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第三十一話・二人だけの年末年始
しおりを挟む「有希は凄いわ。出しておいたらいいの? って、さらっと済ませたんだから」
子供達を連れて父の様子を見に来たついでに、実家の家庭菜園で野菜を物色していた長女へ、母は感心したように先日のことを話していた。大きなカゴを抱えた由依は相槌を打ちながらも、畑にしゃがみ込んでホウレン草の収穫に勤しんでいる。週に一度は実家に戻って来て、こうやって貴美子の畑から野菜を貰っていくのが当たり前だった。おかげで食費は大助かりだし、無農薬なのも安心だ。
雑誌で見たどこかの偉い先生宛の手紙のことを夫が言い出した時、貴美子はどうしたらいいのかとオロオロするばかりだった。見ず知らずの人に迷惑を掛けてしまうという焦りと、隠し通していた夫の病気のことが本人にバレてしまうという懸念。勿論、病名が分かれば自分がこれまで夫を騙していたことだって知られてしまう。のらりくらりと交わしていたら、ついには夫から失望の言葉まで投げつけられた。
で、どうしようもなくて次女の部屋に相談に行けば、有希はキッチンへ飲み物を取りに降りたついでに平然と嘘を付いて、夫を簡単に納得させていった。信一は有希が速攻で手紙を出してくれたものだと、完全に信じきっている。
我が娘ながら、恐ろしい――否、今はとても頼もしい。
「で、有希は手紙を出したん?」
「まさか」
「まあ、出せる訳ないかぁ。あ、白菜ってもう大丈夫?」
「うん、まだ小さいかもしれないけど、もう採れるわ」
手に持っていた鎌で根元を切り離すと、少し小ぶりな白菜を由依に手渡してやる。青々とした葉を付けたままの大根と一緒にカゴへ入れて抱えると、他にも貰って帰れそうな物は無いかとキョロキョロと畑内を見回している。全く別の意味で、この長女もとても頼もしく育っているようだ。
収穫した野菜を車に積み込んでいる由依より先に家の中へ入ると、リビングから賑やかな笑い声が聞こえてきた。有希や子供達の声だけでなく、信一の笑う声も混ざっている。バタバタと何かが走り回る音までして、賑やかというよりも騒々しいくらいだ。
「なあに? 賑やかね」
「あ、おばあちゃん。猫じゃらし、買って来たの」
菜月が手に持つ赤い色の棒を振り回すと、先端に付いたリボンがフワフワと動き、ナッチとピッチの親子が目を丸く見開いてその動きを追っていた。
「ピッチが鈍くさいんや、全然アカン」
「もっとゆっくり動かしてあげないと、速過ぎて二匹とも付いていけてないよ」
「えー、ゆっくりって、どれくらい?」
姪っ子から猫じゃらしを受け取ると、有希が猫達の目の前にリボンをふわっと落とした。そして、じわじわと動かしてから、毛むくじゃらの前脚が捕まえようと伸ばされた瞬間にさっと引く。
その滑稽な様子に、信一の膝の上に座って見ていた美鈴が声を出して笑っている。
「次、なっちゃんがやる!」
「ゆっくりね」
分かったと満面の笑顔で猫じゃらしを下に構えると、菜月は有希の真似をしてみるが、どうしても猫には付いていけない速度で振り回してしまう。手を出すに出せない速さで、猫達は丸い頭を左右に振って視線で追うのが精一杯のようだ。
しばらくそうしていたが、最終的には諦めたのか、菜月はリビングの床を猫じゃらしを引き擦りながら歩き始めた。リボンを追い掛けて猫達が走ってくるのを期待していたらしいが、クロと大して変わらない老猫達は急に違う動きをし始めた菜月のことを、その場で不思議そうに見ているだけだった。
「やっぱり無理。有希がやって」
少し不貞腐れた顔で、持っていた赤い猫じゃらしを叔母に渡すと、菜月はコタツに足を入れて飲みかけで置いていたパックジュースに口をつける。
猫じゃらしの操縦を任された有希が絶妙な速度でリボンを右へ左へと動かすと、移動するふわふわを追い掛けてナッチがリビングの床をドタドタと走り回った。興奮して背中の毛を立たせながら、逃げるリボンを追う。
リボンの動きに即反応するナッチとは反対に、ピッチはお尻を振ってそわそわしているだけだった。性格なのか、それとも体力的な差があるのだろうか、確かに信一が言うようになかなかに鈍くさい。
「みーちゃんの笑い声が聞こえると思ったら、何やってるの?」
「あ、ママ。猫じゃらしだよ!」
畑の戦利品を積み終わって戻ってきた由依が、リビングで笑いをかみ殺した顔を見せる。美鈴の興奮した声が玄関まで届いていたので、何事かと思って覗いたら、普段はコタツで丸くなっているだけの白黒猫が尻尾を膨らませて走り回っているという珍しい光景。
「あれ? もう一匹は?」
「クロは賢いから、コタツの中で寝とる」
お気に入りの子の大人な反応に、なぜか父がドヤ顔をする。言われてコタツの中を覗いてみると、確かに一匹で丸くなっているクロがいたが、その耳はピクピクと動いていたので外の様子がとても気になってはいるらしかった。
「おいで、クロも猫じゃらしで遊びー」
「出したらんなや……」
無理矢理にクロをコタツから引っ張り出した由依へ、父が呆れ顔で諫める。せっかく買って来たんだから遊んであげるわと、有希から猫じゃらしの操作を交代した由依が、クロの顔の前に赤いリボンを垂らす。
が、次の瞬間には由依の手に握られていたはずの赤色の柄は消えていた。
「ええっ」
リボンを動かす前に、一瞬で猫じゃらしを奪い取られた由依が素っ頓狂な声を上げる。他の二匹と違い、クロの場合は本気の狩りだ。目の前に獲物が降りて来た瞬間から勝負は始まっている。油断していた由依は慌てて猫じゃらしを取り戻すと、爆笑する妹をキッと睨みつける。
「お姉ちゃんが一番鈍くさいわ」
「クロは狩りが得意やしな」
こんなにも機嫌がいい父を見たのは、いつぶりだろうか。バカにして大笑いする妹には腹が立つが、猫じゃらしを買って来たのは正解だったと由依も一緒になって笑った。
子供達を連れて父の様子を見に来たついでに、実家の家庭菜園で野菜を物色していた長女へ、母は感心したように先日のことを話していた。大きなカゴを抱えた由依は相槌を打ちながらも、畑にしゃがみ込んでホウレン草の収穫に勤しんでいる。週に一度は実家に戻って来て、こうやって貴美子の畑から野菜を貰っていくのが当たり前だった。おかげで食費は大助かりだし、無農薬なのも安心だ。
雑誌で見たどこかの偉い先生宛の手紙のことを夫が言い出した時、貴美子はどうしたらいいのかとオロオロするばかりだった。見ず知らずの人に迷惑を掛けてしまうという焦りと、隠し通していた夫の病気のことが本人にバレてしまうという懸念。勿論、病名が分かれば自分がこれまで夫を騙していたことだって知られてしまう。のらりくらりと交わしていたら、ついには夫から失望の言葉まで投げつけられた。
で、どうしようもなくて次女の部屋に相談に行けば、有希はキッチンへ飲み物を取りに降りたついでに平然と嘘を付いて、夫を簡単に納得させていった。信一は有希が速攻で手紙を出してくれたものだと、完全に信じきっている。
我が娘ながら、恐ろしい――否、今はとても頼もしい。
「で、有希は手紙を出したん?」
「まさか」
「まあ、出せる訳ないかぁ。あ、白菜ってもう大丈夫?」
「うん、まだ小さいかもしれないけど、もう採れるわ」
手に持っていた鎌で根元を切り離すと、少し小ぶりな白菜を由依に手渡してやる。青々とした葉を付けたままの大根と一緒にカゴへ入れて抱えると、他にも貰って帰れそうな物は無いかとキョロキョロと畑内を見回している。全く別の意味で、この長女もとても頼もしく育っているようだ。
収穫した野菜を車に積み込んでいる由依より先に家の中へ入ると、リビングから賑やかな笑い声が聞こえてきた。有希や子供達の声だけでなく、信一の笑う声も混ざっている。バタバタと何かが走り回る音までして、賑やかというよりも騒々しいくらいだ。
「なあに? 賑やかね」
「あ、おばあちゃん。猫じゃらし、買って来たの」
菜月が手に持つ赤い色の棒を振り回すと、先端に付いたリボンがフワフワと動き、ナッチとピッチの親子が目を丸く見開いてその動きを追っていた。
「ピッチが鈍くさいんや、全然アカン」
「もっとゆっくり動かしてあげないと、速過ぎて二匹とも付いていけてないよ」
「えー、ゆっくりって、どれくらい?」
姪っ子から猫じゃらしを受け取ると、有希が猫達の目の前にリボンをふわっと落とした。そして、じわじわと動かしてから、毛むくじゃらの前脚が捕まえようと伸ばされた瞬間にさっと引く。
その滑稽な様子に、信一の膝の上に座って見ていた美鈴が声を出して笑っている。
「次、なっちゃんがやる!」
「ゆっくりね」
分かったと満面の笑顔で猫じゃらしを下に構えると、菜月は有希の真似をしてみるが、どうしても猫には付いていけない速度で振り回してしまう。手を出すに出せない速さで、猫達は丸い頭を左右に振って視線で追うのが精一杯のようだ。
しばらくそうしていたが、最終的には諦めたのか、菜月はリビングの床を猫じゃらしを引き擦りながら歩き始めた。リボンを追い掛けて猫達が走ってくるのを期待していたらしいが、クロと大して変わらない老猫達は急に違う動きをし始めた菜月のことを、その場で不思議そうに見ているだけだった。
「やっぱり無理。有希がやって」
少し不貞腐れた顔で、持っていた赤い猫じゃらしを叔母に渡すと、菜月はコタツに足を入れて飲みかけで置いていたパックジュースに口をつける。
猫じゃらしの操縦を任された有希が絶妙な速度でリボンを右へ左へと動かすと、移動するふわふわを追い掛けてナッチがリビングの床をドタドタと走り回った。興奮して背中の毛を立たせながら、逃げるリボンを追う。
リボンの動きに即反応するナッチとは反対に、ピッチはお尻を振ってそわそわしているだけだった。性格なのか、それとも体力的な差があるのだろうか、確かに信一が言うようになかなかに鈍くさい。
「みーちゃんの笑い声が聞こえると思ったら、何やってるの?」
「あ、ママ。猫じゃらしだよ!」
畑の戦利品を積み終わって戻ってきた由依が、リビングで笑いをかみ殺した顔を見せる。美鈴の興奮した声が玄関まで届いていたので、何事かと思って覗いたら、普段はコタツで丸くなっているだけの白黒猫が尻尾を膨らませて走り回っているという珍しい光景。
「あれ? もう一匹は?」
「クロは賢いから、コタツの中で寝とる」
お気に入りの子の大人な反応に、なぜか父がドヤ顔をする。言われてコタツの中を覗いてみると、確かに一匹で丸くなっているクロがいたが、その耳はピクピクと動いていたので外の様子がとても気になってはいるらしかった。
「おいで、クロも猫じゃらしで遊びー」
「出したらんなや……」
無理矢理にクロをコタツから引っ張り出した由依へ、父が呆れ顔で諫める。せっかく買って来たんだから遊んであげるわと、有希から猫じゃらしの操作を交代した由依が、クロの顔の前に赤いリボンを垂らす。
が、次の瞬間には由依の手に握られていたはずの赤色の柄は消えていた。
「ええっ」
リボンを動かす前に、一瞬で猫じゃらしを奪い取られた由依が素っ頓狂な声を上げる。他の二匹と違い、クロの場合は本気の狩りだ。目の前に獲物が降りて来た瞬間から勝負は始まっている。油断していた由依は慌てて猫じゃらしを取り戻すと、爆笑する妹をキッと睨みつける。
「お姉ちゃんが一番鈍くさいわ」
「クロは狩りが得意やしな」
こんなにも機嫌がいい父を見たのは、いつぶりだろうか。バカにして大笑いする妹には腹が立つが、猫じゃらしを買って来たのは正解だったと由依も一緒になって笑った。
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