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第九話・父の家出2
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片田舎の小さな駅前交番へ、行方知らずとなった父のことを相談しに入った由依だったが、車で待っていた有希がビックリするほどすぐに運転席へと戻って来た。乱雑に閉めたドアから、姉が少し苛立っているのが見て取れた。
「何か、全然アカンわ。確実に事件とか事故って分かってるんじゃないと、何もできないって言われた……」
「まあ、そうやろうね」
公的機関を使って人探しして貰おうなんて、そんな贅沢なことを考えていた訳ではなかった。だけど、いきなり真っ向から何もできないと言われてしまうとどうしようもない。
「それは私も分かってたよ。ただちょっと腹立ったのは、お父さんはボケてはったりしませんか? って言われたのが――」
「認知症の徘徊みたいなの?」
「そう! もしそういうのなら、見かけたら声掛けるようにしますって言われた」
おそらく父は、朝に母から怒られたことに拗ねて家を出たのだと思う。だから、警察の人から言われたケースには全く該当しない。ぼーっとしていることは増えたが、認知症のような症状は一切ない。
ただの必要な確認だったとは言え、自らの父親をボケ老人扱いされたように思えたのか、由依は家に戻るまでずっと怒り続けていた。単なる八つ当たりだけれど。
父の行方の手掛かりすら掴めないまま、自宅へと戻った二人。子供達を夫に任せっきりの由依は「何かあったら、連絡して」と有希を家の前に降ろした後、そのまま実家には上がらずに自分の家に帰っていった。
「お父さん、ちゃんとお金は持ってるの?」
「……少しは持ってるとは思う」
「カード類は?」
「銀行のカードは財布に入ってるはず。その口座はあまり使ってなかったと思うけど……」
どこかで倒れたり怪我もしてないのなら、父が何も不便にしてないことを願うだけだった。朝一で父が持っているキャッシュカードの口座へお金を入れるようにと母へ提案くらいしか出来なかったが。
父が以前の元気な身体だったら、こんなにも心配はしなかった。全身を癌細胞に侵されて、余命宣告を受けたボロボロの身体だと分かっているから、最悪の状況しか想像できなかった。
不調が出だした足で歩いている最中に何かの弾みでどこかへ転落したり、人目につかない場所で発作を起こして倒れていたりするのではないか。それともまさか、治る気配の無い身体に、ついに耐え切れなくなってしまったのではないか、と。
悪い方向にしか考えが至らず、有希はその晩は祈りながら眠った。父が突然居なくなるという悪夢のような出来事は、本当にただの悪夢なだけであって欲しかった。
翌朝、有希が目覚めた時には既に、母は近所にある広瀬の本家へと相談の電話をし終えていた。すぐに駆け付けてきた親戚に、貴美子は申し訳ないと頭を下げながら事情を説明する。
「一体、何があったんや?」
「夕方に出掛けたっきり、帰って来なくって……」
職場に半休を取って駆け付けてくれたという親戚。さらに本家から連絡を受けた父の従兄弟も遅れてやって来た後、玄関先でぼそぼそと三人で話し込んでいるようだった。
近所の目もあり、変に騒ぎ立てないよう気を使いながら、父が行きそうな場所はないかと母に確認しているのが少しだけ聞こえてきた。
「あの歳で行けるとこなんて、知れてるやろうに……」
還暦間近の父が夜通し過ごせる場所なんて、限られてくる。だからこそ、どこかで倒れている可能性が高く感じられて、皆に不安が襲う。父が人知れず倒れ込んでいる姿が脳裏に浮かんで、有希は胸がぐっと詰まった。そういう別れ方だけは、何がなんでも絶対に嫌だ。
と、リビングに面した庭の砂利を誰かが踏む音が耳に入ってくる。
「お父さん?!」
急いで窓から外を覗くと、背を丸めてトボトボと庭を歩いてくる父の姿があった。有希は急いで窓を開けて玄関に向かって叫んだ。
「お母さん! お父さん、帰って来た!」
玄関前で話し込んでいた母達は、父の帰宅にはまだ気付いてなかったようで、有希の声に一斉に庭先を振り返っていた。
「何や? 朝から皆で集まって」
「何やって、お父さんが帰って来ないからでしょうがっ」
「あー……」
次女に言われ、事情を察した信一は照れくさそうに頭を掻いた。「友達のとこに泊まってただけや……」と、皆から目を逸らしたまま小さく呟く。
顔を見た瞬間、信一のことを兄のように慕っていた従兄弟がボロボロと泣きながら抱き付いて来たのは、父としても相当堪えたようだった。自分が考えていた以上に大事になっていて、大人げない行動に少しは反省の色を見せる。憎まれ口や冗談などは口にせず、ただ「すまんかったなぁ」と気まずそうに頭を掻くだけだった。
「まあ、何も無くて良かったわ」
「そやな、今ならまだ間に合うし、じゃあ仕事行くわ」
呆れ顔の二人の親戚に、母はホッとした顔で頭を下げて礼を言う。最後まで父は頭を掻きながら照れ笑いを繰り返していた。
自分より年下の親戚達が帰っていく後ろ姿を見送りながら、信一は妻に向かって忌々しそうに呟いた。
「お前がやいやい、言うからや」
「やいやいって……はぁ」
夫の子供じみた家出の理由に、貴美子は溜息しか出ない。何となくそんな気はしていたが、呆れて怒る気も失せた。
こっそりと車を運転したのを妻から窘められことで拗ねた信一は、最寄り駅から電車に乗って隣の市の駅前のビジネスホテルに泊まってきたらしい。閉店間際までパチンコ店で過ごし、ホテルのチェックアウト後に真っ直ぐ帰宅したから別に問題ないと考えていたが、あまりの騒ぎに気まずくなったのか、その日は昼過ぎまで寝室に籠って出て来ようとしなかった。
「何か、全然アカンわ。確実に事件とか事故って分かってるんじゃないと、何もできないって言われた……」
「まあ、そうやろうね」
公的機関を使って人探しして貰おうなんて、そんな贅沢なことを考えていた訳ではなかった。だけど、いきなり真っ向から何もできないと言われてしまうとどうしようもない。
「それは私も分かってたよ。ただちょっと腹立ったのは、お父さんはボケてはったりしませんか? って言われたのが――」
「認知症の徘徊みたいなの?」
「そう! もしそういうのなら、見かけたら声掛けるようにしますって言われた」
おそらく父は、朝に母から怒られたことに拗ねて家を出たのだと思う。だから、警察の人から言われたケースには全く該当しない。ぼーっとしていることは増えたが、認知症のような症状は一切ない。
ただの必要な確認だったとは言え、自らの父親をボケ老人扱いされたように思えたのか、由依は家に戻るまでずっと怒り続けていた。単なる八つ当たりだけれど。
父の行方の手掛かりすら掴めないまま、自宅へと戻った二人。子供達を夫に任せっきりの由依は「何かあったら、連絡して」と有希を家の前に降ろした後、そのまま実家には上がらずに自分の家に帰っていった。
「お父さん、ちゃんとお金は持ってるの?」
「……少しは持ってるとは思う」
「カード類は?」
「銀行のカードは財布に入ってるはず。その口座はあまり使ってなかったと思うけど……」
どこかで倒れたり怪我もしてないのなら、父が何も不便にしてないことを願うだけだった。朝一で父が持っているキャッシュカードの口座へお金を入れるようにと母へ提案くらいしか出来なかったが。
父が以前の元気な身体だったら、こんなにも心配はしなかった。全身を癌細胞に侵されて、余命宣告を受けたボロボロの身体だと分かっているから、最悪の状況しか想像できなかった。
不調が出だした足で歩いている最中に何かの弾みでどこかへ転落したり、人目につかない場所で発作を起こして倒れていたりするのではないか。それともまさか、治る気配の無い身体に、ついに耐え切れなくなってしまったのではないか、と。
悪い方向にしか考えが至らず、有希はその晩は祈りながら眠った。父が突然居なくなるという悪夢のような出来事は、本当にただの悪夢なだけであって欲しかった。
翌朝、有希が目覚めた時には既に、母は近所にある広瀬の本家へと相談の電話をし終えていた。すぐに駆け付けてきた親戚に、貴美子は申し訳ないと頭を下げながら事情を説明する。
「一体、何があったんや?」
「夕方に出掛けたっきり、帰って来なくって……」
職場に半休を取って駆け付けてくれたという親戚。さらに本家から連絡を受けた父の従兄弟も遅れてやって来た後、玄関先でぼそぼそと三人で話し込んでいるようだった。
近所の目もあり、変に騒ぎ立てないよう気を使いながら、父が行きそうな場所はないかと母に確認しているのが少しだけ聞こえてきた。
「あの歳で行けるとこなんて、知れてるやろうに……」
還暦間近の父が夜通し過ごせる場所なんて、限られてくる。だからこそ、どこかで倒れている可能性が高く感じられて、皆に不安が襲う。父が人知れず倒れ込んでいる姿が脳裏に浮かんで、有希は胸がぐっと詰まった。そういう別れ方だけは、何がなんでも絶対に嫌だ。
と、リビングに面した庭の砂利を誰かが踏む音が耳に入ってくる。
「お父さん?!」
急いで窓から外を覗くと、背を丸めてトボトボと庭を歩いてくる父の姿があった。有希は急いで窓を開けて玄関に向かって叫んだ。
「お母さん! お父さん、帰って来た!」
玄関前で話し込んでいた母達は、父の帰宅にはまだ気付いてなかったようで、有希の声に一斉に庭先を振り返っていた。
「何や? 朝から皆で集まって」
「何やって、お父さんが帰って来ないからでしょうがっ」
「あー……」
次女に言われ、事情を察した信一は照れくさそうに頭を掻いた。「友達のとこに泊まってただけや……」と、皆から目を逸らしたまま小さく呟く。
顔を見た瞬間、信一のことを兄のように慕っていた従兄弟がボロボロと泣きながら抱き付いて来たのは、父としても相当堪えたようだった。自分が考えていた以上に大事になっていて、大人げない行動に少しは反省の色を見せる。憎まれ口や冗談などは口にせず、ただ「すまんかったなぁ」と気まずそうに頭を掻くだけだった。
「まあ、何も無くて良かったわ」
「そやな、今ならまだ間に合うし、じゃあ仕事行くわ」
呆れ顔の二人の親戚に、母はホッとした顔で頭を下げて礼を言う。最後まで父は頭を掻きながら照れ笑いを繰り返していた。
自分より年下の親戚達が帰っていく後ろ姿を見送りながら、信一は妻に向かって忌々しそうに呟いた。
「お前がやいやい、言うからや」
「やいやいって……はぁ」
夫の子供じみた家出の理由に、貴美子は溜息しか出ない。何となくそんな気はしていたが、呆れて怒る気も失せた。
こっそりと車を運転したのを妻から窘められことで拗ねた信一は、最寄り駅から電車に乗って隣の市の駅前のビジネスホテルに泊まってきたらしい。閉店間際までパチンコ店で過ごし、ホテルのチェックアウト後に真っ直ぐ帰宅したから別に問題ないと考えていたが、あまりの騒ぎに気まずくなったのか、その日は昼過ぎまで寝室に籠って出て来ようとしなかった。
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