猫だけに吐く弱音 ~余命3か月を宣告された家族の軌跡~

瀬崎由美

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第十七話・親同士の顔合わせ

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 平日の昼過ぎということもあり、ホテルへ向かう道はそれほど混んではいなかった。けれど、何だかんだと家を出るのが遅くなったせいで約束の時間にはどう考えても間に合いそうもない。

 ――どうしよう。顔合わせに遅刻なんて、失礼過ぎる……。

 運転しながらチラチラと何度も車載のデジタル時計を確認しては、雅人に遅れそうなことを連絡しなきゃと有希は焦っていた。コンビニの駐車場かどこかで一旦停車するか、それとも携帯を母に渡して代わりに電話して貰おうか――。

 時間が気になって無言でハンドルを握る有希の隣では、緊張気味に表情を固めて助手席に座る母。父は眩し気に目を細めながら、後部座席から窓の外を眺めていた。誰もが余計な言葉を発せず、エンジン音だけが聞こえる状態の車内。
 向こう岸にホテルの建物と、川に架かる大橋がようやく見えてきた時、後部座席にいる父が突如大きな声を出した。

「ぷ、ぷ、ぷ」

 いきなり後ろから聞こえて来た大声に、何をふざけ始めたのかと有希は驚いてルームミラー越しに父を見る。母もビックリして身体を捻じって後ろを振り返っていた。
 言葉を話したというよりは、父の口が何かの音を勢いよく発したという感じだった。意味が分からず、有希達はキョトンとする。

「何? どうしたの?」

 シートベルトを外し助手席から身を乗り出して、母が父の顔を覗き込む。父は何も言わず、ただその目が前だけをじっと見ているようだった。後部座席に深く腰掛けた体勢のまま、微動だにしない。

「お父さん?」

 瞬きもせず目を開いてはいるが、何かがおかしい。父の目は何かを見ているようで、明らかに何も見てはいない。父の異変に慌てた母は、助手席のシートを倒してから後部座席へと急いで席を移った。普段はおっとりしているから、あんなに素早い動きをする母を見たのは初めてだった。
 運転中の有希にはルームミラー越しにしか様子を確認できないのが、とてつもなくもどかしい。ハンドルを握りながらも、意識は後部座席の様子から離せないでいた。

「ねえ、どうしたの? お父さん?」

 覗き込まれた瞳は、母のことを見ているようでいて、何だか違う。有希は大橋を渡る手前で路肩に車を停めた。これから向かうべきは、雅人達が待つホテルでないことだけは確かだ。

「救急車を呼ぶより早いし、このまま病院に向かうわ。先に木下先生に電話したらいい?」
「お願いっ」

 バッグからスマホを取り出すと、父のかかりつけの病院へと電話を掛けた。「とにかく落ち着いて運転してきてください」電話に出た病院の人にそう言われて、分かりましたと答えてはいたものの、スマホを持つ手は小刻みに震えていた。

 母は父の腕や背を撫でながら、父の何も見ていない目をずっと覗き込んで「お父さん? お父さん?」と何度も夫に呼びかけ続けていた。
 有希は震える手をぎゅっと握り締め直してから、既にホテルで待っているはずの雅人へとスマホを発信する。スピーカーにしてそのまま話せるようにしてから、車をUターンさせて病院へと向かう。

「もしもし? 今どの辺にいる?」
「ごめんっ、大橋の手前でお父さんの意識が無くなったから、病院へ向かってる」

 不十分過ぎる説明だったが、急なことに頭が追いついていない有希にはこれが精一杯だった。とにかく雅人に今は行けないことを伝えるのが限界だった。かなり動揺してしまっているからだろう、ハンズフリーにしていても運転しながらだと上手く話せない。少しでも気を緩めたら信号の変化を見落としてしまいそうなくらい、集中力がどこかへ飛んで行ってしまっている。

「分かった。気をつけて運転してね」
「ごめんね、また連絡する」

 その後はただひたすら、後ろのことを気にしながらもハンドルを握り続けるだけだった。後部座席の貴美子から「有希は運転に集中して!」と何度も諫められた記憶があるくらい、気付いたらルームミラーを何度となく覗いていた。余裕のない時の運転がとても危険だと身をもって知った。事故なく病院に辿り着けたのは奇跡だとさえ思えるほど、平常心からは遠かった。

 病院の入口に車を停めると、診察時間外だったこともあって、すぐに到着に気付いた看護師達がストレッチャーを押して迎え入れてくれた。

「広瀬さん? 広瀬さん? 聞こえてますか?」

 後部座席に乗り込んできた看護師に呼びかけられても、父は無反応なままだった。母を含めた三人がかりで車から降ろして貰うと、そのままストレッチャーに乗せられて救急治療室へと運ばれていく。

 車を駐車場に停め直し、有希は姉に電話を掛ける。珍しく自宅に居た由依は「分かった。すぐに行くわ」と冷静な声で電話を切った。由依の落ち着いた声に、姉もそれなりに覚悟ができていることが分かった。けれど、ついにこの時が来てしまったのかと落ち着かない気持ちに締め付けられる。

 院内に入る前に雅人にももう一度掛けると、心配そうな声が返ってきた。

「お父さんの容態が分かったら、また連絡して」
「ほんとに、ごめんね……」
「いいから、有希は落ち着いて」

 こっちは適当に飯食って帰るから気にしないでと言って貰うと、申し訳ない気持ちが今になって溢れてきた。雅人の両親まで振り回してしまったから、改めて謝罪に伺わないといけないと、ぼんやり考える。

 照明が落とされた薄暗くてガランとした待合室では、母が看護師と並んでベンチに座っていた。脳神経外科の外来担当で、いつも木下医師に付いていた看護師だった。
 二人の後ろのベンチに座った有希は、まだ震えが治まらない両手を開いたり握ったりと交互に繰り返す。病院までの道中、どうやって運転して来たのか記憶はあやふやだった。

「あ、おばあちゃん達、みっけ!」
「で、どうなの?」

 しんと静まり返った外来の待合いスペースに、菜月の騒々しい足音が響き渡る。抱っこしていた美鈴を床に下した後、有希の隣に腰掛けながら由依が目の前で点灯している処置中プレートを見上げていた。

「大橋を渡る手前で意識が無くなったみたいで、今、木下先生に診て貰ってるとこ」
「大橋……ああ、顔合わせの日だったっけ。で、雅人さんはどうしてるの?」
「適当にご飯食べてから帰るって」
「うわ。可哀そうに……」

 ドタキャンされた状態の雅人と両親のことを想像して、由依は微妙な顔をした。自分も顔合わせは経験したことがあるだけに、あの場で相手が来ないとかは辛すぎると。
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