雨上がりの虹と

瀬崎由美

文字の大きさ
上 下
11 / 45

第十一話・一人っ子とお菓子

しおりを挟む
「愛華ちゃんはいいよね、お家では何でも独り占めできるし。私も一人っ子だったら良かったのになー」

 小学3年生の時のこと。学校からの帰り道、三軒隣の家の川瀬睦美が言ってきた。あの時、愛華よりも二つ下の少女とはどういう流れで一緒に下校していたのかまでは覚えていない。別に特別に仲が良かった訳でもなかったし、たまたま出会っただけだったように思う。睦美が一方的に話しているのを、愛華が適当な相槌を打って返していた。
 睦美はただ無邪気に言葉にしただけだろうが、それは鋭い刃のように愛華の心をえぐってくる。

 生まれてこなかった姉か兄と無意識に比べて落ち込むことの多い愛華には、一人っ子と言われることに違和感があった。自分には本当は兄弟がいたはずなのに、という心の呪縛も、傍から見れば何の意味もないただの虚構。その事実を突きつけられるのは、時には心の拠り所にもなっていた存在を否定されるのと同じだ。

「えっ?」
「お菓子とか、玩具とか。むっちゃんはいつも、お姉ちゃんと半分こしなきゃだもん」
「ふーん、そうなんだ」
「あとね、お下がりばかりなのも嫌。今日のお洋服だって、お姉ちゃんが着られなくなったやつなんだよ。あ、この靴もそう!」

 ブラウスは気に入ってるからいいけど、靴は好きじゃないと頬を膨らませる。まだ傷一つない真新しいランドセルを左右に揺らして歩く睦美は、後ろから見ると鞄から手足が生えているようにしか見えない。
 三歳年上の姉は決して意地悪なタイプではないし、ズルをして妹の分まで奪うようなことはしないはずだ。けれどそれでは不満だと、睦美は「一人っ子はいいなー」を繰り返していた。

「お菓子が一個余った時も、ジャンケンしなくていいのもいいなー。お姉ちゃんがいなかったら全部食べられるのに」

 最近ずっとジャンケンに負け続けているらしく、かなりの恨み節も入っている。ジャンケンで決めるのはとても合理的で公平だ。負けは負けなのだから仕方ないのにとは思ったが、愛華は愛想笑いを浮かべながら黙って流した。

 ――余ったお菓子って、ジャンケンで決めるんだ。楽しそう……。

 分け合ったり奪い合ったり、そういうのを愛華は経験したことがない。歳の近い親戚もいないから、そんなシチュエーションは少し憧れでもあったかもしれない。
 家に帰れば祖母がいつもお菓子を用意してくれていた。それをリビングでテレビを眺めながら一人で食べているだけだから、別に楽しくも何ともなかった。大好物のチョコレートケーキだって、一人で食べていても大した面白みもない。切り分けたケーキの大きさに文句を言ってくる人もいない。

「佳奈ちゃんは、ケーキの中では何が一番好き? チョコレートケーキって苦手?」

 夕ご飯のカレーライスの最後の一口をお茶で流し込んだ後、愛華は向かいでショートケーキをゆっくり味わいながら食べている妹に問いかける。冷蔵庫から自分の分のケーキも出してきて、丁寧にフィルムを剥がした。パックに2個入りの苺ショートは定番商品なだけあって、万人受けする無難な味だ。

「一番は分かんないけど、チョコレートケーキも普通に好き」
「そうなんだ。近所にすごく美味しいザッハトルテを売ってるお店があるから、また今度買ってくるね。ただ、そこのケーキってカット売りしてないんだよねぇ」

 いつもお祝い事があると父に買って来て貰っていた、お気に入りのザッハトルテ。甘い物がそこまで得意じゃない父と二人では、結局いつもほとんどを愛華が一人で食べることになり、数日のおやつがそれに固定されてしまう。だから本当に食べたい欲が高まった時にしかリクエストできなかった。いくら好きでも連日で食べたいとは思わない。

「でも、二人で半分こなら、すぐ食べきれそうだね」
「お母さんはホールのケーキはお誕生日しか買ってくれなかった。残したら勿体ないって言って」
「うちも似たようなもんだよ。お父さん、甘い物はあんまりだから」

 そう考えると、一人っ子だったから選ぶのを避けていた選択肢もあったはずだ。分け合うことが前提の大袋のお菓子なんかは、家ではほとんど見かけたことがなかった。量の入っている物は次の日も出されてくるのが目に見えている。

 先に食べ終わった佳奈は、「ごちそうさまでした」とお行儀よく呟いて椅子から立ち上がった。自分の使っていたお皿を持ってキッチンへ行く妹の背中へ向かって、愛華が声を掛ける。

「後で一緒に食洗機にかけるから、そのまま置いておいてね」

 黙って頷き返した後、佳奈はシンクに皿とフォークを入れてから静かに部屋を出ていく。階段を昇り、佳奈の部屋のドアが開閉する音が聞こえたのを確認して、愛華は少し堪えながら嬉しそうな笑いを漏らした。

「やっぱり、甘い物が好きなんだ」

 愛華がホールケーキの話をした時に見せた佳奈の反応を思い出す。あの期待に満ちた表情は、この家に来てから見せてくれた中でもダントツトップの良い顔だ。ザッハトルテを買って来たら、またあの顔を見ることができるだろうか。

 普段はあまり表情を見せてくれない佳奈だからこそ、反応が見れた時の感動は大きい。妹への餌付けは、しばらく止められそうもない。
 母性本能とも庇護欲とも違う、この感情を何と呼べば良いのだろうか。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

雨が乾くまで

日々曖昧
ライト文芸
 元小学校教師のフリーター吉名楓はある大雨の夜、家の近くの公園でずぶ濡れの少年、立木雪に出会う。  雪の欠けてしまった記憶を取り戻す為に二人は共同生活を始めるが、その日々の中で楓は自分自身の過去とも対峙することになる。

サンドアートナイトメア

shiori
ライト文芸
(最初に)  今を生きる人々に勇気を与えるような作品を作りたい。  もっと視野を広げて社会を見つめ直してほしい。  そんなことを思いながら、自分に書けるものを書こうと思って書いたのが、今回のサンドアートナイトメアです。  物語を通して、何か心に響くものがあればと思っています。 (あらすじ)  産まれて間もない頃からの全盲で、色のない世界で生きてきた少女、前田郁恵は病院生活の中で、年齢の近い少女、三由真美と出合う。  ある日、郁恵の元に届けられた父からの手紙とプレゼント。  看護師の佐々倉奈美と三由真美、二人に見守られながら開いたプレゼントの中身は額縁に入れられた砂絵だった。  砂絵に初めて触れた郁恵はなぜ目の見えない自分に父は砂絵を送ったのか、その意図を考え始める。  砂絵に描かれているという海と太陽と砂浜、その光景に思いを馳せる郁恵に真美は二人で病院を抜け出し、砂浜を目指すことを提案する。  不可能に思えた願望に向かって突き進んでいく二人、そして訪れた運命の日、まだ日の昇らない明朝に二人は手をつなぎ病院を抜け出して、砂絵に描かれていたような砂浜を目指して旅に出る。    諦めていた外の世界へと歩みだす郁恵、その傍に寄り添い支える真美。  見えない視界の中を勇気を振り絞り、歩みだす道のりは、遥か先の未来へと続く一歩へと変わり始めていた。

月の女神と夜の女王

海獺屋ぼの
ライト文芸
北関東のとある地方都市に住む双子の姉妹の物語。 妹の月姫(ルナ)は父親が経営するコンビニでアルバイトしながら高校に通っていた。彼女は双子の姉に対する強いコンプレックスがあり、それを払拭することがどうしてもできなかった。あるとき、月姫(ルナ)はある兄妹と出会うのだが……。 姉の裏月(ヘカテー)は実家を飛び出してバンド活動に明け暮れていた。クセの強いバンドメンバー、クリスチャンの友人、退学した高校の悪友。そんな個性が強すぎる面々と絡んでいく。ある日彼女のバンド活動にも転機が訪れた……。 月姫(ルナ)と裏月(ヘカテー)の姉妹の物語が各章ごとに交錯し、ある結末へと向かう。

峽(はざま)

黒蝶
ライト文芸
私には、誰にも言えない秘密がある。 どうなるのかなんて分からない。 そんな私の日常の物語。 ※病気に偏見をお持ちの方は読まないでください。 ※症状はあくまで一例です。 ※『*』の印がある話は若干の吸血表現があります。 ※読んだあと体調が悪くなられても責任は負いかねます。 自己責任でお読みください。

水没ワンルーム

結月 希
ライト文芸
ある日突然、涙が止まらなくなってしまった。狭い部屋に涙がどんどん溜まっていって、膝くらいまで部屋は水没してしまう。 そんな時、涙の海から小さな人魚が現れて…

【完結】四季のごちそう、たらふくおあげんせ

秋月一花
ライト文芸
田舎に住んでいる七十代の高橋恵子と、夫を亡くして田舎に帰ってきたシングルマザー、青柳美咲。 恵子は料理をするのが好きで、たまに美咲や彼女の娘である芽衣にごちそうをしていた。 四季のごちそうと、その料理を楽しむほのぼのストーリー……のつもり! ※方言使っています ※田舎料理です

Husband's secret (夫の秘密)

設樂理沙
ライト文芸
果たして・・ 秘密などあったのだろうか! 夫のカノジョ / 垣谷 美雨 さま(著) を読んで  Another Storyを考えてみました。 むちゃくちゃ、1回投稿文が短いです。(^^ゞ💦アセアセ  10秒~30秒?  何気ない隠し事が、とんでもないことに繋がっていくこともあるんですね。 ❦ イラストはAI生成画像 自作

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

処理中です...