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第四章 続・河東争奪
第四十二矢 交渉
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時は少し遡り、北条氏康は命からがら小田原城へと辿り着いていた。
「殿…!」
夫の帰りを待ちわびていた瑞花は氏康の元へと駆け寄り、心身ともに疲れ切っている氏康を抱擁した。
敗戦の一報を聞いて以来、ずっと氏康の安否を心配していたのだ。
しかし、氏康はどこか顔が暗い。
無理もない。今川との決戦に大敗してしまったのだから。
氏康は自分を責めるように言った。
「此度の大敗、全てはわしのせいじゃ。わしがあの時、義元を討ち取ってさえいれば…」
義元。瑞花自身は幼い頃以降は会ったことがないが、瑞花の兄にあたる人である。
活躍を聞く限り、義元は父をしのぐさぞかし凄い人物なのだろう。
植物に例えるのならば、義元は大輪の花である。
(それに対して…)
瑞花は思わず言葉が出た。
「殿は雑草でございます。」
「雑草…?」
氏康がその意味が分からず首をかしげていると、瑞花がハッと我に返りながらも説明をした。
「雑草には華やかさはありませぬし、人は目もくれませぬ。ですが、どんなに踏みにじられようとどんなに猛威にさらされようと、雑草はねばり強く生き続けまする。」
「瑞花……」
「兄上が美しく存在感のある花であれば、殿は何度も何度も立ち上がる不屈の雑草でございます。」
「………」
「殿、ですから前を向いてくださいませ。殿にはその姿が似合っておりまする。」
「…瑞花、すまぬ。励ましてもらった。」
「妻として当然にございます。」
過去を後悔することをやめ、前を見る彼の姿は瑞花にとってやはり強く惹かれるものがあった。
北条の現在の戦況は八方塞がりになっていた。
氏康が直接指揮した今川軍との戦では大敗を喫し、山内上杉軍らが攻めた河越城ではまだ山内上杉軍らの手には落ちていないものの、依然として良い状況とはいえない。
北条の味方は武田ぐらいなのだが、その武田は今川軍の援軍として先の戦で北条軍と争った。
そんな最中、今川が武田を通じて停戦を持ちかけてきたのだ。
「交渉に応じよう。」
氏康は断る理由もなく、これを承諾した。
こうして今川と北条の停戦交渉が始まり、今川は崇孚、北条は松田盛秀を交渉役に抜擢して停戦交渉の調整や日程を進めていった。
そして当日、長久保城の付近にある三明寺には交渉役に加えて両軍の大将である俺と氏康が着いていた。
「初めまして?いや、一度戦場でお会いしたから初めましてじゃないか…。今回はよろしくお願いしますー」
「こちらこそ、このような場をもうけていただき感謝申し上げる。」
北条氏康と今川義元。
戦で槍を交えた両者が今度は交渉の場で、顔を合わせたのであった。
俺はさっそく本題に入る。
「うちとしては長久保城も含めた河東全域を譲渡して欲しいんだけど、ダメですかね?」
「承知いたした。」
「じゃあ…」
「しかしながら、我らにも条件がある。」
「条件?」
「今後、互いに両国の侵攻を禁じることを約束しましょうぞ。」
予想だにしていなかった北条からの条件を聞いて、崇孚は少し驚き感心した。
(ほう…)
氏康の言っている条件とは、すなわち不可侵条約の締結である。
氏康は西の憂いを完全に断ち、山内上杉軍らの掃討や関東制覇に集中しようとしたのだ。
(そして、それは三河国の進出を目指す我ら今川も同じこと…)
崇孚が俺の方をチラリと見やった。
俺は即答した。
「うん、いいよ。」
これにより、長久保城から北条長綱らは撤退し、河東の地は再び今川の元へと戻ったのだった。
「殿…!」
夫の帰りを待ちわびていた瑞花は氏康の元へと駆け寄り、心身ともに疲れ切っている氏康を抱擁した。
敗戦の一報を聞いて以来、ずっと氏康の安否を心配していたのだ。
しかし、氏康はどこか顔が暗い。
無理もない。今川との決戦に大敗してしまったのだから。
氏康は自分を責めるように言った。
「此度の大敗、全てはわしのせいじゃ。わしがあの時、義元を討ち取ってさえいれば…」
義元。瑞花自身は幼い頃以降は会ったことがないが、瑞花の兄にあたる人である。
活躍を聞く限り、義元は父をしのぐさぞかし凄い人物なのだろう。
植物に例えるのならば、義元は大輪の花である。
(それに対して…)
瑞花は思わず言葉が出た。
「殿は雑草でございます。」
「雑草…?」
氏康がその意味が分からず首をかしげていると、瑞花がハッと我に返りながらも説明をした。
「雑草には華やかさはありませぬし、人は目もくれませぬ。ですが、どんなに踏みにじられようとどんなに猛威にさらされようと、雑草はねばり強く生き続けまする。」
「瑞花……」
「兄上が美しく存在感のある花であれば、殿は何度も何度も立ち上がる不屈の雑草でございます。」
「………」
「殿、ですから前を向いてくださいませ。殿にはその姿が似合っておりまする。」
「…瑞花、すまぬ。励ましてもらった。」
「妻として当然にございます。」
過去を後悔することをやめ、前を見る彼の姿は瑞花にとってやはり強く惹かれるものがあった。
北条の現在の戦況は八方塞がりになっていた。
氏康が直接指揮した今川軍との戦では大敗を喫し、山内上杉軍らが攻めた河越城ではまだ山内上杉軍らの手には落ちていないものの、依然として良い状況とはいえない。
北条の味方は武田ぐらいなのだが、その武田は今川軍の援軍として先の戦で北条軍と争った。
そんな最中、今川が武田を通じて停戦を持ちかけてきたのだ。
「交渉に応じよう。」
氏康は断る理由もなく、これを承諾した。
こうして今川と北条の停戦交渉が始まり、今川は崇孚、北条は松田盛秀を交渉役に抜擢して停戦交渉の調整や日程を進めていった。
そして当日、長久保城の付近にある三明寺には交渉役に加えて両軍の大将である俺と氏康が着いていた。
「初めまして?いや、一度戦場でお会いしたから初めましてじゃないか…。今回はよろしくお願いしますー」
「こちらこそ、このような場をもうけていただき感謝申し上げる。」
北条氏康と今川義元。
戦で槍を交えた両者が今度は交渉の場で、顔を合わせたのであった。
俺はさっそく本題に入る。
「うちとしては長久保城も含めた河東全域を譲渡して欲しいんだけど、ダメですかね?」
「承知いたした。」
「じゃあ…」
「しかしながら、我らにも条件がある。」
「条件?」
「今後、互いに両国の侵攻を禁じることを約束しましょうぞ。」
予想だにしていなかった北条からの条件を聞いて、崇孚は少し驚き感心した。
(ほう…)
氏康の言っている条件とは、すなわち不可侵条約の締結である。
氏康は西の憂いを完全に断ち、山内上杉軍らの掃討や関東制覇に集中しようとしたのだ。
(そして、それは三河国の進出を目指す我ら今川も同じこと…)
崇孚が俺の方をチラリと見やった。
俺は即答した。
「うん、いいよ。」
これにより、長久保城から北条長綱らは撤退し、河東の地は再び今川の元へと戻ったのだった。
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