猫だけに吐く弱音 ~余命3か月を宣告された家族の軌跡~

瀬崎由美

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第三十三話・母への報告

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 階段を降りていくと、キッチンからは鰹出汁の優しい香りが漂ってくる。首を伸ばしてカウンターの中を覗けば、母が一人用サイズの土鍋2個を同時にコンロにかけていた。猫達の姿は見えないから、三匹ともコタツの中に集結しているのだろうか。コタツの電気がついていない時は中で身を寄せ合って眠っていることが多い。

「今日は鍋焼きうどん?」
「そうよ」

 蓋を開けて卵を落とし、再び蓋を閉じてから火を弱める。母の作る鍋焼きうどんは冬野菜がたっぷり入っているので、鍋焼きというよりはうどんが入った一人鍋だ。具沢山でボリューム満点だし、洗い物も少なくて済むから冬場の食卓には頻繁に登場する。具はありあわせの野菜を適当に放り込んだ感じだから、冷蔵庫の整理にもなるのだ。

 ダイニングテーブルにランチョンマットを敷き、二人分のお箸を並べると有希は冷蔵庫から麦茶の入ったポットを取り出した。グラスにお茶を注ぎ入れてから立ったまま一気に半分を飲み干すと、ふぅっと大きく息を吐く。すっきりしない胃が、冷えた麦茶で少しだけ落ち着いてきた。

 いきなりの妊娠報告はどう切り出していいのかが分からない。深刻な内容だから、食べ終わってからゆっくり話せばいいかと思ったが、リビングの壁掛け時計が目に入る。雅人が仕事の終わる時間が近付いていた。

 ――雅人に先を越されるのだけは、マズい。先に自分の口から報告しなきゃ。

「あのさ、お母さん」
「ん、ちょっとどいて、熱いから」

 両手にミトンを嵌めて一人鍋を運んでいる母に、有希は急いで道を開ける。蓋を開けて貰った小さな土鍋からは湯気が立ち上った。自分の分の鍋も運び終えた母は席に着くと、いただきますと両手を合わせる。

「いただきます。――じゃなくて、あのね、お母さん」

 母に釣られて手を合わせた有希は、慌てて言葉を打ち消す。母親を相手に取り繕ってもしょうがない。順を追って、ありのままを伝えるしかない。姿勢を正し、母の顔を真正面から見ながら口を開く。
 親に向かって改まって話をするなんて、いつぶりだろう。大学を卒業してから勤めていた会社を辞めて、フリーでやっていくことを決めた時以来かもしれない。あの時以上に言い出しにくいし、いまいち切り出し方もよく分からない。

「最近ちょっと体調が悪くてね、まさかと思ってさっき検査薬を使ってみたら、陽性だった。私、妊娠してるみたい。明日、病院に行ってくるつもり」

 いきなりの次女の衝撃報告に、貴美子は驚いて箸を置いた。ぱちぱちと大きく瞬きした後、はぁっと溜息を漏らす。

「そっか。今は気分はどうなの? ご飯は食べられそう?」
「うん、大丈夫。朝に少し眩暈がしただけ」

 まぁ、ちゃんと籍を入れるつもりなんだし、と特に怒っている様子はない。有希の身体を心配したり、病院は由依が出産した産婦人科がいいかしらと少し浮かれている節はあった。ただ、どこか寂しそうでもあった。

「あとで雅人が家に電話するって。自分からも直接報告したいみたい」
「そうなの? こういう時って何て言ったらいいのかしらね。おめでとう、とか?」

 この場合、おめでとうは何か違うかもね、と二人で笑い合う。順番が違うでしょって試しにキレてみようかしらとふざける母に、

「お父さんがいたら、何て言ったかなぁ?」
「お父さんは有希には甘いから、結婚するんやから別に構わへん、って言うと思うわ」

 思えば父から何かを反対されたことは一度も無い。無茶なお願いをしたことが無かったせいもあるが、何でも「したいようにしたらいい」と許して貰ってばかりだった。
 かと言って、子育てに口を出さない人でもなく、長女である由依はよく父と揉めていた。

 今日に限って仕事が長引いてしまったのか、自宅の電話が鳴ったのは有希が夕食を食べ終えてからお風呂に入っている時だったらしい。雅人から聞くところ、母は「こいう時、何て言ったらいいのか分からないけど、とりあえずおめでとうって言っておくわね」と、あんなに笑っていたのにやっぱり「おめでとう」と言ってしまったらしい。

「うちの親にも電話したら、めちゃくちゃ喜んでたよ。待望の初孫だから、早く籍入れろって」
「え、もう言っちゃったの?! まだ病院にも行ってないのに……」
「ごめん、嬉しくて黙ってらんなかった」

 病院はもう少し様子を見てからにする、なんてことは口が裂けても言えない状況だ。朝一で行かないといろんなところから怒られそうで、有希は保険証の準備をしてからベッドに入った。

「私でも、ちゃんと親になれるのかなぁ」

 先に布団に潜り込んでいたクロの頭を撫でてやると、ゴロゴロと喉を鳴らして身体に擦り寄ってくる。子供も孫も育てた経験のあるクロが励ましてくれているみたいで、有希はぎゅっと猫を抱き締めた。ふわふわの猫毛は陽だまりの優しい匂いがする。

 目を瞑っても、その夜は父のことを思い浮かべて泣くことは無かった。お腹の中に宿っている新しい命のことだけを考えている内にいつの間にか眠りについていた。
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