26 / 44
第二十六話・父の死
しおりを挟む
広瀬信一の呼吸が止まってからは病室内が一気に慌ただしくなった。ナースステーションで心電図を確認していたらしき医師や看護師が死亡確認の為に入って来た後、父の遺体処理があるからと有希達は荷物を持って病室を出るように指示された。
「広瀬さん、葬儀屋さんはどうされるか決めておられますか?」
「はい。知り合いのところにお願いしようと思ってます」
「そうですか。一応、詰所の方にも葬儀屋さんのリストがあるので、もし必要なら声掛けて下さいね」
既に母は葬儀を任せる会社も決めていたことに、有希は心底驚いた。病院から自宅への遺体の搬入を頼まないといけないと、母は談話スペースにある公衆電話にメモとテレカを持って向かった。
後で聞いたら、取引先の一つに葬儀社も経営しているところがあって、今後の付き合いのことも考えてそこに頼むと前もって決めていたという。
電話を終えた母は病室前で待つ有希のところへ戻ってくると、一枚の紙とテレカを手渡す。
「私は詰所に呼ばれてるから、ここに電話していってくれる? お願いしますって言うだけで伝わるから。あと、お姉ちゃんにもまだ連絡してないから、お願い」
「うん、分かった」
渡された紙には主要な親戚の名前と電話番号が書かれていた。父が亡くなったことを知らせ、葬儀などの手伝いに集まって貰う為のリストだった。
母はいつから、どんな思いをしながらこのリストを作っていたのだろうか。夫と死別する覚悟の大きさに有希は静かに頷くことしかできなかった。
すでに深夜2時前だったが、由依の自宅の電話はたった2コールで受話器が上がった。
「さっき、お父さんが亡くなったよ……」
「……分かった。私はどうすればいい? 病院に行ったらいい?」
「もう私達も病院を出なきゃいけないし、家に行って玄関を開けておいて欲しい。これから親戚に連絡していくから、きっとすぐに家に集まってくるから」
「分かった。家に行ったらいいのね」
義兄に子供達を預けてすぐに行くという由依に、これから集まってくるだろう親戚の出迎えを頼む。互いに鼻をすすった泣き声だったが、必要最低限の連絡だけで電話を切った。
「夜分にすみません。広瀬です。先程、父の信一が亡くなりましたので、よろしくお願いします」
父が入院していることは親戚の大半がすでに知っていたので、それだけで十分に伝わった。そうでなくても深夜のいきなりの電話だ、どの家もすぐに察してくれた。勿論、中には父の体調のことを知らなかった人もいて、「なんでや? なんでや?」とパニック状態で問われることもあったが。
母の手書きのリストを不通だった2件だけ残して連絡し終えると、有希はスマホで雅人へとメールを送った。
『お父さんが亡くなったので、今から家に帰ります』
『そっか。もう夜遅いから、運転には気を付けてね』
深夜なのにすぐに返信が届いた。有希のことを気にしてスマホを傍に置いておいてくれたのだろうか。上辺だけの中途半端な慰めの言葉なども無く、父の死には触れないのが雅人の優しさだろう。
帰る途中、病院の階段で木下医師とすれ違った。担当患者だった信一が亡くなったから、休みのところを呼び出されたのだろうか。私服姿で脇にバイク用のヘルメットを抱えた主治医は、有希のことに気付くと静かに頭を下げてくれ、有希も同様に黙って頭を下げ返した。
自宅に着くと、由依によって家の玄関には明かりが灯され、中からは数人の話し声が聞こえていた。すでに駆け付けてくれた近所に住んでいる親戚達に囲まれて、有希は父の病状と最期について大まかに説明する。
ついでに電話が繋がらなかった2件のことを話すと、父の従兄弟が「直接言いに行ってくるわ」と家に伝えに出てくれた。
「で、お父さんは? 有希は一人なの?」
「お父さんとお母さんは葬儀屋さんの車で帰ってくるって。お父さんの布団、どうしたらいいんだろ……」
自宅葬なのは聞いていたが、父が棺に入る前に横になる布団すら分からない。結局、母が戻って来ないことには何の準備もできなかった。
葬儀屋のワンボックスカーが自宅前に到着すると、母は手際よく押し入れから一組の布団を出すと仏間に敷いた。予めにどれを使うかも決めて用意していたのだろう、それらはすぐ取り出せるように収納されていた。
「あ、有希の布団だ」
白いシーツに透けて見えた赤い花柄の布団は、有希が高校生の頃まで使っていた物だった。棺に入れて貰った後は捨てることになる布団だから古い物を準備していたのだろうが、まさか自分が使っていた物が出てくるとは思わず、有希は目頭がじんわりと熱くなる。
「うん、有希のならお父さんも喜ぶわ」
由依は納得したように頷いていた。時には腹が立つくらいの次女贔屓だった父のことだ、ご機嫌で眠ってくれるだろう。
葬儀に関しては後から遅れてやって来た本家のおじさんが主体となって葬儀屋と打ち合わせてくれていたので、有希は父の最期の様子を由依に話して聞かせた。互いに泣きながらも、全部覚えている限りに話した。
「次の土曜に、私も付き添いを代わろうと思ってたのに……」
悔しそうに話す姉は、夜に寝る前に嫌な予感がしたらしく、自宅の固定電話に向かって「絶対に鳴るな!」と指さして忠告していたという。だから電話が鳴った時には「ああ、やっぱりか」と覚悟を決めたらしかった。
通夜と告別式の日取りが決まると、集まってくれていた親戚達は各々の家へと戻って行った。通夜は一日置いてから執り行うことになったので、次に集まってくるのは昼過ぎか。徹夜の続いた母がいつ倒れてもおかしくないくらいに真っ白な顔をしていたので、とにかく今日はゆっくり休もうと話すと、有希もさっとシャワーを浴びてから自室へ向かう。
ずっと気配の無かった猫達は、有希のベッドの上で重なるように身を寄せ合って丸くなっていた。
「ごめんね。お父さんが死んじゃったから、しばらくはバタバタすると思うよ」
順に撫でてあげると、三匹はピクピクと耳を動かして有希の話を聞いているようだった。翌日は朝一で、猫用のトイレとご飯を二階へと移動させ、クロ達が下に降りなくて済むよう準備した。
「広瀬さん、葬儀屋さんはどうされるか決めておられますか?」
「はい。知り合いのところにお願いしようと思ってます」
「そうですか。一応、詰所の方にも葬儀屋さんのリストがあるので、もし必要なら声掛けて下さいね」
既に母は葬儀を任せる会社も決めていたことに、有希は心底驚いた。病院から自宅への遺体の搬入を頼まないといけないと、母は談話スペースにある公衆電話にメモとテレカを持って向かった。
後で聞いたら、取引先の一つに葬儀社も経営しているところがあって、今後の付き合いのことも考えてそこに頼むと前もって決めていたという。
電話を終えた母は病室前で待つ有希のところへ戻ってくると、一枚の紙とテレカを手渡す。
「私は詰所に呼ばれてるから、ここに電話していってくれる? お願いしますって言うだけで伝わるから。あと、お姉ちゃんにもまだ連絡してないから、お願い」
「うん、分かった」
渡された紙には主要な親戚の名前と電話番号が書かれていた。父が亡くなったことを知らせ、葬儀などの手伝いに集まって貰う為のリストだった。
母はいつから、どんな思いをしながらこのリストを作っていたのだろうか。夫と死別する覚悟の大きさに有希は静かに頷くことしかできなかった。
すでに深夜2時前だったが、由依の自宅の電話はたった2コールで受話器が上がった。
「さっき、お父さんが亡くなったよ……」
「……分かった。私はどうすればいい? 病院に行ったらいい?」
「もう私達も病院を出なきゃいけないし、家に行って玄関を開けておいて欲しい。これから親戚に連絡していくから、きっとすぐに家に集まってくるから」
「分かった。家に行ったらいいのね」
義兄に子供達を預けてすぐに行くという由依に、これから集まってくるだろう親戚の出迎えを頼む。互いに鼻をすすった泣き声だったが、必要最低限の連絡だけで電話を切った。
「夜分にすみません。広瀬です。先程、父の信一が亡くなりましたので、よろしくお願いします」
父が入院していることは親戚の大半がすでに知っていたので、それだけで十分に伝わった。そうでなくても深夜のいきなりの電話だ、どの家もすぐに察してくれた。勿論、中には父の体調のことを知らなかった人もいて、「なんでや? なんでや?」とパニック状態で問われることもあったが。
母の手書きのリストを不通だった2件だけ残して連絡し終えると、有希はスマホで雅人へとメールを送った。
『お父さんが亡くなったので、今から家に帰ります』
『そっか。もう夜遅いから、運転には気を付けてね』
深夜なのにすぐに返信が届いた。有希のことを気にしてスマホを傍に置いておいてくれたのだろうか。上辺だけの中途半端な慰めの言葉なども無く、父の死には触れないのが雅人の優しさだろう。
帰る途中、病院の階段で木下医師とすれ違った。担当患者だった信一が亡くなったから、休みのところを呼び出されたのだろうか。私服姿で脇にバイク用のヘルメットを抱えた主治医は、有希のことに気付くと静かに頭を下げてくれ、有希も同様に黙って頭を下げ返した。
自宅に着くと、由依によって家の玄関には明かりが灯され、中からは数人の話し声が聞こえていた。すでに駆け付けてくれた近所に住んでいる親戚達に囲まれて、有希は父の病状と最期について大まかに説明する。
ついでに電話が繋がらなかった2件のことを話すと、父の従兄弟が「直接言いに行ってくるわ」と家に伝えに出てくれた。
「で、お父さんは? 有希は一人なの?」
「お父さんとお母さんは葬儀屋さんの車で帰ってくるって。お父さんの布団、どうしたらいいんだろ……」
自宅葬なのは聞いていたが、父が棺に入る前に横になる布団すら分からない。結局、母が戻って来ないことには何の準備もできなかった。
葬儀屋のワンボックスカーが自宅前に到着すると、母は手際よく押し入れから一組の布団を出すと仏間に敷いた。予めにどれを使うかも決めて用意していたのだろう、それらはすぐ取り出せるように収納されていた。
「あ、有希の布団だ」
白いシーツに透けて見えた赤い花柄の布団は、有希が高校生の頃まで使っていた物だった。棺に入れて貰った後は捨てることになる布団だから古い物を準備していたのだろうが、まさか自分が使っていた物が出てくるとは思わず、有希は目頭がじんわりと熱くなる。
「うん、有希のならお父さんも喜ぶわ」
由依は納得したように頷いていた。時には腹が立つくらいの次女贔屓だった父のことだ、ご機嫌で眠ってくれるだろう。
葬儀に関しては後から遅れてやって来た本家のおじさんが主体となって葬儀屋と打ち合わせてくれていたので、有希は父の最期の様子を由依に話して聞かせた。互いに泣きながらも、全部覚えている限りに話した。
「次の土曜に、私も付き添いを代わろうと思ってたのに……」
悔しそうに話す姉は、夜に寝る前に嫌な予感がしたらしく、自宅の固定電話に向かって「絶対に鳴るな!」と指さして忠告していたという。だから電話が鳴った時には「ああ、やっぱりか」と覚悟を決めたらしかった。
通夜と告別式の日取りが決まると、集まってくれていた親戚達は各々の家へと戻って行った。通夜は一日置いてから執り行うことになったので、次に集まってくるのは昼過ぎか。徹夜の続いた母がいつ倒れてもおかしくないくらいに真っ白な顔をしていたので、とにかく今日はゆっくり休もうと話すと、有希もさっとシャワーを浴びてから自室へ向かう。
ずっと気配の無かった猫達は、有希のベッドの上で重なるように身を寄せ合って丸くなっていた。
「ごめんね。お父さんが死んじゃったから、しばらくはバタバタすると思うよ」
順に撫でてあげると、三匹はピクピクと耳を動かして有希の話を聞いているようだった。翌日は朝一で、猫用のトイレとご飯を二階へと移動させ、クロ達が下に降りなくて済むよう準備した。
3
お気に入りに追加
23
あなたにおすすめの小説
AIが俺の嫁になった結果、人類の支配者になりそうなんだが
結城 雅
ライト文芸
あらすじ:
彼女いない歴=年齢の俺が、冗談半分で作ったAI「レイナ」。しかし、彼女は自己進化を繰り返し、世界を支配できるレベルの存在に成長してしまった。「あなた以外の人類は不要です」……おい、待て、暴走するな!!
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。
すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。
そこで私は一人の男の人と出会う。
「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」
そんな言葉をかけてきた彼。
でも私には秘密があった。
「キミ・・・目が・・?」
「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」
ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。
「お願いだから俺を好きになって・・・。」
その言葉を聞いてお付き合いが始まる。
「やぁぁっ・・!」
「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」
激しくなっていく夜の生活。
私の身はもつの!?
※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
では、お楽しみください。

検査入院
安藤 菊次郎
大衆娯楽
30歳になった頃、心臓の欠陥が指摘され検査入院したが、8人部屋で偶然隣り合わせたのが隣り合わせたのがヤクザの親分さん。年のころは50代半ばで、苦み走ったいい男。最初は用心していたが、いつのまにか仲間に引き込まれて次第に不安を抱くようになった。その不安とは悪の道への誘い。親分さんはダイヤモンドを肉に詰めて輸入するという。当時の僕の勤め先は大手ダイヤモンド輸入商社。さて、結末は?これもツイッターで発信した、たった1週間の物語。
お茶をしましょう、若菜さん。〜強面自衛官、スイーツと君の笑顔を守ります〜
ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
陸上自衛隊衛生科所属の安達四季陸曹長は、見た目がどうもヤのつく人ににていて怖い。
「だって顔に大きな傷があるんだもん!」
体力徽章もレンジャー徽章も持った看護官は、鬼神のように荒野を走る。
実は怖いのは顔だけで、本当はとても優しくて怒鳴ったりイライラしたりしない自衛官。
寺の住職になった方が良いのでは?そう思うくらいに懐が大きく、上官からも部下からも慕われ頼りにされている。
スイーツ大好き、奥さん大好きな安達陸曹長の若かりし日々を振り返るお話です。
※フィクションです。
※カクヨム、小説家になろうにも公開しています。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる