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第十二話・元カノからの招待状

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 部屋着に着替え終えた川岸がすぐ食べられるようにと、穂香はキッチンでポトフの鍋を温め始める。翌日が休みのオーナーが昼食にも食べられるよう、少し多めに作っておいた。

「おかえりなさい。お疲れ様です」
「ただいま。田村もまだ食べてないのか?」
「はい。先にお風呂入ったんで」

 二人分の食器が並ぶテーブルに、少し驚いた顔をしている。時刻はすでに21時前になっているから、遅番で帰宅した時と同じくらいだ。先に食べてくれていいのに、と呟きながら、川岸が席につく。
 そんな彼の様子に、穂香は少し違和感を覚えた。

「オーナー、何かありました?」
「え、あ、いいや……」

 静かに首を横に振る上司を、穂香は首を傾げながら見る。普段もそこまで会話が弾んでいる訳ではないが、今日の彼は静か過ぎる。絶対に何かあったと考えるべきだ。とは言っても、ただの居候の穂香にはプライベートなことを突っ込んで聞く権利なんかない。

 微妙な空気の流れる中、夕食を食べ切った川岸が口を開いた。

「元カノから、招待状が届いてたんだ。ここを出てった後に付き合い始めた人と結婚するから、是非来てくれって」
「結婚式に、ですか?」
「ああ」

 一時は婚約までしていた相手からの久しぶりの連絡。それが別の男との結婚の報告だったから、ショックだったのだろうか。

「オーナーはまだその人のことが好きなんですか?」

 だから落ち込んでいるのかと川岸へ問い掛けて、穂香は鼓動を速めながら彼の答えを待った。

「いや。それはない」
「じゃあ、行く必要なんて無いと思います。だって、元カレを呼ぶなんて、そもそも新郎に対して失礼ですよ。相手はまだ自分のことを想ってくれてるって自惚れてるんです、こういうのを送ってくるのって」
「……なるほど」
「捨てた人間には捨てられた人の気持ちは分からないんですよ」
「そうだな、田村なら分かるか」

 はい、と大きく頷き返した穂香に、川岸が声を出して笑う。穂香の方はまだついこないだのことなのに、自分よりもきっちりと気持ちの整理がついていることを頼もしく感じていた。

「そっか、そうだよな。田村が居てくれて良かった……」

 一人だと必要以上に考え込んでしまっていたと、川岸がはにかむ。食べ終わった食器を食洗機に投入している穂香の横に来て、冷蔵庫から出したばかりの缶ビールを差し出してくる。郵便受けを覗いた時から付きまとっていたモヤモヤが、さっぱりと消え去ったお祝いだ。

 リビングのテレビでは21時のニュース番組が始まっていた。穂香もソファーで川岸の隣に座ると、冷えた缶のプルタブを押し上げる。プシュッという小気味いい音に誘われるように、口をつけてビールで喉を潤す。シャワーも浴びて、もう後は寝るだけという状況でのアルコールはなんて贅沢なのだろう。

 テレビの画面が天気予報に切り替わった頃だろうか、隣にいる川岸の手が不意に穂香の髪に触れてきた。そっと優しく持ち上げた束へ、自分の顔を近付けてくる。

「俺のシャンプー、使った?」
「あ、すみません……自分の切らしちゃってたから、お借りしました」
「いや、別にいい」

 クンクンと髪の香りを嗅がれて、穂香は身体を硬直させる。風呂上りだろうが、異性に匂いを嗅がれるのは緊張する。さすがにこれは至近距離過ぎないかと、少しばかり身体を離れさせてみるが、川岸は穂香の髪に触れるのを止めようとしない。それどころか、さらに顔を近くに寄せて首筋を直接嗅ぎ始める。敏感なところで感じる男の息遣いに、ビクリと身体を震わせてしまう。
 この家で住むようになって、彼とこんなに接近したのは初めてだ。

「あ、あの……オーナー?」
「ボディソープは俺のとは違うな。違うけど、いい匂いがする」

 まさか酔っ払っているのかと疑ったが、彼はまだ1缶も開けてはいないはずだ。ソファーテーブルに置かれたビールは開いてはいるが軽く口を付けた程度。弥生と違って、この程度のアルコールでは酔う訳がないのは知っている。こないだは生中3杯でも平然としていたのだし。
 じゃあこの状況はなんなんだ、揶揄われてるのかと思った時、穂香の首に川岸の唇が触れてきた。

 驚いて振り向いた穂香のすぐ目の前には、綺麗に整った川岸の顔があった。黙ってこちらへと向けられている熱っぽい視線に、穂香は逃げることができなかった。否、逃げる気なんて最初から無かったのかもしれない。

「田村はずっと、傍にいてくれ」

 オーナーの言葉に、黙って頷き返す。さらに近付いてくる顔と、伸ばされた腕を振り払おうとはしなかった。たとえ、彼にとっては元カノへの想いを断ち切るための、ただの儀式だったとしても。

 早まる鼓動と、繰り返し触れてくる唇の感触。上司の腕の中で、穂香は甘酸っぱい吐息を漏らした。
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