33 / 81
第三章 河東争奪
第三十一矢 新たな命
しおりを挟む
その日は突然やって来た。
「男子でした時は、こちらの紺色が強調されておられる振袖がよさそうでございますなあ。」
「こちらの淡い桃色も女子である際には似合いそうでございまする。」
「どれも美しくて目移りしてしまうのう。」
その日は多恵が部屋で父・武田信虎が送ってきた子供服を侍女らとともに物色していた。
「うっ…!」
すると、突如として強烈な痛みが多恵のお腹を襲った。
陣痛である。
産気づいた多恵は痛みを感じながらもすぐさま白装束に着替えて、侍女たちとともに庭に建設してある子供を産むための納屋・産屋へと入っていった。
そのことが俺にも伝えられると、俺は妻の出産に立ち会うために産屋へと向かった。
この時代、まだ穢れの概念が強く、民たちは不浄な状態になるのを恐れていた。その中でも、出産する際に生じうるかもしれない死への穢れはひときわ強かった。
そのため産屋前では、穢れを拭う為に陰陽師が呪文を唱えたり、巫女が砂を撒いて悪霊から母子を守らんとしていたりと様々な儀式がされていた。
そして、僧侶である崇孚もまた穢れを拭う為にお経を唱える準備をしていた。
(あの童が今や父になるとは、時の流れは早いものだな…)
崇孚は、今は懐かしい善得寺時代の光景を思い出しながら、経典を開いてお経を唱え始めた。
一方、産屋内では多恵の陣痛がさらにひどくなっていた。
多恵は天井から垂れ下がっている太い紐を強く握りしめて、陣痛による激しい痛みに耐えていた。そんな多恵を2人の侍女と俺が後ろから多恵を抱えるように支える。
陣痛に耐える声が外にも聞こえてくると、陰陽師の呪文や崇孚のお経を唱える声はより一層大きくなる。
また、ぞくぞくと駆けつけた家臣たちも無事に生まれてくるようにと、崇孚に続いてお経を唱えた。
「もう一踏ん張りでございます!」
侍女がそう言ったのに反応して、多恵は苦しそうだが力強くうなずく。
「多恵、頑張れ!」
俺も多恵に声をかける。
俺は傍らで多恵を励ますことしかできない。それでも唯一俺が多恵にできることだと思って、多恵に声をかけ続ける。
すると、多恵は震えながら左手を紐から離して俺の腕を掴む。
「殿…どうか、どうか私に力を貸してください…!」
息絶え絶えに懇願する多恵の手を俺は握り返した。
「わかった!」
多恵は一瞬微笑んだあと、多恵の声がさらに激しさを増す。
それと同時に下から小さな頭が姿を現した。
「頭が見えてきたよ!もうひと頑張り!」
俺が声をかけた時、さらに多恵はぐっと力を入れた。
多恵の声が庭から聞こえなくなった。
途端に庭が静まり返ると、
オギャア!オギャア!
庭に元気な赤ん坊の産声が聞こえてきた。
家臣たちは歓喜に満ちた。
「男子、男子です!今川家の嫡男にございます!」
侍女が涙を浮かべ喜びを顕わにして、赤ん坊を優しく抱いて性別を確認すると、多恵にゆっくりと抱かせた。
「ありがとう…生まれてきてくれて、ありがとう…!」
多恵はやっと対面できた我が子を見て、感動と喜びとでいっぱいになっていた。
「殿、この子に名前を…」
多恵は俺に赤ん坊を抱かせてくれた。
赤ん坊は小さくて言葉に言い表せないほど愛らしかった。
「五郎、この子の名前は今川五郎…!」
この日、今川家に一つの命が舞い降りた。
「男子でした時は、こちらの紺色が強調されておられる振袖がよさそうでございますなあ。」
「こちらの淡い桃色も女子である際には似合いそうでございまする。」
「どれも美しくて目移りしてしまうのう。」
その日は多恵が部屋で父・武田信虎が送ってきた子供服を侍女らとともに物色していた。
「うっ…!」
すると、突如として強烈な痛みが多恵のお腹を襲った。
陣痛である。
産気づいた多恵は痛みを感じながらもすぐさま白装束に着替えて、侍女たちとともに庭に建設してある子供を産むための納屋・産屋へと入っていった。
そのことが俺にも伝えられると、俺は妻の出産に立ち会うために産屋へと向かった。
この時代、まだ穢れの概念が強く、民たちは不浄な状態になるのを恐れていた。その中でも、出産する際に生じうるかもしれない死への穢れはひときわ強かった。
そのため産屋前では、穢れを拭う為に陰陽師が呪文を唱えたり、巫女が砂を撒いて悪霊から母子を守らんとしていたりと様々な儀式がされていた。
そして、僧侶である崇孚もまた穢れを拭う為にお経を唱える準備をしていた。
(あの童が今や父になるとは、時の流れは早いものだな…)
崇孚は、今は懐かしい善得寺時代の光景を思い出しながら、経典を開いてお経を唱え始めた。
一方、産屋内では多恵の陣痛がさらにひどくなっていた。
多恵は天井から垂れ下がっている太い紐を強く握りしめて、陣痛による激しい痛みに耐えていた。そんな多恵を2人の侍女と俺が後ろから多恵を抱えるように支える。
陣痛に耐える声が外にも聞こえてくると、陰陽師の呪文や崇孚のお経を唱える声はより一層大きくなる。
また、ぞくぞくと駆けつけた家臣たちも無事に生まれてくるようにと、崇孚に続いてお経を唱えた。
「もう一踏ん張りでございます!」
侍女がそう言ったのに反応して、多恵は苦しそうだが力強くうなずく。
「多恵、頑張れ!」
俺も多恵に声をかける。
俺は傍らで多恵を励ますことしかできない。それでも唯一俺が多恵にできることだと思って、多恵に声をかけ続ける。
すると、多恵は震えながら左手を紐から離して俺の腕を掴む。
「殿…どうか、どうか私に力を貸してください…!」
息絶え絶えに懇願する多恵の手を俺は握り返した。
「わかった!」
多恵は一瞬微笑んだあと、多恵の声がさらに激しさを増す。
それと同時に下から小さな頭が姿を現した。
「頭が見えてきたよ!もうひと頑張り!」
俺が声をかけた時、さらに多恵はぐっと力を入れた。
多恵の声が庭から聞こえなくなった。
途端に庭が静まり返ると、
オギャア!オギャア!
庭に元気な赤ん坊の産声が聞こえてきた。
家臣たちは歓喜に満ちた。
「男子、男子です!今川家の嫡男にございます!」
侍女が涙を浮かべ喜びを顕わにして、赤ん坊を優しく抱いて性別を確認すると、多恵にゆっくりと抱かせた。
「ありがとう…生まれてきてくれて、ありがとう…!」
多恵はやっと対面できた我が子を見て、感動と喜びとでいっぱいになっていた。
「殿、この子に名前を…」
多恵は俺に赤ん坊を抱かせてくれた。
赤ん坊は小さくて言葉に言い表せないほど愛らしかった。
「五郎、この子の名前は今川五郎…!」
この日、今川家に一つの命が舞い降りた。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
【架空戦記】蒲生の忠
糸冬
歴史・時代
天正十年六月二日、本能寺にて織田信長、死す――。
明智光秀は、腹心の明智秀満の進言を受けて決起当初の腹案を変更し、ごく少勢による奇襲により信長の命を狙う策を敢行する。
その結果、本能寺の信長、そして妙覚寺の織田信忠は、抵抗の暇もなく首級を挙げられる。
両名の首級を四条河原にさらした光秀は、織田政権の崩壊を満天下に明らかとし、畿内にて急速に地歩を固めていく。
一方、近江国日野の所領にいた蒲生賦秀(のちの氏郷)は、信長の悲報を知るや、亡き信長の家族を伊勢国松ヶ島城の織田信雄の元に送り届けるべく安土城に迎えに走る。
だが、瀬田の唐橋を無傷で確保した明智秀満の軍勢が安土城に急速に迫ったため、女子供を連れての逃避行は不可能となる。
かくなる上は、戦うより他に道はなし。
信長の遺した安土城を舞台に、若き闘将・蒲生賦秀の活躍が始まる。
獅子の末裔
卯花月影
歴史・時代
未だ戦乱続く近江の国に生まれた蒲生氏郷。主家・六角氏を揺るがした六角家騒動がようやく落ち着いてきたころ、目の前に現れたのは天下を狙う織田信長だった。
和歌をこよなく愛する温厚で無力な少年は、信長にその非凡な才を見いだされ、戦国武将として成長し、開花していく。
前作「滝川家の人びと」の続編です。途中、エピソードの被りがありますが、蒲生氏郷視点で描かれます。
【短編】輿上(よじょう)の敵 ~ 私本 桶狭間 ~
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
今川義元の大軍が尾張に迫る中、織田信長の家臣、簗田政綱は、輿(こし)が来るのを待ち構えていた。幕府により、尾張において輿に乗れるは斯波家の斯波義銀。かつて、信長が傀儡の国主として推戴していた男である。義元は、義銀を御輿にして、尾張の支配を目論んでいた。義銀を討ち、義元を止めるよう策す信長。が、義元が落馬し、義銀の輿に乗って進軍。それを知った信長は、義銀ではなく、輿上の敵・義元を討つべく出陣する。
【表紙画像】
English: Kano Soshu (1551-1601)日本語: 狩野元秀(1551〜1601年), Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で
花倉の乱 ~今川義元はいかにして、四男であり、出家させられた身から、海道一の弓取りに至ったか~
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
今川義元は、駿河守護・今川氏親の四男として生まれ、幼くして仏門に入れられていた。
しかし、十代後半となった義元に転機が訪れる。
天文5年(1536年)3月17日、長兄と次兄が同日に亡くなってしまったのだ。
かくして、義元は、兄弟のうち残された三兄・玄広恵探と、今川家の家督をめぐって争うことになった。
――これは、海道一の弓取り、今川義元の国盗り物語である。
【表紙画像】
Utagawa Kuniyoshi, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で
独裁者・武田信玄
いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます!
平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。
『事実は小説よりも奇なり』
この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに……
歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。
過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。
【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い
【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形
【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人
【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある
【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/sf.png?id=74527b25be1223de4b35)
転生一九三六〜戦いたくない八人の若者たち〜
紫 和春
SF
二〇二〇年の現代から、一九三六年の世界に転生した八人の若者たち。彼らはスマートフォンでつながっている。
第二次世界大戦直前の緊張感が高まった世界で、彼ら彼女らはどのように歴史を改変していくのか。
河越夜戦 〜相模の獅子・北条新九郎氏康は、今川・武田連合軍と関東諸侯同盟軍八万に、いかに立ち向かったのか〜
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
今は昔、戦国の世の物語――
父・北条氏綱の死により、北条家の家督を継いだ北条新九郎氏康は、かつてない危機に直面していた。
領国の南、駿河・河東(駿河東部地方)では海道一の弓取り・今川義元と、甲斐の虎・武田晴信の連合軍が侵略を開始し、領国の北、武蔵・河越城は関東管領・山内上杉憲政と、扇谷上杉朝定の「両上杉」の率いる八万の関東諸侯同盟軍に包囲されていた。
関東管領の山内上杉と、扇谷上杉という関東の足利幕府の名門の「双つの杉」を倒す夢を祖父の代から受け継いだ、相模の獅子・北条新九郎氏康の奮戦がはじまる。
天竜川で逢いましょう 起きたら関ヶ原の戦い直前の石田三成になっていた 。そもそも現代人が生首とか無理なので平和な世の中を作ろうと思います。
岩 大志
歴史・時代
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。
けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。
髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。
戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる