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第十三話・川岸との朝
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目を閉じたまま、枕の下に手を突っ込んで、時刻を確認しようとスマホを探す。モゾモゾと腕を伸ばして探ってみるが、全く見つからない。寝ぼけて離れたところに置いてしまったのかと、ようやく目を開けてから気付いた。
ここは穂香にと用意してもらった5畳の洋室ではなく、川岸の寝室のベッドの上だということを。10畳ほどの少し広めの洋室に、セミダブルのベッドとデスク。この部屋に入ったのはこれが初めてだ。
隣で静かに眠っている男の顔をしげしげと覗き込み、その長い睫毛を見つめる。昨夜のことは鮮明に覚えている。いずれこうなることは、居候を決めた時から覚悟していたような気がする。
以前はあんなに苦手に思っていた上司だったが、あの時タクシーを停めてまでして迎え入れてくれた時から惹かれ始めたのかもしれない。ネットカフェで寝泊まりしている穂香のことを、怒りながらも本気で心配してくれていたから。
たとえ、それが従業員だからという理由だったとしても、彼に大切に扱われたことがとても嬉しかった。
今朝も川岸の前髪に寝癖がついているのを、穂香はそっと手で分け目を変えてみる。すると、目を覚ました男が眩しそうに眼を細めながら聞いてくる。
「ん……どうした?」
「今何時かを見ようと思って、スマホ探してるんですけど――」
そういうと川岸がベッドのサイドテーブルへと手を伸ばし、自分のスマホを穂香へと渡してくる。サイドボタンに触れて液晶を確認すると、起きるつもりだった時刻まであと少しというところ。出勤前に洗濯を済ませて出掛けようと思っていたから、そろそろ用意しなきゃと半身を起こしかけ、すぐに川岸から腕を引かれて身体ごと引き寄せられてしまう。
「お、オーナー……?」
「ずっと傍にいるって言っただろ」
「いや、仕事は行かなきゃダメでしょ」
「今日は遅番なの、知ってるし」
胸に抱え込むように抱き締められたまま、髪や額に口付けられるのをしばらくは大人しく受け入れる。昨晩も思ったが、彼はとても大事そうに、まるで壊れ物を扱うかのように優しく触れてくれる。
「でも、洗濯しなきゃ」
「もう少しだけ。洗濯は後で俺がやっとくから」
穂香が身体を離そうとすると、ギュッと腕に力を入れて邪魔してくる。そこまで強くはないから本気で逃げ出す気があれば、きっとそうしていた。でも、穂香は諦めたように力を抜いて、川岸の胸に再び顔を埋め直す。その温もりに包み込まれていると再びウトウトしそうになる。
「……遅刻しちゃう」
「店まで車で送る」
「誰かに見られたら?」
「別にいい。俺の店だし、文句は言わせない」
言われて見れば、確かにそうだ。でも、自分が他のスタッフの立場だとしたら、今後は働き辛くてしょうがない。「ダメです、ダメです」と川岸の胸で首を横に振って、穂香は身体を勢い付けて離した。
不満げな表情のオーナーをベッドに残して、一人で寝室を出る。穂香のスマホはリビングのソファーテーブルの上に置きっぱなしになっていた。宣言通りに洗濯物は彼に任せることにして、普段と同じように出勤準備を始める。
昼の休憩時間になり、穂香はショッピングモール内にある社員食堂で肉うどんを啜っていた。麺類だけでは閉店までお腹がもたないと、ミニ親子丼のセットだ。付け合わせの野沢菜漬けをポリポリと噛みしめながら、バッグからスマホを取り出す。午前中だけでも数件のメッセージの受信があったらしく、アプリを立ち上げて確認していく。
受け取ったメッセージの中に川岸からのものは無い。彼は文字やスタンプでやりとりするよりは直接電話してくるタイプだ。案の定、着信の方に1件だけ履歴が残されていて、伝言メモを聞いてみる。
『終わる時間に迎えに行くから、駅前で待ってて』
あまりにも用件だけの簡素なメッセージに、穂香は噴き出しそうになる。多分、彼は言葉で表すのが得意ではないのだろう。昨晩も今朝も、あんなに甘い手つきで触れてくるのに、口数はそんなに多くは無かった。きっと、そのことを知らなかったから、以前の穂香は彼のことを怖いと感じてしまっていただけだ。
他のスタッフとは駅前で別れた後、穂香はロータリーから少し離れた場所に停車している車を目指して歩いていく。シルバーのカローラの運転席に川岸の姿を見つけると、気持ちばかり歩を速めた。スマホに目を落としていた彼が、近付いてくる足音に気付いたのか顔を上げた後、少し怪訝な表情へと変わったのが見えた。
どうしたんだろう、と穂香が首を傾げた時、背後から誰かの手で肩をガシッと掴まれる。
「穂香っ」
名前を呼ばれて驚いて振り返った穂香は、自分の肩に手を掛けている人物に、ハッと目を剥く。
「……栄悟」
「おう、久しぶり。元気にしてたか?」
「久しぶりじゃないわよっ、勝手に部屋の物全部持ち出して! 出てくなら、自分の物だけにしてっ!」
「あ、それはごめん……どうしても急ぎで金作る必要があってさ。でも、一緒に使ってた物とかは、俺にも権利あった訳だし」
自分がしでかしたことに全く反省していない口ぶりで、かつての同棲相手だった木築栄悟が適当な言い訳をしてくる。
ここは穂香にと用意してもらった5畳の洋室ではなく、川岸の寝室のベッドの上だということを。10畳ほどの少し広めの洋室に、セミダブルのベッドとデスク。この部屋に入ったのはこれが初めてだ。
隣で静かに眠っている男の顔をしげしげと覗き込み、その長い睫毛を見つめる。昨夜のことは鮮明に覚えている。いずれこうなることは、居候を決めた時から覚悟していたような気がする。
以前はあんなに苦手に思っていた上司だったが、あの時タクシーを停めてまでして迎え入れてくれた時から惹かれ始めたのかもしれない。ネットカフェで寝泊まりしている穂香のことを、怒りながらも本気で心配してくれていたから。
たとえ、それが従業員だからという理由だったとしても、彼に大切に扱われたことがとても嬉しかった。
今朝も川岸の前髪に寝癖がついているのを、穂香はそっと手で分け目を変えてみる。すると、目を覚ました男が眩しそうに眼を細めながら聞いてくる。
「ん……どうした?」
「今何時かを見ようと思って、スマホ探してるんですけど――」
そういうと川岸がベッドのサイドテーブルへと手を伸ばし、自分のスマホを穂香へと渡してくる。サイドボタンに触れて液晶を確認すると、起きるつもりだった時刻まであと少しというところ。出勤前に洗濯を済ませて出掛けようと思っていたから、そろそろ用意しなきゃと半身を起こしかけ、すぐに川岸から腕を引かれて身体ごと引き寄せられてしまう。
「お、オーナー……?」
「ずっと傍にいるって言っただろ」
「いや、仕事は行かなきゃダメでしょ」
「今日は遅番なの、知ってるし」
胸に抱え込むように抱き締められたまま、髪や額に口付けられるのをしばらくは大人しく受け入れる。昨晩も思ったが、彼はとても大事そうに、まるで壊れ物を扱うかのように優しく触れてくれる。
「でも、洗濯しなきゃ」
「もう少しだけ。洗濯は後で俺がやっとくから」
穂香が身体を離そうとすると、ギュッと腕に力を入れて邪魔してくる。そこまで強くはないから本気で逃げ出す気があれば、きっとそうしていた。でも、穂香は諦めたように力を抜いて、川岸の胸に再び顔を埋め直す。その温もりに包み込まれていると再びウトウトしそうになる。
「……遅刻しちゃう」
「店まで車で送る」
「誰かに見られたら?」
「別にいい。俺の店だし、文句は言わせない」
言われて見れば、確かにそうだ。でも、自分が他のスタッフの立場だとしたら、今後は働き辛くてしょうがない。「ダメです、ダメです」と川岸の胸で首を横に振って、穂香は身体を勢い付けて離した。
不満げな表情のオーナーをベッドに残して、一人で寝室を出る。穂香のスマホはリビングのソファーテーブルの上に置きっぱなしになっていた。宣言通りに洗濯物は彼に任せることにして、普段と同じように出勤準備を始める。
昼の休憩時間になり、穂香はショッピングモール内にある社員食堂で肉うどんを啜っていた。麺類だけでは閉店までお腹がもたないと、ミニ親子丼のセットだ。付け合わせの野沢菜漬けをポリポリと噛みしめながら、バッグからスマホを取り出す。午前中だけでも数件のメッセージの受信があったらしく、アプリを立ち上げて確認していく。
受け取ったメッセージの中に川岸からのものは無い。彼は文字やスタンプでやりとりするよりは直接電話してくるタイプだ。案の定、着信の方に1件だけ履歴が残されていて、伝言メモを聞いてみる。
『終わる時間に迎えに行くから、駅前で待ってて』
あまりにも用件だけの簡素なメッセージに、穂香は噴き出しそうになる。多分、彼は言葉で表すのが得意ではないのだろう。昨晩も今朝も、あんなに甘い手つきで触れてくるのに、口数はそんなに多くは無かった。きっと、そのことを知らなかったから、以前の穂香は彼のことを怖いと感じてしまっていただけだ。
他のスタッフとは駅前で別れた後、穂香はロータリーから少し離れた場所に停車している車を目指して歩いていく。シルバーのカローラの運転席に川岸の姿を見つけると、気持ちばかり歩を速めた。スマホに目を落としていた彼が、近付いてくる足音に気付いたのか顔を上げた後、少し怪訝な表情へと変わったのが見えた。
どうしたんだろう、と穂香が首を傾げた時、背後から誰かの手で肩をガシッと掴まれる。
「穂香っ」
名前を呼ばれて驚いて振り返った穂香は、自分の肩に手を掛けている人物に、ハッと目を剥く。
「……栄悟」
「おう、久しぶり。元気にしてたか?」
「久しぶりじゃないわよっ、勝手に部屋の物全部持ち出して! 出てくなら、自分の物だけにしてっ!」
「あ、それはごめん……どうしても急ぎで金作る必要があってさ。でも、一緒に使ってた物とかは、俺にも権利あった訳だし」
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