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第1話 月夜の求婚
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(──昼と夜、本当の彼はどちらなのだろう?)
宵の闇から音もなく、私の宮に訪れるのはこの国を統べる皇帝だ。
白銀の長く美しい髪、紫紺色の美しい瞳、昼間と異なり上質な黒の漢服に身を包み、どこか扇状的だ。
その色香は何処で売っているのだろう。
何も言わずに寝台に座り込む図々しさは、昼夜問わずのようだ。私は呆れつつ、お茶の準備をする。ちょっとでも距離を取るための悪あがきだが、彼は気を悪くすることなく私を目で追う。熱心に見てくるのは異世界人が珍しいからだろう。
「お茶を飲んだら帰ってくださいね」
「我が妻は何ともつれないことをいう」
「私は第四王妃の影武者よ?」
「余が望めばそなたが第四王妃だ」
「はいはい。光栄に存じます」
盛大な溜息を吐くので、視線だけを彼に向けた。
寝台傍の窓から青白い月夜の明かりに照らされ、彼の存在を神秘的なものに昇華する。
(目の保養になるなぁ。悔しいけれど……)
「……今日も求婚をしに来たのだが、受け入れてくれないのか?」
甘く強請るような声に、少しだけ罪悪感を覚える。
夜に現れる彼は──嫌いじゃない。
けれど、私の答えは決まっている。
「無理。私には元の世界に戻る理由があるの。無責任に貴方の求愛を受けられないわ」
「その理由が終わってから、再召喚も込みで考えて欲しい」
「(今日はそうくるのか。一辺倒に頼むよりはいいけれど……)そうね……。考えてみる」
「ふむ、色よい返事とはいえないな」
悲しそうな顔に思わず「好きだ」と言いそうになるのを、グッと堪える。
不意に月明かりに、元の世界で有名な言葉を思い出した。
気まぐれ。好きな気持ちを絶対に気付かれないように忍ばせて呟く。
「今日は──月が綺麗ね」
「――っ」
言った後でなんだか恥ずかしくなってしまったが、彼がこの言葉の意味を知っていることはないだろう。私が彼を好いていると言ってしまえば、ますます元の世界に戻りたい気持ちが削れていってしまうのだから。
(それでも……私は――)
「ああ、このように青白く光ることは稀で『その月明かりの下で、告白すると結ばれる』と言うらしい」
「へーーーーーーーーー、ソウナンダ」
「なぜにカタコトなのだ?」
「別に」
彼は私の出したお茶を飲み、私も寝台に座りながら当たり障りにない会話をする。いつも自分のことを話さない皇帝、いや皇帝の装いをしている彼の名を口にしようとした。
「ユウ──」
彼の人差し指が唇触れたせいで、言葉は途中で途切れてしまう。
「それを口にするなら、私の妻になると了承してもらわなければならない」
(もう余って言わないのね)
甘く痺れるような低い声に、心臓が煩い。
昼と夜で雰囲気どころか人格まで異なる皇帝。
なぜ彼が皇帝の服を着ているのか。
この後宮で何が起こり、アヤカシが渦巻いているのか。
分からないことばかりが増えていく。
「何もかもが秘密ばかりだと、信頼関係の構築が難しいのだけれど? 私、後出しって好きじゃないのよね。甘いことばかり並べて実際は違うなんてざらさもの」
「私が沙羅紗殿……」
昼間の皇帝は私に『殿』など付けない。それだけで、別人だって言っているようなものなのだけれど、彼は自分から正体を明かすことはしない。
「そなたの下に通い続けているだけで、証明にならないのか?」
「なるわけ無いじゃない」
とびきりの笑顔で言ってきたので、無表情のまま答えた。彼は、まさか一蹴されるとは思っていなかったのだろう。目が点になっている。
数秒ほどで口元に笑みがこぼれた。
「手強い……」
「そっちこそ。さっさと秘密を言ってしまったほうが楽なんじゃない?」
「それができれば――っ」
彼は拗ねた顔で、ぐいっと、お茶を飲み干した。
それから陶器と盆をベッドの端に置いて、自然な流れで私と距離を詰める。
「沙羅紗殿、元の世界に帰らないで……ほしい。私のために残りの人生をもらえないか」
(私だって……叶うのなら…………)
私の肩に顔を埋めて懇願する姿に、胸が軋むように痛む。きっとこの先、私のことを想ってくれているのは、相方の蒼月以外だと、彼ぐらいだろう。
「沙羅紗……。私に月の失った闇夜を生きろと……いうの……か」
暫くすると眠り薬が効いたのか、私の肩に寄りかかり「すうすう」と寝息が聞こえてきた。影の中から現れた黒いオコジョ──式神である蒼月に、私はガッツポーズをする。
「ふふふっ! 今日も乗り切ったわ!」
「……いつか襲われるぞ」
「夜襲には慣れているのを知っているでしょう。それに殺気には敏感なんだから」
「違う。そうじゃない」
黒いオコジョは渋い顔をして首を横に振る。
何が違うのだろう。
「だいたい睡眠時間をこよなく愛している私が、寝る時間を多少削ってでも、一緒にいる時間を作っているのよ。彼が好きじゃなきゃ、そもそも部屋に入れないわ」
「そうなのだが……なぜ毎回眠らせて添い寝をするのだ? 追い返せばいいだろう」
「……追い出したらこの人は、きっと明け方まで見回りをするでしょう。アヤカシが活発化するこの時間の外は危険かつ、寝不足は体に良くないし、無理はしてほしくないもの」
蒼月は不思議そうに小首を傾げた。
うん、めっちゃ可愛い。
「それならお前から『この世界に残る』と言ってやればいいだろう。元の世界でお前の帰る場所そのものはあるが、幸福だったかは疑問だな」
「う……」
「お前は調伏師として一流だが、分家というだけで正当な評価をもらえず、面倒ごとばかり押し付けられて、将来も自分で決めた道など無理だろうし、戻れば確実に今回の責任を負わされ、見知らぬ婚約を勝手に決めさせられるぞ」
「それとこれとは関係ない。私の未練は仲間を置き去りにして来てしまったことだけ。それが解消されるなら、この世界に戻ってもいいぐらいに愛着は──できたかな」
この世界に来て早三カ月。
十数年生きていた元の世界よりも、ここは息がしやすい。
すやすや眠っている彼を寝台に寝かせて、布団を掛ける。私がこの世界に来てから、彼の目のクマもだいぶ薄くなったようだ。
チラリと見えた鎖骨は、なかなかに好みだった。これで腹筋も割れていたら完璧かも。
彼はこの世界で出会った、私が好きになった人。
添い遂げたい気持ちもあるけれど──。
「それでも私は元の世界に戻らなきゃいけない」
そう自分に言い聞かせた。でなければ私の中にある天秤はあっという間に傾いてしまうから。
宵の闇から音もなく、私の宮に訪れるのはこの国を統べる皇帝だ。
白銀の長く美しい髪、紫紺色の美しい瞳、昼間と異なり上質な黒の漢服に身を包み、どこか扇状的だ。
その色香は何処で売っているのだろう。
何も言わずに寝台に座り込む図々しさは、昼夜問わずのようだ。私は呆れつつ、お茶の準備をする。ちょっとでも距離を取るための悪あがきだが、彼は気を悪くすることなく私を目で追う。熱心に見てくるのは異世界人が珍しいからだろう。
「お茶を飲んだら帰ってくださいね」
「我が妻は何ともつれないことをいう」
「私は第四王妃の影武者よ?」
「余が望めばそなたが第四王妃だ」
「はいはい。光栄に存じます」
盛大な溜息を吐くので、視線だけを彼に向けた。
寝台傍の窓から青白い月夜の明かりに照らされ、彼の存在を神秘的なものに昇華する。
(目の保養になるなぁ。悔しいけれど……)
「……今日も求婚をしに来たのだが、受け入れてくれないのか?」
甘く強請るような声に、少しだけ罪悪感を覚える。
夜に現れる彼は──嫌いじゃない。
けれど、私の答えは決まっている。
「無理。私には元の世界に戻る理由があるの。無責任に貴方の求愛を受けられないわ」
「その理由が終わってから、再召喚も込みで考えて欲しい」
「(今日はそうくるのか。一辺倒に頼むよりはいいけれど……)そうね……。考えてみる」
「ふむ、色よい返事とはいえないな」
悲しそうな顔に思わず「好きだ」と言いそうになるのを、グッと堪える。
不意に月明かりに、元の世界で有名な言葉を思い出した。
気まぐれ。好きな気持ちを絶対に気付かれないように忍ばせて呟く。
「今日は──月が綺麗ね」
「――っ」
言った後でなんだか恥ずかしくなってしまったが、彼がこの言葉の意味を知っていることはないだろう。私が彼を好いていると言ってしまえば、ますます元の世界に戻りたい気持ちが削れていってしまうのだから。
(それでも……私は――)
「ああ、このように青白く光ることは稀で『その月明かりの下で、告白すると結ばれる』と言うらしい」
「へーーーーーーーーー、ソウナンダ」
「なぜにカタコトなのだ?」
「別に」
彼は私の出したお茶を飲み、私も寝台に座りながら当たり障りにない会話をする。いつも自分のことを話さない皇帝、いや皇帝の装いをしている彼の名を口にしようとした。
「ユウ──」
彼の人差し指が唇触れたせいで、言葉は途中で途切れてしまう。
「それを口にするなら、私の妻になると了承してもらわなければならない」
(もう余って言わないのね)
甘く痺れるような低い声に、心臓が煩い。
昼と夜で雰囲気どころか人格まで異なる皇帝。
なぜ彼が皇帝の服を着ているのか。
この後宮で何が起こり、アヤカシが渦巻いているのか。
分からないことばかりが増えていく。
「何もかもが秘密ばかりだと、信頼関係の構築が難しいのだけれど? 私、後出しって好きじゃないのよね。甘いことばかり並べて実際は違うなんてざらさもの」
「私が沙羅紗殿……」
昼間の皇帝は私に『殿』など付けない。それだけで、別人だって言っているようなものなのだけれど、彼は自分から正体を明かすことはしない。
「そなたの下に通い続けているだけで、証明にならないのか?」
「なるわけ無いじゃない」
とびきりの笑顔で言ってきたので、無表情のまま答えた。彼は、まさか一蹴されるとは思っていなかったのだろう。目が点になっている。
数秒ほどで口元に笑みがこぼれた。
「手強い……」
「そっちこそ。さっさと秘密を言ってしまったほうが楽なんじゃない?」
「それができれば――っ」
彼は拗ねた顔で、ぐいっと、お茶を飲み干した。
それから陶器と盆をベッドの端に置いて、自然な流れで私と距離を詰める。
「沙羅紗殿、元の世界に帰らないで……ほしい。私のために残りの人生をもらえないか」
(私だって……叶うのなら…………)
私の肩に顔を埋めて懇願する姿に、胸が軋むように痛む。きっとこの先、私のことを想ってくれているのは、相方の蒼月以外だと、彼ぐらいだろう。
「沙羅紗……。私に月の失った闇夜を生きろと……いうの……か」
暫くすると眠り薬が効いたのか、私の肩に寄りかかり「すうすう」と寝息が聞こえてきた。影の中から現れた黒いオコジョ──式神である蒼月に、私はガッツポーズをする。
「ふふふっ! 今日も乗り切ったわ!」
「……いつか襲われるぞ」
「夜襲には慣れているのを知っているでしょう。それに殺気には敏感なんだから」
「違う。そうじゃない」
黒いオコジョは渋い顔をして首を横に振る。
何が違うのだろう。
「だいたい睡眠時間をこよなく愛している私が、寝る時間を多少削ってでも、一緒にいる時間を作っているのよ。彼が好きじゃなきゃ、そもそも部屋に入れないわ」
「そうなのだが……なぜ毎回眠らせて添い寝をするのだ? 追い返せばいいだろう」
「……追い出したらこの人は、きっと明け方まで見回りをするでしょう。アヤカシが活発化するこの時間の外は危険かつ、寝不足は体に良くないし、無理はしてほしくないもの」
蒼月は不思議そうに小首を傾げた。
うん、めっちゃ可愛い。
「それならお前から『この世界に残る』と言ってやればいいだろう。元の世界でお前の帰る場所そのものはあるが、幸福だったかは疑問だな」
「う……」
「お前は調伏師として一流だが、分家というだけで正当な評価をもらえず、面倒ごとばかり押し付けられて、将来も自分で決めた道など無理だろうし、戻れば確実に今回の責任を負わされ、見知らぬ婚約を勝手に決めさせられるぞ」
「それとこれとは関係ない。私の未練は仲間を置き去りにして来てしまったことだけ。それが解消されるなら、この世界に戻ってもいいぐらいに愛着は──できたかな」
この世界に来て早三カ月。
十数年生きていた元の世界よりも、ここは息がしやすい。
すやすや眠っている彼を寝台に寝かせて、布団を掛ける。私がこの世界に来てから、彼の目のクマもだいぶ薄くなったようだ。
チラリと見えた鎖骨は、なかなかに好みだった。これで腹筋も割れていたら完璧かも。
彼はこの世界で出会った、私が好きになった人。
添い遂げたい気持ちもあるけれど──。
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