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第十九話・元カノ
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データで送付されてきた出納帳と、実際の領収書の額面とを照らし合わせるという単調な作業。確認が終わった分を日付順に綴じ直してと、これまで事務経験の無かった優香でもできる仕事だが、とにかく量の多さに苦戦していた。一社が終わればまた別の会社から、税務関連を請け負っている顧客から数か月置きに次々と送られてくるのだ。取引先との打ち合わせをこなしつつ、こういった事務処理も全て、宏樹は今まで一人でやってきたのかと思うと、あまりにも信じられないし、オフィス内が荒れていたのも納得してしまう。
朝からずっとデスクに張り付いていたせいで、少し回しただけで首からゴキゴキと音が鳴る。両腕を天井に向けて伸ばし、優香はふぅっと大きく息を吐いた。
商談があるからと、宏樹は昼前にオフィスを出て行った。既存顧客から、近辺に土地をいくつか保有する地主さんを紹介され、不動産所得の相談を受けたのだという。法人だけでなく個人からの依頼も意外とあるみたいだ。
一人で黙々と作業していると、時間の間隔が分からなくなる。宏樹が居る時はどちらともなく、「そろそろ何か飲んで休憩する?」と声を掛け合うから、こんなに肩がガチガチになるほど根を詰めることもない。
コーヒーでも淹れようかと椅子から立ち上がり、簡易キッチンへと向かい掛けた時、オフィス入り口のインターフォンが鳴る。今日は来客の予定は入っていないから、荷物でも届いたのだろうかと、優香はオフィスのドアを開いた。
「ヒロ、久しぶりぃ!……って、あなた、誰?」
やたらと胸元を強調した服装の、多少の若作り感のある女が、オフィスの前で優香へ向かって聞き返してくる。パッと見は若く見えたが、よく観察するとそうでもない。髪や肌質からすると優香と同じ歳くらいだろう。襟ぐりの広いVネックカットソーからチラ見えする胸の谷間は、同性の優香でさえ目を背けてしまいたくなる。
身体のラインが出るトップスに、ロングのフレアスカート。腕に持っているのは、カーディガンとガーリーなデザインのトートバッグ。理想的な大人のデートファッションというやつだろうか。
「私はこちらのオフィスの者ですが」
「ねえ、ここってヒロ――石橋宏樹の事務所であってます?」
グイグイと勝手に中に入り込み、女がオフィスの中を見回している。そして、商談用スペースのソファーを見つけると、一言の断りもなしに座り始めた。
会計事務所に経営相談に来たという訳でもなさそうだし、ヒロと愛称で呼ぶくらいには宏樹の親しい相手なんだろう。ただ、友人や知人が訪ねてくるという予定は聞いてなかったので、優香は困り果てる。
「石橋は今、外に出ておりますが……」
「えーっ、どれくらいで戻って来ます?」
「さぁ、詳しいことは。連絡して確認させていただきますので、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「え、私? 瑛梨奈です。寺田瑛梨奈。元カノが会いに来たよって伝えて貰っていいですか」
ケラケラと笑いながら、鞄から化粧ポーチを取り出して、折り畳みミラーでメイクを直し始める。派手ではないが男ウケするメイクという感じで、艶のあるリップに垂れ目風に下げたアイライン。モテを計算され尽くした見た目は、同じ女としては嫌悪感を抱いてしまいそうになるが、彼女に鼻の下を伸ばす男性は多そうだ。この、あまり常識的とは思えない態度も、彼女へ好意を抱いている人からすれば天真爛漫に映るのかもしれない。
外出中の宏樹の携帯へ、この訪問客のことを伝えると、電話の向こうからは大きな溜め息が聞こえてきた。元カノというワードには一切の否定はしない。その直後の「分かった」という短い返事にどういう感情が含まれているのかは理解できなかった。でも、その後急いで商談を切り上げて来たらしい宏樹は、若干息を切らしながらオフィスの入り口扉を派手な音を立てて勢いよく開いた。
「なっ、瑛梨奈、本当にお前っ……!」
「あ、ヒロ。久しぶりぃ、お邪魔してるね」
優香が淹れて出した紅茶を、ソファーでのんびりと味わいながら、寺田瑛梨奈が宏樹の顔に向けてヒラヒラと手を振る。ハァ、と電話の時と同じ大きな溜め息を吐くと、宏樹はその向かいの席へ苛立った表情のまま、どかっと座り込む。
「で、何? まさか経営相談って訳じゃないよな?」
「うん、違うよ」
ティーカップをテーブルに戻すと、瑛梨奈は身体を少し前かがみにして、宏樹の顔を見上げる体勢になる。宏樹は全く気にしてないようだったが、彼の分の紅茶を運んで来た優香の方が、その瑛梨奈の胸をさらに強調させるポーズにドキッとしてしまった。もし彼女がこれを無意識にやってるのなら、とんだ小悪魔だ。
――元カノって言ってたけど、宏樹君ってこういうタイプが好きだったんだ。へー。
ほんの数か月に優香のことがずっと好きだったと告白された記憶があるが、優香と元カノとは全くタイプが違う。化粧っ気の少ない優香に対して、瑛梨奈は色気と可愛いを計算して盛るタイプだ。
朝からずっとデスクに張り付いていたせいで、少し回しただけで首からゴキゴキと音が鳴る。両腕を天井に向けて伸ばし、優香はふぅっと大きく息を吐いた。
商談があるからと、宏樹は昼前にオフィスを出て行った。既存顧客から、近辺に土地をいくつか保有する地主さんを紹介され、不動産所得の相談を受けたのだという。法人だけでなく個人からの依頼も意外とあるみたいだ。
一人で黙々と作業していると、時間の間隔が分からなくなる。宏樹が居る時はどちらともなく、「そろそろ何か飲んで休憩する?」と声を掛け合うから、こんなに肩がガチガチになるほど根を詰めることもない。
コーヒーでも淹れようかと椅子から立ち上がり、簡易キッチンへと向かい掛けた時、オフィス入り口のインターフォンが鳴る。今日は来客の予定は入っていないから、荷物でも届いたのだろうかと、優香はオフィスのドアを開いた。
「ヒロ、久しぶりぃ!……って、あなた、誰?」
やたらと胸元を強調した服装の、多少の若作り感のある女が、オフィスの前で優香へ向かって聞き返してくる。パッと見は若く見えたが、よく観察するとそうでもない。髪や肌質からすると優香と同じ歳くらいだろう。襟ぐりの広いVネックカットソーからチラ見えする胸の谷間は、同性の優香でさえ目を背けてしまいたくなる。
身体のラインが出るトップスに、ロングのフレアスカート。腕に持っているのは、カーディガンとガーリーなデザインのトートバッグ。理想的な大人のデートファッションというやつだろうか。
「私はこちらのオフィスの者ですが」
「ねえ、ここってヒロ――石橋宏樹の事務所であってます?」
グイグイと勝手に中に入り込み、女がオフィスの中を見回している。そして、商談用スペースのソファーを見つけると、一言の断りもなしに座り始めた。
会計事務所に経営相談に来たという訳でもなさそうだし、ヒロと愛称で呼ぶくらいには宏樹の親しい相手なんだろう。ただ、友人や知人が訪ねてくるという予定は聞いてなかったので、優香は困り果てる。
「石橋は今、外に出ておりますが……」
「えーっ、どれくらいで戻って来ます?」
「さぁ、詳しいことは。連絡して確認させていただきますので、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「え、私? 瑛梨奈です。寺田瑛梨奈。元カノが会いに来たよって伝えて貰っていいですか」
ケラケラと笑いながら、鞄から化粧ポーチを取り出して、折り畳みミラーでメイクを直し始める。派手ではないが男ウケするメイクという感じで、艶のあるリップに垂れ目風に下げたアイライン。モテを計算され尽くした見た目は、同じ女としては嫌悪感を抱いてしまいそうになるが、彼女に鼻の下を伸ばす男性は多そうだ。この、あまり常識的とは思えない態度も、彼女へ好意を抱いている人からすれば天真爛漫に映るのかもしれない。
外出中の宏樹の携帯へ、この訪問客のことを伝えると、電話の向こうからは大きな溜め息が聞こえてきた。元カノというワードには一切の否定はしない。その直後の「分かった」という短い返事にどういう感情が含まれているのかは理解できなかった。でも、その後急いで商談を切り上げて来たらしい宏樹は、若干息を切らしながらオフィスの入り口扉を派手な音を立てて勢いよく開いた。
「なっ、瑛梨奈、本当にお前っ……!」
「あ、ヒロ。久しぶりぃ、お邪魔してるね」
優香が淹れて出した紅茶を、ソファーでのんびりと味わいながら、寺田瑛梨奈が宏樹の顔に向けてヒラヒラと手を振る。ハァ、と電話の時と同じ大きな溜め息を吐くと、宏樹はその向かいの席へ苛立った表情のまま、どかっと座り込む。
「で、何? まさか経営相談って訳じゃないよな?」
「うん、違うよ」
ティーカップをテーブルに戻すと、瑛梨奈は身体を少し前かがみにして、宏樹の顔を見上げる体勢になる。宏樹は全く気にしてないようだったが、彼の分の紅茶を運んで来た優香の方が、その瑛梨奈の胸をさらに強調させるポーズにドキッとしてしまった。もし彼女がこれを無意識にやってるのなら、とんだ小悪魔だ。
――元カノって言ってたけど、宏樹君ってこういうタイプが好きだったんだ。へー。
ほんの数か月に優香のことがずっと好きだったと告白された記憶があるが、優香と元カノとは全くタイプが違う。化粧っ気の少ない優香に対して、瑛梨奈は色気と可愛いを計算して盛るタイプだ。
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