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第六話・妥協案
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賞味期限切れシュークリームで少しは心を開いてくれたかと思ったのに、義妹はまた二階の自室へと籠ってしまった。年下の扱いがこれほど難しいとは思わなかった。どう声を掛けてあげるのが正解なのか、さっぱり分からない。
――こういう時、お兄ちゃんやお姉ちゃんなら、もっと上手に……。
自分には姉としての資質が足りないのかもしれない。空想上の姉や兄だったら、もっと相応しい言葉を佳奈に掛けてあげられたのではと自己嫌悪に陥る。
夜、いつもは別々で帰宅することの多い両親が揃って帰ってきた。子供抜きに話すこともあるだろうから、途中のどこかで待ち合わせでもしたのだろう。愛華は二人の着替えに合わせてビーフシチューの入った鍋を温め直し、冷やしておいたサラダを冷蔵庫から取り出した。
「ごめんなさいね。新卒の子達の研修が終われば、もう少し早く帰ってこれるはずなんだけど……愛華ちゃんにご飯作って貰ってばかりで」
「まだ学校始まってないから、平気です。それに、今までもずっとやってきてるんで」
「それでも、ねぇ……」
新卒の採用数が従来よりも多かったのに、指導できるトレーナーの数が足りないのよ、と柚月は申し訳なさそうに言う。華やかな職場イメージがあったが、その裏方は意外と過酷なようだ。
愛華自身は柚月に対して母親の役割を求めてはいなかったが、新しい母は心底恐縮しているようだった。これではただ居候しに来ただけだ、と。
「佳奈ちゃん、ご飯食べようか」
食卓に料理を並べ終えると、修司が二階に向かって階段下から呼んでいるのが聞こえてくる。愛華がバイトに行っていた昼間に佳奈がどうしていたのかは分からないが、帰って来た時には空になった弁当箱がシンクの中で水を張った状態で置かれていた。
誰もいない家で一人でご飯を食べるのは、愛華にとってはもう慣れっこだ。近い境遇で育ってきた佳奈もきっとそうなんだろう。
昨日の今日だし、塾もずる休みした手前、そう簡単に降りては来ないんじゃないか思っていたが、佳奈は割とあっさりとダイニングへ顔を見せた。しかもなぜか、朝会った時よりも吹っ切れた表情で、普段と同じように自分の席に着いた。
だから当然、愛華を含めた三人は「転校する覚悟ができたんだな」と思ったのだ。彼女なりに考えて納得して、大阪で頑張る気になったのだ、と。何がキッカケだったのかは不明だが、とにかくホッとしながら各々が夕食を食べ始める。
まだ腫物に触るような空気はあったが、穏やかに夕食が終わりかけた頃、サラダのミニトマトを手で口に放り込んでから、佳奈が隣に座っている母親に向かって言い出した。
「大阪へはお母さん達だけで行って。私は引っ越しも転校もしないから」
「え、佳奈、何言って――」
「お母さん達、2年で帰ってくるんでしょう? それくらいなら待てるよ、私」
娘の口から飛び出した爆弾発言に、柚月は長い睫毛をパチパチさせている。その対面に座っている修司も、ビーフシチューを掬ったスプーンを持ったまま口をあんぐりと開き、完全にフリーズしてしまった。
「え、えっ、ちょっと待って。あなた、何言ってるの?」
「転校は絶対にイヤだから。だから、お母さん達には付いていかない」
「そんなことできる訳ないじゃない。子供を置いてなんて……」
自分から移動願いを出して決定済みになった転勤を、やっぱり辞退しますと言える訳もない。そんな身勝手なことをしたら、社内での信用は無くなるも同然。柚月はテーブルに肘を乗せて頭を抱え始める。娘がこんなに聞き分けのない子だったとは。否、いままで何の我が儘も言わなかったから、親の都合に合わせて当然だと思っていた節はある。
「よく考えたら分かるでしょう? 佳奈はまだ小学生なのよ」
「うん、だから、大人と一緒にいなきゃいけないんでしょう?」
何よ、分かってるんじゃない。と柚月は顔を上げて、隣にいる娘を見る。その母親に向かって、佳奈はにっこり笑い掛けてから自信満々に言った。
「大人なら、愛華お姉ちゃんがいるよ。成人した家族が一緒なら問題ないでしょ?」
食べ終わった食器を片付けようと席を立ち上がりかけていた愛華が、急に名前を出されてギョッと佳奈の方を振り返る。三人の深刻な様子を他人事のつもりで聞いていたから、完全に不意打ちを食らった感じだった。
「え、私?!」
「ダメ、かな……?」
んー、と言葉を濁しながら親の顔を順に伺うと、二人ともフルフルと首を横に振っている。佳奈が半日がかりで一人で考えた解決策だと思うと庇ってあげたくもなるが、現実的にみるとどうなんだろうか……。
――まあ、親と離れてお爺ちゃんお婆ちゃんと暮らしてる子もいるしなぁ。ほら、両親揃って出稼ぎとか漁に出てるとかって。
そうは思っても、それを口に出せる雰囲気じゃない。愛華がいくら成人していても、佳奈の保護者じゃないのだから。小学生との二人暮らしなんて、いきなり過ぎて想像もつかない。
「ダメかどうかを決めるのは、親だと思うよ。私はどっちでも」
不意打ちで飛び火してきた策は、両親へと丸投げして返す。他の三人の空いた食器も重ねてキッチンへ運んでいくと、背後から聞こえてくる柚月の小言と佳奈の反論に耳を澄ませる。
「お母さん、ちゃんと附属を卒業させるっていうのが前のお父さんとの約束じゃなかったっけ?」
「あ、それは……」
「いいの? 約束守ってなかったら、親権取られたりしない?」
佳奈が通っている国立大附属は彼女の実父の母校でもある。だからと言って、そんなことで親権が動くとは思わないが、柚月と全夫との離婚時の口約束の一つなのだろう。離婚した当時、佳奈はまだ幼児だったはずだが、よく覚えていたものだ。
急に黙り込んでしまった母親の横で、佳奈はグラスに入った麦茶を静かに飲んでいる。新しい妹は意外としたたかなのかもしれない。
――こういう時、お兄ちゃんやお姉ちゃんなら、もっと上手に……。
自分には姉としての資質が足りないのかもしれない。空想上の姉や兄だったら、もっと相応しい言葉を佳奈に掛けてあげられたのではと自己嫌悪に陥る。
夜、いつもは別々で帰宅することの多い両親が揃って帰ってきた。子供抜きに話すこともあるだろうから、途中のどこかで待ち合わせでもしたのだろう。愛華は二人の着替えに合わせてビーフシチューの入った鍋を温め直し、冷やしておいたサラダを冷蔵庫から取り出した。
「ごめんなさいね。新卒の子達の研修が終われば、もう少し早く帰ってこれるはずなんだけど……愛華ちゃんにご飯作って貰ってばかりで」
「まだ学校始まってないから、平気です。それに、今までもずっとやってきてるんで」
「それでも、ねぇ……」
新卒の採用数が従来よりも多かったのに、指導できるトレーナーの数が足りないのよ、と柚月は申し訳なさそうに言う。華やかな職場イメージがあったが、その裏方は意外と過酷なようだ。
愛華自身は柚月に対して母親の役割を求めてはいなかったが、新しい母は心底恐縮しているようだった。これではただ居候しに来ただけだ、と。
「佳奈ちゃん、ご飯食べようか」
食卓に料理を並べ終えると、修司が二階に向かって階段下から呼んでいるのが聞こえてくる。愛華がバイトに行っていた昼間に佳奈がどうしていたのかは分からないが、帰って来た時には空になった弁当箱がシンクの中で水を張った状態で置かれていた。
誰もいない家で一人でご飯を食べるのは、愛華にとってはもう慣れっこだ。近い境遇で育ってきた佳奈もきっとそうなんだろう。
昨日の今日だし、塾もずる休みした手前、そう簡単に降りては来ないんじゃないか思っていたが、佳奈は割とあっさりとダイニングへ顔を見せた。しかもなぜか、朝会った時よりも吹っ切れた表情で、普段と同じように自分の席に着いた。
だから当然、愛華を含めた三人は「転校する覚悟ができたんだな」と思ったのだ。彼女なりに考えて納得して、大阪で頑張る気になったのだ、と。何がキッカケだったのかは不明だが、とにかくホッとしながら各々が夕食を食べ始める。
まだ腫物に触るような空気はあったが、穏やかに夕食が終わりかけた頃、サラダのミニトマトを手で口に放り込んでから、佳奈が隣に座っている母親に向かって言い出した。
「大阪へはお母さん達だけで行って。私は引っ越しも転校もしないから」
「え、佳奈、何言って――」
「お母さん達、2年で帰ってくるんでしょう? それくらいなら待てるよ、私」
娘の口から飛び出した爆弾発言に、柚月は長い睫毛をパチパチさせている。その対面に座っている修司も、ビーフシチューを掬ったスプーンを持ったまま口をあんぐりと開き、完全にフリーズしてしまった。
「え、えっ、ちょっと待って。あなた、何言ってるの?」
「転校は絶対にイヤだから。だから、お母さん達には付いていかない」
「そんなことできる訳ないじゃない。子供を置いてなんて……」
自分から移動願いを出して決定済みになった転勤を、やっぱり辞退しますと言える訳もない。そんな身勝手なことをしたら、社内での信用は無くなるも同然。柚月はテーブルに肘を乗せて頭を抱え始める。娘がこんなに聞き分けのない子だったとは。否、いままで何の我が儘も言わなかったから、親の都合に合わせて当然だと思っていた節はある。
「よく考えたら分かるでしょう? 佳奈はまだ小学生なのよ」
「うん、だから、大人と一緒にいなきゃいけないんでしょう?」
何よ、分かってるんじゃない。と柚月は顔を上げて、隣にいる娘を見る。その母親に向かって、佳奈はにっこり笑い掛けてから自信満々に言った。
「大人なら、愛華お姉ちゃんがいるよ。成人した家族が一緒なら問題ないでしょ?」
食べ終わった食器を片付けようと席を立ち上がりかけていた愛華が、急に名前を出されてギョッと佳奈の方を振り返る。三人の深刻な様子を他人事のつもりで聞いていたから、完全に不意打ちを食らった感じだった。
「え、私?!」
「ダメ、かな……?」
んー、と言葉を濁しながら親の顔を順に伺うと、二人ともフルフルと首を横に振っている。佳奈が半日がかりで一人で考えた解決策だと思うと庇ってあげたくもなるが、現実的にみるとどうなんだろうか……。
――まあ、親と離れてお爺ちゃんお婆ちゃんと暮らしてる子もいるしなぁ。ほら、両親揃って出稼ぎとか漁に出てるとかって。
そうは思っても、それを口に出せる雰囲気じゃない。愛華がいくら成人していても、佳奈の保護者じゃないのだから。小学生との二人暮らしなんて、いきなり過ぎて想像もつかない。
「ダメかどうかを決めるのは、親だと思うよ。私はどっちでも」
不意打ちで飛び火してきた策は、両親へと丸投げして返す。他の三人の空いた食器も重ねてキッチンへ運んでいくと、背後から聞こえてくる柚月の小言と佳奈の反論に耳を澄ませる。
「お母さん、ちゃんと附属を卒業させるっていうのが前のお父さんとの約束じゃなかったっけ?」
「あ、それは……」
「いいの? 約束守ってなかったら、親権取られたりしない?」
佳奈が通っている国立大附属は彼女の実父の母校でもある。だからと言って、そんなことで親権が動くとは思わないが、柚月と全夫との離婚時の口約束の一つなのだろう。離婚した当時、佳奈はまだ幼児だったはずだが、よく覚えていたものだ。
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