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いつか、神様は──

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 私たちは、しばらく湖を眺めて過ごした。
満々と水をたたえた人工湖は、今は風もなく凪いで見える。
水が濁っていない時は、意外に美しい景色が見えるのだと氏康さんは言った。
それを美しいと言ってくれる神様の言葉に、私はまた泣いてしまいそうになる。
あなたの祠を水底に沈めてしまった、人の勝手が作ったものなのに。

 お昼を過ぎるころに、私と汐は帰途についた。
猫の姿になった汐は、軽々と山道を行く。
私はその後ろを少し重い足取りでついていった。
汐は時々、振り返っては私がついてきていることを確かめる。

「午後には、三重子の見舞いにいけるな」

 汐はそんなことを言って、私の足を速くさせようとした。
だけど一向にそれは成功しない。
都会育ちで慣れないから、と言い訳する私の心中を見透かすみたいに汐が言う。

「……氏康は別に、もののけに戻る自分を憐れんではいない」

「わかってる……。わかってるけど……」

 駄々をこねるみたいにいって、私はむっつりと黙り込んだ。
すると汐は私のところに戻ってきて、二股の尻尾ではたりと私の足を軽くたたく。

「……妖怪に戻ったら、どうなっちゃうの?」

 訊ねると、汐はふいと鼻面をそらした。
また前へと駆け戻っていく。
そういう反応はずるい。

「──何も、変わらない」

「ほんとに?」

「ただ、神としての感覚をなくすだけだろう。妖怪に、人との繋がりはないからな」

「私たちのことを忘れちゃったりするの?」

「忘れたりはしないだろう。なったことがないから、よくはわからんが」

「汐にもわからないの?」

 そう訊ねると、汐はちらりとこちらを振り返った。
黒猫は小首をかしげる。

「もう長い間、土地神でいたからな」

 忘れてしまった、と言う汐に私は何とも言えない気持ちになって、また口を噤む。
実際に忘れてしまっているのかもしれない。
だってたしか千年以上も生きている、と言っていたし。
神社もかなり古くからあるものだと、蓮川さんから聞いている。

 昨日の夜、何を食べたかなんて記憶すらが曖昧になるような人間にしてみれば、忘れるのも当然かと思えた。
だけど──。

「汐」

 呼んでも、黒猫は今は振り返ってくれなかった。

「……汐も、いつかいなくなっちゃうの」

 口にして私は、ひどく苦いものを噛んだような心地になった。

 汐は、振り返らない。
氏康さんの土地からは、人がいなくなってしまう。
それは遠い未来の出来事ではない。
そして、それは汐のいる村でも同じことなのだ。

 村人のなかで、一番若いのは私だ。
過疎は年々、すすむ。
村のお年寄りは、ここに骨をうずめると言っている人が多いけれど。
彼らが皆、居なくなってしまう未来はどうなるのだろう。
都会にはどんどん人が多くなってるというのに、この村に住む人たちは減り続けている。

 そもそも神社の宮司の蓮川さんだって、かなりの高齢なのだ。
蓮川さんご夫婦にはお子さんが出来なかった。
奥さんは、数年前に他界されていた。
跡継ぎがいないんだよ、と困ったように言っていたのを知っている。

 この先、汐も神様ではなくなってしまうのだろうか。
そんなのは、嫌だ。
私にできる事はないの。
汐にずっといてもらうために、なにか。

 とうとう歩くことを放棄して立ち止まってしまった私の足元に、するりと汐が戻ってくる。
身を寄せて、すりすりと身体をこすりつけるようにされて私は唇を噛んだ。
有無を言わせず、抱き上げて抱きしめる。
ふかふかとした毛並みと、温かな体温に頬を寄せた。

 汐はこぼれた私の涙を、舌でぺろぺろと舐めとってくれた。
ざりざりして痛いよ。

「……汐がいなくなったら、嫌だ」

「ならない。安心しろ」

「そんなの、嘘だ……」

「もし、土地神でなくなってしまったとしても」

 たとえ話のように口にされたことに、私はきつく目をつむった。
聞きたくない。聞きたい。
どちらもが綯い交ぜになる、その先の言葉。

「……俺は里が好きだ」

 ぎゅっと心臓をつかまれるような、あまやかな傷みに心の奥深くを射抜かれて、私は黒猫を抱きしめたまま立ち尽くした。
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