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第七話・再びの頭痛
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ガンマナイフ治療によって自覚症状が抑えられたことで、父本人は回復傾向にあると信じて疑っていないようだった。薬の副作用なのか顔に丸みが出たこと以外は、特に変わらない日常が続いていた。本人が休みたがらないから、仕事にもほとんど復帰していた。さすがに泊まりや遠距離移動が必要なものは、従業員へ任せることにはしたが。
ガンそのものに対する治療は一切行われていないので、父の身体の中は止まることなく癌細胞に侵されているのは当然だったが、思えば余命宣告された時のことが嘘のような平和な奇跡的な日々だった。
ただ、この頃から父が咳込んでいる姿を頻繫に目にするようになっていた。咳をする声を聞く度に、父の身体が肺ガンに侵されているという事実を突きつけられた。
そんな父の様子を気にしつつも、有希は週末には雅人のマンションに通えたし、近場への一泊くらいなら旅行に行くこともできた。由依は以前よりは頻繁に子供達を連れて様子を見に来てはいたが、遊び盛りの子供達を優先した生活を送り続けることができた。
ガンマナイフ治療のおかげで、諦めかけていた日常を続けることが叶っていた。
旅行好きの両親も仲の良い友達夫婦3組で随分前から沖縄旅行を計画していたが、それだけはさすがに諦めることになった。旅行中に万が一があった場合、同行者や現地の医療関係へ迷惑を掛けてしまう心配もあったし、念の為にと主治医にも確認してみたところ、飛行機での気圧の変化が脳出血の引き金になる可能性があるから、もしどうしても行くなら船でと条件を付けられてしまった。
「船なんて、どんだけ時間かかると思ってるんや。そこまでして行きたくないわ」
主治医からの指示を父に告げると、やるせない表情で首を横に振られた。友人達とは現地まで別行動にもなるし、そんな旅行は詰まらなく、望んでもいない。
結局、キャンセルするくらいならと旅費の半分負担で別の夫婦が代理で行ってくれることになり、後日に大量の沖縄土産が家に送られて来た。
相変わらず、月1の通院では脳神経外科の木下医師以外の診察を受けることはなかった。あくまでも父には良性の脳腫瘍だと通し続け、初診時にレントゲン写真で真っ白になっていた肺に触れることもなかった。
気が付けば、宣告されたはずの3か月はあっと言う間に過ぎていて、共に過ごすことができないと思っていた春にも夏にも父は生きて家族の傍に居た。このまま秋の繁忙期も無事に送ることができたらと思っていた矢先、父が再び頭痛がすると体調不良を訴える。
庭に出たまま、ぼーっと立ち尽くしている父を有希も何度か見かけたことがあり、目に見えて食欲も減っていった。リビングのソファーで横になって、興味なさげにテレビを見て過ごすだけになっていた。
とても長く平穏が続いていたので、父の身体を蝕んでいる病魔のことを忘れかけていたが、強制的に思い出させられた。
「もし今、亡くなっても、葬式してあげることはできません」
木下医師を前に、妻の貴美子はそう言い切った。ぎっしりと予定が詰まった仕事を全てキャンセルすることで関係者へは多大な迷惑を掛けてしまうし、それをキッカケにした来年再来年の仕事への影響も計り知れない。万が一、このタイミングで夫が亡くなった場合は病院からの直葬しかできないだろうと。共に会社を切り盛りする妻には、夫が亡くなった後の従業員達のことを考えると、仕事を優先するという案しか浮かばなかった。
「でしたら、もう一度ガンマナイフを受けてみましょう」
父の最新のCT画像には新しい腫瘍の影がたくさん映し出されていた。まだ還暦を過ぎたばかりの信一の身体の中で、かなり早いスピードで病魔はテリトリーを広げていたのだ。
奇跡的に得られた平穏な日々がまだ続くものだと思っていた有希は、病院から帰って来た母の話に、一気に現実へ引き戻された気分だった。
「次はどこまで引き延ばせるかは分からないけど、何もしなければ今月か来月だろうって……」
受けないという選択肢はもう無かった。一度目の治療で伸びた寿命は二度目でも同じだけ伸びる保証はない。次はほとんど効かない可能性だってあるのだ。けれども他に出来ることはもう何も無い。
父本人は頭を固定されたまま身動き出来ない状態で2時間ずっと拘束されるのはとても辛いと嫌そうな顔をしていた。
だからと言って、断る理由はなく、その3日後には再入院が決まった。
「今回は普通の個室を用意してくれてたわ。ソファーベッドもあるし、お母さんは大丈夫よ」
「そう、良かった。ご飯はまたコンビニ?」
「ここの病院、食堂みたいなのはないのよねぇ。駅前も一人で入れそうなお店もないし、数日くらい我慢するわ。ああ、でも、今日の夕飯用にオニギリ握って来てるのよ」
さすがに二度目の入院ともなると余裕があるのか、病院から電話してきた母の声は明るかった。以前の入院の時と同じ担当看護師さんに、いろいろと話を聞いて貰えたと嬉しそうに話していた。同じ日に同じ治療を受ける他の患者さんの話など、たった数日だけの入院なのに驚くほど沢山のネタを仕入れたらしく、有希を相手に電話口で喋り続ける。
今回は水を抜いたりという外科手術は無く、ガンマナイフ治療のみだったから、母からの報告電話は数回しか掛かっては来ず、治療が終わったその翌日には帰宅が許されて木下医師の病院へ送られることはなかった。経過観察も通院で済むのだという。
一度目の治療後にも少し顔が浮腫んでいた父は、二度目を受けた後には別人のように顔が丸くなってしまった。それは飲み続けていた薬の副作用で糖尿も発症し始めたせいもあったからかもしれない。
「常連客から、前に居られた男の人はどうしはったんですか? って聞かれたわ。あ、それ私ですって言ったら、ビックリしてはった」と本人もネタにしていたくらいに、全く人相が変わっていた。
とにかく次々と身体の変調が出始めたのは、肺ガンの診断を受けてから8か月が経った頃だった。
吹き出物が出やすくなったという小さなことから、一日に何度もぼーっとしていることが増えたりと、今すぐ何かがありそうな気配はないが、確実に病魔との距離が短くなっている感じだった。
二度目の治療のおかげで父を苦しめていた頭痛は収まったようだったが、本人としても前回ほど回復した感は無かったようで、この頃から父が自分の病気や担当医について疑い始めるようになった。
「そもそも頭はそんな何回も触ったらアカンねん。木下は自分の点数稼ぎの為に、患者にガンマナイフを何回も受けさせたがってただけや」
本当の病名も実際の病状も知らされていない父には、高額医療を短期間に何度も受けさせられる必要性が理解できず、医師に対する不信感が募っているようだった。家族が告知を望まなかったばかりに、最善を尽くしてくれている医師が悪者扱いされている状況を作り上げていた。
その父の恨み節を横で聞きながら、有希はただただ担当医に申し訳なく思うばかりだった。
ガンそのものに対する治療は一切行われていないので、父の身体の中は止まることなく癌細胞に侵されているのは当然だったが、思えば余命宣告された時のことが嘘のような平和な奇跡的な日々だった。
ただ、この頃から父が咳込んでいる姿を頻繫に目にするようになっていた。咳をする声を聞く度に、父の身体が肺ガンに侵されているという事実を突きつけられた。
そんな父の様子を気にしつつも、有希は週末には雅人のマンションに通えたし、近場への一泊くらいなら旅行に行くこともできた。由依は以前よりは頻繁に子供達を連れて様子を見に来てはいたが、遊び盛りの子供達を優先した生活を送り続けることができた。
ガンマナイフ治療のおかげで、諦めかけていた日常を続けることが叶っていた。
旅行好きの両親も仲の良い友達夫婦3組で随分前から沖縄旅行を計画していたが、それだけはさすがに諦めることになった。旅行中に万が一があった場合、同行者や現地の医療関係へ迷惑を掛けてしまう心配もあったし、念の為にと主治医にも確認してみたところ、飛行機での気圧の変化が脳出血の引き金になる可能性があるから、もしどうしても行くなら船でと条件を付けられてしまった。
「船なんて、どんだけ時間かかると思ってるんや。そこまでして行きたくないわ」
主治医からの指示を父に告げると、やるせない表情で首を横に振られた。友人達とは現地まで別行動にもなるし、そんな旅行は詰まらなく、望んでもいない。
結局、キャンセルするくらいならと旅費の半分負担で別の夫婦が代理で行ってくれることになり、後日に大量の沖縄土産が家に送られて来た。
相変わらず、月1の通院では脳神経外科の木下医師以外の診察を受けることはなかった。あくまでも父には良性の脳腫瘍だと通し続け、初診時にレントゲン写真で真っ白になっていた肺に触れることもなかった。
気が付けば、宣告されたはずの3か月はあっと言う間に過ぎていて、共に過ごすことができないと思っていた春にも夏にも父は生きて家族の傍に居た。このまま秋の繁忙期も無事に送ることができたらと思っていた矢先、父が再び頭痛がすると体調不良を訴える。
庭に出たまま、ぼーっと立ち尽くしている父を有希も何度か見かけたことがあり、目に見えて食欲も減っていった。リビングのソファーで横になって、興味なさげにテレビを見て過ごすだけになっていた。
とても長く平穏が続いていたので、父の身体を蝕んでいる病魔のことを忘れかけていたが、強制的に思い出させられた。
「もし今、亡くなっても、葬式してあげることはできません」
木下医師を前に、妻の貴美子はそう言い切った。ぎっしりと予定が詰まった仕事を全てキャンセルすることで関係者へは多大な迷惑を掛けてしまうし、それをキッカケにした来年再来年の仕事への影響も計り知れない。万が一、このタイミングで夫が亡くなった場合は病院からの直葬しかできないだろうと。共に会社を切り盛りする妻には、夫が亡くなった後の従業員達のことを考えると、仕事を優先するという案しか浮かばなかった。
「でしたら、もう一度ガンマナイフを受けてみましょう」
父の最新のCT画像には新しい腫瘍の影がたくさん映し出されていた。まだ還暦を過ぎたばかりの信一の身体の中で、かなり早いスピードで病魔はテリトリーを広げていたのだ。
奇跡的に得られた平穏な日々がまだ続くものだと思っていた有希は、病院から帰って来た母の話に、一気に現実へ引き戻された気分だった。
「次はどこまで引き延ばせるかは分からないけど、何もしなければ今月か来月だろうって……」
受けないという選択肢はもう無かった。一度目の治療で伸びた寿命は二度目でも同じだけ伸びる保証はない。次はほとんど効かない可能性だってあるのだ。けれども他に出来ることはもう何も無い。
父本人は頭を固定されたまま身動き出来ない状態で2時間ずっと拘束されるのはとても辛いと嫌そうな顔をしていた。
だからと言って、断る理由はなく、その3日後には再入院が決まった。
「今回は普通の個室を用意してくれてたわ。ソファーベッドもあるし、お母さんは大丈夫よ」
「そう、良かった。ご飯はまたコンビニ?」
「ここの病院、食堂みたいなのはないのよねぇ。駅前も一人で入れそうなお店もないし、数日くらい我慢するわ。ああ、でも、今日の夕飯用にオニギリ握って来てるのよ」
さすがに二度目の入院ともなると余裕があるのか、病院から電話してきた母の声は明るかった。以前の入院の時と同じ担当看護師さんに、いろいろと話を聞いて貰えたと嬉しそうに話していた。同じ日に同じ治療を受ける他の患者さんの話など、たった数日だけの入院なのに驚くほど沢山のネタを仕入れたらしく、有希を相手に電話口で喋り続ける。
今回は水を抜いたりという外科手術は無く、ガンマナイフ治療のみだったから、母からの報告電話は数回しか掛かっては来ず、治療が終わったその翌日には帰宅が許されて木下医師の病院へ送られることはなかった。経過観察も通院で済むのだという。
一度目の治療後にも少し顔が浮腫んでいた父は、二度目を受けた後には別人のように顔が丸くなってしまった。それは飲み続けていた薬の副作用で糖尿も発症し始めたせいもあったからかもしれない。
「常連客から、前に居られた男の人はどうしはったんですか? って聞かれたわ。あ、それ私ですって言ったら、ビックリしてはった」と本人もネタにしていたくらいに、全く人相が変わっていた。
とにかく次々と身体の変調が出始めたのは、肺ガンの診断を受けてから8か月が経った頃だった。
吹き出物が出やすくなったという小さなことから、一日に何度もぼーっとしていることが増えたりと、今すぐ何かがありそうな気配はないが、確実に病魔との距離が短くなっている感じだった。
二度目の治療のおかげで父を苦しめていた頭痛は収まったようだったが、本人としても前回ほど回復した感は無かったようで、この頃から父が自分の病気や担当医について疑い始めるようになった。
「そもそも頭はそんな何回も触ったらアカンねん。木下は自分の点数稼ぎの為に、患者にガンマナイフを何回も受けさせたがってただけや」
本当の病名も実際の病状も知らされていない父には、高額医療を短期間に何度も受けさせられる必要性が理解できず、医師に対する不信感が募っているようだった。家族が告知を望まなかったばかりに、最善を尽くしてくれている医師が悪者扱いされている状況を作り上げていた。
その父の恨み節を横で聞きながら、有希はただただ担当医に申し訳なく思うばかりだった。
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