海道一の弓取り~昨日なし明日またしらぬ、人はただ今日のうちこそ命なりけれ~

海野 入鹿

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第四章 続・河東争奪

第三十五矢 開戦

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「殿、どうかご武運を―」

出陣前、多恵と五郎は俺を見送ってくれた。
二人共どこか不安げな様子である。
俺はそんな二人を安心させようと二人を軽く抱き締める。

「うん、行ってきます。」

そして、今川軍は河東奪還へと出陣した。

今川軍は富士川を渡り、立地的にも陣地にしやすい善得寺へと進軍する。
対する近場にいた北条軍は手勢が少なかったため、戦うことを避け小田原城に伝令を出した。
これにより、今川軍は善得寺をなんなく奪取したのである。

「懐かしいなあ、ここで蹴鞠をしてたんだっけ。」

俺は懐かしの日々を思い出しながら、善得寺へと踏み入れていた。
善得寺は前回の戦の際に焼失してしまったと思われたが、この数年間で以前とそっくりに再建されていた。
崇孚は善得寺を遠い目で見ていた。

「しかし、まさか今川の家臣として再び訪れるとは、ここにいた頃は思いもしなかったな。」
「そうだね。あの頃はこうなるなんて思ってなかったなあ。」

俺は少しの間、感慨深い気持ちに浸っていた。

その頃、小田原城には例の伝令が届いていた。

「今川が攻めてきただと…!」

大広間に集まる家臣たちはどよめいた。

「殿!今すぐにでも今川軍を撃退いたしましょう!」
「うぬ…」

氏康には少し迷いがあった。
氏康は先の戦の時からずっと今川と戦をすることに懐疑的だった。
よって氏康は、今川軍討伐へと兵を率いると同時に、武田家へ仲介をするように求めた。

その後、今川軍と北条軍は膠着状態となっていた。
俺たちが陣地を敷いた善得寺のすぐそばには北条が新たに築城した吉原城があり、そこに氏康率いる兵らが入城した。それにより、北条軍と今川軍がひとつの山を挟んで睨み合う形となっていたのだ。

「それにしても、武田さん遅いよねー」
「まことにございまする!一体なにを回り道をしておるのだか…!」

そういきどおるのはついこの間に元服した、三浦犬丸改め三浦義就よしなりである。

「同感じゃ、なぜ武田は来ぬ!」

珍しく犬丸に同調しているのは同じく元服した朝比奈藤三郎改め朝比奈信置のぶおき。二人共、元服したため初めて戦に参加しているのだ。

「まあ、北条さんと和議を結んだばっかだし、なかなか複雑なのかもね。」

その武田晴信はというと、進軍の途中で北条氏康からの書状を受け取っていた。
内容は要約すると、

『今川と和議を申し入れたい。武田殿にはその仲介をしてほしい。』

とのことだった。
その書状を読み終え、晴信はどう立ち回れば両者に貸しを作れるかを頭の中で考え、即座に結論を出す。

「この時期に仲介しても我らの利益は少ない。もう少し、大局を見据えねばな…」

晴信は進軍の足を速めた。
そして数日後、武田軍は今川軍と合流した。

「そうか…なれば仕方がない。」

その一報を聞き、氏康は覚悟を決めた。
氏康の目から迷いが消え、そこにはあまたの修羅場をくぐり抜けた漢の姿があった。

「この戦、受けて立つ…!」

氏康は吉原城で今川・武田の連合軍を迎え撃つ準備をした。

一方、今川・武田の連合軍も攻撃の準備を進める。

いよいよ初陣の時を迎えて、犬丸と藤三郎は興奮と不安で落ち着かない様子だった。
俺はそんな二人に気づき、声をかける。

「とりあえず落ち着いて。そうじゃないと、力を存分に発揮できないよ。」
「ありがたきお言葉にございまする。」
「安心して、今回は絶対勝つから。」
「はっ!」

確証はない。だが、それぐらいの気負いがないと勝てない強大な相手だ。
俺は気合いを入れるために、自分にそう言い聞かせていた。

武田軍では、板垣信方が目を細めて敵の陣形を見やっていた。

「あくまでも城から出てくるつもりはないようですな。」

すると、晴信がある程度予測できていたかのように言った。

「守りを固めたか…堅実で無難な策だ。だが、それでは戦に“勝つ“ことなどできぬ。」

各々がその時が訪れるのを待っていた。

そして、その時が訪れた。今川軍と武田軍がほぼ同時に北条軍に突撃したのだ。
ついに戦が始まった。

「あの時の屈辱、ここで返す!」

先陣を切ったのは、今川きっての武勇をもつ岡部親綱であった。
親綱は勢いよく北条軍に突っ込むと、どんどんと北条軍を蹴散らす。
若者に負けてたまるかと、朝比奈泰能と三浦範高もそれに続く。
後方では俺が兵たちを鼓舞し続ける。
そのためか、今川軍の士気は三軍の中でも極めて高かった。

武田もまた、信方や甘利虎泰といった名だたる武将が北条軍を蹴散らして、攻勢に出ていた。

対する北条軍はかなりの劣勢に追い込まれていた。
今川・武田軍の猛攻もあったが、何よりも吉原城の位置が北条にとって不利すぎた。
吉原城のすぐ南側には駿河湾があり、砂丘が広がっていた。砂丘に防御施設など作れるはずもなく、防御機能が通常の城よりも低かったのだ。

(どちらにせよ吉原城は守り切れぬか…)

「全軍撤退!一度態勢を立て直すのだ!」

氏康はそうそうに見切りをつけて吉原城を放棄。主戦場をより戦いやすい三島に移した。
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