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第一章

第8話:アーニャは……怖い?

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 受付カウンターから飛び出したエリスは、ジルの手を引っ張り、錬金術ギルドに入ってきたアーニャという女性の元へ駆け出していく。

 機嫌が悪いようなムスッとした表情を浮かべた、鮮やかな金髪をポニーテールにした女性。ピンク色のキュロットスカートに小さなポーチを付けて、カジュアルな上着を羽織っていた。

 エリスに気づいたアーニャは、恥ずかしそうに顔を赤く染め、ドキッとして立ち止まる。目の前にやって来たエリスが出会いがしらに頭を下げたため、目が右往左往に泳いでいた。

 一番恥ずかしそうにモゾモゾしているのは、初めて会う女性に挨拶を強いられるジルだったが。

「昨日言ってたエリ……ポーションを譲ってくれた人が、アーニャさんだよ」

 お金のことを気にしているジルに、エリスはエリクサーという単語を避けた。本来では、個人で買えるような代物ではないし、譲ってもらえるような代物でもない。ポーションと誤魔化し続けるには無理があるかもしれないけれど、いまはまだ伝えるべきではないだろう。

 しかし、エリクサーの価値を十分に理解しているアーニャは、絶対にお礼を言われるパターンだと悟り、少しだけ声を張って照れを隠す。

「な、なによ。朝からいきなり走ってきて。ギルドの中を走ったら危ないじゃない。転んだらどうするのよ」

 焦りすぎてしまったんだろう。小さな男の子を見たアーニャは、小学生みたいな言葉しか思い浮かばなかった。そして、自分が心配しているような言葉を紡いだことに気づき、より一層顔を赤くしてしまう。

(べ、別に心配したわけじゃないんだから! こんなの挨拶みたいなもんよ)

 必死に自分の心を落ち着かせようとするアーニャは腕を組み、エリスの視線を避けるようにあさっての方を向く。それに対して、弟の命を救ってもらった恩人を前に、もう一度エリスは深々と頭を下げた。

 周りから見れば、プンスコと怒るアーニャにエリスが謝っているように見える。

「昨日は本当に、ありがとうございました。おかげさまでジルも元気になりました。ほら、ジルもちゃんとお礼を言って」

 エリスにお礼を言われただけでなく、実際にエリクサーで治ったジルからお礼を言われようとしているいま、アーニャの体温は急上昇。顔を真っ赤にして一歩後ずさり、「はぇっ!?」という情けない声を出してしまっていた。

 感謝の追い討ちをかけるように、エリスの背後から顔だけをひょこっと出したジルが、アーニャを見つめる。

 身長が低いジルが見つめれば、当然、上目遣いである!

「あ、えっと、あの……あ、あり……」

「べ、別にお礼なんていらないわよ! ただの気まぐれなんだからッ!」

 恥ずかしさのあまり、ジルの言葉をかき消すようにアーニャは声を荒げた。

「でも、アーニャさんもずっと探してた……」

「別にいいって言ってるじゃない! あんなの十個やニ十個ぐらい道端に落ちてるわよ! 私はポーチに押し込んだ焼き立てパンを食べるために急いでるの、邪魔よ!」

 羞恥心から自分でも何を言っているのかわからなくなったアーニャは、朝食を理由に逃走を試みる。あわわっと表情筋がワナワナと動き、沸騰したヤカンのようにプシューーーッと蒸気が出ているようで、早くこの場から逃げ出したいですぅぅぅ! と言わんばかりの状態だった。

 一刻も早く逃げ去るため、歩き出したアーニャが二人の横を通り過ぎようとした瞬間、それを妨害する者が現れる。

 なんと、負けず劣らず羞恥心全開だったジルである! アーニャの腕を優しくつかみ、目薬でも差したかのようにウルウルとした瞳で、本日二度目の上目遣い!

 恥ずかしそうに隠れていた男の子が積極的に動くなど、まったく思っていなかったアーニャは、意表を突かれた。反射的に振り向いて、ジルと見つめ合ってしまう。

「あ、あの! あ、ありがとう、アーニャお姉ちゃん」

 ずっきゅーーーーーんっ!

 アーニャの胸に、感謝の矢が乱れ撃ちのように突き刺さる!

 命を助けた年下の男の子が、上目遣いで感謝を述べてくるなど、アーニャにとってはとてつもない試練なのだ。ましてや、お姉ちゃん、などと敬愛を示されると、小さな心臓を四方八方から矢で射抜かれているような衝撃が襲い掛かり、メンタルが崩壊。行き場を失った感情が手を動かし、超高速でモジモジしてしまう。

 念のため伝えておくが、決して、アーニャに恋の矢が突き刺さったわけではない。……決して! 断固として違う!

 なんといっても、エリスよりもアーニャは四歳も年上で、二十二歳の大人の女性なのである。たとえ恥ずかしがり屋の照れ屋さんであったとしても、何も問題はない。

 少しくらい冷静になれば、いとも簡単に立て直すことが……、できる!

「びょほぇえええ! あ、あんたのためじゃないんだからっ!!!!!!」

 できない日もある! 穴があったら入りたいほど、アーニャは混乱していた!

 ジルの手を振りほどき、全速力でアーニャは走る。ピューーーッという効果音が聞こえてきそうなくらい速く、あっという間に姿が見えなくなってしまう。

 ポツーンと取り残されてしまったジルとエリスは、目をパチパチとさせて、アーニャが走った方を向いていた。

「アーニャお姉ちゃん、怒ってた?」

「ううん。アーニャさんはああいう人なの。どういたしましてって意味だから、気にしなくても大丈夫だよ。それより、早くポーション作りを始めないとね」

 受付カウンターに戻って、低級ポーション作成キットを持った後、ジルはエリスに案内してもらい、一階の作業部屋へと歩いていった。

 その一部始終を目撃した受付女性たちは、小声でコソコソと話し合う。

「アーニャさん、相変わらずだよね。ちょっと手が当たったくらいで、エリスの弟にあそこまでキレなくてもいいのに」

「弟くんはよく泣かなかったよね。私が同じ立場だったら、失神してる自信があるもん」

「わかるわかる。どんな時でも喧嘩口調で、いつまでも黒い噂が後を絶たないものね、アーニャさんって。この前は兵士に土下座させてたらしいよ」

「何それ、怖ーい。やっぱり冒険者育ちで、悪い意味で二つ名を持っているだけはあるよね」

 アーニャに恐怖心を抱く受付女性の二人は、背筋をブルブルと震わせている。それもそのはず、この世界には、ツンデレという言葉が存在しない。口調が厳しいアーニャのような人が声を荒げれば、怒っていると思う人ばかり。顔を真っ赤にしていれば、なおさらのこと。

 漫画やアニメでツンデレが普及されない以上、アーニャに悪い印象を受ける人が圧倒的に多かった。もちろん、関りを深く持つことで、エリスのような理解者も現れるが……、その前に黒い噂が流れ、怖いという第一印象が埋め込まれてしまう。

 実際にアーニャが揉めた話といえば、在庫が切れた毒消しポーションを急ピッチで作成し、冒険者たちの命を助けた時のこと。

 後日、助けられた冒険者の子供が小さな花を集めて作った不器用な花冠を、感謝の証として母親と一緒にアーニャへ持ち寄ったのだ。すると、「ベ、別にいらないわよ! そんなのもらっても嬉しくなんてないんだからね!」と言い放ち、揉めまくった。

 子供大泣き、親ブチギレである。

 おわかりだと思うが、『そんな笑顔で持って来られても、恥ずかしくて受け取れないよぉ……』という気持ちをアーニャは誤魔化しただけ。だが、ツンデレが浸透していないこの世界では、そのままの意味として受け取られてしまう。

 素直になれないアーニャも、子供の相手くらいはちゃんとしてあげたい……とは思うものの、周りから見られていると感じるだけで緊張してしまい、心の制御ができなくなるのだ。そして、ブチギレた親に逆ギレをかましてしまうほど、本当にアーニャは短気でもあった。

「エリスには頭が上がらないよね。【破壊神】アーニャの受付担当なんて、私たちには絶対無理だよ」

 冒険者時代の二つ名【破壊神】を持つアーニャの黒い噂が、今日もまた一つ増えた錬金術ギルドの朝だった。ツンデレには、世知辛い世界である。
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