海道一の弓取り~昨日なし明日またしらぬ、人はただ今日のうちこそ命なりけれ~

海野 入鹿

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第五章 今川と織田

第五十三矢 大役

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岡崎城付近の寺。そこでは境内に収まりきらないほどの僧兵と門徒で溢れかえっていた。
その人々らを前にして、三河一帯の一向宗のまとめ役として知られていた玄海が出てきた。
ザワザワとざわめく中、玄海は一言発した。

「時は来ました。」

ザワザワとしていた境内は途端に静まりかえる。玄海は続ける。

「仏敵、松平広忠と今川義元を討つのです。」
「おおぉ!!!」

僧兵と門徒たちの地鳴りのような掛け声は周辺に響き渡った。
熱気が冷めやらぬ中、玄海は秘かにニヤリと笑っていた。

戸田康光に書状が届いてまもなくのこと、玄海を中心とした多数の一向宗の寺が松平に反旗をひるがえした。世に言う一向一揆の発生である。
対する松平広忠は心中穏やかではなかった。
先の戦いでは織田に勝ったものの、まだ織田は三河国を虎視眈々こしたんたんと狙っている状況。
何よりも嫡男である竹千代が未だに織田に奪われている。

(一刻も早く織田から竹千代を取り戻さねば…)

父としても、松平家当主としても竹千代のことを案じていたのだった。
そんな最中に、しかも岡崎城付近で一向一揆が発生した。
これを長期化させれば織田に付け入る隙をみすみす与えてしまうことになる。
即座に鎮圧すべく、広忠は一揆の中心となっている玄海の寺へと兵を派遣しようとしていた。

(ここまでは予定通り…)

行商人は情報収集のために城下町を練り歩いていた。隣には田原城から無事に帰還してきた武士にふんした忍びがいる。

八弥はちや。」

行商人がその武士に呼びかけた。
忍びの武士としての名は岩松八弥。
元々、生まれがだいぶ前に没落した三河国の武家だったのもあって八弥は武士に扮し、末端ながらも八弥は松平家の家臣として登用されていた。
これにより、ある程度の情報は行商人を通じて戸田に昔から流れていたのだ。

「お前にはもう一つ、大役を務めてもらうぞ。」

行商人がそう言うと、八弥はコクリとうなずいた。

「いやぁー、やっぱり我が家が一番だよねぇー」

俺は駿府館の自室でくつろいでいた。だが、ずっとくつろいでいたわけではない。
むしろ帰ってきてから、山積していた仕事をこなして、先ほどようやく終えたのだった。

「久しぶりに殿とこうしてそばにいることができて、多恵も嬉しゅうございます。」

そばでは多恵がニコニコと上機嫌にしている。
疲れからか、俺はウトウトとしてきた。

「なんか、眠くなってきたかも…」

眠り始めた時に、ドタドタと足音が聞こえてきた。すると、ふすまが勢いよく開いた。

「父上!母上!遊びましょう!」

そこにいたのは、俺の娘である蓮嶺姫と福姫であった。

「えぇ、今?」
「はい。今です!」

キラキラと輝く子供の目を見たら断れず、俺は多恵と共に仕方がなく子供達の遊びに付き合った。

「まずい。このままでは我らが負ける…」

何も知らない戸田尭光は動揺隠せず、部屋を行ったり来たりとうろうろしていた。そんな尭光の姿に戸田康光はいら立ちを募らせていた。

「うっとうしい!堂々としておらんか!全く我が息子ながら肝が小さい男じゃ…」
「ですが父上。今川につけいる隙がありませぬ。」 
「我らが隙を作ればいいではないか。よく見ておるがよい、もうすぐ面白いことになるぞ…!」

康光はまだ自身が勝つことを諦めていないようだった。

(なぜ父上はそう言い切れる、何か策があるのか…?)

尭光はどこか自信ありげに話す父の姿を疑問に思ったが、自分の頭で考えても無駄だと思い、それ以上は何も言わなかった。
尭光は自覚していた。
自分が康光に頼られていないことを。

(それでも、少しぐらい話してくれてもいいのに…)

尭光は心の中で秘かにいじけていた。

それから幾ばくか過ぎた新月の夜の岡崎城。その一室で松平広忠はスースーと安らかな寝息を立てて眠っていた。
そこにスッと気配をなるべく消して、現れたのは武士に扮した忍び。
そう、八弥である。
広忠の部屋を守っていた護衛たちは大量の血を流し、倒れている。コクンコクンと居眠りしていた所を狙われたのだ。
忍びの主な任務は情報収集。暗殺などは滅多にやらない。今回は特例中の特例だ。
八弥は隠し持っていた小刀を取り出して、容赦なく一瞬で広忠の胸を突き刺した。
そこに慈悲も躊躇ちゅうちょもない。あるのは、戸田への忠誠のみである。

松平広忠暗殺。これにより、事態は急展開を迎える。
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