心の穴を埋めようとする高校生の話(仮)

端入 ちさこ

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体育祭の後

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家々のむこうまで太陽が下りて、赤く染められた雲が空に浮かぶ。電線には小鳥たちがとまり、チラチラと静かに僕たちを眺めている。
先ほどまでの熱気を惜しみつつ、生徒たちは涼しい風を身に受けて校長先生のしんみりとしたお話を聞く。
いろいろあったが無事、体育祭が終わった。


程よい疲労感と蒸発した汗の残り香を感じながら、僕たちは教室へ戻り普段の制服に着替える。
女子は更衣室で着替えるから教室には男子しかいない。

右斜め前で静岡が上着を脱ぐ。
脇腹が見えた。筋肉の稜線に象られた脂肪の少ないつやのある肌が見える。

——けっこういい身体してんだな

大理石の彫刻みたいな硬度を感じさせる脇腹が滑らかに曲面を成して、背骨の浮き出るほそく締まった背中へつながる。
猫背気味に首を前に伸ばし、がさがさと机の上の鞄から制服を取り出している。

静岡が筋肉質なのは意外だった。あんまりまじまじと身体を見たことはなかったけど、たしかに体育で何のスポーツをしてもそこそこ上手かったし、足も短距離に限れば僕より速かったかもしれない。

ふんっと僕は鼻息を鳴らす。
僕はあまり筋肉がつく体質じゃない。毎日部活で運動はしているとはいえ、ご飯をたくさん食べられるほうじゃないし、筋トレもたくさんやっているわけではないが、それでも文化部の静岡に負けるのはちょっと悔しい。

多分佐々木とかはもっとアスリートっぽい美しい体形をしているんだろうなと思って佐々木の席に眼をやったがいなかった。

着替え終わった僕は、ワイシャツのボタンを留めている静岡に話しかける。

「腕相撲しよう」

静岡は振り返り、切れ長の眼をぐっとひらいた。

「……いいけど。なんか怖いなあ、腕折れそうで」

ははっと笑いながらそう言ってきた。
腕折れそうだって?どっちの腕のこと言ってんだこいつは。

僕はどすっと机の前に膝をつき、右腕を立てて静岡を見上げる。
静岡が椅子に座り、僕の手を握りしめる。——格の違いを見せつけてやるよ
よーいドンと掛け声を上げた瞬間、静岡の右手が僕の腕に重たく圧し掛かる。
——お、思ったより強いな

僕は歯を食いしばって上半身をひねり、右手を身体の中心へ巻きつける。
徐々に徐々に、ゆっくりわずかだが、しかし確実に静岡の右手が下がっていく。

僕は腹に力を込めてううっとうなりながら、最後の力を振りしぼる。

「——んあぁー。あー、負けたーつよいなあーー」

静岡が上を向いて突然噴き出した噴水のように声を上げた。

「はあーー」

僕も胸に溜まった息を吐き出す。
そしておもいっきり口角を引き上げて静岡に言う。

「文化部のくせにけっこう強くてびっくりしたよ」

椅子に座り、見下ろされたかたちの静岡は廊下に視線を逸らしてぼそっと呟いた。

「寺木ぐらいなら勝てると思ったんだけどなぁ」


佐渡島が教室にやってきて袋いっぱいに詰めたお菓子を持ってきた。

「あら、まだ女子の人たち来てなかったのね。今日はお疲れさま。チョコレートとか入ってるからみんなで食べてね」

それだけいってすたすた帰っていった。
チンパンジーみたいな動きをして男子たちがどすどすと教卓に群がる。僕は静岡の机に腰掛け、彼らが捌けるのを待ってから教卓へ行き、赤い包装に入ったチョコレートをひとつつまんだ。

静岡がつまらなさそうにスマホをいじっている。
僕は廊下へ出て、窓から外を眺める。夕焼けに染まる鮮やかな空の水彩画が、グラウンドに立つどのパネルよりも広く遠くまで描かれている。
包装をちぎってチョコレートを頬張る。
ちょっぴり苦い表面のビターチョコが口の中に広がる。内側に入っていた小さな果実が優しく芳醇な甘さを舌に溶かして、僕は今日の、三年間であと何度巡ってくるかわからない、精一杯汗を流した今日一日をゆったりと思い返していた。
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