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しおりを挟む「私は、橘クロード玲也の婚約者で、天王寺 京子(てんのうじ きょうこ)。あなたのせいで、婚約者を奪われたと、笑いものにされているわ。だから、玲也を返して欲しいのよ。」
冷たく美しい顔の眼光は鋭く、女王のようなオーラを纏った京子に、鳥肌が立った。
今まで感じたことの無い恐怖を感じる。
しかし、このまま逃げるようなことはしたくない。
「玲也さんは物でありません。ですから私が返すなんて可笑しなお話ですよね。」
京子は、その美しい顔を歪めた。
「うるさい小娘だわ。さっさとその婚約指輪を外しなさいよ。あなたはこの指輪が似合う女性じゃないわ。分不相応なのよ。」
京子が私の左手首を掴んだ時、その横に誰かが走り近づいて来る足音が聞こえた。
「なんの騒ぎかと見に来たら…まさか貴女がここまで乗り込んでくるとは、相当お困りなのでしょうね。」
近づいて来たのは蓮だった。
蓮はインターンも終盤になり、他部署で研修をしていたようだったが、騒ぎを聞いて駆けつけてくれたのだ。
京子は蓮の登場に驚いた表情をする。
「あなた…蓮君でしょ?どうしてこんなところに居るの?」
「僕は今、インターンでこの会社にお世話になっているんだ。…京子さん、直接兄さんに言えば済むことだろ、なぜ唯さんのところに来たんだよ。」
すると、京子は蓮に向かって大きな声をあげた。
「私だって、玲也さんが連絡に応じてくれればこんなことはしないわ。玲也さんに連絡しても、何も話すことは無いと言って電話を切るのよ。だから、仕方ないじゃない!」
蓮は京子の話を聞いて、顎に手をあてて考えるような姿勢をとる。
「う~ん、確かにそれは兄さんも悪いな。でも、唯さんに関係は無いよね?…もしかして八つ当たりか…嫉妬なのかな。」
蓮の言葉を聞いて京子が手を振り上げた。
しかし、一緒にいた黒いスーツの男性が京子の腕を押さえた。
「放して本郷(ほんごう)。私を侮辱するなんて許せないわ。」
黒いスーツの男性は本郷と言うらしい。後で分かった事だが、本郷は天王寺家の執事兼秘書でもある男性だ。
本郷は天王寺家に代々執事として仕える家に育ち、京子とは一緒に育ったらしい。
「私は京子様の醜名がこれ以上流れるようなことはさせられません。どうか冷静になさってください。」
本郷に窘められ、京子は我に返ったように動きを止めた。
そして京子は唯を睨むように話し始める。
「確かに玲也さんとの婚約は親同士が決めたことよ。でも、周りの皆が祝福してくれたわ。天王寺家も橘家も古くからの名門の家系。そして、玲也さんを初めて見た時に、私の夫としてふさわしい秀逸な男性で嬉しかったわ。それなのに一方的に婚約解消なんて許せないのよ。」
京子の話を聞き、確かにこれは玲也が悪いような気がしてきた。
それにしても、なぜ玲也は結婚を断っていたのだろう。
こんなにも美しい京子は女性の私から見てもかなり魅力的な女性だ。
ホテルのアメニティをブラックローズの製品にするという件を断るためだけに、結婚を断っているのだろうか。
アメニティのことだけなら、結婚を断る以外に方法はありそうなものだ。
京子は本郷に背中を押されるように、その場から去ったが、蓮は心配そうに唯を見た。
「京子さんから言われたことは、気にしないほうが良いよ。兄さんは何を考えているか分からないけど、結局兄さんと京子さんの問題だからね。」
私は蓮に聞いてみたいことがあった。
「ねぇ、蓮君聞きたい事が有るんだけど。」
「…なに?」
「玲也さんは、昔から京子さんとの婚約を拒んでいたの?」
「…そういえば…小さい頃から、天王寺家の人達と会うことはあったけど、昔は結構仲良くしていたような気がするな。」
蓮の話を聞いて、疑いは確信となった。
玲也はなにか理由があって京子さんとの婚約を断っている。
それはブラックローズ社のことだけではなく、なにかを玲也は隠しているに違いない。
その日の夜。
今日も玲也は仕事が忙しいらしく、もうすぐ日付が変ろうとしているが、まだ家には戻っていない。
何度か諦めて寝てしまおうと思ったが、もう少しだけ待ってみようと思う気持ちが勝り、眠い目を擦りながら玲也の帰りを待っていた。
少しして、カチャリとドアのかぎが開けられる音がした。
(玲也さん、帰って来た!)
帰って来た玲也を出迎えようと玄関に向かうと、玲也は私の姿を見て驚いたように目を大きくした。
「唯ちゃん!どうしたの…起きていたのかい?」
「…はい。玲也さんにお話が合って。」
すると、玲也は何か思い出したように話し出した。
「そうだよね。…今日、蓮から連絡を貰って驚いたよ。京子さんが唯ちゃんに会いに行ったんだってね。ごめんね嫌な気持ちにさせただろ?」
私はその言葉に大きく首を横に振った。
「違いますよ。嫌な気持ちにはなりません。京子さんの気持ちになって考えてみれば、いきなり婚約破棄されて、その代わりに他の女性と結婚するなんて言われたら、怒るのは当然です。」
玲也は私の言葉を聞いて、少し気まずいような表情をする。
「…理由は以前にも唯ちゃんに話したよね?」
「ホテルのアメニティをブラックローズ社の化粧品にするという事ですよね?…本当にそれだけですか?…なにか私に隠していませんか。」
「……」
玲也は少しの間沈黙したが、少ししてフッと小さく微笑んだ。
「唯ちゃんには嘘はつけないね…でも、理由は…ごめん。言えないんだ。」
玲也はすまなそうに私の前で頭を下げたのだ。
玲也にそこまで言われると、これ以上追及はできないが、何か理由がある事はわかった。
すると玲也は、なにも言えず黙っている私の顔を覗き込んだ。
「唯ちゃん、ちょうど良いタイミングかも知れないから、僕の親父に合ってくれないかな。」
「お…お義父様にですか?」
「うん、僕の父親はフランスに居ることが多くてね…たまに母さんに会いに日本に来るんだ。今週末に日本に着くらしい。唯ちゃんと結婚することを了承してもらうつもりだよ。」
玲也さん簡単に言っているが、お義父様に会うなんて大事件だ。
私を良く思っている訳がなく、きっと何か言われるに違いない。
「あの…本当に私なんかが結婚相手で良いのでしょうか?玲也さんなら、京子さん以外でも、沢山の素敵な女性が玲也さんと結婚したいと思っていますよね。」
すると、玲也は私の左頬に自分の右手を添えた。
突然の出来事に心臓がドクンと跳ね上がる。
「嫌な思いをさせるかもしれないけど、僕が必ず守るから。」
「そ…そんな…守るなんて…ちょっとお会いするのは恐いですけれど、私は大丈夫です。お世話になった玲也さんへお返しが出来るなら嬉しいです。」
「ありがとう。唯ちゃん。」
雲一つない青い空。
その青に吸い込まれるように飛行機が飛立っていく。
塵ひとつ付いていない大きな窓ガラスはその存在を忘れてしまいそうだ。
ここは空港のVIPルーム。
今日ここで玲也のお義父様と会うことになっている。
指定された時間通りに到着した私達に、VIPルームのアテンダントは飛行機の遅れを伝えた。
白で統一された室内には大きなテーブルとゆったりとしたソファーが置かれている。
私はソファーに浅く座り、背筋を伸ばした。
防音ではあるが、飛行機の飛び立つ大きな音が微かに聞こえる。
静かな室内で、自分の心臓の音がトクトクと鳴り、緊張で手が冷たくなる。
玲也は私の緊張に気が付いたのか、そっと私の手を握った。
「緊張しているね。…大丈夫だよ。」
アテンダントは15分ほどの遅れと言っていたが、待っているときの時間はとても長く感じる。
少ししてドアをノックする音が聞こえた。
トクトクと音を出していた心臓が大きく跳ねる。
静かに開いたドアからは、案内のアテンダントに続いて、長身の男性が入って来た。
分ってはいたが、玲也の父親はフランス人だ。
失礼の無いように、マナーや挨拶は学んできたが緊張で頭が真っ白になる。
しかし、幸いなことに妻が日本人であるし、それ以前に日本語は堪能なのだと聞いている。
「お父さん、お久しぶりです。」
玲也がその男性に声を掛けると、その男性は真っすぐに私達へと向かって歩いて来た。
私は恐るおそる顔をそっと見上げた。
すると、そこには映画俳優ではないかと思うような整った顔の外人が立っていた。
しかしよく見ると、当たり前ではあるが、玲也にとても良く似た顔立ちだ。
「玲也、元気そうだな。」
その男性は玲也に向かって、ふわりと笑顔を向けた。
玲也が私を紹介しようと、私の方に手を置いた。
「お父さん、…こちらの女性は…」
すると、玲也の言葉を遮るようにその男性は大きな声を出した。
「紹介はいらない。私は許した覚えは無いよ…玲也。」
「お父さん…僕は京子さんとは結婚しない。何度も伝えましたよね。」
さらに父親は大きな声を出した。
「お前は自分の立場が分かっていない。天王寺家とつながることが、これからのブラックローズ社にとっても橘家にとっても、どれだけ重要な事なのかを分からないとは言わせないぞ。」
少し沈黙の後、玲也は静かに話し出した。
「ブラックローズ社の未来は、違う形で大きく安定して見せる。だから、僕はここにいる花宮唯さんと結婚するつもりだ。」
父親はフッと呆れたように笑った。
「私がお前たちの嘘を知らないとでも思っているのか?全部調べさせたよ。そこにいる女は蓮のアパートに住んでいたことも分かっている。蓮の代わりにお前がそこまでする必要は無い。」
父親は持っていた鞄を開けると、中から紙袋を取り出した。
そして、その紙袋を私に渡そうとして目の前に差し出した。
「こ…これは…何でしょうか…。」
父親は無表情で私を見た。
「君には十分すぎる金額だと思うぞ。これをもって今すぐここから出て行ってくれ。そして玲也に付き纏うのはやめてくれ。」
「父さん!!何を言っているんだ。彼女に失礼なことはやめてくれ。」
玲也は差し出された封筒を振り払うようにしたため、封筒はふわりと空中に飛んだ。
すると、その封筒からは、ひらひらとお札がこぼれ落ちて来た。
玲也は私を守るように肩を抱くと、父親に背を向けた。
「お父さん、あなたがここまで最低な人間だと思いませんでした。これ以上彼女を傷つけたら、父親だとしても僕は許しませんよ。」
すると、父親は面白いものでも見るように、笑顔で玲也を挑発した。
「ほぅ~面白いね。どう許さないというのかな。」
玲也は次の瞬間、父親の胸ぐらをつかんだ。
「僕はもうあなたの人形じゃない。そして僕の大切にしている人を侮辱されて黙ってはいられない。」
玲也は胸ぐらを掴んでいる逆の手を振り上げて父親を殴ろうとする。
「やめて!!もうやめてください。私はこの部屋から出て行きます。」
私は急いで部屋の出口へと向かいドアを開けた。
すると、そのドアの前を塞ぐように人が立っていた。
そこに居たのは、玲也の母親だった。
「…あらあら、大きな声が聞こえると思ったら、あなた方だったのですね。」
お母さんは私の肩に手を置いて、私が出て行こうとするのを止めた。
そして、部屋の中をゆっくりと歩きながら皆に向かって声をあげた。
「この部屋から出て行くのは、唯さんでは無いわ。」
玲也は驚いたように声を出した。
「お母さん…何を言っているのですか。」
玲也の声とほぼ同時に父親も声を出していた。
「お前…何を言っているんだ。」
すると、母親はふっと小さく笑った。
「あなたは橘の家をどうするおつもりなのですか?私がなにも知らないと思っているのですね。…あなたを見込んで橘の婿に迎えた私の両親が泣いていますよ。」
「なっ…なにを…言っているんだ。」
玲也の父親は明らかに動揺している。
その証拠に握った拳がふるふると小刻みに震えていた。
玲也の母親は一枚の紙を取り出した。
「これは、橘家が所有する土地の権利書です。この中のいくつかは天王寺家に売却されています。…どういうことか分かりますか。」
父親はさらに動揺したように声を裏返しながら慌てた口調で声を出す。
「た…た…たまたまだろ…俺は知らない。俺を疑っているのか。」
「天王寺家はリゾート開発に橘家が所有する土地が欲しかった。そこで、まずあなたを買収する方法で手に入れることにしたようですね。現に土地の売買が行われると、あなたの個人口座にどこからか入金があるのは調べさせたわ。しかもかなりの金額のようね。恐らく天王寺家からの賄賂だったのでしょうね。」
「ちがっ…違うぞ!言いがかりはやめてくれ。」
玲也はその話を聞いて、父親に向かって声をあげた。
「だからあなたは天王寺家との縁談を進めたかったのですね。天王寺家と手を組むことで自分の不正が暴かれないようにしたかったのですね。」
玲也の母親は静かにぽつりと呟いた。
「あなたはもう終わりね…さようなら。」
空港での件から一週間後、ブラックローズ社で臨時役員会議が行われた。
そこで玲也のお父さんは会長として役職を解任された。
しかし、お母さんとの話し合いで離婚はせず、ブラックローズ社の援助もない所で新しい会社を立ち上げることとなった。
もともと玲也のお父さんは、先代の社長が認めるほどの実力があり、ビジネスセンスはかなりのものがある。
新しい会社も軌道に乗せるのはそう難しい事ではないだろう。
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