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第二十七話・猫と小学生
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門扉を開けて敷地内に入ると、サンルーム越しにリビングの灯りが漏れていた。遮光カーテンが開けっ放しになっているようで、レースカーテンを透かして室内の様子がはっきりと窺える。
照明が点いているのはリビングの半分だけで、奥のダイニング側のダウンライトは消えている。佳奈がテレビでも見ているのかと思いながら玄関を入るが、家の中はとても静かだった。
そっとリビングのドアを開けて中を覗くと、ソファーの脚下に裸足の足が横たわっているのが見えて、一瞬だけギョッとする。見ようによっては事件現場だ。でもすぐに状況を理解すると、愛華は口元を抑えた。
「……ふっ、またそこで?」
目撃した光景に、思わず鼻で噴き出してしまう。以前と同じように、ソファーテーブルとソファーに挟まれた床で、佳奈が横向きに丸まった体勢で寝息を立てていたのだ。そして、そのお腹の辺りにすっぽりと嵌るようにして白黒の子猫が寄り添っている。ただ、猫の方は愛華が部屋に入ってきたことで目が覚めたらしく、頭だけを起き上げてこちらの方へと丸い目を向けていた。
久しぶりに友達と遊んで疲れたのだろう。普段は隅に置かれた専用ボックスに片づけられているはずの猫用玩具が、リビングの床にめいっぱい散らばっているのがその証拠だ。宿題はちゃんと出来たかなんて、まだ夏休みが始まったばかりの小学生へ聞くほど野暮じゃない。朝に積んであったのとほとんど変わっていないように見える問題集の山が、十分に物語ってくれている。
キッチンの方を見てみると、シンク横の水切りカゴには三人分のグラスとお皿が綺麗に洗って並べられていた。おそらく佳奈は、食器を洗った後に力尽きてしまったのだろう。気持ちよさそうな寝顔をしているから、よっぽど楽しかったんだろうと、愛華は小さく微笑んだ。
キッチンから聞こえてくるカチャカチャという食器が鳴る音に、佳奈はぼんやりと目を覚ました。ベッドとは違い、カーペットの寝心地はあまり良くない。横向きの体勢で寝ていたから、身体の下敷きになっていた右腕が少し痺れている。エアコンの風が直撃していたのか、ちょっとだけ身震いする。
起きたばかりの佳奈の顔へ、クルミが自分の頭をすり寄せてくる。黙って撫でてあげると、ゴロゴロと喉を鳴らし始めた。
漂ってくる夕飯の匂いに、まだ寝ぼけた頭のまま母親の姿を探してみるが、キッチンカウンターの中にいるのが柚月ではなく、愛華だと分かると「あ、そうだった」とすぐに納得する。それは別に母親が恋しくなったからという訳じゃなく、寝起きで少し混乱していたからだと自分で自分に言い聞かせた。
「おかえりなさい」
「あ、起こしちゃった? ただいま」
テーブルに箸と取り皿を並べていると、ソファーから声がして振り返る。右手で目を擦りながら、反対の手で子猫を抱っこしている佳奈が、カーペットの上に座っているのが目に入った。
「今日は中華丼にしてみたんだけど、食べられそう? もうちょっと後にする?」
丼を食器棚から下ろしつつ、妹の腹具合を確認する。冷蔵庫の中身を見る限り、お菓子やデザートも結構食べたみたいだし、もしかするとお腹は空いていないかもしれない。
けれど、愛華の心配をよそに、佳奈は「食べる」と頷き返して来た。成長期ど真ん中の食欲はあなどれない。
トマトのサラダと温め直した味噌汁をテーブルに運んでいる間、佳奈は猫皿にクルミ用のカリカリを盛っていた。人間と同じタイミングでご飯をあげないと、食事中に足を登ってきて食べるのを邪魔されてしまうのだ。かなり大きくなった子猫は獣医の予言通り、とてもヤンチャに育っている。
「お友達が来た時、クルミは逃げたりしなかった?」
いただきます、と手を合わせて、味噌汁を一口飲んでから妹へ話しかける。両親が帰って来た時、クルミはソファーの下に潜り込んだりテレビの後ろへ隠れたりして、なかなか出て来なかったらしい。愛華が戻って来た時には修司にガッツリ捕まっていたけれど、そこまで落ち着かせるのが大変だったと二人で嘆いていた。猫飼い歴のある両親でさえ、クルミの警戒心を解くのは簡単じゃなかったらしい。
「テレビの後ろに入り込んでたけど、カリカリあげたらすぐ出てきた」
「食い意地の方が勝ったんだ……」
せっかく遊びに来て貰ったのに、子猫が出て来なかったら残念だと思っていたが、そこは心配無用だったみたいだ。その後は普段通りだったらしいから、相手が子供だと慣れるのが早いのかもしれない。修司なんて大阪に戻る直前もシャーシャーと威嚇され続けていて、全くなつく気配がなかったのに……。父が聞いたらショックを受けること間違いなしだ。
「来月のはまだ分からないけど、私の今月の予定、後でカレンダーに書いておくね。いつでも友達呼んでくれていいから」
キッチンカウンターに置いてある卓上カレンダーを示すと、佳奈はぱあっと顔を明るくした。勉強はあまり捗らなかったが、学校や塾で話していた時よりもずっと仲良くなれたし、また遊ぼうねと言い合った。明日の塾で次の約束を決めようと、顔を綻ばせながら中華丼を口に頬張る。
小学校最後の夏休みは、まだ始まったばかりなのだ。
照明が点いているのはリビングの半分だけで、奥のダイニング側のダウンライトは消えている。佳奈がテレビでも見ているのかと思いながら玄関を入るが、家の中はとても静かだった。
そっとリビングのドアを開けて中を覗くと、ソファーの脚下に裸足の足が横たわっているのが見えて、一瞬だけギョッとする。見ようによっては事件現場だ。でもすぐに状況を理解すると、愛華は口元を抑えた。
「……ふっ、またそこで?」
目撃した光景に、思わず鼻で噴き出してしまう。以前と同じように、ソファーテーブルとソファーに挟まれた床で、佳奈が横向きに丸まった体勢で寝息を立てていたのだ。そして、そのお腹の辺りにすっぽりと嵌るようにして白黒の子猫が寄り添っている。ただ、猫の方は愛華が部屋に入ってきたことで目が覚めたらしく、頭だけを起き上げてこちらの方へと丸い目を向けていた。
久しぶりに友達と遊んで疲れたのだろう。普段は隅に置かれた専用ボックスに片づけられているはずの猫用玩具が、リビングの床にめいっぱい散らばっているのがその証拠だ。宿題はちゃんと出来たかなんて、まだ夏休みが始まったばかりの小学生へ聞くほど野暮じゃない。朝に積んであったのとほとんど変わっていないように見える問題集の山が、十分に物語ってくれている。
キッチンの方を見てみると、シンク横の水切りカゴには三人分のグラスとお皿が綺麗に洗って並べられていた。おそらく佳奈は、食器を洗った後に力尽きてしまったのだろう。気持ちよさそうな寝顔をしているから、よっぽど楽しかったんだろうと、愛華は小さく微笑んだ。
キッチンから聞こえてくるカチャカチャという食器が鳴る音に、佳奈はぼんやりと目を覚ました。ベッドとは違い、カーペットの寝心地はあまり良くない。横向きの体勢で寝ていたから、身体の下敷きになっていた右腕が少し痺れている。エアコンの風が直撃していたのか、ちょっとだけ身震いする。
起きたばかりの佳奈の顔へ、クルミが自分の頭をすり寄せてくる。黙って撫でてあげると、ゴロゴロと喉を鳴らし始めた。
漂ってくる夕飯の匂いに、まだ寝ぼけた頭のまま母親の姿を探してみるが、キッチンカウンターの中にいるのが柚月ではなく、愛華だと分かると「あ、そうだった」とすぐに納得する。それは別に母親が恋しくなったからという訳じゃなく、寝起きで少し混乱していたからだと自分で自分に言い聞かせた。
「おかえりなさい」
「あ、起こしちゃった? ただいま」
テーブルに箸と取り皿を並べていると、ソファーから声がして振り返る。右手で目を擦りながら、反対の手で子猫を抱っこしている佳奈が、カーペットの上に座っているのが目に入った。
「今日は中華丼にしてみたんだけど、食べられそう? もうちょっと後にする?」
丼を食器棚から下ろしつつ、妹の腹具合を確認する。冷蔵庫の中身を見る限り、お菓子やデザートも結構食べたみたいだし、もしかするとお腹は空いていないかもしれない。
けれど、愛華の心配をよそに、佳奈は「食べる」と頷き返して来た。成長期ど真ん中の食欲はあなどれない。
トマトのサラダと温め直した味噌汁をテーブルに運んでいる間、佳奈は猫皿にクルミ用のカリカリを盛っていた。人間と同じタイミングでご飯をあげないと、食事中に足を登ってきて食べるのを邪魔されてしまうのだ。かなり大きくなった子猫は獣医の予言通り、とてもヤンチャに育っている。
「お友達が来た時、クルミは逃げたりしなかった?」
いただきます、と手を合わせて、味噌汁を一口飲んでから妹へ話しかける。両親が帰って来た時、クルミはソファーの下に潜り込んだりテレビの後ろへ隠れたりして、なかなか出て来なかったらしい。愛華が戻って来た時には修司にガッツリ捕まっていたけれど、そこまで落ち着かせるのが大変だったと二人で嘆いていた。猫飼い歴のある両親でさえ、クルミの警戒心を解くのは簡単じゃなかったらしい。
「テレビの後ろに入り込んでたけど、カリカリあげたらすぐ出てきた」
「食い意地の方が勝ったんだ……」
せっかく遊びに来て貰ったのに、子猫が出て来なかったら残念だと思っていたが、そこは心配無用だったみたいだ。その後は普段通りだったらしいから、相手が子供だと慣れるのが早いのかもしれない。修司なんて大阪に戻る直前もシャーシャーと威嚇され続けていて、全くなつく気配がなかったのに……。父が聞いたらショックを受けること間違いなしだ。
「来月のはまだ分からないけど、私の今月の予定、後でカレンダーに書いておくね。いつでも友達呼んでくれていいから」
キッチンカウンターに置いてある卓上カレンダーを示すと、佳奈はぱあっと顔を明るくした。勉強はあまり捗らなかったが、学校や塾で話していた時よりもずっと仲良くなれたし、また遊ぼうねと言い合った。明日の塾で次の約束を決めようと、顔を綻ばせながら中華丼を口に頬張る。
小学校最後の夏休みは、まだ始まったばかりなのだ。
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