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第十三話・結婚記念日
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カレンダーに書かれた星印は、優香と大輝の結婚記念日。毎年この時期には二人でお祝いを、と言いたいところだが、実はこうやって印を付けている割に、まともにお祝いしたことがなかった。
記念すべき初めての結婚記念日は、あろうことか二人揃ってそのイベントが頭にはなく、気付いた時にはすでに二週間も過ぎていたのだ。
「あら、私は覚えていたわよ。言ってあげれば良かったわねぇ」
と母からドヤ顔で笑い飛ばされたことは一生忘れない。
付き合っている時も、何か月記念とか何年記念とか、そういうのをマメにお祝いしたがる友達もいたけれど、大輝も優香もそこまでの拘りはなかった。全く関係ない日に後から思い出して、「あ、もう2年になるねー」なんて話題には出すことはあったけど、あえてその日に何かをしようと計画したことはない。
そんな二人だったから、入籍してから一年が過ぎていたことには気付いていなかった。そもそも大安吉日だったからというだけで決めた日にちは馴染みが薄い。バレンタインデーとかクリスマスとか、そういう別イベント事に絡めた日なら覚えていたのかもしれないが。
そして、当然のように二年目の記念日も、気が付いた時には三日前のことになっていた。優香自身、前日までは覚えていたのに、当日になれば普段通りの一日を過ごしてしまっていた。妊娠中で悪阻のピーク時期だったこともあり、正直言ってそれどころじゃなかったというのもある。特別に何かを準備していた訳じゃなかったから、頭からすっかり抜け落ちていた。
だから、三年目になる今年は忘れないように、キッチンカウンターの上に置いている卓上カレンダーへ星印を赤のボールペンで目立つように描いておいた。
大輝と籍を入れてから、今日でちょうど三年。ようやく結婚記念日の当日に気付くことができたのだ。
――今年は何か、お祝いしたかったのになぁ……。
まだ小さな陽太を連れて外食をというのは無理かもしれないが、いつもよりもちょっと高い食材を使って料理を作るのでもいい。何なら、食後にコンビニスイーツを食べながら、籍を入れに行った日のことを話題にするだけだっていい。夫と一緒にあの頃のことを思い出し合うだけでも十分に幸せだったはずだ。
でも、その一緒に思い出を振り返り合いたかった夫は、もうこの世にはいない。寂しさで胸がグッと締め付けられてしまう感覚に、優香はキッチンカウンター前の床にへたり込んでしまう。身体を丸めて自分自身を抱き締めていないと、急激な不安が襲ってくる。
いつも傍にいて大らかに微笑みかけてくれていた大輝とは、もう同じ時を生きていくことができないのだ。30から歳を取ることがなくなった夫よりも、自分の方が年上になってしまう日は必ず来てしまう。同じ未来を一緒に見れないというのは、なんて残酷なことだろう。
涙はもう出ない。けれど、寂しさは際限なく湧き上がってくる。この感情は底無しなんじゃないかと思うほどに。
殻に籠って身動きが出来なくなりそうになっていた優香の耳に、インターフォンが鳴る音が聞こえてきた。多分、ネット通販で注文しておいた子供服が届けられたのだろう。一気に現実に引っ張り戻された気分だった。
命がある限り、どんな時でも生活は続いていく。陽太の為にもしっかりしなきゃと、深く息を吐いてから優香は玄関ドアを開いた。
「ごめん、寝てた? 陽太のお昼寝の時間だったはずだから、優香ちゃんも一緒に寝てたら悪いなとは思ったんだけど……」
宅配業者だと思い込んで印鑑を握りしめて出た優香は、玄関前で申し訳なさそうな顔をしている宏樹に驚く。なぜ彼はいつも、自分が人恋しいと思っている時にタイミング良く現れてくれるんだろう。
「ううん、陽太はまだ寝てるけど、私はずっと起きてるよ。寝てくれてる時にしかできないことも多いからね」
アイロンや裁縫道具なんかは、子供が起きている時間には絶対に出せない。好奇心旺盛な陽太が、一瞬の隙に何を触るか分からないからだ。今日は寝てるのを見計らって陽太の爪を切っていたと話しながら、宏樹を中へ入るよう勧める。
「朝から片岡さんに呼び付けられて事務所に顔出したら、休日出勤のお詫びにってこれ貰っちゃって。娘さん夫婦がやってる店のパンなんだって」
そう言われて受け取った店名入りの紙袋からは、パンの香ばしい匂いが漏れている。セクハラまがいの発言の多い、やたら偉そうな問題客も、さすがに今日が休業日だということは把握していたらしい。
「美味しそうだね」
「結構、人気店らしいよ。パンなら陽太も食べられるものがあるかと思って」
一緒に住んでいる義母はご飯派だからと、優香達にお裾分けに来てくれたのだという。どんな理由で訪問した時も、宏樹は必ずリビングへ通された後は隣接する和室の仏壇へと向かう。そして、亡き兄の遺影をじっと見つめて静かに手を合わせるのだ。
「……今日って結婚記念日だったよね、確か」
「宏樹君、覚えてくれてたんだ」
そりゃあね、と小さく呟くと、宏樹は大輝の写真を睨みつける。
「俺にとっては、完全に敗北した日だったからね。忘れる訳がないよ」
記念すべき初めての結婚記念日は、あろうことか二人揃ってそのイベントが頭にはなく、気付いた時にはすでに二週間も過ぎていたのだ。
「あら、私は覚えていたわよ。言ってあげれば良かったわねぇ」
と母からドヤ顔で笑い飛ばされたことは一生忘れない。
付き合っている時も、何か月記念とか何年記念とか、そういうのをマメにお祝いしたがる友達もいたけれど、大輝も優香もそこまでの拘りはなかった。全く関係ない日に後から思い出して、「あ、もう2年になるねー」なんて話題には出すことはあったけど、あえてその日に何かをしようと計画したことはない。
そんな二人だったから、入籍してから一年が過ぎていたことには気付いていなかった。そもそも大安吉日だったからというだけで決めた日にちは馴染みが薄い。バレンタインデーとかクリスマスとか、そういう別イベント事に絡めた日なら覚えていたのかもしれないが。
そして、当然のように二年目の記念日も、気が付いた時には三日前のことになっていた。優香自身、前日までは覚えていたのに、当日になれば普段通りの一日を過ごしてしまっていた。妊娠中で悪阻のピーク時期だったこともあり、正直言ってそれどころじゃなかったというのもある。特別に何かを準備していた訳じゃなかったから、頭からすっかり抜け落ちていた。
だから、三年目になる今年は忘れないように、キッチンカウンターの上に置いている卓上カレンダーへ星印を赤のボールペンで目立つように描いておいた。
大輝と籍を入れてから、今日でちょうど三年。ようやく結婚記念日の当日に気付くことができたのだ。
――今年は何か、お祝いしたかったのになぁ……。
まだ小さな陽太を連れて外食をというのは無理かもしれないが、いつもよりもちょっと高い食材を使って料理を作るのでもいい。何なら、食後にコンビニスイーツを食べながら、籍を入れに行った日のことを話題にするだけだっていい。夫と一緒にあの頃のことを思い出し合うだけでも十分に幸せだったはずだ。
でも、その一緒に思い出を振り返り合いたかった夫は、もうこの世にはいない。寂しさで胸がグッと締め付けられてしまう感覚に、優香はキッチンカウンター前の床にへたり込んでしまう。身体を丸めて自分自身を抱き締めていないと、急激な不安が襲ってくる。
いつも傍にいて大らかに微笑みかけてくれていた大輝とは、もう同じ時を生きていくことができないのだ。30から歳を取ることがなくなった夫よりも、自分の方が年上になってしまう日は必ず来てしまう。同じ未来を一緒に見れないというのは、なんて残酷なことだろう。
涙はもう出ない。けれど、寂しさは際限なく湧き上がってくる。この感情は底無しなんじゃないかと思うほどに。
殻に籠って身動きが出来なくなりそうになっていた優香の耳に、インターフォンが鳴る音が聞こえてきた。多分、ネット通販で注文しておいた子供服が届けられたのだろう。一気に現実に引っ張り戻された気分だった。
命がある限り、どんな時でも生活は続いていく。陽太の為にもしっかりしなきゃと、深く息を吐いてから優香は玄関ドアを開いた。
「ごめん、寝てた? 陽太のお昼寝の時間だったはずだから、優香ちゃんも一緒に寝てたら悪いなとは思ったんだけど……」
宅配業者だと思い込んで印鑑を握りしめて出た優香は、玄関前で申し訳なさそうな顔をしている宏樹に驚く。なぜ彼はいつも、自分が人恋しいと思っている時にタイミング良く現れてくれるんだろう。
「ううん、陽太はまだ寝てるけど、私はずっと起きてるよ。寝てくれてる時にしかできないことも多いからね」
アイロンや裁縫道具なんかは、子供が起きている時間には絶対に出せない。好奇心旺盛な陽太が、一瞬の隙に何を触るか分からないからだ。今日は寝てるのを見計らって陽太の爪を切っていたと話しながら、宏樹を中へ入るよう勧める。
「朝から片岡さんに呼び付けられて事務所に顔出したら、休日出勤のお詫びにってこれ貰っちゃって。娘さん夫婦がやってる店のパンなんだって」
そう言われて受け取った店名入りの紙袋からは、パンの香ばしい匂いが漏れている。セクハラまがいの発言の多い、やたら偉そうな問題客も、さすがに今日が休業日だということは把握していたらしい。
「美味しそうだね」
「結構、人気店らしいよ。パンなら陽太も食べられるものがあるかと思って」
一緒に住んでいる義母はご飯派だからと、優香達にお裾分けに来てくれたのだという。どんな理由で訪問した時も、宏樹は必ずリビングへ通された後は隣接する和室の仏壇へと向かう。そして、亡き兄の遺影をじっと見つめて静かに手を合わせるのだ。
「……今日って結婚記念日だったよね、確か」
「宏樹君、覚えてくれてたんだ」
そりゃあね、と小さく呟くと、宏樹は大輝の写真を睨みつける。
「俺にとっては、完全に敗北した日だったからね。忘れる訳がないよ」
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