海道一の弓取り~昨日なし明日またしらぬ、人はただ今日のうちこそ命なりけれ~

海野 入鹿

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第五章 今川と織田

第五十六矢 燃える城

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「敵将、討ち取ったり!」

そんな声が戦場に響き渡った。
その声の出所は先程まで田原城の城主・戸田康光がいたところであった。
田原城兵たちは察した。
自分たちの大将である戸田康光が討ち死にしたということを。
そして、それは数が残り少なくなっていた城兵の心にトドメを刺した。

(殿が討ち死になされた。これから我らはどうすれば…)

大将がいなくなり、城兵たちは統制が取れなくなって混乱状態に陥った。
そんな事態を一刻も早く打開すべく、

「皆の者、我について参れ!!」

尭光は大声で城兵たちに呼びかけると先頭に立って田原城への撤退を開始する。

(そうだ…まだ我らには尭光様がおられる!)

持ち直した城兵たちは尭光と共に田原城を目指した。

「逃がしてはならぬぞ!」

朝比奈泰能は兵に追撃を命じた。
それにより、城兵らは田原城を撤退する最中でもドンドンと兵数を減らしていく。
それでも何とか尭光は率いて田原城まで退却できたが、その時には数十人にまで兵が減っていた。
城内が暗い空気に包まれている中、尭光は城兵を鼓舞する。

「まだ負けておらぬ。耐えておれば、必ずや再び好機は訪れる!」

しかし、戸田康光なき田原城は弱かった。
城から打って出てから数日後、あれよあれよという間に三の丸、二の丸と立て続けに攻め落とされて、残すは本丸のみとなっていた。

「くそっ、くそ!」

(なぜ父上のように上手く行かないのだ…)

もう勝ち目はない。戸田はこの戦に敗れた。
尭光だけでなく、城内の子供を除く全ての人がわかっていた。

「もう少し、わしに力があれば…」

尭光は自身の無力さを身に染みて感じていた。
そんな尭光の目の前では、春千代はキャッキャとはしゃいでいた。春千代の母、すなわち尭光の妻であるれつ姫もそばにいる。
すると、春千代はトテトテと尭光と烈のもとへと歩いてきた。
尭光は春千代を悲しませないと一生懸命に笑ってみせる。

「春千代、もうすぐだ。もうすぐで浄土へ行けるぞ。」
「浄土とはどこにあるのです?」
「…遥か彼方の空にある、苦しみが何一つない素晴らしい所さ。」
「浄土に早く行きとうなりました!」

春千代は何が起きているのかも分からないようで、無邪気に笑っている。
それが尭光にはとても耐えられるものでなかった。

(なぜこのような稚児までが死なねばならないのじゃ…)

泣き崩れたかった。だが、それは田原城の主である戸田家の者として許されない。
涙をこらえて、春千代の頭を優しくなでた。

「すまぬなあ。父が愚かなばかりに春千代を巻き込んでしもうた。」

時間が迫ってきていた。
このままでは今川に攻められて滅ぶだけだ。
そこで最後の評議を行った結果、城に火を放つことに決まった。
自分たちの最期は、自分たちで選びたかったのだ。

「火を放て。」
「はっ!」

尭光は城に火を放つよう城兵に指示を出した。
そして、隣に座っていた烈に話しかけた。

「最後まで、お前には世話をかけてしまったな。」
「謝ることはございません。だって、私たちは夫婦なんですもの。」
「夫婦、か…」

尭光は言葉を詰まらせる。
自分は素晴らしい妻に恵まれていた。
本当に自分にはもったいない妻だ。

(また涙が…)

涙を見せまいと尭光は目をゴシゴシとこすった。
ついに火が田原城に放たれた。
火の手は見る見るうちに広がっていき、尭光たちがいた部屋を煙がおおう。
もう妻と息子の息はない。

(わしが最後か…)

こんなことになるのならば、名誉も富も要らなかった。愛すべき家族がそばにいれば、それだけで良かった。
もう戦はこりごりだ。

「次は平和な世に生まれたい…なぁ……」

尭光の頬を一筋の涙がつたった。
その親子を歴史上から掻き消すかのように、炎が親子の身を包んだ。

ゴオオオオオ

田原城は激しく燃えていた。
ただただ、田原城のありとあらゆるものを焼き尽くしていた。
泰能は田原城を複雑な気持ちで眺めていた。

この城もかつては人に満ち、栄えていたのだろう。だがそれもたった今、炎に包まれ呆気なくなくなってしまった。

「我らもああはなりたくないものだ。」

ボソッとつぶやいた泰能の言葉を聞き、隣にいた由比正信は不貞腐れた顔になった。

「泰能殿も気弱になられたものですな。」
「何…」

突然の正信の挑発的な言動に泰能が反応すると、正信は言った。

「殿が目指しているのは天下統一。そのために日々邁進まいしんしていくだけにございましょう。」
「それはそうじゃが…」
「それに、わしらは背負っていかねばなりませぬからな。」
「背負う?」

泰能が聞くと、正信は答えた。

「奴らにも奴らなりの信念や想いがあった。その想いを背負い乱世を制すことこそ、わしらにできる奴らへの最上の手向けとなるとわしは思うておりまする。」

しばらく唖然あぜんとしたのち、泰能は口を開いた。

「驚いた。戦好きのおぬしがそのようなことを考えておったとは…」

正信はフンッと鼻を鳴らす。

「どこぞの戦馬鹿と違って、わしはいろいろと考えておりまするからな。」

一方その戦馬鹿はというと、一向宗相手に息子と大暴れしていた。
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