あなたが居なくなった後

瀬崎由美

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第十八話・ショッピングモール

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 パートはお休みを貰って、陽太の保育園もお休みして、優香はショッピングモールの中をベビーカーを押してのんびり歩き回っていた。特に何を買うでもなく商品を眺め、季節を先取りしたディスプレイを目に留めていく。

 陽太はここに来る道すがら、とても静かになった。ベビーカーの背もたれを倒し、幌をめいっぱい広げて周囲の喧騒を遮断してあげると、程よい振動のおかげであっけなく眠ってしまった。ただし、歩くのを止めるとすぐに起きてしまうので、今こうして優香はひたすら歩き続けている。雨風も日差しも凌げて、適温に空調も管理されたショッピングモールは散歩には最適な空間だ。

 息子が生まれてからの日々は想像が出来ないほど慌ただしかった。初めての出産と慣れない育児にアタフタしている中、夫が事故死。何をどうしていいか分からないことだらけで、正直言って落ち着いて周りを見る余裕すらなかった。子供を守る為にと必死で前を向いていたつもりだったけれど、気が付いた時には季節が二つほど過ぎ去っていた。長い時間がすっぽりと記憶から抜け落ちてしまっているみたいに。

 こうやってウインドウショッピングを楽しめるようになったのは、少しは心の整理がついてきたということだろうか。

 休日に比べると、平日のショッピングモールはとても気楽だ。周囲を見渡せば、優香と同じように小さな子供を連れた母親の姿を見掛けるし、必要以上に気負わなくて済むから。子供がグズって泣いてしまっても悪目立ちはしないし、面と向かって責めてくる人もいない。

 この圧倒的に母子が多い場所は、自分が夫を亡くした未亡人であることをひと時でも忘れさせてくれる。自分はみんなと同じだと錯覚できる。夫婦で仲良く買い物をしている家族連ればかりを見るのはまだ辛い。産後一か月で大輝が死んでしまったから、陽太と三人で出掛けたことなんて一度も無い。

 もし、あの事故が起こらなかったら……。考えても仕方ないとは分かっているけれど、どうしても想像してしまう。自分には来なかった、平穏な未来。家族で過ごす賑やかな休日。夫はどんな父親になって息子へ接してくれていただろうか。

 すれ違っていく他所の旦那さんに大輝の姿を重ねる。片手で軽々と幼児を抱き上げている男性を見て、大輝が子供と一緒に写っている写真が数枚しか無いことを後悔する。もっと沢山撮っていれば、大きくなった陽太に見せてあげれたのに、と。たったひと月では出来たことが少な過ぎる。あの時ああしていればという思いは、今更どうにもならない。

 ベビー用品売り場の陳列棚を眺めながら、優香は息子の月齢に合うお菓子の箱を手に取った。ミルクしか飲めなかった陽太も、少しずつ食べられる物が増えてきた。離乳食に関しては保育園の進め方に合わせているから、あまり迷うことはない。まさかこんなに早く子供を預けることになると思わなかったけれど、不安に思ったことを相談できる場ができたのは良かったと思う。あのまま大輝の残したお金を頼りに家に籠り切りになっていたら、何もかもを一人で解決しようと抱え込んでしまっていたはずだ。

「あっ、これ、けん君のと同じー」

 真後ろの棚の前で、小さな男の子が声を上げる。振り返って見ると、3歳くらいの幼児と手を繋ぎ、ベビーカーを押す母子の姿。男の子は子供用の食器セットを指差して母親に向かって興奮気味に話しかけていた。

「みーちゃんのも買ってあげようよ」
「本当だ、お兄ちゃんのと同じだね。でも、それはみーちゃんにはまだ早いかなぁ。もう少し大きくなって、ご飯が食べられるようになってからまた買いに来ようね」
「うん、そうする!」

 ベビーカーの中で静かに眠っている赤ちゃんは、陽太よりもずっと小さい。哺乳瓶の替え乳首を見ていた母親は、お目当てのメーカーの商品を見つけたのか、さっと手に取ってレジへと向かっていった。
 まだ上の子も幼いのに、二人同時のお世話は大変そうだなと感心した後、優香は胸の奥がチクりと痛むのを感じる。

 ――兄弟、かぁ……。

 息子はまだ赤ちゃんだからと考えたことは無かったが、夫を亡くした今、陽太には兄弟を作ってあげることができないのだ。再婚でもしないとそれは限りなく不可能なことで、今の優香には大輝以外との結婚生活は想像もできない。また誰かと恋愛関係になるなんて、考えたこともないのだから。

 この先に自分がする選択が息子にとっての正解になる自信なんてない。けれど、優香は陽太の母親で、唯一の肉親なのだから、この子が一番幸せになれる道を選んであげなくちゃいけないのだ。そう思うと、責任感で押しつぶされそうになってくる。
 と、バッグのポケットに入れていたスマホから振動を感じた。

「もしもし?」
「あ、優香ちゃん? 今、どこかに出掛けてる? 家へ行ったら留守だったから――」
「うん、ちょっと買い物に出てるとこ。でも、もう帰るけど。どうしたの?」

 義弟からの電話に、慌てて平静を装った。

「いや、お客さんが菓子折りを持ってきてくれて……何かあった? 声が元気ないみたいだけど」
「ううん、何もないよ。朝から歩き回って少し疲れちゃっただけ」
「そ、ならいいけど……」

 持って来ようとしていた手土産は明日にオフィスで食べてくれたらいい、と宏樹はまだ少し心配しつつも電話を切った。
 優香達親子のことを何かにつけて気に掛けてくれる義弟。その存在はとても心強くて、つい甘えてばかりになってしまう。でも、夫の弟というだけでこんなに何もかも頼り切ってしまっていいのかと、躊躇うこともある。頼りにし過ぎて、宏樹の重荷になっているんじゃないかと、いつも不安になる。
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