猫だけに吐く弱音 ~余命3か月を宣告された家族の軌跡~

瀬崎由美

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第十九話・パニック状態

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 病院で父に付き添っている母から電話があったのは、その日の夜22時頃だった。父の意識が戻ったものの、パニック状態で暴れていて危ないからとベッドに拘束されている状態らしい。

「暴れるし暴言は吐くし、もう大変よ……」

 最初はパニックで暴れたが、ベッドに拘束されて動けなくなると今度は動けないことに怒って怒鳴り散らしているのだという。普段の父からは想像できない状況に、有希は聞いてすぐには理解できなかった。怒る時は淡々と諭すように相手に詰め寄るタイプではあるが、本能のままに大声を出す人ではなかったはずだ。

 泊まりで付き添うという母からの連絡で、有希は作っておいた夕食をラップして冷蔵庫にしまってから戸締りをした。一人きりで家にいることにも随分と慣れてきた。自宅にはいつも誰かが居るものだと思っていたけれど、最近はそうでもないことが増えていた。

 猫達も有希の部屋で固まって寝ることが当たり前になってきたのか、寝る位置を奪い合っての喧嘩もほとんどしなくなった。特にクロとピッチの場所争いが酷くて困った。最初の頃は潜り込んだ布団の中に先客がいれば、有希の存在は無視して親子でシャーシャーと威嚇し合い、左右両方で腕枕をして二匹同時に宥めながら寝るしかなかった。

 布団の中にあまり入ってこないのはナッチだけだったが、三匹全てが掛け布団の上を陣取って思い思いに丸くなっている時は、猫達の重みで布団の中で身体が固定されて寝返りすら打てなくなる。

 ――ベッドに拘束されてるって、お父さんもこんな感じ? いや、さすがに猫とは違うか……。

 翌日、洗濯や猫の世話を一通り終えた有希は、付き添いを母と交代するつもりで病院を訪れた。ナースステーションの目の前にある個室で、母に無言で指し示されて見ると、静かに眠っている父の両手と両足は太いベルトのような物でベッドの柵に繋がれていた。想像していたよりも仰々しい拘束具に、有希は一瞬固まってしまう。人としての尊厳なんて一切無い光景。

「男性の看護師さんと先生達が、必死で抑えてくれてやっとよ。お父さん、力強いから」

 小柄な父だったが、元警察官で柔道経験者でもある。パニックを起こして暴れられると女性看護師では手に負えない。
 昨夜中ずっと暴れ続けていたという父は、半日ほどしてようやく目を覚ました。夜中に有希が付き添い用のソファーでクロスワードパズルを選んでいる時だった。
 暇潰しの為にコンビニで2冊のパズル雑誌を買ってきておいたのだが、パラパラと次はどれに挑戦しようかと考えていると、ベッドの方から小さな呻き声が聞こえてきた。

「なんや、ここ? 病院か?」

 信一は横になったままの状態で、キョロキョロと周囲を見回している。ベッド脇の照明だけが点いた薄暗い部屋が病室であると理解するのに少し時間がかかったようだ。手を動かそうとして拘束具で固定されていることに気付き、父は顔を顰めて有希に確認する。

「なんでや?」
「昨日の夜に暴れてたからだって」
「……そうか」

 拘束されたことに怒って暴れていたと聞いていたが、今の父は有希の説明にあっさり諦めたようだった。キレる素振りは微塵もない。仕方ないなという風に、静かに病室の天井をじっと眺めている。

 もうパニックは収まったのだろうか? 自分の置かれている状況を父は一つ一つ冷静に確認していく。

「なんで病院にいるんや?」
「お父さん、大橋の手前で意識失ったから。脳出血を起こしたって」
「そうか……結局、行かんかったんか……」

 悪いことしたな、とぽつりと呟くと、父はベッド脇の備え付けのライトを眩しそうに目を細めながら見つめていた。

「電気、消そうか?」
「いや、消さんといてくれ……」

 有希とは普通に会話ができて平常に戻ったように見えていた父だったが、巡回の看護師からは許可が下りず、念の為にとその拘束具は翌朝の担当医の回診が終わるまで外しては貰えなかった。父も諦めたようにその状況を受け入れているようだった。暴れたり怒鳴ったりするようなことは全く無い。
 そして、特に後遺症も確認されず、今回の父の入院は3泊4日だけで済んだ。

「家に帰れるなら、ギリギリまで自宅で過ごさせてあげましょう」

 それが主治医である木下医師の方針だった。病院で静かに最後の日が来るのを待つよりも、自宅で家族と過ごし、家族にも患者との思い出を少しでも多く残せるようにというのが彼の目指す終末医療の理想形だ。

 ただ、この時の脳出血を皮切りにして、父の身体は坂道を転がるがごとく勢いで、目に見えて弱っていった。広瀬信一の身体の何もかもが確実に限界に近付いているのは明らかだった。

 日中は猫と一緒にコタツで眠っているのは変わらなかったが、有希が朝起きると「もうっ、勘弁してよ!」と怒りながらシーツを洗い、布団を外に干している母の姿があった。父はコタツで身体を横たえながら、顔を顰めてとても辛そうにしていた。

「どうしたの?」
「お父さん、オネショしはったのよ……」

 入院中はずっと点滴を打って貰っていたせいで尿量も半端なく、簡単には乾かないと母が嘆く。病気のせいだと頭では理解していたが、全てを受け止めてあげられる程、寛容にもなりきれない。

 この日を境に、父は夜だけは大人用の紙おむつをして眠るようになった。昼間は全く大丈夫なのだが、どうしても夜の尿意には気付くことができなくなっているようだった。後遺症は出ないと言われていたが、やはり少なからず何かはあった。
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