぁぁ……」

 お腹が軽くなっていく感覚に思わず息をつく。――その瞬間、突然、目の前のドアが開いた。
 
「……っ!?」
「っ、すみません!」
 
 トイレのドアを開けたのは夏癸だった。それ以外に誰かがいるわけない。
 目が合った瞬間、彼は焦った様子でドアを閉めた。びっくりしたが声を上げる間もなかった。おしっこはまだ止まらない。
 たった数秒のことだったが、心臓がバクバクして、顔が沸騰しそうなほど熱くなる。鍵をかけ忘れていたのだと、さらに数秒遅れてから気が付いた。 
 
(み、見られちゃった……)
 
 恥ずかしさに悶えそうになる。いままでだって夏癸の前で粗相をしてしまったことは何度もある。トイレで用を足しているときにすぐ傍で付き添われたことも。
 しかしいまのは完全に不意打ちだったので、いままでに経験したことのない恥ずかしさがあった。
 水音が止んでもすぐには立ち上がることができなかった。外で待っているであろう夏癸に対してどんな顔をすればいいのかわからない。
 だが、夏癸もトイレに入りたいはずだからいつまでも閉じこもっているわけにはいかない。観念して水を流し、鍵をかけていないドアをおずおずと開いた。
 
 夏癸はトイレのすぐ目の前の廊下ではなく、洗面所の前で待っていた。
 気まずく思いながらも歩み寄る。視線を合わせることができず、俯きがちになりながらそっと口を開いた。
 
「あ、あの、ごめんなさい。鍵、かけ忘れちゃって……」
「いえ……私も、ちょっと考え事をしていたので。茜が入っていると気付かず開けてしまってすみませんでした」
「えと、あの、鍵するの忘れちゃったわたしが悪いから、気にしないでくださいっ」
 
 茜はそう言い放つと、逃げるように洗面所へ駆け込んだ。
 夏癸はまだ何か言いたげな様子だったが、何も言わずに踵を返してトイレに入っていった。

(うぅぅ……恥ずかしいよ……)
 
 手を洗いながら自分の顔を見ると、はっきりとわかるほど耳まで真っ赤になっていた。たとえこれまでも恥ずかしい姿を夏癸に見られているとわかっていても、慣れることなんてできはしない。
 濡れた手をタオルで拭いていると、ふいに下着の湿った感覚が気になった。
 そういえば、少しだけちびって汚してしまったのだ。すぐに履き替えて洗いたいところだが、ここで着替えるとまた夏癸と鉢合わせしてしまうだろう。
 トイレ中の姿を見られただけでも恥ずかしいのに、普通に家で過ごしていたときに下着を濡らしてしまったことまで知られたくはない。
 汚れた下着はお風呂のときに洗うことにして、湿った感覚は部屋に戻るまでの少し間我慢する。
 先ほどまでは夏癸への溢れる想いで胸がいっぱいだったというのに、いまだけは彼と顔を合わせないように足早に自室へ逃げ込む茜だった。
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