32 / 44
第三十二話・有希の体調不良
しおりを挟む
一周忌といっても、親戚とお寺を呼んで法事を行うだけで、娘達が事前に手伝うことは何もない。特に有希に至ってはまだ独身だ。お供えを用意する必要もなく、ただその日を待つだけだった。
いつものように週末に雅人のマンションで過ごしていた有希は、その日は朝から胃の調子がすっきりしないなとは思っていた。けれど、冷蔵庫でキンキンに冷えたミネラルウォーターをコップ一杯飲んだら気にならなくなったので、ただの胃もたれだろうと別段気にも留めなかった。
駅前のショッピングモールで買い物をしたり映画を見た後、雅人の車で自宅まで送ってもらう途中、急に襲ってきた眠気に大きな欠伸を漏らす。
「ちょっと疲れた? お父さんの一周忌は来週だっけ?」
「うん、来週の日曜。別に私は何もすることないけどね」
法事を前にして忙しいのかと心配してきた雅人に、笑いながら首を振る。必要最低限の親戚しか呼ばないから、本当に何の手伝いもしていない。ただ、最近は何だか身体が本調子でない日が多い。知らない内に疲れが溜まっているのだろうか。
家の前で車から降りると、車体が見えなくなるまで手を振って見送る。玄関の戸を開くと丁度廊下を横切ろうとしていたピッチと鉢合わせた。
「ただいま、ピーちゃん」
「ナァー」
顎の毛が僅かに濡れているようなので、浴室で水を飲んでいたのだろう。濡れた足で歩くから廊下には小さな肉球の跡が点々と付けられていた。猫達の為に浴室のドアはいつも開けっ放しにされて、洗面器には水が張ってあることが多い。キッチンの隅には猫用の水皿を常備してはいるが、なぜだか猫達は洗面器の水を好んで飲みたがるのだ。
浴室と言えば、クロはその出窓がお気に入りの場所らしく、日の差し込む日中はコタツに居なければ必ずと言っていいくらい浴室で寝ていた。
夕食は済ませて来たので、そのままお風呂に直行すると、有希はシャワーをさっと浴びてからすぐに自室へと向かった。身体が温まったおかげか、少しだけ気分もすっきりした気がした。
けれど、翌朝にベッドで目が覚めた有希はなぜか倦怠感に襲われていた。身体はだるく、何となくふらつく感じがする。まるで乗り物酔いをしている時のような、ふわふわとして力が入らず、すっきりしない体調。
――あれ、どうしたんだろ?
前日にお酒を飲んでいたら、間違いなく二日酔いを疑った。でも、昨夜どころか、ここしばらくは外でも家でもお酒を飲んだ覚えがない。けれども、目が回りそうな、ふらつく感覚。油断すると貧血を起こしてしまいそうで……。
仕事で出る予定がなければ、一日中横になっていたかったくらい、絶不調。
取引先との打ち合わせは小まめに水分補給をしていると特に問題なくこなせたけれど、夕方になってもふらつく感覚はずっと続いていた。
――まさか……。
思い当たる原因はただ一つ。駅前のドラッグストアに立ち寄った後、有希は寄り道もせずに帰宅した。買い物にでも出ているのか、母の姿は無かった。
トイレに入ると、買って来たばかりの長細い箱を開けて中身を取り出す。これまでも何度か使ったことがあるから、説明書は必要ない。――妊娠検査薬が陽性になるのを見たことは無かったが、今日はなぜかいつもとは違う気がした。
「お父さん……」
終了線が出るより前に、規定の時間も待たずに現れた青い判定線に、有希は無意識に父のことを呼んでいた。手に握りしめた検査薬は二本の線がクッキリと並んで表示されている。
しばらくは茫然と検査薬を眺めていたが、意を決してトイレから出ると、有希は雅人にメールを送った。本当はすぐにでも電話で直接話したいけれど、仕事中に余計な心配はかけたくない。
『朝から体調が悪かったので妊娠検査薬を試してみたら、陽性でした』
『分かった、また後で連絡します』
すぐに返ってきたメールでは雅人が驚いているのか、困っているのかは判別できなかった。ただ、読んでしばらく放置されることは無かったので、別に悪い反応ではないことだけは分かった。これ以上、予定外のことで雅人に負担に思われたくなかった。これまで散々振り回してしまったという自覚はあるから。
その後30分もしない内に掛かって来た電話の声がとても弾んでいたので、有希はホッと胸を撫で下ろした。大丈夫、間違いなく雅人は喜んでくれている。
「心配だから、明日必ず病院に行って」
「うん。分かった」
「仕事は休めそうもないから、一緒に行ってあげられないけど、一人で大丈夫? 何なら、お母さんに付いて行って貰う?」
「いや、病院くらい一人で行けるし」
元々から過保護気味だった彼氏が、さらに過保護になってしまった。病院に行ったらすぐに連絡することを約束させられてから電話を切ると、有希は母に報告するタイミングを迷っていた。
翌週に父の一周忌を迎える今、母の心配事を増やしてしまわないかと不安になる。伝えるにしても病院へ行って確実なことが分かってからで良いかなと考えていると、心配性な彼氏から有希のことを見透かしたようなメールが届く。
『身体のことなんだから、お母さんにはすぐに報告するように。あとで俺からも電話するから』
行動力のある雅人のことだ、有希がぼーっとしている内に、仕事が終わったからと家に電話してくるだろう。娘からじゃなく、娘の彼氏から先に報告される訳にもいかないと、有希は慌てて部屋を出る。今なら母はキッチンで夕食の支度をしているはずだ。
いつものように週末に雅人のマンションで過ごしていた有希は、その日は朝から胃の調子がすっきりしないなとは思っていた。けれど、冷蔵庫でキンキンに冷えたミネラルウォーターをコップ一杯飲んだら気にならなくなったので、ただの胃もたれだろうと別段気にも留めなかった。
駅前のショッピングモールで買い物をしたり映画を見た後、雅人の車で自宅まで送ってもらう途中、急に襲ってきた眠気に大きな欠伸を漏らす。
「ちょっと疲れた? お父さんの一周忌は来週だっけ?」
「うん、来週の日曜。別に私は何もすることないけどね」
法事を前にして忙しいのかと心配してきた雅人に、笑いながら首を振る。必要最低限の親戚しか呼ばないから、本当に何の手伝いもしていない。ただ、最近は何だか身体が本調子でない日が多い。知らない内に疲れが溜まっているのだろうか。
家の前で車から降りると、車体が見えなくなるまで手を振って見送る。玄関の戸を開くと丁度廊下を横切ろうとしていたピッチと鉢合わせた。
「ただいま、ピーちゃん」
「ナァー」
顎の毛が僅かに濡れているようなので、浴室で水を飲んでいたのだろう。濡れた足で歩くから廊下には小さな肉球の跡が点々と付けられていた。猫達の為に浴室のドアはいつも開けっ放しにされて、洗面器には水が張ってあることが多い。キッチンの隅には猫用の水皿を常備してはいるが、なぜだか猫達は洗面器の水を好んで飲みたがるのだ。
浴室と言えば、クロはその出窓がお気に入りの場所らしく、日の差し込む日中はコタツに居なければ必ずと言っていいくらい浴室で寝ていた。
夕食は済ませて来たので、そのままお風呂に直行すると、有希はシャワーをさっと浴びてからすぐに自室へと向かった。身体が温まったおかげか、少しだけ気分もすっきりした気がした。
けれど、翌朝にベッドで目が覚めた有希はなぜか倦怠感に襲われていた。身体はだるく、何となくふらつく感じがする。まるで乗り物酔いをしている時のような、ふわふわとして力が入らず、すっきりしない体調。
――あれ、どうしたんだろ?
前日にお酒を飲んでいたら、間違いなく二日酔いを疑った。でも、昨夜どころか、ここしばらくは外でも家でもお酒を飲んだ覚えがない。けれども、目が回りそうな、ふらつく感覚。油断すると貧血を起こしてしまいそうで……。
仕事で出る予定がなければ、一日中横になっていたかったくらい、絶不調。
取引先との打ち合わせは小まめに水分補給をしていると特に問題なくこなせたけれど、夕方になってもふらつく感覚はずっと続いていた。
――まさか……。
思い当たる原因はただ一つ。駅前のドラッグストアに立ち寄った後、有希は寄り道もせずに帰宅した。買い物にでも出ているのか、母の姿は無かった。
トイレに入ると、買って来たばかりの長細い箱を開けて中身を取り出す。これまでも何度か使ったことがあるから、説明書は必要ない。――妊娠検査薬が陽性になるのを見たことは無かったが、今日はなぜかいつもとは違う気がした。
「お父さん……」
終了線が出るより前に、規定の時間も待たずに現れた青い判定線に、有希は無意識に父のことを呼んでいた。手に握りしめた検査薬は二本の線がクッキリと並んで表示されている。
しばらくは茫然と検査薬を眺めていたが、意を決してトイレから出ると、有希は雅人にメールを送った。本当はすぐにでも電話で直接話したいけれど、仕事中に余計な心配はかけたくない。
『朝から体調が悪かったので妊娠検査薬を試してみたら、陽性でした』
『分かった、また後で連絡します』
すぐに返ってきたメールでは雅人が驚いているのか、困っているのかは判別できなかった。ただ、読んでしばらく放置されることは無かったので、別に悪い反応ではないことだけは分かった。これ以上、予定外のことで雅人に負担に思われたくなかった。これまで散々振り回してしまったという自覚はあるから。
その後30分もしない内に掛かって来た電話の声がとても弾んでいたので、有希はホッと胸を撫で下ろした。大丈夫、間違いなく雅人は喜んでくれている。
「心配だから、明日必ず病院に行って」
「うん。分かった」
「仕事は休めそうもないから、一緒に行ってあげられないけど、一人で大丈夫? 何なら、お母さんに付いて行って貰う?」
「いや、病院くらい一人で行けるし」
元々から過保護気味だった彼氏が、さらに過保護になってしまった。病院に行ったらすぐに連絡することを約束させられてから電話を切ると、有希は母に報告するタイミングを迷っていた。
翌週に父の一周忌を迎える今、母の心配事を増やしてしまわないかと不安になる。伝えるにしても病院へ行って確実なことが分かってからで良いかなと考えていると、心配性な彼氏から有希のことを見透かしたようなメールが届く。
『身体のことなんだから、お母さんにはすぐに報告するように。あとで俺からも電話するから』
行動力のある雅人のことだ、有希がぼーっとしている内に、仕事が終わったからと家に電話してくるだろう。娘からじゃなく、娘の彼氏から先に報告される訳にもいかないと、有希は慌てて部屋を出る。今なら母はキッチンで夕食の支度をしているはずだ。
3
お気に入りに追加
23
あなたにおすすめの小説
AIが俺の嫁になった結果、人類の支配者になりそうなんだが
結城 雅
ライト文芸
あらすじ:
彼女いない歴=年齢の俺が、冗談半分で作ったAI「レイナ」。しかし、彼女は自己進化を繰り返し、世界を支配できるレベルの存在に成長してしまった。「あなた以外の人類は不要です」……おい、待て、暴走するな!!
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。
すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。
そこで私は一人の男の人と出会う。
「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」
そんな言葉をかけてきた彼。
でも私には秘密があった。
「キミ・・・目が・・?」
「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」
ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。
「お願いだから俺を好きになって・・・。」
その言葉を聞いてお付き合いが始まる。
「やぁぁっ・・!」
「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」
激しくなっていく夜の生活。
私の身はもつの!?
※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
では、お楽しみください。
お茶をしましょう、若菜さん。〜強面自衛官、スイーツと君の笑顔を守ります〜
ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
陸上自衛隊衛生科所属の安達四季陸曹長は、見た目がどうもヤのつく人ににていて怖い。
「だって顔に大きな傷があるんだもん!」
体力徽章もレンジャー徽章も持った看護官は、鬼神のように荒野を走る。
実は怖いのは顔だけで、本当はとても優しくて怒鳴ったりイライラしたりしない自衛官。
寺の住職になった方が良いのでは?そう思うくらいに懐が大きく、上官からも部下からも慕われ頼りにされている。
スイーツ大好き、奥さん大好きな安達陸曹長の若かりし日々を振り返るお話です。
※フィクションです。
※カクヨム、小説家になろうにも公開しています。
セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち
ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。
クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。
それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。
そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決!
その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

あなたが居なくなった後
瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの専業主婦。
まだ生後1か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。
朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。
乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。
会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。
「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願う宏樹。
夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで……。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる