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犬神の鳴く夜に

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 免許証を取って戻る頃には雨は完全に上がっていた。
雲の切れ間に、星がひっそりとのぞく。
それでも夜間で、雨の後だということは変わらない。
路面は濡れている。
それを想像するだけで怖かった。

 だけど、他に誰もいない。私しかいない。
その思いだけが強く胸にある。
集会所の駐車場には、用意してもらった車が停まっていた。
周りには心配そうに落ち着かない村の人たちが集まっている。

 私の姿を見ると、ハッと皆の視線がこちらを見た。
私は出来るだけ落ち着いて見えるように、唇を引き結んで車までを駆ける。

「里ちゃん、三重子さんのこと御願いね。御願いね」

「気をつけてな。麓まではカーブも多いんじゃし」

 口々に言う人に、私は今ばかりは雑に頷いた。
はやくはやくはやく。
そればかりが頭にある。

「アタシが付き添うから。みんな、さがってさがって」

 松里さんが集まった村の人たちを散らす。
私は運転席に乗り込んで、ガチガチになりながらハンドルを握った。
後部座席に横になった三重子さんの頭を膝の上に乗せた松里さんが、落ち着いて、と声をかけてくれる。

 シートベルトをしてからエンジンをかけた。
アクセルを踏むけど、進まない。
あ、ギアだ、と気づいて慌てて入れなおす。
どうしよう、手の震えが止まらない。
上手く入らない。

 その私の手の上に、不意に猫の小さな前足が重ねられた。
いつの間に乗り込んだのか、汐が私の手の甲をほたほたと宥めるように叩いていた。

「大丈夫……大丈夫だ、里。落ち着いて。──俺が一緒にいる」

 その低く落ち着いたトーンの声に、私は泣き出したいような安堵を覚えて唇をかみしめた。
もう一度、ギアを入れなおして、そっとアクセルを踏む。
するりと夜に滑り出した車は、おっかなびっくり車道へと出た。

 私は慎重にハンドルを操った。
ちらとバックミラーを見ると、見送る心配そうな人々の顔が赤いテールランプに照らされて映る。

 ……託されたんだ、私に。
そう思うと、くらりと眩暈がしそうだった。
気づくと助手席の汐はいつのまにか神主姿になっている。
そうして、私の邪魔をしないようにそっと私の肩に手を置いていてくれた。

 ……大丈夫。大丈夫。
神様が──汐が、私を見ていてくれる。
ああ、そうか。神様が見守っていてくれるってこういうことなんだ。
見守っていてくれるから、頑張らなくちゃ。

「意識は」

「ないわね。そういえば、この夏の間よく、今年は暑い今年は暑いって言ってたわ。……ずっと、体調がよくなかったんじゃないかしら」

 今年は暑いんじゃね。東京はもっと暑いのかい。大変じゃね。
そんな話を何度もした記憶がよみがえる。
三重子さん、我慢してたの。
つらかったなら、なんで言ってくれなかったの。

「はい、里ちゃんは、余計なこと考えない。運転に集中しなさい」

「は、はい……」

 思い返して泣きそうになっていたら、見透かしたように松里さんに言われて私は慌ててハンドルを握りなおす。
気を散らしてる場合じゃない。
もっと集中しなくちゃ。
三重子さんの命が私にかかってるんだ。
絶対、無事に病院まで送り届けなくちゃ。

 私が前を睨みつけていると、汐が不意に顔をあげる。
松里さんも、ハッとしたように周囲を見回している様子がミラーに映っていた。
私はそれに気を取られる余裕もなかったけれど、ぼそぼそと話す声は聞き取れた。

「……氏康だ」

「ああ、聞こえる」

 嵐が去った静かな夏の夜。
聞こえたのは、細く長くどこまでも長く響く遠吠え。
犬神様の声──。

「奴には守らなきゃならない自分の土地があるからな。今夜は動けないんだろう」

「こっちは大過なく済んだけど、氏康のとこはもう住民も少ないからねえ……」

 氏康さん。
だけど、それでも三重子さんのこと気遣ってくれているんだ。
犬神様の声の守りに送られて、私たちの車は夜の道をひた走った。
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