12 / 14
第十二話・元カノからの招待状
しおりを挟む
部屋着に着替え終えた川岸がすぐ食べられるようにと、穂香はキッチンでポトフの鍋を温め始める。翌日が休みのオーナーが昼食にも食べられるよう、少し多めに作っておいた。
「おかえりなさい。お疲れ様です」
「ただいま。田村もまだ食べてないのか?」
「はい。先にお風呂入ったんで」
二人分の食器が並ぶテーブルに、少し驚いた顔をしている。時刻はすでに21時前になっているから、遅番で帰宅した時と同じくらいだ。先に食べてくれていいのに、と呟きながら、川岸が席につく。
そんな彼の様子に、穂香は少し違和感を覚えた。
「オーナー、何かありました?」
「え、あ、いいや……」
静かに首を横に振る上司を、穂香は首を傾げながら見る。普段もそこまで会話が弾んでいる訳ではないが、今日の彼は静か過ぎる。絶対に何かあったと考えるべきだ。とは言っても、ただの居候の穂香にはプライベートなことを突っ込んで聞く権利なんかない。
微妙な空気の流れる中、夕食を食べ切った川岸が口を開いた。
「元カノから、招待状が届いてたんだ。ここを出てった後に付き合い始めた人と結婚するから、是非来てくれって」
「結婚式に、ですか?」
「ああ」
一時は婚約までしていた相手からの久しぶりの連絡。それが別の男との結婚の報告だったから、ショックだったのだろうか。
「オーナーはまだその人のことが好きなんですか?」
だから落ち込んでいるのかと川岸へ問い掛けて、穂香は鼓動を速めながら彼の答えを待った。
「いや。それはない」
「じゃあ、行く必要なんて無いと思います。だって、元カレを呼ぶなんて、そもそも新郎に対して失礼ですよ。相手はまだ自分のことを想ってくれてるって自惚れてるんです、こういうのを送ってくるのって」
「……なるほど」
「捨てた人間には捨てられた人の気持ちは分からないんですよ」
「そうだな、田村なら分かるか」
はい、と大きく頷き返した穂香に、川岸が声を出して笑う。穂香の方はまだついこないだのことなのに、自分よりもきっちりと気持ちの整理がついていることを頼もしく感じていた。
「そっか、そうだよな。田村が居てくれて良かった……」
一人だと必要以上に考え込んでしまっていたと、川岸がはにかむ。食べ終わった食器を食洗機に投入している穂香の横に来て、冷蔵庫から出したばかりの缶ビールを差し出してくる。郵便受けを覗いた時から付きまとっていたモヤモヤが、さっぱりと消え去ったお祝いだ。
リビングのテレビでは21時のニュース番組が始まっていた。穂香もソファーで川岸の隣に座ると、冷えた缶のプルタブを押し上げる。プシュッという小気味いい音に誘われるように、口をつけてビールで喉を潤す。シャワーも浴びて、もう後は寝るだけという状況でのアルコールはなんて贅沢なのだろう。
テレビの画面が天気予報に切り替わった頃だろうか、隣にいる川岸の手が不意に穂香の髪に触れてきた。そっと優しく持ち上げた束へ、自分の顔を近付けてくる。
「俺のシャンプー、使った?」
「あ、すみません……自分の切らしちゃってたから、お借りしました」
「いや、別にいい」
クンクンと髪の香りを嗅がれて、穂香は身体を硬直させる。風呂上りだろうが、異性に匂いを嗅がれるのは緊張する。さすがにこれは至近距離過ぎないかと、少しばかり身体を離れさせてみるが、川岸は穂香の髪に触れるのを止めようとしない。それどころか、さらに顔を近くに寄せて首筋を直接嗅ぎ始める。敏感なところで感じる男の息遣いに、ビクリと身体を震わせてしまう。
この家で住むようになって、彼とこんなに接近したのは初めてだ。
「あ、あの……オーナー?」
「ボディソープは俺のとは違うな。違うけど、いい匂いがする」
まさか酔っ払っているのかと疑ったが、彼はまだ1缶も開けてはいないはずだ。ソファーテーブルに置かれたビールは開いてはいるが軽く口を付けた程度。弥生と違って、この程度のアルコールでは酔う訳がないのは知っている。こないだは生中3杯でも平然としていたのだし。
じゃあこの状況はなんなんだ、揶揄われてるのかと思った時、穂香の首に川岸の唇が触れてきた。
驚いて振り向いた穂香のすぐ目の前には、綺麗に整った川岸の顔があった。黙ってこちらへと向けられている熱っぽい視線に、穂香は逃げることができなかった。否、逃げる気なんて最初から無かったのかもしれない。
「田村はずっと、傍にいてくれ」
オーナーの言葉に、黙って頷き返す。さらに近付いてくる顔と、伸ばされた腕を振り払おうとはしなかった。たとえ、彼にとっては元カノへの想いを断ち切るための、ただの儀式だったとしても。
早まる鼓動と、繰り返し触れてくる唇の感触。上司の腕の中で、穂香は甘酸っぱい吐息を漏らした。
「おかえりなさい。お疲れ様です」
「ただいま。田村もまだ食べてないのか?」
「はい。先にお風呂入ったんで」
二人分の食器が並ぶテーブルに、少し驚いた顔をしている。時刻はすでに21時前になっているから、遅番で帰宅した時と同じくらいだ。先に食べてくれていいのに、と呟きながら、川岸が席につく。
そんな彼の様子に、穂香は少し違和感を覚えた。
「オーナー、何かありました?」
「え、あ、いいや……」
静かに首を横に振る上司を、穂香は首を傾げながら見る。普段もそこまで会話が弾んでいる訳ではないが、今日の彼は静か過ぎる。絶対に何かあったと考えるべきだ。とは言っても、ただの居候の穂香にはプライベートなことを突っ込んで聞く権利なんかない。
微妙な空気の流れる中、夕食を食べ切った川岸が口を開いた。
「元カノから、招待状が届いてたんだ。ここを出てった後に付き合い始めた人と結婚するから、是非来てくれって」
「結婚式に、ですか?」
「ああ」
一時は婚約までしていた相手からの久しぶりの連絡。それが別の男との結婚の報告だったから、ショックだったのだろうか。
「オーナーはまだその人のことが好きなんですか?」
だから落ち込んでいるのかと川岸へ問い掛けて、穂香は鼓動を速めながら彼の答えを待った。
「いや。それはない」
「じゃあ、行く必要なんて無いと思います。だって、元カレを呼ぶなんて、そもそも新郎に対して失礼ですよ。相手はまだ自分のことを想ってくれてるって自惚れてるんです、こういうのを送ってくるのって」
「……なるほど」
「捨てた人間には捨てられた人の気持ちは分からないんですよ」
「そうだな、田村なら分かるか」
はい、と大きく頷き返した穂香に、川岸が声を出して笑う。穂香の方はまだついこないだのことなのに、自分よりもきっちりと気持ちの整理がついていることを頼もしく感じていた。
「そっか、そうだよな。田村が居てくれて良かった……」
一人だと必要以上に考え込んでしまっていたと、川岸がはにかむ。食べ終わった食器を食洗機に投入している穂香の横に来て、冷蔵庫から出したばかりの缶ビールを差し出してくる。郵便受けを覗いた時から付きまとっていたモヤモヤが、さっぱりと消え去ったお祝いだ。
リビングのテレビでは21時のニュース番組が始まっていた。穂香もソファーで川岸の隣に座ると、冷えた缶のプルタブを押し上げる。プシュッという小気味いい音に誘われるように、口をつけてビールで喉を潤す。シャワーも浴びて、もう後は寝るだけという状況でのアルコールはなんて贅沢なのだろう。
テレビの画面が天気予報に切り替わった頃だろうか、隣にいる川岸の手が不意に穂香の髪に触れてきた。そっと優しく持ち上げた束へ、自分の顔を近付けてくる。
「俺のシャンプー、使った?」
「あ、すみません……自分の切らしちゃってたから、お借りしました」
「いや、別にいい」
クンクンと髪の香りを嗅がれて、穂香は身体を硬直させる。風呂上りだろうが、異性に匂いを嗅がれるのは緊張する。さすがにこれは至近距離過ぎないかと、少しばかり身体を離れさせてみるが、川岸は穂香の髪に触れるのを止めようとしない。それどころか、さらに顔を近くに寄せて首筋を直接嗅ぎ始める。敏感なところで感じる男の息遣いに、ビクリと身体を震わせてしまう。
この家で住むようになって、彼とこんなに接近したのは初めてだ。
「あ、あの……オーナー?」
「ボディソープは俺のとは違うな。違うけど、いい匂いがする」
まさか酔っ払っているのかと疑ったが、彼はまだ1缶も開けてはいないはずだ。ソファーテーブルに置かれたビールは開いてはいるが軽く口を付けた程度。弥生と違って、この程度のアルコールでは酔う訳がないのは知っている。こないだは生中3杯でも平然としていたのだし。
じゃあこの状況はなんなんだ、揶揄われてるのかと思った時、穂香の首に川岸の唇が触れてきた。
驚いて振り向いた穂香のすぐ目の前には、綺麗に整った川岸の顔があった。黙ってこちらへと向けられている熱っぽい視線に、穂香は逃げることができなかった。否、逃げる気なんて最初から無かったのかもしれない。
「田村はずっと、傍にいてくれ」
オーナーの言葉に、黙って頷き返す。さらに近付いてくる顔と、伸ばされた腕を振り払おうとはしなかった。たとえ、彼にとっては元カノへの想いを断ち切るための、ただの儀式だったとしても。
早まる鼓動と、繰り返し触れてくる唇の感触。上司の腕の中で、穂香は甘酸っぱい吐息を漏らした。
27
お気に入りに追加
49
あなたにおすすめの小説
冷血弁護士と契約結婚したら、極上の溺愛を注がれています
朱音ゆうひ
恋愛
恋人に浮気された果絵は、弁護士・颯斗に契約結婚を持ちかけられる。
颯斗は美男子で超ハイスペックだが、冷血弁護士と呼ばれている。
結婚してみると超一方的な溺愛が始まり……
「俺は君のことを愛すが、愛されなくても構わない」
冷血サイコパス弁護士x健気ワーキング大人女子が契約結婚を元に両片想いになり、最終的に両想いになるストーリーです。
別サイトにも投稿しています(https://www.berrys-cafe.jp/book/n1726839)
人違いラブレターに慣れていたので今回の手紙もスルーしたら、片思いしていた男の子に告白されました。この手紙が、間違いじゃないって本当ですか?
石河 翠
恋愛
クラス内に「ワタナベ」がふたりいるため、「可愛いほうのワタナベさん」宛のラブレターをしょっちゅう受け取ってしまう「そうじゃないほうのワタナベさん」こと主人公の「わたし」。
ある日「わたし」は下駄箱で、万年筆で丁寧に宛名を書いたラブレターを見つける。またかとがっかりした「わたし」は、その手紙をもうひとりの「ワタナベ」の下駄箱へ入れる。
ところが、その話を聞いた隣のクラスのサイトウくんは、「わたし」が驚くほど動揺してしまう。 実はその手紙は本当に彼女宛だったことが判明する。そしてその手紙を書いた「地味なほうのサイトウくん」にも大きな秘密があって……。
「真面目」以外にとりえがないと思っている「わたし」と、そんな彼女を見守るサイトウくんの少女マンガのような恋のおはなし。
小説家になろう及びエブリスタにも投稿しています。
扉絵は汐の音さまに描いていただきました。
誘惑の延長線上、君を囲う。
桜井 響華
恋愛
私と貴方の間には
"恋"も"愛"も存在しない。
高校の同級生が上司となって
私の前に現れただけの話。
.。.:✽・゚+.。.:✽・゚+.。.:✽・゚+.。.:✽・゚
Иatural+ 企画開発部部長
日下部 郁弥(30)
×
転職したてのエリアマネージャー
佐藤 琴葉(30)
.。.:✽・゚+.。.:✽・゚+.。.:✽・゚+.。.:✽・゚
偶然にもバーカウンターで泥酔寸前の
貴方を見つけて…
高校時代の面影がない私は…
弱っていそうな貴方を誘惑した。
:
:
♡o。+..:*
:
「本当は大好きだった……」
───そんな気持ちを隠したままに
欲に溺れ、お互いの隙間を埋める。
【誘惑の延長線上、君を囲う。】
羽柴弁護士の愛はいろいろと重すぎるので返品したい。
泉野あおい
恋愛
人の気持ちに重い軽いがあるなんて変だと思ってた。
でも今、確かに思ってる。
―――この愛は、重い。
------------------------------------------
羽柴健人(30)
羽柴法律事務所所長 鳳凰グループ法律顧問
座右の銘『危ない橋ほど渡りたい。』
好き:柊みゆ
嫌い:褒められること
×
柊 みゆ(28)
弱小飲料メーカー→鳳凰グループ・ホウオウ総務部
座右の銘『石橋は叩いて渡りたい。』
好き:走ること
苦手:羽柴健人
------------------------------------------
出逢いがしらに恋をして 〜一目惚れした超イケメンが今日から上司になりました〜
泉南佳那
恋愛
高橋ひよりは25歳の会社員。
ある朝、遅刻寸前で乗った会社のエレベーターで見知らぬ男性とふたりになる。
モデルと見まごうほど超美形のその人は、その日、本社から移動してきた
ひよりの上司だった。
彼、宮沢ジュリアーノは29歳。日伊ハーフの気鋭のプロジェクト・マネージャー。
彼に一目惚れしたひよりだが、彼には本社重役の娘で会社で一番の美人、鈴木亜矢美の花婿候補との噂が……
恋とキスは背伸びして
葉月 まい
恋愛
結城 美怜(24歳)…身長160㎝、平社員
成瀬 隼斗(33歳)…身長182㎝、本部長
年齢差 9歳
身長差 22㎝
役職 雲泥の差
この違い、恋愛には大きな壁?
そして同期の卓の存在
異性の親友は成立する?
数々の壁を乗り越え、結ばれるまでの
二人の恋の物語
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる